都心で車を運転中にヒヤリとしました。
車線の多い大通りを通行中に車の前をカラスが低空飛行で横切ったのです。
その瞬間、自分の感覚ではギリギリでカラスとの衝突を避けられたと感じました。実際のところはカラスの方に余裕があったでしょう。カラスは歩道の他のカラスが先に見つけて食事にありついていた場に着地したのです。カラスの方は私や他の車が移動していてその速度も予測した上で、自分が車にぶつからずにその餌場に到着することを計算した上でのことだったのでしょう。
こうした野生動物の周囲の環境を把握した上での行動に接すると、人の環境把握のレベルはそれほど高くないように思ってしまいます。
環境把握というのは、自分の周囲を取り巻いている環境を把握するということです。これは動物にとってはとても重要な認知の作業です。私たちは生活している空間の中にある物体その他の環境を把握しているから行動をすることができます。屋外環境は刻々と変化しています。その変化する環境を予測することも環境把握に含まれます。
先のカラスと車の接近にしてもそうです。私もカラスもお互いに変化する環境を把握しながら移動していました。私は車を運転しながら前後左右の車や歩行者や信号が青から赤に変わることのすべてを予測して運転をしています。急に人が車の目の前に飛び出してくるようなことがあったらすぐにブレーキを踏む必要があります。運転席から見える範囲内の動いているもので自分の車に接近する恐れのあるものには注意を払っていたのです。ところが右上空からいきなり車の前にあわられたカラスを把握することができませんでした。本当はいきなりではなく右上から左下へと降下して来たのですが、その速度が非常に速いため自分にとっては突然目の前にあわられたように感じ対応に遅れてビックリしたのです。
カラスは毎日車の移動を観察していますので、車を環境の因子のひとつとしてとらえ、それが自分の行動を妨げるものになるかという計算を自然に行ってしまうわけです。車がカラスを捕食する動物ではなく、いきなり咬みついて来ないことも知っています。当然、都心は自然環境よりも移動しているものが多いため環境の中で自分の行動に影響を及ぼすものを認知していくことは大変なことのように思うのですが、逆に隠れた場所からいきなり現れない限りは上空から行動の範囲内である街を見下ろすカラスにとっては対したことではないのかもしれません。中には年をとって認知や行動が不安定になってしまったり、性質的に能力が十分に発達できないカラスもいるでしょう。そのようなカラスは事故にあってしまうのでしょうが、それでもこれだけたくさんのカラスが街中にいるのに道路で轢かれているカラスがほとんどいないのですから、その環境把握力は対したものです。
環境把握は全ての動物が生きていく上で重要な能力であるはずですが、この環境を把握する力の落ちている犬たちが増えてきているような気がしています。
環境把握は室内でも必要です。まず、部屋の間取りを覚えていたり、どのものがどこにおいてあるかを覚えていたりするものです。しかし年齢によっては物忘れが生じます。「あのポストカードどこに置いたかな?」などと、保管したはずのものをどこに片付けたのか忘れてしまうことがあります。それがしばらく使っていないものであれば問題ありませんが、よく使うものについていつも置いてある場所を忘れてしまうようになると、そろそろ自分の認知にも疑問を持つ必要が生じます。
室内での環境把握はほとんどが非生物であり動くことがありません。室内環境は屋外環境のようには変化しないのです。テラスでアイスクリームを食べているときには上空のトンビがそのご馳走をさらっていくことを予測しておくことは環境把握のひとつになりますが、室内でアイスクリームを食べていても何もおきません。
時に、室内に動くオブジェのようなものが登場したときにも、その物体が生物ではなく非生物であるという認知力があれば、そのオブジェにおびえる必要はありません。ところが犬の中には、クリスマスツリーに吠え続ける犬もいます。ツリーに吊り下げているオブジェが少し揺れようものなら大騒ぎになったりするのです。扇風機のヘッド部分が回ることに吠える犬もいます。こうした非生物の取扱いについては、そのうちに非生物であることを認知できるようになり、次第に吠えなくなるという時間の経過による学習が進みます。ところがまたよくシーズンになるとその学習は消え去り同じように吠えるという行動が出てしまいこともあるのです。これは極小数の犬の反応ですが、こうした傾向は少しずつ強まっているようです。
犬にとって屋外環境が室内環境と大きく異なるのは、臭いがほとんど一定であることです。室内でする強い臭いといえば、食べ物の臭い、アロマなどの臭い、洗剤の臭いくらいでしょうか。特に洗剤の強い香のものを使ってある場合は、室内はほとんど洗剤の臭いに満たされています。新しい臭いといえば、外出した人が洋服につけてくる臭いくらいなので、臭いの量としては少なく環境把握に鈍感な犬は、外出した飼い主の洋服を臭いこともありません。
屋外環境は都心と自然環境では臭いが全く異なります。都心でも中心部はほとんどが食べ物と排気ガスのにおいで満たされています。環境把握ができにくく犬は不安を感じやすいか、もしくは環境把握そのものをできないストレス状態に陥ってしまいます。
自然環境は臭いがほとんどないのですが、風が抜けるためたくさんの情報の臭いが漂っています。例えば、夜になるとウロウロする野生動物の臭いは風を通してたくさん嗅ぐことができるということです。環境把握を自ら行える力のある犬は、自然環境での環境把握を得意としますので動物の臭いで動けなくなったりすることはありません。その野生動物を以下に回避して接触しないようにするのかを決めるのが犬という動物です。自ら行動が基本の選択と行動ですので、拘束時間の長い現代の犬にはなかなか難しいものです。
この中間にあたる郊外では車の通行する時間以外は過剰な臭いにさらされることなく、環境把握ができるのではないかと思います。実際に自分で嗅ぐ能力がないので、犬の行動を見ながらその把握の状態を探っています。しかし、前に説明したように環境を把握するというのは、その環境に応じて自分がどのように行動する必要があるのか、もしくはないのかを決定付けるということなので、そもそも自ら行動することができない状態に置かれれば、環境把握も意味を持たないことになり、それすらもできなくなっているというのが現実のようです。
たとえば、こんなことがありました。庭で木をかじっている犬の2メートルくらい横に小鳥が飛び降りました。小鳥はしばらく地面をウロウロとして何かを探していたようです。犬は小鳥に気づいていたかどうかもわかりませんが、木をかじるのを止めて伏せたままでいました。その直後に小鳥が地面から飛び立ちます。犬はビックリしていきなり立ち上がり尾を下げて小鳥の飛び立った方角に顔を向けています。それからしばらくは動きません。動くことができなかったといったほうが正確なのかもしれません。予期せぬ環境の変化に戸惑い、行動の動機をしばらくは放棄したようです。
このような光景を人によっては「犬がかわいい」と見るのかもしれません。
感情を置いて冷静に見るとしたらどうでしょうか。これだけ犬という動物の環境把握力は落ちてきているということです。こうした行動の例が増えています。
なぜなら、行動を起こすことができない犬を人が求めているからです。室内で長時間の留守番と家の近くを少し散歩する程度であれば、ほんの少しの行動さえできればいいのです。犬が行動を起こさなければ問題も起きません。インターホンに吠えるということもないし、咬みつくこともないのです。問題が起きるとしたら身体的な部分におきるだけです。
動物は行動をするから動物になりました。
植物が長い間、食べて休むけど動かない状態であったのに、ついに動物は動き始め、その行動に必要な環境を把握する能力も身につけてそして動物として世界を楽しんでいます。
犬は動物です。犬という動物が持つ大切な機能が失われないことを、そしてその機能を十分に活かして生きることを楽しめることを願っています。