グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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Monthly Archives: 6月 2020

<犬のこと>柴犬や豆柴が高値で取引?犬の価格は犬の幸せを決めない

柴犬や豆柴が高値になっているらしい

学生時代の友人から犬を飼おうと思っているの…と連絡がありました。

友人が言うには「ペットショップに見に行ったら豆柴が75万円で売られていてビックリした」とのことでした。

いつか犬と暮らしたいとペットショップ通いをしていた友人は、最近の急激な犬の価格の変化に驚いたのでしょう。

豆柴を買いたいという人がいて売りたいという人がいることでビジネスが成立しているわけですから、希望者が増えればオークション形式で価格が上昇するのは仕方のないことです。

ただ事実として言えることは価格は自分の購入者の満足度を上げるものであって、ものの価値を決めるわけではありません。

ものとはここでは犬のことなので、犬をものと置き換えるのには抵抗がありますが売買されている以上仕方のないことです。

しかし犬を買ったときが頂点ではなく、犬との暮らしは犬が自分の家に来た瞬間から始まるのです。

大人しい柴犬は注意を払う必要がある

本来の柴犬はやはり飼い主にはなつくが他人にはなつかないという性質でした。

この比較的難しい性質を持つ柴犬という犬が、ここまでペット化して売られるようになることになろうとは、昔ながらの柴犬を知っている人なら想像すらしなかったでしょう。

この柴犬の性質の特徴から飼いならすのがなかなか難しいところもありましたが、この頑固な性質が好きで柴犬を飼っている方もいたのです。

でもいまや柴犬は、誰にでもなつく大人しく他の犬にあってもぼーっとしているそんな犬になりつつあります。

全ての柴犬がそのように変化してきたということではないのですが、そういう大人しい性質を持つ柴犬が増えてきたようです。

ところが、この大人しい柴犬は本当に大人しいわけではありません。

大人しいのではなくただ行動ができないだけなのです。

たとえば他の犬と友好的にコミュニケーションをとるのではなく、あまりコミュニケーションをとらない行動パターンになります。

関心がないように思えるのですが、行動のパターンが抑えられているだけです。

本来の闘争行動が表現できない分、葛藤行動が多くなります。

葛藤行動は表面的には行動にでないという状態が継続するので、普通の人が見てもなかなかわかりません。

長い間の葛藤は、いずれひずみを生みパニック行動や破壊行動、興奮行動となって不規則な行動パターンとして現れることがあります。

そうなったときはご褒美や罰を連発せずに、すぐに行動の専門家に相談してください。

そもそもが大人しい柴犬として飼われていたわけですから、ご褒美や罰でなんとかなりそうですがそうもいきません。

飼い主さんの理解と協力、根気と謙虚な態度が柴犬の行く先を決めることになります。

犬の値段が犬の幸せを決める訳ではない

高値の柴犬に限らず、どんな犬であっても高い値段でかったからよかろうというものではありません。

そもそも犬の値段はドッグショーという趣味の世界で高値が決まるようになりました。

ドッグショーを見たことも行くこともない人が、なぜ高値の犬を飼う必要があるのでしょうか。

もしドッグショーに自分の犬を出す趣味にはまっているのであれば、高値の犬を飼ってドッグショーに出し、犬を繁殖させて販売するということもあるのかもしれません。

その上犬の販売には許可が必要なので続けることは業者ではければできません。

でも、あなたがただ自分の家族として犬を迎えて共に楽しく豊かに暮らしていくことを望んでいるだけなら、犬の値段を考える必要はありません。

犬に値段のつかない保護犬を迎えることでも犬との暮らしは豊かになれます。

純血種という名前のついた犬を飼ってみたいのであれば、もちろんそれでもかまいません。

ただ、犬の幸せを決めるのは犬の価格ではなく、飼い主が犬のことをどれだけ理解しているかということです。

つまりは、飼い主が犬のことをどれだけ愛しているかということなのです。

梅を食べてあそぶ黒柴ちゃん

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<クラスのこと>お預かりクラスの後の訪問レッスンで犬の変化を生かすこと

梅雨時期のお預かりクラスでしたが、まとまった雨とまとまった曇りの時間で休憩と活動を繰り返して上手く調整できました。

お預かりクラスから帰宅した犬ちゃんたちが自宅でどう過ごしているのかいつも気になるところです。

今回はタイミングよくお預かりクラス直後に数頭の犬ちゃんの家庭訪問レッスンに伺うことができました。

まだお預かりモードが続く中で、今このタイミングでココとココを強化したいという気持ちが強くなり飼い主さんに対してついプレッシャーをかけてしまいます。

しかし案外このプレッシャーに答えようとして下さる飼い主さんが多いので驚きです。

日々熱心にレッスンを受けている飼い主さんたちは、犬の行動観察能力が高まっています。

飼い主の観察能力が磨かれているため、お預かりクラスから帰宅した犬が「いつもと何か違う」ことに気づかれるようです。

「クレートに入ったあとの吠えが減った」

「以前よりベッドに上がるようになった」

「リードの引っ張りが少し緩い」

などなど、犬によってその行動の変化は様々です。

犬たちもお預かりクラスで若干の行動の変化が起きているですから、冷静になればそれを見ることができるのです。

お預かりクラスは単純にいえば、いつもと違う環境で過ごしたというだけのことです。

その中には空間の使い方、テリトリーに関して、人の接し方、自然環境など様々な刺激があります。

与えられた環境と同時に失った環境というのがあります。

それが飼い主という存在なのです。

お預かりクラスでは「飼い主という存在を失った犬」の行動を見ることができるのです。

そのときはじめて、飼い主が犬にどれだけの影響を与えていたのかを見ることができます。

犬の飼い主に対する執着が強ければ強いほど、失ったときの行動の不安定さは大きい。

犬の飼い主に対する依存や甘えが強ければ強いほど、また失ったときの行動の不安定さは大きいのです。

それは振り子の触れるように、大きく逆側にバランスを崩すという形で表れてきます。

一旦バランスを崩したように思えるときに、はじめてバランスを取り戻そうとします。

その取り戻し方をサポートしているのがお預かりクラス時につくっている環境、そして管理、接し方です。

お預かりクラスの後に預ける前と全く同じようにいきなり犬との距離を近づけてしまうと犬は以前よりももっと不安定になってしまいます。

客観的に考えればわかるようなこの原理も、犬に対する感情が先走ってしまうと何も見えなくなってしまいます。

犬に対する愛情は過ぎれば何も見えなくなります。

犬を育てることのできる環境とはあくまで犬を客観的にみる目を持ち続けることです。

飼い主として一番難しいこと。

でも飼い主として一番大切なことです。

預かりクラスで対面する犬ちゃんたち

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<クラスのこと>月日と共に緩やかに変わる犬の姿と行動を見逃さない

毎月トレッキングクラスを受講しにきている犬ちゃんといっしょにトレッキングをしました。

もう数年この七山で犬ちゃんの姿を見ているので、少しずつ変わる山の景色といっしょに犬ちゃんの成長も見てきました。

少しの時間だと変わったような変わらないような犬の行動も、長い月日の中でみるとずいぶんと変わったな、大人になったのだなと感じられるようになります。

犬と人は一緒に暮らしているのに流れている時間の幅がずいぶん違います。

若かった犬があっという間に年を取ってしまうことも仕方ありません。

犬は3才で30才くらいの大人なのに、人は3年経つてやっと仕事ができるようになるくらいなのです。

人が毎日をだらだらと過ごしているうちに犬はアッという間に成犬になり、中年になり、そしてシニア犬になっていきます。

犬は人の7倍の速さで生涯を生きていきます。

犬にとっては当たり前の時間が、人にとっては足りないと思ってしまう。

犬は10年しか活動期間がないのです。

その10年の間のどのくらいの犬としての社会的な時間があるのでしょうか。

週に1回でも月に1回でも、ゼロではありません。

トレッキングに来てくれた犬ちゃんは毎週のように飼い主さんと山歩きに出かけているそうです。

若いときは歩けたところが難しくなってきた。

前よりも探索して堂々と歩けるようになった。

尾歩山ではこれまでできあかった排泄が適切にできるようになり飼い主さんとの距離感も良い感じになってきました。

時間をかけてできるようになったことこそ、本当の成長だと思います。

時間をかける価値のあることなら結果ではなく経過に価値があります。

かけた時間の分だけ犬にとっては価値のある時間だったということになります。

だとしたら飼い主にとっても価値のある時間であったはずです。

こうして過ごした時間は記憶に深く残り思い出の日々となっていきます。

犬とのトレッキングはそんな時間になりえるのです。

共有する場所、共有する時間、そして共有する感覚。

共感とはそんなことではないだろうかと犬ちゃんと飼い主さんをみながら感じました。

トレッキングの中、山頂で休憩するクールくん



 

 

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<クラスのこと>お預かりクラス&トレッキングクラスで黒柴ちゃん対面

福岡も梅雨入りしたようですが、雨は降ったり止んだりで梅雨本番はこれからというところでしょう。

まだまだトレッキングに参加される元気な犬ちゃんと飼い主さんがグッドボーイハート七山に来てくれました。

ちょうどお預かりクラスを利用している犬ちゃんと同じ犬種。

よくみかけるようになった黒柴ちゃんたちです。

ところがこの2頭どちらもメス犬なのに、サイズは倍くらい違いがあります。

同じ犬種とは思えないサイズ、そして気質的にもかなり違いがあります。

血気盛んな若い年齢のメス犬ちゃん同士のマーキング合戦。

どちらも人がそばにいてということが前提でのやりとりのようでした。

落ち着かせが終わったところで、いっしょに山歩きをしました。

さきほどは火花の散りそうだった2頭の犬たちも、山中では野生動物の気配に集中していきます。

外敵を見つけると結束する同種の習性のセンサーが働いたようで、仲良さそうにいっしょに山歩きを終了しました。

貫禄のある余裕の歩きを見せる大きな黒柴ちゃんに対し、はじめのトレッキングで興奮高く衝動的な小さな黒柴ちゃん。

どちらもそれぞれに学びの時間があったようです。

トレッキングクラスはプライベートで飼い主さんと関係を作るのが中心で、気の合いそうな犬ちゃんとは複数でトレッキングします。

多数のトレッキングは今はあまり開催していません。

限られた時間だから飼い主さんとの関係が少しでも進むようにと堅実なクラス開催を中心にしています。

私はオポと何度も繰り返しプライベートトレッキングでした。

繰り返し繰り返し。毎回楽しく学ぶことがたくさんありました。

新しい刺激がなくてもいい、場に慣れてきてからが学びの本番です。

黒柴ちゃんたちのトレッキングクラス

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<オポのこと>カラスが休んでいた場所にあの日オポもいた

先日のブログに書いたトレッキング中に出会った山にうずくまるカラスのこと。

<自然のこと>野生動物にもある仲間意識が消えゆく犬たち

このときに鮮明に思い出したことがあります。

ああ、あの時にオポも傷ついたカラスが休んでいたこの杣で一日を過ごしたのだということを思い出ました。

オポが12歳の時のことです。

ある夜にオポが不調の状態となり、嘔吐を繰り返し室内にも戻ってきませんでした。

嘔吐の中には血液もまじり、何か体から出したいものがあるけれど出てこない…そんな状態で土の上に腹をつけて一の字でじっとして動かなくなりました。

そばでじっと様子をうかがっていましたが、明け方4時くらいに寒くなり私は部屋に入っていました。

夜が明け始めるとオポが私のところに来てまっすぐと立って私を見つめつつ体重を少し後ろ脚にかけています。

私がたちあがるとオポも動き出し、山に行くのだとすぐにわかりました。

着の身着のままでまだ冷えの残っていた山に登るオポの後について登りました。

なんども下血しながら息を切らしながら山を登るオポ。

黙ってオポのうしろをついて歩きます。

そしてついた山の杣に伏せるオポ。

やはり腹をしたにして一の字になってじっとしています。

結局夕方までここから動かず…。

夜には家に自力で戻りました。

数日後には食事をとるようになり12歳の波を超えたのです。

あのオポが癒しを求めた場と同じ場で、カラスも癒されていたのだと知って「なぜ同じ場所なの?」と不思議に思いました。

私たちが知らない何かを動物たちは知っているのかもしれません。

本能というものなのでしょうが、本当に自分にとって必要なものなのでしょう。

自分はまだそれを知らないような気がする。

そんなことも知らずに死んでいく人間に飼われている犬たちが幸せになるのだろうかと深く反省します。

とりあえずは日々の果たすべき役目を果たすのみ、その積み重ねが脳の奥にある気づきを目覚めさせてくれると思うしかありません。

その後カラスは姿を消しました。

元気に飛び立ったのか、新たな世界へ旅立ったのか、そんな思いで犬たちと山歩きを続けます。

尾歩山のテント場で休むオポ

Posted in 自然のこと, オポのこと

<自然のこと>野生動物にもある仲間意識が消えゆく犬たち

犬たちとトレッキングクラスで尾歩山を歩いていたときのことです。

木々の上からガアガアとカラスの威嚇する声が聞こえます。

あきらかに「こっちにくるな」という低い鳴き声で数羽が私たちに向かってないています。

動物の死骸とかゴミかなにか餌でも持ち込んでいるのかと思って少し進むと、数m先に木の根元にうずくまるカラスを発見しました。

羽ばたきをぎこちなくして数メートル移動したが、明らかにケガをしている様子でした。

体を休めている傷ついたカラスに近付くなと仲間のカラスから威嚇されたのでした。

ケガをしたカラスが少し脇に移動してくれたので、わたしたちは犬を連れてそのまま山道を通過しました。

犬たちもカラスを追う気配を見せなかったので仲間カラスの襲撃を受けることはありませんでした。

それにしても、野生動物たちの群れの仲間意識の高さには驚かされます。

カラスといえば都会のごみ捨て場ではごみを奪いあっているカラスの姿しか見たことがなく、こんなに仲間意識が高い動物だったのかと感心しました。

自然環境の中では敵が多く、同じ種同士は結託しなければ生き永らえないのでしょう。

またゴミなどの資源を奪いあうよりも、力を合わせて大物を狩ることで食べ物を得ているためより仲間を必要とするのでしょう。

イヌ科動物も人が犬に関与するまでは犬同士が守りあう存在だったのでしょうが、人から餌をもらうようになってからは餌やテリトリーを奪い合うように変化してしまいました。

犬同士が本当に力を合わせるという姿を見ることはなかなかありません。

それでもトレッキングクラスの最中は野生動物に対しての恐怖からかグループ制が少しだけ高まります。

梅雨入りまでカウントダウンですが、梅雨の合間も社会性を育てる機会を山歩きで作っていきましょう。

 

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<日々のこと>懐かしい犬の面影を鮮明に思い出すとき

グッドボーイハート七山に戻ってポストを開けると一枚の封書が入っていました。

16歳で他界した犬ちゃんの飼い主さんからのお手紙でした。

旅立ったその犬ちゃんの姿や動いている映像をはっきりと出しました。

あんなこともあった、こんなこともあった。

それは16年前に講師として勤務していた専門学校でのことでした。

当時、とても真剣に学んでいた生徒たちと共にシェルターワーククラブという活動を始めました。

保護犬を福岡市の動物愛護センターから引き取り、生徒たちが飼育管理して飼い主さんに譲渡しようという活動でした。

賛同の意見もありましたが、多くの反対意見ももらいました。

犬を育てる環境としては決して良くはない。

でもこの目の前にいる学生たちがこの活動を通して学ぶことができるなら、きっとこの学生たちが将来動物の仕事についたときに、多くの動物とその動物に関わる人の助けになるだろう…

そう思うと気持ちを止めることができませんでした。

そしてはじまったシェルターワーククラブの第一号の犬ちゃんを福岡市の動物愛護センターから譲渡して受け入れました。

今は一般の人でも譲渡できる施設の犬たちは当時は譲り受けることすら難しような状態だったのです。

当時を知る人こその語れる話です。

初めての試みにミーティングを繰り返す日々でした。

学生たちは真剣に犬のお世話をしていました。

アルバイトや自分のやりたいことを削って、犬のお世話のためにたくさんの時間を使ってこの活動やこの犬から何かを学ぼうとしている姿勢を受け取ることができました。

そしてついに、その第一号のシェルターワーククラブ卒業犬を家族として迎えていただく日が来ました。

その日からその子が亡くなる日までの長い長い月日を、家族として大切に育ててくださった飼い主さんのお手紙を拝見して、どんなに愛されて育ったのかと感謝の気持ちでいっぱいになりました。

シェルターワーククラブという活動が社会に何かの影響を与えることなどありません。

活動を通して影響を受け、成長することができたのは私を含むクラブ活動で成長した学生たちの方です。

犬との出会いはたくさんのことをわたしたちに教えてくれます。

特に何年経っても鮮明に思い出す犬は私にとって大きな学びであったと思っています。

彼もそんな犬でした。

ビスコ。ありがとう。

もう一つの世界でオポと再会したらよろしく伝えてね。

七山の尾歩山山頂で休むオポ

Posted in 日々のこと

<犬のこと>犬にリードをつける意味をご存知ですか?

なぜ犬につなぐ引き紐のことをリードというのか?

犬と散歩するときに使う紐(ひも)のことを「リード」と呼ぶのをご存知でしょうか?

犬のレッスンのときに「リードをお持ちですか?」と尋ねると、わかる飼い主と分からない飼い主がいます。

「リード???」となったときには

「散歩のときに使う紐ですがお持ちですか?」と言い換えます。

そうすると「あー、あの紐のことですね。」といって本当に紐のようなリードを持ってこられます。

世代によっても分かれるようで、年配の方になるとほとんどの方が引き紐という方が通じます。

なぜ日本では引き紐といわれている犬につける“ひも”が“リード”と言われているのかをご存知でしょうか?

和製英語のリードですが、そもそもはリーシュという英語からきています。

リーシュは紐という意味でリーシュコードというのが正式につなぐ紐という意味です。

リーシュコードがリードと聞き取られてそうなったのかもしれません。

犬のリードは紐以上の意味を持つ

犬の散歩用の紐はリーシュからきていて、海外のペットコーナーでもリードではなくリーシュといわないと通じません。

でもリードという言い方はとても都合が良いものです。

リードといえばリーシュよりもリーダーするのリードを想像させてくれます。

犬にリードをつけて歩くというと、紐をつけて歩くという表現よりも、犬をリードしながら歩くのだと意識づけてくれることもできます。

犬に紐をつけて歩くというと、犬の紐をもったまま犬の後ろをついて歩く人の姿を想像してしまいます。

犬にリードをつけて歩くというと、犬の前を人が歩く姿を想像しませんか

この後者の歩き方が犬を落ち着かせることのできる犬の散歩の姿なので、積極的に犬のリードという言葉を使っていただきたいと思います。

散歩のときに犬にリードをつける意味

散歩のときに犬にリードをつけて歩くのは犬が逃げてしまうのを防止するためではありません。

犬と安全に散歩という社会的な活動を行うために、犬をリードしながら散歩をするための道具が犬のリードです。

犬が安心して安全に飼い主といっしょに散歩に行くというのは犬にとって大切な活動です。

犬を安心させるためにリードが必要であり、そのことで結果として犬と人は安全に散歩をすることができます。

特に都会の散歩となると刺激の多い空間を縫うように歩いていかなければいけないこともあります。

危険な横断歩道を渡ったり、自転車がわきを通行したり、車も人の横を通ることもあります。

急に猫が飛び出してきたり、子どもが走ってきたり、他の犬とすれ違ったりと、犬にとっては興奮する出来事がたくさんおきます。

犬がリードを通して人の動きを知り、人に沿うように歩くようになれば犬にリードの意味を伝えることに成功しています。

でも犬がリードに反発したり、リードをひっぱったり、リードを噛んだり、地面に寝転がったり、後ずさったりするような行動をするときには、犬はリードを持っている人に従うことに抵抗を示しています。

人はこの姿を見て「リードという紐」が嫌なのだと誤解します。

真実は違います。

犬が嫌がっているのは「リードを持っている人に従う」ことなのです。

犬はなぜリードを持っている人に従わないのか

なぜ犬はリードを持っている自分に対して従ってくれないのだろうか。

犬が悪いのでしょうか?

いえ犬は決して悪くありません。

犬は正直に目の前に起きていることに正しく反応しているだけです。

だから犬に対してカッとなったり怒ったりするのは止めましょう。

飼い主としてもうひとつランクアップすれば、犬は人と共に軽やかにリードをつけて歩いてくれます。

その日が来るのは明後日かもしれないし、一年後かもしれません。

どちらにしても楽しみです。

小手先のごほうびはもう使わずに、飼い主として真剣勝負で挑みましょう。

犬もきっと真剣に向き合ってくれるはずです!

犬のリード歩行は大切なトレーニング

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<犬のこと>飼い主にとっていいことでも犬にとっていいことではないとは?

前回のブログで紹介したダンナくんも賞賛したパンク町田さんが言った事をおさらいします。

飼い主にとっていいことでも犬にとっていいことではない。

この言葉ですが犬の飼い主にとってはとても重い言葉なのです。

本当にこの言葉を受け取れる方、この言葉の意味のわかる飼い主ってどのくらいいるでしょうか?

例えば、犬のトイレ場所問題についてもこの言葉が当てはまります。

室内のトイレシーツの上で犬に排泄をさせるのは、飼い主にとっていいことではあるが犬にとっていいことではない。

犬の排泄場所問題についてはブログ記事にもいくつか書いていますのでご覧になってください。

大切なことなのでリンクを貼っておきます。

関連記事→<犬のこと>とても大切なことなのに見逃してしまう「犬はどこで排泄をするのか」

関連記事→<犬のこと>犬は境界線の上に排泄をする動物です

関連記事→<犬のこと>飼い主さん自家製のペットドアでベランダへ排泄にでるご機嫌なメイちゃん

関連記事→<犬のしつけ方>オスワリやオテができるのにトイレができない犬たち

関連記事→<犬のこと>子犬のトイレのしつけは将来にわたり犬の行動に影響を与えます

関連記事→<犬のしつけ方>犬の社会性に大きな影響を与える犬用のケイジとサークル使いの注意点

こうしてリンクを貼ると結構記事がありました。

ではこれはどうでしょうか?

犬を抱っこすることが飼い主にとってはいいことであっても犬にとっていいことではない

犬を抱っこすることは飼い主にとっていいことであって、犬にとってもいいことであると思っているのなら、すでに犬は犬として生きることを尊重されていません。

なぜなら親犬ですら犬を抱っこすることはありません。

親犬は子犬を運ぶときには首元をつかむようにして運びます。

それが犬を大切に扱う親犬の行動です。

自分がいかに強くあなたを守れるべき存在であるかということを子犬に知らしめることが、子犬が親と安心して暮らすことのできる「犬として」の伝え方だからです。

逆に飼い主が犬を抱っこすることで起きる犬にとってのデメリットはいくつも上げることができます。

適当な過去記事がなかったので後日ブログでまとめてみます。

飼い主さんが今やっている行動を説明するときに、直接的に避難しているように感じられて傷つかれることもあると思います。

でも遠回しに言ったとしても伝えたいことは同じなのです。

だったらダイレクトに伝えて私のことを嫌いになっても全く構いません。

それが事実だということを知っていただき、飼い主と犬の関係が改善することで犬が犬として生きる権利を獲得されるのであれば自分はそれが一番大切なことだと思っているからです。

飼い主にとっていいことでも犬にとっていいことではない。

自分が犬にしている行動の中で探してみてください。

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パンク町田のテレビ番組で犬のこと見たんです。


パンク町田さんがテレビで犬の調教



家庭訪問トレーニングの帰り間際に飼い主さんが「パンク町田の番組で首輪のことを…」と語りはじめて「ああ、あのことか」と昨日のダンナくんとの会話を思い出しました。

パンク町田さんとは動物行動学の専門家兼タレントさんらしく、地上波のテレビ番組をほとんど見ることのない私は一度もパンクさんを見たことがありません。※詳しく知らずにすみません。

私のように知らない方のために説明すると、パンク町田さんはオオカミやトラや鷲なども調教するほどの動物に通じている方らしいです。

そのパンク町田さんがかみつきのあるプードルを調教するというテレビ番組が放送されました。

犬に関する地上波テレビ番組を見ると怒りが出るので見ないようにしていますが、録画した番組を「見たくない」という私の前で一から十までダンナくんが説明を始めました。

プードルは飼い主に噛みつくようになっており、その噛みつき矯正するためにやったことが散歩の練習だったらしいのです。


パンク町田の犬の散歩で訴えたこと



パンク町田さんはその噛みつくプードルの散歩で、首輪をつけて歩くことと、飼い主の前ではなく横を歩かせるようにというルールを教えたらしいのです。

ダンナくんがいうには、いつも私が言っていることと同じことだったから、パンク町田は案外、犬のことが分かっているのだろうなと感心したというのです。

翌日生徒さんからも、こういわれました。

「先日、トレーニングのときに首輪をつけられるようにならないといけないとおっしゃったじゃないですか…。

パンク町田がかみつくプードルに、首輪で歩けるようにならないといけないといっていて…先生も同じことを言われたいたなと思ってびっくりしました。」

私はパンク町田さんと私が犬について共通の理解をしているかどうか全くわかりません。

ただ、散歩のルールとしてパンク町田が訴えた以下の二つのルールは絶対です。

1 首輪をつけて散歩に行けるようになること。

ただし子犬のときはハーネスで十分です。

生後1才くらいまでに首輪で行けるようになると良いです。

2 散歩のときは人の横を歩けるように、人の前を歩いてはいけない。

これは小さいころから教えたいことですが、できるようになるのは数ヶ月たってからでしょう。

むしろ生後6ケ月くらいまではできていても、その後再びできなくなってしまうので再度教える必要があります。

パンク町田さんは矯正の首輪を使ったようですが、テレビのように短時間でさせる場合には致し方ないでしょうか。

時間をかけるのであれば矯正首輪は必要ありません。


犬にとっていいことと飼い主にとっていいことは違う



さらにダンナくんは熱く語りました。

「パンクがいったんだよ。飼い主のあなたがやっていることはあなたにとっていいことであって犬にとっていいことではないって…。

あいつ結構わかっとるんやなと思ってビックリした。」

パンク町田さんに対して上から目線のダンナくんもどうなんだろうと思いますが、常日頃から私の弟子として犬の世話をしていればそうなるのも仕方ありません。

本当にパンク町田さんの言うとおりです。

犬を抱っこして甘やかす行為は、飼い主がやりたいことであって、犬にとっていいことではないのです。

飼い主が犬を甘やかす行為はむしろ犬にとってデメリットでしかありません。

不安定な飼い主の育て方によって犬は「噛む犬」になってしまうのです。


犬のしつけも新しい時代に入るのか



パンク町田さんのような主張は、少し前の時代には通用しませんでした。

犬の首輪をつけて人の横を歩かせるのが犬にとっていいことなのだと言い切れる人ってなかなかいなかったのです。

以前なら犬がかわいそう、犬が喜んでいないと、たくさんのクレームが来たかもしれせん。

でも社会が変わり始めているようです。

パンク町田さんのように正直に真正面から向かっていく人がテレビ番組に登場できるようになったこともひとつの流れとしては歓迎します。

そこでみなさんに質問です。

なぜ犬にハーネスではなく首輪をつけて歩けるようにならなければいけないのでしょうか?

この質問に答えられる人は、犬のことがかなりわかっています。

グッドボーイハートの生徒さんは最先端を行くから、きっと答えていただけると期待しています。



首輪で散歩の練習





 

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