犬ちゃんたちのお預かりのために寒い七山の夜は暖炉の前にいる時間が長くなります。
普段は事務所でしている事務作業も、暖炉前から離れることはできません。
夜も朝方もうとうとと暖炉の前にぼーっとしていて思ったことがあります。
炎のゆらぎを見ることがどうしてこんなに癒されるのかなということ。
そして肌に当たる温かさがなんでこんなに心地よいのだろうということ。
暖炉のあたたかさが肌に触る感じは、温かいものに触れられているもしくは触れているような感覚なのです。
この温かさは少しだけ心地よい日光浴の感じに似ていますが、それよりももっと優しい感じです。
暖炉の近くにいることで何か生きているものがそばにいてくれるような感覚を得られるのです。
人が犬をずっと抱っこしてなでているのはそうしていなければ落ち着けない理由があるからでしょう。
犬のぬくもりは、温かいものに触れていたいという人の基本的な欲求を満足させてくれるはずです。
でも抱かれている犬の方はいろいろと不具合が出てきます。
抱っこ依存症になっている犬たちの落ち着かない行動は、抱っこ依存症になってしまった犬を飼っている飼い主さんなら見る機会があるはずです。
接触がないと不安になる分離不安状態の犬たちがいかに落ち着かない精神状態になっているのか。
不具合の中には具体的に説明できる根拠というものもありますが、実は本当に怖いのは説明できない根拠のないものなのです。
それは自分を落ち着かせるために犬をなでる人の不安定な感情やエネルギーを犬たちがすべて受け取ってしまうからです。
犬たちに言わせると科学的に証明できるものなのかもしれません。
というのは、不安定な感情やエネルギーは臭いとなってその人から発しているからです。
臭いは犬の脳を刺激し共感性の高い犬は同じ領域へと引き込まれます。
犬を抱っこしている時間の長さやなでている回数は本人が意識していないほど長く多いものです。
暖炉がどの家庭にもひとつあればなあと思いました。
暖炉の前では犬と人は対等に同じ炎に向かって温かさを得てお互いに心地よいと共感できる時間を持つことができるからです。
ほんの100年ほど前の日本だったら、どの家庭にも囲炉裏のようなものがあって、外では焚火ができて、いっしょに温かさを共感できた暮らしだったのに、失ったものは大きいのだなとそんなことを思った七山の夜でした。