コンラート・ローレンツの著書「人イヌにあう」を一緒に読み解く時間です。
若干、専門的な内容になってきますので、興味のある方だけお読みいただければと思います。
本をお持ちの方は36ページを開けてください。
●イヌの祖先はオオカミなのか?それともジャッカルなのか?
このページの全般に書かれているオオカミの血を引く犬、とジャッカルの血を引く犬について先に説明しておきます。
オオカミにもたくさんの種類があります。
たとえばインドオオカミ、日本オオカミといってもどちらもオオカミという種の中に入ります。
ジャッカルにも同じように種類が分かれます。
オオカミとジャッカルは動物としては別の種になるのですが、イヌ科の動物たちは非常に血液が近く交雑することができます。
オオカミとジャッカルは交配して子供を産むことができるのです。
同じくイヌも、オオカミとイヌで交配して子供を産むことができます。
また、ジャッカルとイヌも交雑が可能です。
イヌはオオカミの祖先だという話はよく聞かれたことがあると思います。
歴史的な証拠の中ではオオカミの方が出現した歴史が古く、イヌはその後とされているからです。
またジャッカルもイヌよりも古い時代に出現したという学説が一般的なのです。
ローレンツは行動学的な分析の観点から、イヌはオオカミの血を強く引くものと、ジャッカルの血を強く引くものがあると当初考えていたようです。
ジャッカルとオオカミでは捕食とする対象が異なるため、群れの結束性も違っています。
この違いをジャッカルの血を引くイヌと飼い主との関係性、
オオカミの血を引くイヌと飼い主との関係性と分けて、説明しているのがこの部分なのです。
●ローレンツの本からオオカミとジャッカルの違いを読み解く
引用ここから36ページの最後部から~
家畜化のしるし、とくに子供っぽさの残存は、オオカミの血統を引くイヌの場合、中央ヨーロッパ産のイヌよりもはるかに顕著ではない。
この統制の現れ方は、オオカミ特融の性質に由来する。
まったく異なったタイプの依存状態にとってかわられている。
ジャッカルが屍肉獣であるのにたいして、オオカミはほとんど純粋に捕食獣であり、極寒期にみずからの生命を保つ唯一の食糧である大きな動物を殺すのに、仲間の助けにたよる必要があるのだ。
~引用おわり
家畜化とは人に飼われるようになった経緯のことで、家畜動物とは人に管理されて飼うことのできる動物のことです。
イヌは家畜化された動物になります。
家畜化された動物の中でも人を親のようにしたう行動や愛着を見せることを、子どもっぽさの残存と説明しています。
そのイヌの子供っぽさが、オオカミの血を引くイヌとジャッカルの血を引くイヌとでは違うというのです。
引用ここから~
群れの大きな要求にこたえる十分な食料を得るためには、オオカミたちは非常に広範囲にわたって走り回ざるをえないし、大きな獣を攻撃するときにはおたがいにしっかりとたすけあわなければならない。
厳しい社会的な組織、群れのリーダーにたいする真の忠誠とメンバー相互の完全な協力は、種の生存をかけての厳しいたたかいに勝ちぬく条件なのである。
オオカミのこうした特性は、ジャッカルとオオカミ系のイヌの気質に見られる非常に顕著な相違を疑問の余地なく説明するものであり、それはイヌを本当に理解している人間にはおのずと明らかである。
前者が自分の主人を親として遇するのにたいし、後者は飼い主を群れのリーダーの位置においてみるのであり、したがって彼らの行動は異なったかたちをとるのである。
~引用おわり
オオカミは捕食動物で自分よりも大きな獣をグループの力で倒していくため、群れの協力関係や結束力が絶対になります。
人間の兵法もオオカミの兵法をまねされるほどオオカミは規律の高い軍隊組織なので、それが日常の主従関係にも影響しています。
ジャッカルは屍肉、つまり死んだ動物を拾って食べるような動物なので、グループよりも単体でいることの方が利益が高く、また誰かに餌をもらえるような環境ではすぐにそちらを選ぶであろうという動物だ、という意味なのです。
ジャッカルは死肉を食べるだけでなくネズミ、ウサギ、イタチなどの小さな動物も狩って食べます。
穴の中に住む動物を狩るため穴掘りも得意で、犬の中では小さなテリア種はジャッカルに行動が似てます。
顔つきでいうとジャックラッセルのような長細い顔がジャッカルの頭部に似ているなと思います。
●犬はオオカミの血をひくのか、ジャッカルの血を引くのか?
この理論は遺伝子学的にオオカミの方に軍配があがりつつあります。
個人的には地域によってイヌがどのような他の動物と交雑してきたのかは違いがあると思っています。
イヌは環境に適応しやすいその性質を生かして様々な遺伝的な変異を遂げてきましたので、オオカミの気質が強い犬もいれば、ジャッカルの気質の強い犬もいると考えています。
この題目に対する答えは、これと決めつけることが重要なのではなくどちらの可能性もあると柔軟にみることで自分の犬を読み解くヒントとするのが私たちが情報を有効に活用できる
●犬は飼い主をリーダーとみなすのか?それとも親とみなしているのか?
そこで飼い主としては一番知りたい部分に入ります。
飼い主は犬との関係性の中で「犬のリーダーになる」という教えを守ろうとします。
誰でも口にする教えなので「犬にとって飼い主はリーダーなんですよ。」という説明は、すべての飼い主を納得させます。
社会的なグループの中には、規律を保つリーダーという存在が必要でそれが飼い主であるということは社会的な動物である人間にとっては分かりやすい話です。
同時に社会的な動物である私たちだからこそ、グループというものの成り立ちを理解して協力しあいながら秩序を保つ関係性を犬と作ることができるのです。
実は小さな家族もこの組織のひとつです。
家族の中にオスのリーダーであるお父さんがいて、メスのリーダーであるお母さんがいます。
そしてその家族という群れに属する子供たちがいます。
家族の中にいる小さな子供たちはただ依存して甘える存在ですが、小学生高学年くらいになってくると家庭の中で自分の役割を発揮できるようになります。
家を守ったり整備したり、自分よりも小さな存在を守ったりできるようになるのです。
家族もひとつの群れの単位になります。
ということは飼い主はリーダーでもあり親でもあるという形がすべての犬に適応できるというのが私の今の考えです。
犬が飼い主をリーダーとみているのか、ただ親として甘えているだけなのかの違いについてはその行動に見ることができます。
あなたの犬は幼稚園生の子供のようにずっと親に依存しつづける幼稚性の高い犬でしょうか、それとも飼い主を守ろうとしたりテリトリーを守ろうとする役割を持とうとするでしょうか。
犬の服従性と幼稚性のバランスについては考える価値のある話題です。
どちらの性質を強く備えているのか、このふたつの性質はどちらも社会生活を送る上で必要なものですべての犬が持っていますので、うちの犬にはどちらもないということはありません。
ただ犬たいして絶対にやってはいけない見方があります。
幼稚性が高いとされている犬がキャンキャン吠えたり、モノをこわしたり、騒いだりするのを性質のせいだとして「生まれつき」という言葉で放置することです。
その犬のわがままな行動はすべて飼い主が身に着けさせたもので、犬には罪はありません。
どんなに幼稚な犬も、脳が未発達な場合にも、コミュニケーションというものが成立している限りは犬は落ち着いて過ごす権利を持ち、それを提供するのが飼い主の役割です。
飼い主の役割を犬をかわいがることとすることはもちろんですが、可愛がりがいつのまにか甘やかしになっている現在の社会は、子育てにも共通することのように思えます。
動物にとって成長を阻害されるということはひとつの虐待であるというのは言い過ぎかもしれませんが、言い過ぎるくらいでないと歯止めが利かないと感じはじめています。
ローレンツの本の引用部分にもあったように「本当にイヌを理解している人は」という部分に自分が入ることができるようにと学び続けたい方は、いっしょに学びましょう。