先日、仕事つながりで親しくなり共感を得られることでお付き合いが長くなった友人と会う機会がありました。
お互いに会ったときには、犬のことばかりでなく、日常を取り巻く動物に関わる問題について話がつきません。
一気に「これってどう思う?」と意見を交わしながらあっという間に時間が過ぎてしまいます。
今回の話題は、奄美大島に生育する日本の天然記念動物に指定されている「アマミノクロウサギ」の絶滅に関すること、北海道のアイヌ館のヒグマの引き取り先がイギリスのワイルドパークになったいきさつや内容、昨今の犬の異常な行動などでした。
この話の流れで友人と「人に飼われる動物は弱者であるかどうか」「処分される動物は可哀想なのか」などと、普段はお互いに誰にも問いかけられないようなことを問いかけあって話を深めていきました。
自分としては、人に飼われる動物が弱者であると思うことはありません。
動物のことを、動物の立場に立ってなどというのは身の程知らずではないかというのが私の姿勢です。
人と動物はあくまで対等な立場であると考えています。
人に飼われる動物やペットが、人にえさをもらわないと生きていくことができない存在であったとしても、やはり動物は人と対等であるべきだと思うのです。
なぜかというと、人が飼う動物や展示動物、そして犬や猫などのペットは、人が必要とするからそのように存在させられている動物だからです。
人の必要性に応じて繁殖されたり、育てられたりしている犬は、必要とされている段階ですでに人と対等であると思い、そしてまた、犬という動物が人と対等であると考えるからこそ、一定のルールは必要だとも思っています。
犬をどのように繁殖するのか、どのように販売するのか、どのように訓練するのか、また大きくはどのように飼われるのかといったことの最低のルールがなければ、この対等性を姿勢として示したことにはなりません。
これまでにたくさんの家庭犬のお世話をさせていただいたこと、たった一頭の犬が幸せになることがどんなに大変なことなのか本当に身に沁みています。
ところが、動物の幸せというのはなぜか数で図られてしまうこともあります。
野生動物は数が少なくなったら処分してはいけない。
ペットは一匹でも少なく処分すべきなのだ。
国内にはこんなにたくさんのペットが飼育されているから、日本はペット大国だ、とかそのような次元の低い話はもうそろそろ終わりにしたいのです。
むしろ、もう少し本質に目を向けるなら、あなたのもっとも身近にいる犬は幸せなのでしょうか。
あなたの身近にみる犬にストレス信号を出している犬はいないでしょうか。
そうしたことにもっと注意を払ってあげてほしいのです。
動物、特に犬のストレス行動は行動学的にある程度明らかになっており、だれでも観察によって図ることができます。
そのストレス信号を図ることこそが、動物の幸せのレベルを知るきっかけになるのです。
友人との話は、犬たちの行動を見て一般の人々が理解できるようになることはあるのだろうかという話にまでつながっていきました。
期待はしない、だけど希望は持ちます。
マザーテレサの有名な逸話がですが、ある方がマザーテレサのお手伝いをして貧しい人々を助けたいと申し出ら得たところ、帰って家族のお世話をしなさいといわれたとのことです。
本当の話かどうはわかりませんが、最も身近な動物の異変について目を向けることができること、ここからスタートしては身近な動物に目を向けることが重要なのだと痛感します。
自分は犬の行動と訓練の専門家ですが、他の動物の行動にももちろん興味があります。
特に身近に接する動物には関心を持っています。
動物行動学の本を読むのは今でも大好きです。
興味と関心という好奇心は、規律の中では暴走しません。
今年もあと少しになりましたが、限られた時間でまだみなさんといっしょに、やっぱり犬のこと動物のこと、まだまだ学んでまいります。