「ヒト」と最も近い「チンパンジー」の違いにみる社会性
先日、動画配信で東京大学の公開講座を拝見しました。
東京大学の長谷川寿一先生の「ヒトの心はどのように生れ、進化してきたか?」という題目の口座で2015年に講演されたものです。
このような興味深い講演が無料で配信されているのはありがたいことです。
長谷川先生の講義では「ヒトの心」について考えるにあたり「ヒト」とはというところに焦点を当てられています。
ヒトとほぼ同族とみられいてるチンパンジーとの共通と相違。
大変近い動物であるにも関わらず、社会生活の主軸ともなる部分で違いも見られるとのこと。
例えば、夫婦関係を築くヒトと異なりチンパンジーは繁殖時だけの関係性であることや、子供を育てる方法として女性たちが社会集団としてみなで子育てをするヒトと異なり、チンパンジーはメスがひとりで子供を育て上げることなど大きな違いがあることなどとても興味深いことです。
「ヒト」は異なる種「イヌ」と似ているところが多い
ヒトとチンパンジーが近い関係にある動物としているのはDNA配列が生物学的に近いことだということです。
イヌとオオカミが近いと言われるのも、上記と同じ理由です。
生物学的には非常に近いヒトとチンパンジーですが、社会構造はむしろ、全く別の種である動物の方が近いというのが面白いところです。
講義の中でも鳥の種の中には生涯「一夫一婦」を貫くものもいるそうで、仲睦まじい夫婦をオシドリ夫婦という由来ですね。
夫婦関係でいえばオオカミはオスとメスの関係性が深く一夫一婦にあたります。
また、オオカミの子育て方法はオスも子育てに参加し、子供を産まないメスもいっしょに子育てをするというまさにヒト族ヒト科の私たちとよく似ています。
イヌとなると繁殖に人間の手が張り込んでしまうため、どのような形で繁殖を行っているかで、オスとメスの子育てに関する行動はかなり変わってしまいます。
人工的な繁殖下におかれたイヌは、子犬のために食料をとってくることもないし、メスといっしょに暮らしていない繁殖用のオスは交配後にメスや子犬を守ったりすることもありません。
イヌの行動が人の作った環境の中でどんどん変化していくことに人側は無関心でいるようですが、このことはイヌのコミュニケーションの能力にも強く影響してきていると思います。
犬の「心」はどのようにして生まれたのか。
長谷川先生は「ヒトの心はどのように生れ、進化してきたか?」の題目の答えらしきものを講義の中では話していません。私も同じような講義をするのでわかりますが、答えはまだない、だから考える過程を教えて下さっているのだと受け取りました。
先生の講義を聴きながら「ヒトの心」は社会的集団の中で生まれているのだと考えました。
さらにその社会的集団は、集団行動を維持しようするための目的とコミュニケーションを必要としています。
社会的集団から外れ、集団行動を維持する目的を失ってしまうと、コミュニケーションはなくなり心もまた失われるのではないかと考えるのです。
「心」と「感情」を同等にすることはできませんが、常に定まらずに動く「心」を安定させているのもまた結束の高い社会的集団に所属して活動をすることにあるのではないかとまた発展して考えました。
これはヒトの話でもあるし、本来はオオカミとして野生で社会生活を送っていたイヌのことでもあります。
イヌはヒトの捨てたゴミを拾う生活をするようになって社会生活を捨てました。みんなで生きるよりひとりの方が価値が高いからです。
危険と戦うなら集団がいいけれど、逃げるならひとりが良いでしょう。
イヌは一匹オオカミになってしまったということです。
そして一部のイヌは今、ヒトの家族という社会集団の中に入って生活をしています。
ゴミを拾うよりもヒトから食べ物をもらい、同時に集団に所属できるというオオカミへと復帰できる行動の変化が促されます。
人に飼われている犬は、家族という社会集団に入って群れとして活動し、コミュニケーションを発達させ、そして心を宿していくのではないでしょうか。
そんなことを考える機会を長谷川先生にいただき感謝いたします。
明日はグッドボーイハートの山の学校に講師をお迎えしてのセミナー開催です。
講師をお迎えするのは久しぶりなのでとてもドキドキしています。
犬について共に学びましょう。
まだまだ知らないことばかりです。