映画を見るときにも映画の中に出てくる犬の行動がいちいち気になって仕方がないのは、もはや職業病だとは思います。
スクリーンの中の犬の姿があまりにも擬人的のときは嫌悪感がしてみるのを止めることもあります。
日本のテレビ番組で犬を見る気にならないのも同様の理由です。
しかし、中には映画の中で犬という動物について明確に記されているものもあります。
少し前に見た映画「グレース・オブ・モナコ」に出てくる犬もそうでした。
この映画はグレース・ケリー・モナコ王妃の自伝的ストーリーです。
ハリウッドの映画スターであったグレース・ケリーがヨーロッパのモナコ王の王妃となったことはまだ歴史に新しく覚えのある方も多いかと思います。
映画の舞台はモナコ王室で当時の貴族たちのきらびやかで豪華な生活を映画としてみることができます。
細かく再現することに意味のあったこの映画では、当時の貴族が飼う純犬種の姿もまた正確に再現されていると感じたのです。
最初に登場した犬はスパニエル系の大型犬2頭です。
グレース・ケリー王妃が貴族として作法を学ぶために通った貴族の家にその犬はいました。
最初にスクリーンに出てきたときの犬の姿は「フセの姿勢」。
2頭とも尾を振ることもなく顔を動かすこともなく、微動だにせず「フセてマテ」の待機状態で室内の暖炉の横当たりにいました。
犬の伏せている部屋で貴族の男爵がグレース王妃と会話をしています。
知らない人が見たらきっと「置物」だと勘違いされると思います。
場面が変わると城の庭部分を男爵と王妃が一緒に歩いています。
その横を先ほどの2頭の犬たちが駆け抜けていくのです。
庭では一定のルールを守れば活動を許されているということなのでしょう。
生き生きと走り抜けていく姿が非常に気持ちが良く「仕事終わった!さあ遊ぼう。」という雰囲気が出ています。
別のシーンに登場したのは、トイプードルです。
王室の子供が大人の会議中に地面に座ってトイプードルと遊んでいます。
トイプードルはまるで玩具、子供を傷つけないようにしつけをされている様子に見えます。
怯えもなく、小型犬特有の表情のなさはありますが、緩やかに動きを表現しています。
もちろんトイレシーツなどありませんし、マナーパッドなどしていません。
犬という動物を考えるときに、まずは犬という動物であると考えるのが始まり。
そしてその枝として純血種という犬について考えてみる必要があります。
純犬種犬は人が必要としたために作られた人為的繁殖による犬種です。
使役犬としてのはじまりはあったものの、現在の純犬種として系統立てたのは貴族の利用によってです。
貴族そのものが血統と純血にこだわる必要のある存在ですから当然のことです。
純犬種は系統事に役割と形が決められていました。
まさに貴族の階級制と同じようなものです。
純犬種はヨーロッパではひとつの文化であり伝統でもあるのです。
形と用途の両方が受け継がれているのかどうかは実際に見たことがないので不明ですが、その文化の中にいた犬の姿をこの映画では見ることができました。
この映画に出てくる犬の姿を日本人なら「かわいそう」というかもしれません。
しかし小さな室内に閉じ込められている犬を見てヨーロッパの犬を飼う方が目をそらしているとしたらどうでしょうか。
貴族のように純犬種を飼うことを進めているのではありません。
実際にはそんなにスペースもないですし、そんなことを言ったら犬は飼えません。
しかし犬のことを理解せずに犬を幸せにすることはできないというのは真実です。
犬は屋外の動物であり、犬の習性を崩さない、その上で犬を活用してきたという意味では純犬種という文化をもつヨーロッパの人々の中に学ぶこともあります。
しかし文化も永遠ではありません。
純犬種が生まれて200年近くがたとうとしています。
繰り返される人為的繁殖にどこかでひずみが生じるころです。
犬と暮らすなら犬のことをたくさん学んでください。
それは犬との暮らしを楽しくすることに必ずつながっています。