最近のオポは「ギフト」づいている。
「オポさんに…」とお客様が差し出されるものは大根、ニンジン、カブ・・・といった季節の野菜たち。
野菜だけでなく柿やりんごも並ぶようになった。
一家の主として遠慮なく有り難くいただているようだ。
ところが近頃、山でもちょっとしたいただきものがある。
植えたばかりの栗の木の根元や山の頂上など
オポの立ち寄る場に偶然を装うかのように置かれているもの、それは最高級植物繊維発酵食品。
差し出し者 「山の主」
受け取り者 「里の主」といったところだろうか。
山に住んでいるにもかかわらず、発酵食品がなかなか手に入らない。
山といっても長きに渡り人が手をいれた場だ。
食べられるものは食べつくされているし、山の中に実のなる原木が残っているわけでもない。
発酵しているものを求めて歩くオポにとってこれほどすばらしいギフトはない。
それは私たち人間にとっては衝撃的な臭いだけど、オポの必要性を感じると喜ばずにはいられない。
一度食して場を記憶すると翌日は必ずその場に立ち寄る。
動物の学習とは本当に不思議なもので覚えさせようと苦労せずとも、覚える必要のあることはきちんと理解して記憶する脳がある。
オポにとってはそれほど必要な食べものということだろう。
オポという犬とそうでない動物のかかわりを感じながら、人としての私は蚊帳の外にいるように思えた。
この栗の木と柿の木に山の恵みがなったら、その仲間入りができるんだろうか。
雪が積もった。
冬が始まるね。