昨日の昼過ぎに大量の日本ミツバチが巣箱の近くの上空を飛び回っているのを発見しましてすぐに担当のダンナくんに業務連絡を入れました。
蜂のひとつひとつはどのように飛んでいるのか意識があるのかないのかわかりませんが、全体を見ると大きな渦のようになっていて、蜂と蜂の感覚はほぼ等しくあいています。
左右のどちらかに偏りのあるわけでもなく、全体としてひとつの大きな円の中を飛んでいるように見えたのです。
その後夕方にダンナくんが七山に到着したので、分蜂したかどうかを確認したところ、していないとのことでした。
でも、私が見たただならぬ風景は、あれは間違いなく何かが起きる兆しのはず。
夜になって「もう一度見てくる」と懐中電灯を片手に木々の枝を照らし、分蜂したブドウ球の蜂を探すと、あったやっぱり。
桜の枝の下に、本当に見つけました。
初めて実物のあのブドウの形を見て大感動でした。
ダンナくんの方は巣箱への強制収用に向けて準備が始まり、夜の七山で大騒ぎです。
犬たちはハウスの中に寝ていたのですが、1頭の犬はわたしたちのバタバタする声や動きに反応したのか、珍しく外に出ると言い始めて駆け出していきました。
何かいつもと違うものを感じとったようですね。
分蜂群はいったん巣箱に入ってもらいました。
数日とどまればしばらくはそこにいてくれるでしょう。
昨年いきなりやってきた日本ミツバチの群れが、これで3群れになったのです。
ここには巣箱が3つあります。
できるわけないと思って始めた養蜂が、こうして自分の目の前で繰り広げられるとやはり楽しいものです。
はちみつが食べられかったとしても、生態のいろんな不思議を身近に感じることができて、これからもっと勉強したいと思いました。
そして、犬のこと。
犬も養蜂と変わらないと思うのです。
犬の不思議な習性や犬としての性質に触れて、彼らが感じる世界や興味を持つもの、生得的な行動に触れることが、不思議で楽しくいつまでも見ていたいと感じるのです。
一方で犬と人がひとつの群れとして、自然に形作られる群れのシグナルで活動をできるようになったらどんなに素晴らしくワクワクするかと思うのです。
ある人にとってはどうでも良いと思える犬のしぐさやコミュニケーションが私にとってはとても興味深く、その不思議を紐解くために時間をいくら使っても良いと思えるのです。
これは犬という動物に対する価値観や興味のはっきりとした違いで、わたしの方は「犬がどのような動物であるかまだわかっていない。」と思っていることです。
すでに知っていると思った段階で、何も自分の脳の中には入ってきません。
犬のことをわかりたいという気持ちと同じくらい、犬のことが全くわからないと思うことがあります。
養蜂については最初から全く知らないのですから、どのようなものを見ても「初めて見た」もの、そこになぜという疑問が常に付きまといます。
養蜂楽しい、日本ミツバチがいつか全員でここを旅立って行ってしまう日まで、彼らのことをひとつずつ学び自然にときめきます。
そして、いつか皆さんにはちみつを食べていただきたいです。