来年のオリンピック開催準備のためのいろいろな対策がラジオで紹介されていました。
地下鉄の緊急時の避難を呼びかける駅員さんの呼びかけ声「危険ですのでただちに避難してください」が流れてきました。
同じ内容を英語で。ここまでは普通だと思って聞いていましたが、なんとそのあとは中国語、韓国語、あともっといろんな言語で同じことを伝えています。駅員さんの言語トレーニングは相当大変でしょう。
人のコミュニケーションは主に言語を中心としています。
その言語のコミュニケーションができるようになるためには、同じ言語を話す社会の中で経験を通して身についていきます。
そうでないものは駅員のように教育を通して身に着ける必要があります。
私が若いころはバイリンガルなどというと特別な才能を持つ人だと思われていました。
最近は日常的に情報が入るようになり教育機関も増えたことからバイリンガルは珍しくありませんが、世界各国すべての国の人と言語を通してコミュニケーションを図ろうとするのは大変なことです。
ところが犬はいたってシンプルです。
犬のコトバである犬語は世界各国共通なので教育で学ぶ必要はありません。
犬は今日、外国に旅立つことがあっても現地ですぐにコミュニケーションをとることができます。
これを思うと本当に便利だなと思います。
ではこの犬語を犬はどのようにして身に着けていくのでしょうか?
犬はこれらのコミュケーションの素材を自分のDNAという引き出しの中に入れて生まれてきます。
もちろん生まれたばかりの子犬は吠えることも唸ることも動くこともできませんから犬語の習得は成長と共に身に着けていくのは人と変わりはありません。
今犬語を話している犬と接することによって犬語は個々の犬のDNAの中からどんどんと引き出されます。
犬は話し相手を得られることで犬語で表現するようになり、表現するという経験を通して犬語を身に着けています。
ここで誤解しないでいただきたいのですが、だからといって犬に会わせればいいというものではないのです。
まずコミュニケーションを身に着けていない犬に会わせることでは限界がありますということ。
つぎにコミュニケーションを拒否する姿勢や態度でいる犬であれば、ますます難しいですねということ。
ここでは防衛的な態度をとる犬やストレス行動を連発してしまうような犬のコミュニケーションは難しいのですよととらえてください。
コミュニケーションは関係を築いていくための道具として活用されるとより高いコミュニケーションが身に付きます。
ところが逃走、闘争、防衛、回避を繰り返される対立したコミュニケーションが継続することは犬にとって大変ストレスのかかる時間になってしまうということも含めてお伝えしたいことです。
特に人との生活の中で犬のコミュニケーション能力はかなりゆがんだものとなっています。
犬は犬語を犬に対してだけ使っているのではありません。
犬は犬語で人にも語りかけているのです。
犬は人に対して人のように話しているのではなく、あくまで自分たちの言語でコミュケーションをとってきます。
だからその犬の犬語に対して人が全く意味のない反応、もしくは絶対に犬だったら返さないような反応をしていくと、犬の中に作られる精神はかなり異質なものとなります。
当然多くの犬には受け入れ難いものとなり、犬は孤独になります。
ところが人の方は自分が愛しているのだからこの犬は幸せだとか孤独ではないといいはります。
むしろこの犬は自分のことを人だと思っているのだからそれが幸せだと思ってしまうようです。
これは人側の視線にたった愛情なのでしょうが、犬として生きていくことを否定することにもなります。
家庭犬の多くは圧倒的に人と接しながら対話しながら毎日過ごしているのです。
散歩中に犬に会ったり知人の犬にあったり、もしくはドッグランで鼻を突き合わせたりするのはわずかな時間です。
ということは、犬が本当に満足するのは人という家族と自分の犬語と犬の文化を通して分かり合えたときだということです。
そして時には母国の犬国の友人たちに会って犬語で語り合い、わずかながらの関係でも深めていくことができれば、それはさらに犬にとってかけがえのない時間になるでしょう。
そしてこのことにはとても時間をかける必要があることも覚悟して生活の中になじませていってください。