犬といってもそれぞれに思い浮かべる姿や形は様々です。
他の動物と犬が異なるひとつの理由は、犬というひとつの種で非常にバラエティにとんだ見かけになってしまったことです。
1キロ未満の小さな犬から60キロもある大きな犬まで。
フワフワしたぬいぐるみのようなものや、ロングヘアーの犬、脚の長いのもいれば、短いものもいます。
耳の垂れているものや、立っているもの、尾の巻いているものや、人工的に切断されて尾のない犬たちも存在します。
人と同じものを持ちたい、人と違うものを持ちたい、そうした人の欲望を満たしてくれる存在となりやすいのもわかります。
ペットとされる犬たちは、人の欲望に応じて人為的に繁殖されて本来のイヌ科動物とは随分異なる形となっていきました。
小型犬と暮らす飼い主さんたちには、野良犬のような風貌の犬は親しみがわかないでしょうし、逆に野良っぽい風貌の保護犬と暮らす飼い主さんたちには、ぬいぐるみのような犬が犬のようには見えないことでしょう。
仕事柄ですが、様々な形や顔をもつ犬たちを相手にコミュニケーションをとる必要があります。
よく純血種の犬種別の特徴を尋ねられることがあります。
例えば、ラブラドルリトリバーは物を持ち運ぶのが得意なのでボール遊びが上手にできるとか、テリア種は防衛傾向が高いため、テリトリーを守って吠えることが多いなどといったことが、犬種別の特徴です。
ペットとして純血種を作る際の人為的な繁殖は、現在では見かけ重視で行われています。
特別な使役犬を繁殖させている施設では、仕事をストレスなくこなしてくれる優秀な遺伝子を求めているため、行動の質に焦点をあてて繁殖されていますが、これは一般的な飼い主さんとはあまりご縁がないでしょう。
ということは、現在繁殖されている純血種の多くは、かわいいとか珍しいという理由で繁殖をくり返されています。
犬という動物を使役という仕事に従事させようとしてはじまった西洋の歴史の名残が、今だ純血種犬たちの中に流れているため、犬種別の行動傾向が根強くのこるものの、その行動すら犬としてというより、動物の行動の一部を格別強めてしまったゆがんだ結末であると思うのです。
話が複雑になってしまいましたが、要は今いるどのような容姿をもつ犬であっても、犬としての行動が受け継がれているのだろうかということが、自分の関心の中心になっています。
となると、犬としてのナチュラルな行動とはどのようなものなのだろうかという疑問にぶつかってしまいます。
七山で犬と暮らした10年はその答えをもらうにはあまりにも短すぎて、ほんの一部しか学ぶことができなかったのですが、それまでに考えていた世界とは大きく違ったものであったということだけを確信しています。
行動は環境に応じて変化し、変化した犬たちはまた人為的な繁殖をくり返されています。
多分ですが、犬の行動はどんどん変化し続けているのだと思います。
そして、ついに犬は自分が犬だと思っていた行動とは全く別の行動をするようになる日が来るのかもしれません。
私が尊敬して愛する犬という動物がいつまでも犬で在り続けてほしいという個人的な願いは、そう遠くないうちにかなわなくなってしまうかもしれません。
そう思う反面、山があって自然があって、犬が自然の一部である限り、犬は犬で在り続けるのだという希望も少しだけ持っています。
そんな犬たちとの山歩きは、やっぱり最高に楽しい時間です。