犬との関係や接し方を説明しようと思うと「境界線」という言葉をどうしても使う必要があります。
境界線を英語で言い換えるとborderという単語になりますが、日本人には聞きなれず分かりにくいですね。
ボーダーコリーのボーダーですが、まさにボーダーコリーの特徴的な行動を示しています。
ボーダーコリーでいうボーダーとは、羊に接近して追い込みを図る際、羊を追い込むのだけれど羊に対して攻撃性を出さないようにするぎりぎりのボーダーを維持し続けるという行動をいいます。
そのボーダー(一線)を越えてしまうと、ボーダーコリーという犬は羊に飛びかかって殺してしまうからです。
ボーダーというのはこちらから接近してはいけない領域という風にとれますが、ここで伝えたい境界線とは自分のまもるべき境界線という意味です。
むしろ、人間という単語の中にある「間」という字の方がわかりやすいかもしれません。
人と人の間にある空間、時間を大切にすることで、人と人はより良い関係を作っていくことができる、それが間という境界線です。
すべての動物は自分自信を防衛する機能や情緒を持っていますので、どのようなときにもその境界線が侵されないようにしています。
ただ自分の境界線を自分で守ることができない幼い動物たちだけが、大人の境界線の中に常に入っておりその中で守られています。
スーパーで買い物をしているときに、突然小さな男の子にしがみつかれたことがありました。
しばらくするとその子供のお母さんが「すみませーん、間違えたのね」といって走り寄ってきて来られました。
お母さんを見ると、その子は私から離れ本当のお母さんに抱きつきました。
買い物に夢中になっているお母さんとつないでいた手が外れてしまい、誰かのテリトリーの中に入る必要があったのでしょう。
直感的に母親に似ている人を探すので性別、年齢、臭いが似ている私がターゲットになったということです。
犬も同じように子犬のころには自分で自分の身を守ることができません。
そのため子犬が何か危険を察知するつまりいつもと違う環境になれば、すぐに成犬の近くに戻るかもしくは巣穴に戻るという行動をとって自分の身を守るのです。
自分の身を守ることができない子犬という年齢は乳歯の生えている頃、生後6ヶ月くらいまでです。
生後6ヶ月になると永久歯が生え変わり同時に防衛を意味する吠え「警戒吠え」をするようになることで、防御の力を身につけていきます。
ところが犬の場合でも大変異質な行動になってしまうのは、庭のないマンションなどで飼育されている犬たちです。
庭のある戸建ての家に暮らしている犬であっても、庭へのアクセスが犬の思い通りにならないとか、人もほとんど庭をつかっていないただ眺めるだけの庭になっている家では、条件は上記のマンション犬と同じです。
マンション暮らしの犬はほとんどが巣穴で生活しているような感覚になってしまうため、なかなか自分のスペースを獲得して境界線をつくっていくことができません。
境界線はあくまで外があることが前提の境界線なので、ずっと室内で生活をしている動物にとってはその意味を理解することも難しいのです。
しかも、その巣穴の中には常に自分を管理する人という動物がいます。人の臭いの強い室内からほとんど出たことがなければ境界線を作ることができないのも当たり前といえます。
人の臭いから出ることを恐れ、いつも人の臭いのあるところに執着します。
ソファの上、人の膝の上、人の洋服の上、人のすぐ近くにいる犬たち。
こうした犬たちは、飼い主という人の臭いに執着をもった動物です。
同時に、自分という個体の境界線を持つことができず、いつも不安と恐怖に怯えています。
このことが複雑な犬の分離不安行動につながっていき、生涯を渡って犬を苦しめることすらあります。
私自身は生涯を通して最も観察できる機会のある家庭犬、つまり自分と共に暮らした犬は3頭だけです。
最初の1頭目は完全な外飼い、2頭目の犬は家をメインとして庭をテリトリーとしても使っていた犬。
どちらも昭和の和やかな時代の犬たちです。
玄関戸口の鍵は常に開いており、こんにちは~といって人が上がりこんでくることができるようなそんなゆるい境界線の時代でした。
物理的にはゆるいのですが、玄関の鍵を開けたままにできるのは人の心の中に「お互いの境界線」というものがしっかりとあるおかげなのです。一線を越えてはいけない、そんな境界線です。
3頭目のオポは、生後7才までをマンション暮らした後に引越ししました。
オポの新しいテリトリーは家と庭+山を自由に行き来できる環境です。
環境が変化したあとのオポの行動の激変ぶりについては、いうまでもありません。
犬はそもそも自由がほとんどありません。
犬を自由にさせたくてドッグランでリードを外すことは意味がないばかりか犬にとっても過酷な行為です。
ドッグランはもともとドッグパークというアメリカに取り入れられている犬のリードを外してもいい公園を日本風にアレンジしたものです。
アメリカと日本では、ドッグパークの広さや仕様そのものが明らかに違いますが、そもそも大きく違いがあるのはそのドッグパークに来ている犬たちの家はとても広くて庭もあって室内トイレなどをしていないということです。
日本の都市環境の狭く限られた空間の中で、はたして犬たちがうまくそれぞれの境界線を守ることができることができるよう成長していけるのかどうかを考えると少し気落ちしてしまいます。
犬の持っている機能や能力、そして安定した情緒をできる限り引き出したいというのがグッドボーイハートの願いでもあるからです。
諦めるなでも焦るなを念頭に、今日もできることをひとつでも考えていきます。
飼い主であるみなさんも、自分が犬に対してできることをひとつ考えてそして提案してください。
それは、犬を無力化させるためのものではなく、あくまで犬が解放され自由に向うものであることを願います。