先日グッドボーイハート七山に通学レッスンを受講するために来てくださった生徒さんと私のダンナくんと私の三人でディスカッションになりました。
テーマは「ザ・格闘」。
なぜならその生徒さんは格闘技の現役の先生で黒帯の強者。
対するうちのダンナくんは自称格闘家で格闘技のことを話し出すと体も動き出すほどの本物。
この二人の格闘家の「格闘」の話を横で聞きながら横から突っ込みをいれる私がいました。
格闘家の二人に言わせると「格闘技は構えの段階で相手がどの程度かわかる」とのことなのです。
それなら犬も同じことです。
犬だって相手を目の前にすれば相手がどの程度かわるし、賢い犬なら勝ち目があるかどうかも分かります。
いつもリードをつけられていて勢いだけあるのに本気でやりあったことのない弱い犬は、本当は弱いのに自分は強いと勘違いしていることもまれにあります。
そんな犬にも本気で向き合い続ければしつけの細かいテクニックなどある程度あれば十分です。
ところがこの二人の格闘家のどちらもが、小型犬にとびつかれ、なめられるという状態なのです。
私から「すきがありすぎる」「構えがたりない」と叱責されてしまう格闘家たち。
ダンナくんの言い訳によると「それはね、構えてないからだよ!」とのこと。
なぜ構えないのかと尋ねると「だってかわいいから…」というのです。
そして続けていうにはこうでした。
「相手を倒していいというのならいくらでも戦える。
だけど相手をいなして収めるとなるとそうはいかない。
相手をいなして収めるためには相手の3倍以上は強くなければならないから…」
ということでした。
ここでいう「いなす」とは犬の世界の「服従関係を結ぶ」という意味です。
決して力で服従させるということではありません。
犬と対立してやっつけるならすごく簡単。
でも犬が自分に服従したいと思うかどうかとなるとそう簡単ではありません。
なぜなら犬こそ本物の格闘家の末裔だからです。
山の中に暮らす犬などスキなどあればいつなんどき誰にやられてしまってもいいような状態です。
食ったり食われたり、争ったり奪ったり、この繰り返しが自然の中ではいつも行われています。
人は囲いの中で家畜を育て誰とも争わないのようなふりをしています。
でも犬の血の中に流れているのは「やんのかおら」の世界なのです。
その格闘家の末裔の犬が従っても価値があるという人間になりたいのならすごく強くなければいけません。
その強さは犬を叩いたり殴ったり痛みを与えることではありません。
動物として自制がきき、精神力が強く、忍耐強く、賢く、強靭な犬からみて「こいつなかなかやるな!」と思わせるような人であるときに犬が従う価値があると判断するのです。
食べ物を与えたり、頭をなでてあげるだけでは犬は安心しません。
犬こそ本物の格闘家として、あなたのスキを見破るのです。
今日もとびつかれたら「スキあり!」ですよ。
押忍!!