今日は亡き愛犬オポの記念日です。
先日訪問クラスのときにも「先生のオポさんてもしかしてもう生きていないのですか?」と質問されました。
今でもオポが生きていると思っていてくださったらしく、そうだとしたらオポは今年で21歳になりますね。
日々のレッスンの中にも私の愛犬から学んだ数々の話が盛り込まれるのですが、今日はまた「なぜ私は犬に惹かれてこんな人生を歩むようになったのだろう…」という素朴な疑問にぶち当たりました。
中学生のころ単純に当時飼っていた柴犬と過ごす時間が楽しくて、ずっと犬と関われる仕事をしようと決めたことから始まりました。
ただその時は、今感じているような犬がこれほどまでに素晴らしく魅力的な動物だということは知りもしなかったのです。
多感な青年期に犬との時間が自分にとって心地よいと感じたのは、犬という異種の動物への関心と共に、よくわる若者のひとりとして自分の中に深く立ち入ってこない生き物と過ごしたかったという気持ちもあったのではないかと、今日ふと思いました。
当時私の飼っていた柴犬は人との距離がある程度ある、いわゆる礼儀の正しい犬であったと記憶しています。
その犬にとびつかれた記憶もないし、排泄を室内ですることもありませんでした。
庭で自由に遊ぶ柴犬は夕方になると室内に入ってきて、そこら辺に寝ていましたがその柴犬を抱き上げたりなでたりして遊んだ記憶もありません。
でもなお、庭で一緒に過ごす時間や散歩に出かける時間、室内にいる犬に話しかける時間が私にとって心地よい時間であったのはずです。
犬は程よい距離感で私に立ち入ることなく私の人生に寄り添ってくれるような距離感でした。
もちろん柴犬はよくいうことを聞きました。
来客に吠えたてたり、ものを壊したり、家具を噛んだりはせず、呼べば戻ってくる、リードはちゃんとつけることができる、攻撃されたこともないし、訓練をしらない私でもかかわることはできたのですが、母がしつけたのだと思います。
このお互いの境界線を越さないという犬の習性であるルールが乱れ始めていると感じています。
境界線を先に越したのは犬ではなく人の方です。
人と犬の境界線、もし踏み越してしまったと感じたらいったん少し離れてもう一度距離を取り直してみてはいかがでしょうか。
犬はより良い環境を関係性に順応してくれる動物であると信じたいのです。
やり直しに時間はかかると思いますが、それもまた生きるということです。
オポも7歳まで都会でストレスを重ねていきました。
7歳から七山に移住しましたが、やり直すには遅すぎたと当初は思っていました。
でも今はどちらも自分にとって必要な時間であったと受け取っています。
オポ21歳のお誕生日おめでとう。