ドッグスクールのブログの記事としては少し堅苦しい題となりました。
数十年という間、人と犬の暮らしに関して考えながら過ごしていると、いろんな疑問にぶつかったり頭をかしげたくなるようなこともあります。
日々のこととして今日はまとまっていない思いを述べさせていただきます。
日本人の犬との暮らしというのはここ数十年で大きく変わっていきました。
それは昭和の時代からこの令和にかけて生活スタイルや価値観が大きく変化してきたことに連動しています。
国内で狂犬病予防法が施行されたのは昭和40年代なのでそれほど昔でもありません。
この法律をきっかけにウロウロと自由に過ごしていた犬たちはつなぎ飼いをされるようになり、その中で室内で小さな犬を飼う愛玩犬=お座敷犬と呼ばれる存在が出てきました。
その後純血種犬という文化がヨーロッパから入ってくると、ブランド品をそろえるのと同じような気持ちで、犬を飼うなら純血種犬を飼うことがひとつのステータスになりました。
次に犬は庭付きで飼うのが当たり前だった時代から、一機にマンションでのペット飼育が促進されるようになりました。
たくさんの小型の純血種犬たちが集合住宅で飼われるようになりました。
ここまでアッという間だったのですが、今では街中で見る小型犬たちが散歩する風景が定着しています。
この短期間での犬や犬と人の暮らしの変化は、大切なことをうわべだけの情報で伝えてしまう結果にもなりました。
血種が普通の犬だと思っている人が多くプードルとかチワワといった種類があるという間違った考え方が広がっています。
犬が尾を振っていることを喜んでいるからと誤解している人が大半です。
犬の短く切断された尾を生まれたときからそうなのだと思っている人が一般的です。
犬は室内で排泄すべきだと勘違いされている方もまた多いです。
こうした多くの間違いは浅く広く伝わりすぎると大半の人がそうだという風になります。
そして日本人の国民性からしてそれが固まりやすく変えにくいという傾向があると思うのです。
昨日訪問レッスンに向かう途中の車の中で気づいたことがあります。
朝の9時になると中央線が変わる県道があるのですが、その中央線の脇を走っていました。
8時58分になると変更される線には車がほとんどいなくなりました。
ラジオから聞こえる9時の時報と同時に今まで走っていたのとは逆方向の車がその車線に流れ込んでいきます。
ここまできっちりとルールを守る国は世界でも珍しいのではないかと思いました。
このすばらしいきっちりするぎる行動は、いったんそうだと収まるとなかなか変わらないという固さにもなりそうです。
犬という動物に対する情報はこれまで表面的で非常にあいまいなものが浅く広がってきました。
プードルという犬種もチワワという犬種も幻なのです。
本来はみな「犬」という動物であるというのは真実であり、とても長い歴史を作ってきたただひとつの文化です。
純血種にはまだ文化と呼ばれるほどの歴史はなく、あまりにも小さな遺伝子プールを維持し続けるこの人の操作はそう遠くないうちに崩壊してしまうことは生物学的にとっても明らかです。
なんとかその形を犬らしくキープしたとしても、その精神はすでに壊れ始めていることに気づいている人もいるのでしょうが、そうした人はあまりにも少数すぎて排除されてしまいます。
犬と楽しく暮らしている人にこんな複雑なことを考えながら生きてほしいなどとは願いません。
ただ私の願いはひとつだけです。
あなたの身近にいる犬が犬として生きることを許してください。
犬が本来の犬として行動をするのはどのようなことなのか少しだけ考える時間をください。
犬として人と関わるということあどういうことなのかを考える機会を持って欲しいのです。
この二つは犬もきっと望んでいることだと信じています。