子供のころに楽しみにしていたテレビ番組があります。
「南総里見八犬伝」の人形劇といったら年齢がバレてしまうので抵抗があるのですが、共感してくださる方もいらっしゃるでしょうか。
小学校低学年でしたがすでにスヌーピーのぬいぐるみを手放せないくらいになっていましたので、犬が登場するこの人形劇は当時の私のテンションを上げてくれました。
ご存知ない方のためにすごく簡略したあらすじをご紹介します。
昔武家の家に災いがおこり山犬に魔物の退治を頼み無事に退治できたのですが、その犬「八房」がその褒美として武家の娘「伏せ姫」を連れていくのです。
この八房に再び魔物が襲いかかったときに伏せ姫がこれをかばった折に八つの玉がちらばります。
その八つの玉とは「仁義礼智忠信孝悌」という玉でした。
この玉を手にした剣士たちがやがて集まりこの家を守るために戻ってくるという話なのです。
この8名の剣士たちですが、名前にすべて犬の文字がついているのでした。
たとえば犬養とか犬山道とかいう名前もあったような。
とにかく犬にからめてあるお話でした。
8つの玉の中の性質 仁義礼智忠信孝悌
これもすべて社会的にできあがった犬の中に見られるものだったはずです。
過去形になっているのは、犬はもはや人のペットとして可愛がられるために必要な存在となってしまったと同時に、本来犬のグループがもっていたはずのこうした気質も失われてしまったと感じるからです。
もちろん私たち人間にもこれらの気質やそれを表現する態度は、もはや過去のものとなりつつあると自省します。
自分たちにないものなのに、犬は人に忠実だとかいって忠犬ハチ公を祀り上げ、そうした態度を犬に求めすぎるのは明らかに不公平というものです。
私はそんなことはないと感じられるとしても、どこかに「犬は人が好き」なのだと断言できる部分があれば、それは犬は人に忠実だということの延長戦上にあります。
犬が人に忠実であったり、仁義を尽くしたり、信頼したいり、礼儀正しく振舞ったりできるのは、人がそれに値する人間であったりそうした態度で接しているときだけです。
人は常に我が身を振り返る必要がありそうです。
犬はそういう意味でも人にとって大切な存在だといえます。
自分を戒めてくれる動物などなかなかいません。
犬は人にとって貴重な動物なのです。