犬という動物の能力のすごいところを発見するのは、犬たちと関わる中で一番楽しいことかもしれません。
ほんの一粒のドッグフードを探し当てる嗅覚のすごさや、ほんの小さなささやきが聞こえてしまう聴覚の恐ろしさ。
跳躍力の驚きや、狭いところをくぐることができる柔軟性、絶対に追いつかない速さで走ることなど、私たちではかなうことのできないことをやってくれるそんな動物が自分の友達としてそばにいてくれることに感動するのです。
先日もそんな驚くべきことがありました。
はじめて預かり犬ちゃんを車で移動させていたときのことです。
預かり犬ちゃんの落ち着かせのために、グッドボーイハートに到着する前にある場所の駐車場に止めるつもりでした。
その目的地に近付いてきたときにピーピーと鼻ならしを始めたのです。
鼻ならしは次第に強くなり、到着したときにはギャンギャンに変っていました。
次にその場から走り出し本当の目的地(預かり場所)に到着しようとしたときにも、場が近づいてくると同じようにキュンキュン言い始めました。
一度も連れて行ったことのない場所で、駐車スペースにはいってもいない移動中に鼻を鳴らすということは、目的地に到着するいうことをなんらかの形で察知したということです。
目的地を知っているのは私だけで、それを知っていたということですから、人の何かの状態に反応をしたということになります。
こうなると読心術的なテレパシーではないかと考えます。
テレパシーは科学的には否定されるようなものでもありませんが、同時に肯定することも証明することも難しいものです。
犬が人から受け取る合図というにはいろんなものがあって、どんなに些細な情報も見逃しません。
特に臭いのシグナルについては人が知り得ない臭いを嗅ぎ取るので、人がいつの間にか不安の臭いや安心の臭いを出していることも犬に伝わっています。
ただし、上記でご紹介した到着地を事前に把握した状況というのは、犬ちゃんはクレートの中にはいっていてカバーもかかっていて私を見ることもできないし、臭いを嗅ぐこともかなり困難な状態でした。
一番犬が受け取りやすい臭いのシグナルもかぎ分けるのは難しかったであろうと考えると、やっぱり読心術なのかなと思います。
肯定されないけれど否定もできない犬のテレパシー能力。
犬との生活のいろんな場面でドキッとすることはたくさんあるけど、ここまで読みこまれると怖いと感じると同時に、相手も疲れるだろうと思います。
誤解を恐れずに言ってしまうと、相手に執着しすぎると自分を失ってしまうこともありますよということです。
本来なら生きていくために最大限活用すべき犬の能力が、行き過ぎてしまうと自分を苦しめてしまうことにもなりかねません。
また、脳の構造上の問題からもこのような特異な能力が発揮されてしまうことがあります。
人にも同じようなことがあり、オリバーサックス先生の本の中にも異常な脳で人が知り得ないことを知ると同時に日常生活が難しいという人々のことが紹介されていました。
犬は特に人為的な繁殖を繰り返しているために、脳の構造に異常が出ることは珍しくなく、その異常が「特異性」という能力として出てきても全く不思議ではないのです。
こうなると、その犬にとって何をすることが犬の生活を安定させていくことになるのか、考えて考えてを繰り返す毎日です。