先日「YESTERDAY」という映画を見て10代の自分を思い出していました。
この映画は題名からわかる方にはわかるとおり、Beatles(ビートルズ)の曲がたくさん登場する映画でした。
実は私は小学校6年生のころにビートルズの曲に魅了され中学時代はビートルズの音楽のリフレインの日々でした。
そうはいってもオーディオもなく、ラジオとカセットテープだけが頼りです。(時代を感じていただける方はありがたい!)
青春時代のみんながそうしたようにビートルズのポスターを部屋の天井近くに神棚のように貼って、毎日寝る前にポスターの前で手をあわせて願いことをするのが日課でした。
願い事とは「犬の訓練士になれますように」。
中学生のときに柴犬を飼い始めたことがきっかけとなり、犬の訓練士になることを決めてからずっとずっとビートルズのポスターに願い続けたのです。
今となってはなぜビートルズに願うのだと不思議ではありますが、当時の私の中では最もあこがれの存在、かつ「神」であったのだと思います。
あの10代のときの願いの中には、今自分がやっていることが具体的にあったわけではありません。
ただ、生涯を通して犬という動物が自分の人生からいなくなりませんようにという気持ちが、犬の訓練士になりたいというすごく単純な発想に行きついただけです。
行き当たりばったりの、大人がみれば思いつきにしかとられない目標は、今自分がこうしてここにやってきたこととして現実のものになりました。
すごく大切な犬との時間は、同時にすごくつらく苦しい時間にもなりました。
犬が辛いと自分も辛い。
犬が苦しいと自分も苦しい。
愛するものが生まれれば、同時に愛するものを失う悲しみも共に得てしまう。
本当に理解できただろうか、本当に全力を尽くせただろうか。
不安と疑問と恐れが、愛する犬という動物を目の前にすると高まっていくのです。
そして、長らく仕事を続けさせていただいたことで、犬たちとの別れを幾度も経験することになりました。
先日またすごく小さなときから知っている犬ちゃんが、かぐや姫となってお空に帰っていきました。
たくさんの楽しい思い出と貴重な学びを与えてくれた犬ちゃん。
これまでありがとう。そしてこれからは今までよりずっと自由に向こうにいった仲間たちと過ごしてねと思います。
飼い主さんとは分かれ分かれだけど、きっとあなたのお世話をしてくれる人や犬がそっちにもいるから大丈夫。
いつでも山に遊びにきてねと話しかけました。
犬の訓練士になったから知り得たこと、学んだこと、楽しいこと、辛いこと、悲しいこと。全部まとめてありがたい時間ばかりです。
犬を愛するということがどういうことなのか、死を受け入れ悲しみにくれることが一番そのことを教えてくれます。
ビートルズを聴くとあの10代のころの魂がよみがえり、今まだ活力を与えてくれます。