昨日の「犬と山歩き=トレッキングクラスの効果は頭で考えてもわからないのです。」の捕捉です。
捕捉したい内容は“頭で考えてもわからない”というところです。
この“頭で考えてもわからない”を使って犬を語るならこうでしょう。
「犬のことを頭で考えてもわからないことがたくさんある!」
「頭で考える」というキーワードから、養老孟司氏が講演動画の中で「人間が頭で考えてもわかることには限界がある…だから自然に行け」というようなことを話していらしたことを思い出しました。
簡単な言葉のようでとても奥の深い言葉です。
同氏の著書『「都市主義」の限界』に記してあることが参考になりますのでこちらに引用させていただきます。
「なぜ、人間が都市を人工物で満たすかというと、一つには安心を得るためである。
人口のものは、物質に限らず、社会のシステムにしても、すべて人間の脳のなかにあったもので、人間であれば、少なくとも表面的には理解し、予測、推測できる。
これが安心につながることはお分かりいただけるだろう」
引用:養老孟司著書『「都市主義」の限界』より
人間が頭の中で考えたものを形にしたのが都市。
そうであれば、その都市の中で起きることを予測したり推測することは簡単なのです。
ところが、相手が自然となると予測も推測も都市のようにはいきません。
だから自然相手のときには頭の中で考えることを止める必要が出てくるのです。
子供は都市の中にはない、なぜなら子供は自然だから。
同じように、犬は都市の中では理解できない、なぜなら犬は自然だからです。
こう考えると、犬のことを頭で考えることだけでは理解することができないことも納得できます。
犬を理解したいなら、頭で考えているだけでは行き詰るのです。
自然の中で予測したり推測したりするためにできることは、まず考えることを止めること、次に感じる事です。
ブルースリーの言葉をお借りするなら「Don’t think! feel.」。
「考えるな!感じろ」。
この名文句を実際にやっているのが自然の中で活動できる犬たちです。
山をゆるやかに動く犬の動きを見ていると、考えて行動しているというよりも、感じて行動しているという風に見えるのです。
とこうしてまた見ていることを考えている自分もどうかと呆れてしまいますが、考える癖が抜けないのが現代人です。
ある程度は考える人と感じる動物の犬。
このふたつの種類の動物がいっしょに山を歩くこと。
とてつもない力が生まれそうだと感じるのは私だけでしょうか。
すごく現実的かつロマンティックな犬との山歩き=トレッキングクラス。
参加するたびに変わるのは感じる力です。
犬も人もいっしょに自分の変化を楽しみましょう。
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