アップさせたつもりだったブログ記事が更新されておらず遅くなりすみません。
コンラート・ローレンツ氏の「人イヌにあう」の本からイヌのことを学ぶカテゴリーの1回目です。
本を購入するかどうかを決めるときにわたしが見るところは、著者のまえがき、あとがき、そして訳者のあとがきです。
この三つの部分に目を通すと本の概略が把握できるからです。
今日は「人イヌにあう」訳者である小原先生のあとがきからその一部をご紹介してイヌのことを考えてみます。
引用ココから
著者は動物の行動をみつめ、動物をこれほどまで愛しながら、動物と人間との区別を明確に指摘する。
動物を知ることがどれほど人間を知ることに意味があるかが、はっきりと書かれている。
動物を深く知り、それと比較するとき、むしろ人間自身を明確に浮かび上がらせるというのは、やはり私の年来の主張でもあった。
~一部省く
家畜化されたためにイヌのほうが人間にたいする理解において類人猿より優れているという点や、イヌが人間の発音を聞き分ける能力をもっていると書いてある点など、きわめて興味深い。
他の専門的な学術論文からは得られない動物行動学や動物心理学上の示唆が、いたるところにみうけられる。
引用ココまで
上記の2行の引用文からこの本を読む価値のあることは十分に明らかなのです。
犬とのより良い暮らしに最も大切なことがここに書いてあります。
それは「まず動物を愛しながら動物と人を区別すること」なのです。
犬を愛するあまり、犬と人の境界がわからなくなっていることが犬にとっても人にとっても一番問題なのです。
犬に対し人のように接すると犬は必ずストレスをかかえるようになり問題となる行動を起こします。
犬を人と同じように愛することと、人と同属化してしまうことは別のことだという自覚が飼い主には必要です。
二つ目の読む価値は人間自身を知ることができるというところです。
犬という動物をより深く知ることが、人間を知ることになる。
もう少しはっきりというと、自分と暮らしている犬という動物を深く知ることが自分自身を知ることになるということです。
犬が興奮したり騒いだり落ち着きなく振舞っているのを見て、自分が同じような状態とはとても思えないため否定したくなる飼い主の気持ちはよくわかります。
それは同じような行動に至るということではなく、同じような状況にいたっているという意味で飼い主を知ることができるという意味なのです。
これについては受け入れるまでにかなり時間がかかりますから、今すぐに自分を納得させる必要はありません。
まずは犬と人の境界をはっきりさせて、相手を理解するという愛し方を推奨されているというと受け止めてください。
「人イヌにあう」があまり受け入れないときには、犬のことを人のように見たいという気持ちが優先しているからかもしれません。
いわゆる擬人化というものですが、犬の擬人化は犬のすばらしさを発見することを妨げるものでしかありません。
犬は犬としてすばらしいのです。
「人イヌにあう」をおすすめします。