暖かくなったり、寒さが戻ったり
4月というのに洗濯物はまだすっきりと乾かない。
それでもちょっと太陽が近くに感じるとなぜだか急に元気になって、外に出て伸びをしたりして掃除もはかどる。
玄関は特に大切。お客様をお迎えする場所だし、汚れていると招いていないものまで入ってくる。
と、玄関テラスを掃き掃除中に、今日はご予約をいれていなかったはずのお客様がやってきた。
「あれ、珍しいね。おはよう…」と、はき掃除を続ける私の前に来て
「にゃーん」とあいさつはしてくれたけど
そのままあいている戸口から中に入ろうと進む珍客。
玄関の戸口があいていて夜番を終えて休憩中のオポがいる部屋の戸口もあいている状態。
瞬時に部屋の中でオポがお客様を追いかけるシーンがよぎった。
急いで戸口を閉めようとするのと同時にオポが玄関に向かって部屋の中を走ってくる音が聞こえた。
ぎりぎりセーフ。
ちょうどオポが玄関戸口の前に到着したときに私が戸口を閉めた。
締め出された感じのお客様は少しご機嫌斜めだけど、そのうちまたゴロゴロとのどを鳴らしてテラスに体をこすりつけたりしていた。
その間、戸口1枚の向こう側にはオスワリして面会を待つオポがいる。
大きくて黒いものがいることがわからないのだろうか。
オポが気配を消しているのだろうか。
少なくともオポに殺気がないことだけはお客様の態度からうかがえる。
掃除を続ける私を横目にお客様はテラスを降りていった。
一方的に聴こえた言葉だと「じゃあ、また来るわね。」だった。
帰宅途中も庭で楽しそうなものがないかと道草をしていたので
お客様との対面を待ち望むオポをお見送りのため戸口から出した。
テラスの上で猫をみるオポ。振り返ってオポをみる猫。
イチ ニー サン シー Go!
と見つめ合いの後、オポが走り出すと同時に猫が走り出した。
もしくは、猫が走り出すと同時にオポも走り出した…かな。
似ているようでこのふたつは大違いだけどね。
玄関ゲートがふたりの距離を広げた。
ゲートの前で立ち止まり尾をゆっくりと振るオポ。
それを振り返って座って見るお客様。
見つめ会うこと数十秒。
お見送りは無事に終わった。
動物たちが身近にいる生活はなんだかうれしい。
人と距離の近い動物であれば緊張感も少ない。
少なくとも多少礼儀のある動物なら、一方的にこちらのものを奪ったりもしないだろう。
人と暮らす動物たちのすべてが人のことを知っているわけではない。
また、動物と暮らす人のすべてがその動物について知っているわけではない。
長い長い時間をかけて共に暮らしながら、お互いを知る時間をもう何万年ももってきたはずだけど
親子代々伝え継ぐはずの動物たちとの物語も、伝え継ぐ時間を失うことでいつの間にか消えてしまった。
そのうち外からいろんな情報が入ってきて、いつの間にかそれにすり替えられたりする。
わたしは猫と暮らしたことがないが母が猫のことを話してくれた。
「犬もかわいいけどね、猫もかわいいのよ。」
「お母さんは猫といっしょに寝ていたの。」
猫の話をもっと訊いておけばよかった。
「この本はすごく素敵な本よ。」
といって大切にしていた本を貸してくれた母。
その本は「野生のエルザ」。
トレッキング最中に動物と人のかかわりについて話していたときエルザのことを思い出した。
人の力を借りながらも自然とのつながりを持ち続けるエルザ
動物とのつながりを得ながら手を出しすぎない人間。
犬や猫は野生とはいえないけど、いやいえないからこそ
人は特にこの動物たちから学ぶことができる。
いつかそんなに遠くない日に、オポとお客様猫と私でいっしょになって話したりできるようになるかな。
それを実現するのはオポだけの成長ではなくて、飼い主である私の成長によるところが大きい。
小さな楽しみも成長の積み重ねから・・・ということでまず一歩。