グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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Monthly Archives: 3月 2017

犬に屋外排泄の自由を獲得するための提案:都会に住む犬たちに排泄の機会を与える場所はないのか。

最近は犬の排泄を外でさせたくないという意見が増えているようです。

マンションでは外で排泄させることがないため、室内で排泄をするのが当たり前という考え方になっていることもあります。
散歩中に排泄をさせたくても、都会で歩く場所はずっと住宅地の間です。そこで排泄をさせれば、人の家の壁や入り口付近で排泄をさせる結果となってしまい、水で流したとしても相手の不快さを解決することにはなりません。

また公園で排泄をさせようとしても、公園は犬のトイレではないという考え方もあるため、かなり遠慮してその場所を見つける必要があります。
公園は人にとっては、寝転んだりお昼ゴハンを食べたりする場所ですから、目の前で犬に排泄をすれば気持ちが良くないのもわかります。特に今のような花見シーズンになると、地面にマットを引いて食事をすることは人にとっては大いに楽しいものなのでしょう。

公園の作り方も代わってしまい、木々の茂みが犯罪を引き起こす可能性があることや、虫が発生する苦情を受けることから、緑を求める心はあってもコンクリートの利便性には屈してしまうため、公園はコンクリートに近い人工的な硬い土のような地面にかわりつつあります。


庭で排泄をさせたくない方のたくさんの理由の中で最大のものは、排便は処理できても排尿はとることができないので臭いがするからということです。
犬の排泄については排便よりも排尿の方がやっかいで、社会的問題も大きいでしょう。

庭のサイズがそれほど大きくなく、木々もなく、虫がたくさんいないような土では分解力も低いので、田舎のように排尿の成分がすぐに分解されて臭いがなくなるということもありません。
確かにかなり強いにおいがするため、自分たちも周辺の住民の方にも迷惑をかけることになりかねません。

これらのいろんな都心の込み入った事情や、住宅事情を考えると、犬に外で排泄をさせたくないという意見を否定することはできません。

それでもあえて言うなら、犬に外で排泄をする機会を与えたいということろにどうしてもこだわります。

なぜかというと、犬がどこに排泄をするかというのは、犬のテリトリーを関係をする問題だからです。人が特定のトイレに排泄を処理するのと異なり、犬という動物としては、排尿や排便が自分のテリトリーを獲得するひとつの方法であるからです。そしてそれはお互いの臭いを交換する社会的情報交換の場でもあり、その行動の安定性が犬の社会性の安定性にもつながっていくという、犬のナチュラルな排泄行動が犬に与える影響の強さを考えると、どうしても、犬に屋外で排泄する機会を提供することで人にも害が及ばない方法を模索して欲しいという気持ちでいっぱいです。

逆の視点から考えると、犬に室内で排泄を強いることは犬のナチュラルな習性行動に反することを強いることとなり、動物福祉で揚げる5つの自由の中のひとつ「動物の正常な行動(ナチュラルな行動)を表現する自由」の獲得に反しています。

動物行動学者コンラート・ローレンツが生きていたら、このことについて意見を聞いてみたいと思い、とても残念です。

人には環境を変える力があります。それは山を切り開いて住宅地を作ることや、公園を作ったり庭の環境を整えることにも発揮されています。
その人の技術を、犬の排尿を不快な思いをされることなく屋外で処理する技術に転用される何かはきっとあると思います。
ただ、そこのたくさんの資金が投入されないから実現できないこともあるのでしょうが、多くの人がその必要性をのぞみ求めれば、そのようなことも夢ではないと思います。

とても原始的ですが今考えつく簡単だけど比較的効果のある消臭方法をお伝えしておきます。農業に使うEMボカシというのをご存知の方も多いと思います。分解力のある菌を用いて栄養分を分解します。排尿の中にもたくさんの栄養がふくまれています。その成分を早く分解すれば臭いはもっとはやく消えます。
通販で簡単に入手できますので、お庭の臭いで悩む方は使ってみてください。

もちろん、犬はこれらの作業を歓迎します。
なぜなら臭いのは犬がもっとも嫌うことだからです。

そして、犬の排尿の臭いを少なくすることはもっと別の角度からも可能です。
これはまた次回に。

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Posted in 犬のこと, 未分類

犬にも漢方:山の薬草を動物が得る不思議

生徒さんのお宅で、子犬が異様な形の木のようなものをかじっているを見ました。

これって何ですか?と尋ねると、それは「さるのこしかけ」だとのことでした。
さるのこしかけが漢方薬として使われているということだけが頭に浮かびました。

そのさるのこしかけは飼い主さんが山で見つけて自分用に取って来たらしいのですが、子犬がそれをみつけてかじり始めたので、遊びものとして与えているということでした。

子犬がかじっているさるのこしかけは半分くらいなくなっていて、見ているとかじりながら食べていたので、半分は食べてしまったということのようです。

とても不思議な光景でした。

というのは、犬は山ではきのこ類にはまず手をつけることはありません。
犬らしく説明するなら、食べたりかじったり臭いをとることすらありません。

きのこ類は毒性が大変高く、間違って口に入れると死に至るものもあります。
なんでも口にいれてしまう犬が食べてしまったら大変危険なもので、その上山のどこにも大量のきのこ類が簡単に口にできる場所にあるのですから、管理しようと思っても無理があります。

最初は心配したのですが、犬はまったくきのこには関心を示さないということがわかりました。

さるのこしかけもきのこ類の一種です。
そのさるのこしかけを犬がかじっていたのが不思議でした。

老犬ならまだしも、子犬にさるのこしかけが必要なのかどうかはわかりませんが、これが毒物ではないことをわかって食べているのだろうなという印象を受けました。実際に本当にそうかどうかはわかりませんが、その子犬に関しては大変慎重な性質をその行動でみる機会があったからです。

子犬は散歩途中の野原の中で動くものがあっても、じーっと身をひそめて様子を遠巻きに伺った上で、その動くものの気配がなくなると遠巻きに臭いをとって立ち去るという反応を示していました。
とはいえ、子犬です。たいした理由もなくかじられるものをかじって遊んでいたという見方できるので、体が必要としたから漢方を用いたというわけでもなさそうです。

犬は自分の体調にあわせて草を食べたり、土をたべたり、朽ちた木をかじったりします。
自然の中にあって自分の体が求めるもとを自然と取り入れるのは、野生動物であった記憶がまだ残っているといううれしいお知らせです。

漢方は動物たちが体の状態にあわせて取り入れているものを観察して得た知識が基盤になっています。犬がそうした行動をとるのは当たり前のことなのでしょうが、長らく自然から隔離されていた動物としての犬が自然の力を利用する姿を見ると、本当にうれしくなります。

山でさるのこしかけを見つけた、という飼い主さんの言葉が耳に残りました。
早速、七山でもさるのこしかけ探しをしてみました。なんとたくさんあります。
それがさるのこしかけであることに、今まで全く気がつきませんでした。

わたしたち人間はというより、文明人は知識としてしか必要なものを得ることができなくなってしまい、動物としてはずい分と能力を落としたものだなと改めて思います。
何かを得れば何かを失うのか、それがバランスなのかもしれません。

ここにさるのこしかけがあるという話題から、さるのこしかけは買うと高いという話題へと移ってしまいます。
なんでも対価になってしまうのも、私たち文明人の脳の偏りなのかもしれません。

そんな気持ちにならない犬の世界がいいなと思ってしまうのはわたしだけでしょうか。


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Posted in 犬のこと, 自然のこと

犬が危険を感じたら逃げるか闘うか(闘争か逃走)、もしくは気を失うか(失神)

自然の中で学ぶ機会を得られる登山練習のような状況で、不幸な事故が起きてしまうことは度々耳にします。
それが大人として自己判断の上で行われたことであれば、世界の名山で命を落としたとしても、山菜を取りに行って遭難死したとしても、本人の選択した結果としてその人生を尊重をするという気持ちを保ちます。

危険に至ったときの動物の反応はとてもシンプルであるとは思いますが、それが全て問題を回避するというわけでもありません。だとしても、その機能を動物として最大限に生かせるようになりたいと思うのは全く無駄な考えでもないと思うのです。


人と同じように犬にも周囲の危険に対して反応をする機能を持ちます。
様々な危険のある中でも脅威を感じるほどの状態におかれると、闘うか逃げるかという反応をします。行動学では闘争、逃走反応(ファイトorフライト反応)といわれる反応です。

この反応に至る過程で体内では、危険を察知すると共に大量のアドレナリンなどのホルモン物質が血液中に送り込まれ、心臓のポンプが速くなり、酸素を必要とするため呼吸が速くなり、大きなエネルギーを必要とする逃走もしくは闘争反応に準備をします。
このしくみは人と犬では共通しています。他にも多くの動物がこの機能を持っています。

闘うことと逃げることは、動物の様々な行動の中でも莫大なエネルギーを使うため、この状態が継続しているときには食べ物を食べることができません。食べ物を消化吸収するためにもエネルギーが必要なのですが(血液を回す必要があるので)、そんな余裕がないから食べることを止めてしまうのです。辛いことや苦しいこと、緊張する状態にいたるときに食べ物が口に入らないという経験もここから来るものです。


実はこの究極の選択は二つではありません。
もうひとつ「失神する」という選択肢も残されています。

失神と言って連想されるのは「森の中で熊に出会ったら失神しろ」ということかもしれません。熊の専門家の本によるとこの対応は間違いだそうです。
ただ、失神しろといわれなくても、窮地の状態に追い込まれると失神してしまうということも実際にはありえるということです。

失神というとテレビドラマのように劇的なものを思い浮かべるかもしれませんが、ほとんどの人が失神を経験しているといいます。軽い失神では、立ち上がったときの目のくらむようなものも、身体的原理としては同じだと説明する医師の本もありました。
本の内容にどの程度の信憑性があるかどうかはわかりませんが、窮地の状態に追い込まれたときに、闘う(闘争)反応と逃げる(逃走)反応のほかに、気を失う(失神)という選択があるというのは納得がいきます。

前者の二つ、闘争もしくは逃走反応は心拍数が増加し血流が活発になった状態で起きる反応です。これと気を失う(失神)という身体的状態は明らかに違います。気を失うときには心拍数は一気に低下し、脈の数は少なくなり血圧は降下し、結果、脳はシステムダウンという形で全ての活動をとめてしまいます。
立ち上がったときの軽いめまいも、血液が末端に送り込まれることにより一気に血液が下に行ってしまうことで起きるものなので状態としてはその状態の一部を体験していることになります。

人にはありがちな失神が動物にはあまり起きていないように思えるかもしれませんが、実は犬の多くの失神は見逃されています。

この失神への入り口が人と犬では多少異なるからです。

自分の経験が一番わかりやすいのですが、自分に当てはめてみた場合はどうでしょうか。
実はわたしも以外と血の気が薄くよく立ち上がるときにクラリとくることがあります。細身の女子のするような可憐なしぐさにはほど遠いものの、なんとかその体勢を維持すべく近くにあるものをつかむか、一旦姿勢をとめてひと呼吸することで持ち直します。
まさに本当に失神するようなことがあったかどうかは記憶にありませんが、もし失神直前になっても、同じようにギリギリまで持ちこたえていきなり倒れる(わたしたちは2本足なので)という結末を迎え、失神といわれる状態になることをイメージします。
急にバタンと倒れる感じですね。

実際、人の失神のときには床面に頭を打ち付ける人もいるため、衝撃となることを伝えるときには失神することを前提に相手を支えるか補助できる姿勢をとらせるようサポートする訓練を受けている仕事の方もいらっしゃるようです。

犬を含める動物の場合はどうでしょうか。

昆虫も失神をしますが、仮死という極度の状態にいたるには見事なパフォーマンスと見まがう行動で、さすがに動物はその粋には達していないようです。

野生動物の映像などをみているときには「これは失神ではないか」と想われるような行動も見られます。どちらかというとゆっくりと崩れ落ちるように倒れますが、見方によってはいきなり眠りに入ったようにも見えます。

犬も同じような状態になっていることがあります。
四つ脚ですから倒れるときもドタンという風になりません。
活動を途中で止めて急に寝てしまったように見えることもあります。

それは屋外で起きるだけでなく、室内で起きていることもあるのです。


部屋の中でそんなに窮地に至ることはないということから、まさか犬が室内で失神しているとは思わないでしょう。予測しなければ気づくこともありません。ただ犬が急に眠ったと思ってしまうかもしれません。

自由行動を与えられていない犬という動物には逃走のチャンスは与えられません。ストレスがかかっていても部屋の中を突然走り出すくらいの逃走反応が引き起こされるだけです。
まだ人に対して闘争反応のでる状態であれば、いきなりかみつくという反応が引き起こされたかもしれません。日常的なストレスの表現はいきなりやってきますので、犬が接触のときにいきなりかみつくという不思議な行動にいたることもあります。

ですがストレス状態にある犬のうちの少数派ですが、反応が引き起こされないまま失神に至る=いきなり寝るという反応も十分にありえるのです。
一日中部屋の中やサークルの中に留守番をしている犬たちは、反応というものを経験しないままに成長します。環境学習の機会がとぼしく脳が未発達なままなので、ストレスの上昇にあわせた闘争や逃走反応も引き出してきません。脳はシャットダウン。パソコンでいうとフリーズ状態です。いきなり対話することを止めてしまいます。

犬のストレス行動はどんどん複雑になります。
その複雑化は犬の生活環境の複雑さと繁殖による圧が遺伝子にかかる負担からきています。

わかりにくいメッセージをどのくらい真剣に拾い上げるか。
笑い飛ばされるようなことでも、疑問をもって真剣に見て受け取りたい。

犬の中に起きている不自然なことは、人という動物と関わった結果でもあります。
そしてそれを知る力を人は持つと信じています。


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Posted in 犬のこと

犬のコミュニケーションを読み解く鍵:犬語セミナー開催しました

週末に犬語セミナーを開催しました。
犬語セミナーは犬の動画をみながら犬のコミュニケーションについて学ぶクラスです。

犬語セミナーと聞くと「犬と話ができるようになるのか」といわれることがあります。
これは全く勘違いということでもありません。

コミュニケーションとは確かに対話です。
人側に伝えたいことがありそれを伝えようとする。
オスワリといったら犬が座るのもひとつのコミュニケーションです。

ですがコミュニケーションの本質というのは、まず相手の言う事を聞くにあると思うのです。
こちらの話を聞かないのに言いたいことばかりを伝えようとする。
犬と人も同じようになっているように思えます。

人は犬にこちらの都合を伝えようとする。
犬に食べ物の存在を知らせれば、犬は脇をすかされたように人の要求する行動をします。
ところが、本当に犬が伝えたいことは人に伝わりません。
人が犬のコミュニケーションを読み取る能力が不足していることと、その重要さを忘れてしまうことがあるからです。

犬が人に対するコミュニケーションをとるときと、犬が犬に対してコミュニケーションをしているときの違いをみると、その受け取り力の違いと犬と人の関係性の複雑さを感じます。
犬は人に対して過剰な表現をしたり、全く表現をしなくなったりしはじめています。


たとえば、人にはキュンキュンを鼻をならして後ろをつきまとい、すぐにとびついてきて、口や手をなめようとする行動をする犬が、他の犬に対しては逆毛を立てて吠え、うなり声をあげているとします。

多くの人はこの犬について「人が好きで犬のことが嫌い。自分のことを人だと思っているから。」と安易に評価してしまいます。評価というのは自分が用いている行動学分析での表現のことばのひとつです。評価は現在のその犬の内面の状態、その犬の本来の性質や行動のパターン、必要性について考える作業として行っています。

例にあげた犬の評価が「人が好きで犬が嫌い」という評価だとして、犬の理解と必要性につながったのか疑問を感じます。

上記の行動をビデオでみれば、もっとたくさんの行動を観察して拾い上げることができます。鼻をならす、人の後ろをついて回る、とびつきという行動だけでも十分な情報ですが、この行動の意味を「人が好き」と分析することは本来はできません。

なぜなら「好き嫌い」は感情レベルのことであり、その部分は人が立ち入ることができない遠いところにあるからです。そしてこの二つの感情レベルの話は、犬を理解する過程において見る目を曇らせてしまうものです。

犬の行動をコミュニケーションとして読み解くためには、まずこの「好き嫌い」という言葉を取り除いてみることをお勧めします。

さらにもうひとつ「かわいい」というのも取り除いてみてください。
これは人の感情ですが、この感情も犬の行動を見る作業では邪魔になってしまいます。

コミュニケーションのはじまりは、まずは相手のコミュニケーションを受け取ること。

犬の表現するコミュニケーションを受け取るとは、犬が要求することを受け取ることだけではなく、犬の表現するコミュニケーションのすべてを受け取るということです。

犬が要求行動ばかりをくり返しているときには、もっと大切なコミュニケーションをたくさん見逃したということです。ストレスがかかると要求が強くなるのは、動物として人にもおきますのでこの仕組みについては理解していただけるのではないでしょうか。

犬と暮らす方はみなさんそれぞれの形で犬を愛していると思います。
その中でもっとも深い愛は「相手(犬)を理解する」ことだと信じています。

また来月も犬語セミナーを通してみなさんと学ぶ機会を大切にします。
4月の福岡のクラスは16日日曜日 10時~12時です。
詳しくは電話もしくはお問い合わせフォームからご連絡ください。


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今回の犬語セミナーに、このブログを読んで犬の行動を学ぶことに関心を示し一歩を踏み出してくださった受講生がいました。

文章も構成もつたないブログを読んでくださる方に会うと素直にやりがいにつながります。
限られた時間で書いていますが、表面的なことだけにととまらず、これからもできるだけ深く伝えていきたいと思っています。気力によって文面には差が出てしまいますこともあわせてお伝えしておきます。

Posted in クラスのこと, 犬のこと

散歩が楽しく犬も安定:犬のリードを持つときの姿勢と歩行の注意点

犬の散歩をしている人を見ていると似たような行動が多くあります。

犬がリードを引っ張っているときは手を前に出した状態で歩いていること。
イメージとしては掃除機の枝が前に出ているような形です。

そして、多いのは手を振って歩いている人。
歩くときに両手を振って歩くのは一般的な歩き方なのですが、
実はこれが犬にとっては不都合なのです。

小型犬の場合は、手に持っているリードが頭の上でブランブランと揺れています。
ゆれるリードが気になり、怖がったりすることから、リードを引っ張ることもあります。
飼い主の横にいる犬の場合だけなので、気づかない方もいるようです。


中型犬や大型犬の場合も、せっかく犬が飼い主の近くを歩いているのに
リードがブラブラとゆれていることがあります。

リードを安定させるために、リードを持っているときの正しい手の動かし方は、
つまり、手を動かさないという姿勢と歩き方です。

歩くときに手を動かさないというとバランスが悪いと思うでしょうか。

実はこちらの方がバランスがとれます。

従来の手を動かすと腰をひねる歩き方となり、腰に負担がかかってしまいます。

手を動かさない歩き方はよく時代劇に出てきます。
武士が急いで歩くときに両手をそけい部に乗せた姿勢で歩いています。
江戸時代の絵図にはたくさん見られる「なんば歩き」という歩き方だそうです。

なんば歩きの基本姿勢は、捻らない、ためない、踏ん張らない形です。
右足を出すときは手を出さずに、右肩と右腰を出すので体の中心がずれません。

体の中心がずれないと力が抜けてバランスが取れるので、
犬が不安定でリードを引っ張るときにも、すぐに自分のバランスを取り戻すことができます。

簡単そうなのですがやってみるとなかなか難しいものです。
歩行は長い間の習慣なので、変えていくのは難しいのですね。

そこで、両手を腰部に沿わせるように固定させて歩くように練習します。
リードを安定して持っている方は、両手を振っていません。

犬にリードをつけて歩くことは、犬と人がバランスをいっしょにとることで実現します。

バランスをとって歩くことが犬との歩行の基本です。

なんば歩き、挑戦してみてください。


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クロモジの花が咲きました。






Posted in 犬のこと

犬語セミナー開催のお知らせ:福岡

以下の日程で犬語セミナーを開催します。

日時 2017年4月16日(日)
   10時~12時

場所 グッドボーイハート福岡
※駐車場は近くのパーキングをご利用ください。

参加費 お一人 2500円
定員有り

お申込み方法 グッドボーイハートへ直接お問い合わせください。
はじめての方はホームページのお問い合わせフォームよりご連絡ください。


dav
七山のしだれ梅が開花しました。

Posted in お知らせ

犬のマーキング行動の変化:縄張りから一点張りへと主張する犬たち

昨日のブログで犬のマーキングによる排泄が、自分の縄張りを主張する行動になっていることについてお話しました。
あわせて、その縄張りによって本来回避すべき社会的な衝突が、逆に回避できずに混乱を生じていることについてもふれました。

散歩中にマーキング排泄をさせてしまうと、散歩中に出会った犬と吠えあいになったりするため、マーキングをさせないようにしているのはこうした理由からです。

排泄の臭いを嗅げばお互いの力関係はわかりそうなのですが、自分の力以上にテリトリーを主張しなければいけない理由は、犬の性質によるものではありません。
確かに犬の性質も影響はします。前に出やすい気質、引っ込み気味の犬ではその主張は異なります。前に出やすい犬は主張が強く、散歩中の排泄マーキングも増えることでしょう。ただ、そのことが問題だといって犬の性格にして解決しないのはどうかといいたいのです。

排泄マーキングをして自己を主張するほど力もない犬なのに、散歩中や庭でマーキング行動をする犬がいます。当然力のないもののマーキングですので、他の犬にはばれています。社会的には歓迎されない行動です。

これらの犬はマーキングをした場で他の犬と出会うと緊張を伴います。
弱い犬ですから吠えたり、リードを思いっきり引っ張ったりするでしょう。
2本脚で飛び上がって興奮する犬もいるようです。

これらの犬のしている排泄マーキングは、一点張りのようなものです。
一点張り。
辞書では、反抗的な、不服従の、わがままな、いうことを聞かない、服従しないという意味もあるようです。

ふたつの意味で一点張りといいたいマーキングです。

ひとつの意味では、飼い主がいないとできない人の居場所を利用したマーキングです。
わかりやすくいうと「うちの母ちゃんは世界一強いし、わたしはその母ちゃんのスペースを自分のものにしているのよ。」という世界観です。飼い主のひざが自分の居場所の犬、飼い主がいないと他の犬には向き合えないような犬は、この飼い主を利用した一点張りマーキングをします。
これらの飼い主がいないと他の人に依存して同じように使うこともありますが、依存先を失うととても大人しい犬になります。犬は他の犬を人のように依存させる関係を作りにくいため(生後1ヶ月半の子犬までが完全依存)、犬は遠ざけ依存できる人を求めています。そして人のスペースを拠点に一点張りをするという犬は、たいへん増えています。


ふたつ目の一点張りは、その意味のとおり「不服従」です。服従はしない、つまりどこにも所属はしていない、ただ人に依存しているということで成り立つ行動です。
所属をするとそのグループの安全が一番大切です。自分を主張することよりもグループが安全に生活できることの方が重要なのです。その結果自分も安全に生活できるということになります。自分を主張しすぎ力にない行動をするのは、グループを不安定にさせます。ところがそもそも服従していないのでその行動を引き出すことができません。

服従という言葉に違和感を覚える方もいるかもしれません。
くり返しいいますが、自ら服従するというのは安全なグループに所属するということで、おのずとその中での役割も決まってきます。弱い動物は守られることはあっても、自分の臭いで自己主張することは許されない行動です。
それぞれに己を知ってその役割の中で活躍でき、生きる場を与えられているのです。
そしてグループで安全に安心して暮らしていくことができるイヌ科動物がもつ、良いシステムです。

この服従性さえも犬から奪われてしまったのでしょうか。

犬を服従させる必要はありません。
犬は自然と服従するのです。ただ飼い主にその質があって、その表現ができれば十分です。
多少のできそこない親分でも多めに見てくれます。本当に犬は寛容だと思います。

一点張りの犬たちの不安定な行動が、グループ力によって改善されることを願います。


dav

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犬のマーキングの理由:犬は尿と便で縄張りを主張する動物

イヌ科動物は臭いの世界に生きています。
犬が尿や便をする場所は犬のテリトリーと関連しています。
自分の排泄物の臭いをつけることで、自分の縄張り(テリトリー)を主張する習性を持ちます。

犬はイヌから人に飼われる犬となった今でも、この排泄行動によってなわばりを主張したり、自己主張したりする習性が根強く残っています。

ところで「縄張り」とは古くから犬の行動を表す言葉として使われてきました。

縄張りを辞書で調べるとこうあります。
・縄を張って境界を決めること

犬たちの排泄による縄張りの決め方を見ていると、まさに「臭いの縄」をはって境界線を決めているように見えます。80年前くらいまで日本では紐につながれることもなくにふらふらと生活していたときに犬を見ていた人々が「犬が縄張りをつくっている」と感じて表現するようになったのは、まさに的確な表現だといえます。

英語ではテリトリーといい本来は鳥の行動学者が用いた言葉ですが、犬についてもこの表現が行動学的には一番多いようです。日本語に訳すときは縄張りになっていますね。

犬が排泄行動で主張をする行動はマーキングといいます。
犬が他の、どのような形でも臭い付けをする場合はマーキングといいます。
排泄行動をマーキングというと、イメージするのは印をつけるという感じで縄張りをつくるというのでは少し印象が違います。

縄張りという言葉をもっと明確にしてみましょう。
さすがに自分が人として縄張りを主張しているのかといわれると否定したくなります。縄張りという言葉に勢力的な感じがしてしまうからでしょう。人が守っているのは自分の所有物である家と庭の境界線の中であって、散歩で移動する公共の場に縄張りをつくったりはしません。
人にとっての縄張りとは、まだ十分に自分の家になっていない空間で生活をしたり、ビジネス上のオレの島的なものが縄張りとして主張されるというイメージです。


犬は散歩で移動する際に熱心にマーキングによって縄張りをつくっていく犬がいます。
全ての犬ではありません。中には散歩中に全く排泄をしない犬もいるし、公園でしか排泄をしないという犬もいます。

犬にとっては家や庭が生活のテリトリーです。食べたり、寝たり、隠れたりする住処ですから、移動のときにするマーキングは他の目的を持ちます。

最大の目的はメス犬を確保するためのマーキングです。
オスのこの行動は大変強いためマーキングの回数も多いのですが、去勢手術をすると屋外マーキングの回数は激減することが多いのでホルモンによる行動だといえます。

ところが去勢手術をしている犬もメス犬も屋外マーキングをします。
排尿の脚の上げ方になると、高いものは遠くまで臭いを飛ばせるため有利です。
小さな犬も片脚をバレリーナのように上げて排尿を撒き散らす技を披露しているのをみかけることもあり、その意欲には頭が下がります。
メス犬もいまや半分くらいの犬が脚をあげて排尿しています。

なんとか自分の臭いを残そうと屋外マーキングをしている犬たちの目的は何でしょうか。
これは犬が社会的な動物であるということの表現方法でもあります。

移動の際に排泄でマーキングをすれば、自分がそこを通行して一定の縄張りを持っていることを他の犬に知らせることになります。
犬の場合にはテリトリーは重なりやすくなっているので、他の犬の臭いも嗅ぐことになります。


それが自分よりも優位な犬であるのか、もしくは弱い犬であるのかは犬たちにはすぐにわかるようです。たとえ高さで主張したとしても、やはり弱い犬の臭いは弱いようです。実際に嗅げないのでなんともいえませんが、犬たちの排泄の順番や行動を観察すると、排泄物を直接嗅がなくてもお互いの力加減というのはわかっているように思えます。

力というとすぐにケンカするためかと思われますが、そうではありません。

すべての動物は同種での攻撃性が高いのです。
犬は人よりも犬に対して攻撃したり逃げたりして、社会的な緊張が高いのです。

逆に考えるとだからこそ、同種間の攻撃をいかに回避してうまく生きていくかという術を見につける必要もあります。犬と犬の移動中のテリトリーが重なっていれば、緊張も高くなります。
回避するためには相手の情報をまず知っておき、自己主張が強くトラブルになりそうな場合にはその犬のテリトリーを歩きたがらないこともあるかもしれません。
安定したボス的な犬が近所の中にいたら、その存在を認めることでその地域は安定した犬の規律を持つ地域になるかもしれません。

脚を上げてする排尿がすべて自己主張というわけではないのです。社会的に安定した関係をもつ犬でも、同じ場所に排泄をします。
少し違いますがわかりやすい例でいうと、子犬はテリトリーを離れるということがほとんどありませんが、もしそうなった場合にはグループの管理犬の犬の排尿の後にしか排尿をしません。これは群れ全体を守る犬のルールです。
同じ理由での脚上げ排尿をしていることもあります。
同じような排尿なのでわかりにくいですが、前後の行動や管理犬の行動をみているとその違いも少しわかります。

といっても、数頭の犬の上にきちんと立てるような犬はあまりいません。
地域に1頭いたらいい程度でしたがこれは理にかなっています。
実際地域に1頭いたら十分なのでしょうが、今はそれ以上に少なくなっています。

犬の排泄マーキングがとても不安定になっている理由は他にもあります。
犬と犬は自由に行動しておらず、関係をつくることをも相手を認めることも苦手です。
自由行動ができず拘束され続ける生活が、犬のマーキングを異様にしているようにも感じます。

縄張りマーキングを重要視する犬は、生活のスペースである室内や庭の中心部では排泄行動をしません。犬によって個体差があり、中には室内は庭の中央で排泄をする犬もいます。

さらにテリトリーをつくる作業がくずれてきているからでしょうが、まれに屋外マーキングをするのに、室内でもマーキング排泄をする犬もいます。
屋外でも室内でもマーキングをするとなると不安定な行動です。
排泄行動以外の犬の行動をチェックするとその行動の意味もわかってきます。

犬の排泄行動は社会性を表現する方法でもあるため個体差があるのです。
だからこそ、排泄行動を通して犬を知る機会を得ることもできるということなのですが…。

別の理由でもマーキングは複雑化しています。つまり飼い主との関係性がマーキング行動を高める理由になっています。
この場合は縄張りというよりも一点張りです。これについては明日お話します。

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Posted in 犬のこと

散歩の引っ張りを治す方法:犬の社会化としつけは環境を整えることが基本

犬の困った行動の相談の中でも「散歩中に引っ張るのを治したい」という相談はやはり多いです。

散歩の相談時にはこのような要望をされることもあります。
「他のことは全く問題がありません。散歩の引っ張りだけがよくなったらいいので簡単に治すことはできないでしょうか。」というものです。

結論からいうと、散歩中の引っ張りだけを治すために、散歩の練習だけをするトレーニングという方法を取り入れることはできません。もっと正確にいうなら、問題行動だけを封じてしまったら、犬が本当に必要としていることを与える機会を失ってしまいます。

散歩中の引っ張りだけを止めさせたければ、行動を矯正するような道具や方法を用いることになります。でも、それでは「散歩中の引っ張り」という行動で犬が表現している、本来の問題が解決されないままになってしまうからです。


散歩中に引っ張る行動が出ている犬は、室内などの散歩以外の環境でも問題となる行動が出ていることが多いです。

例えば、来客時に吠えるとか、庭の前を通行する人に吠えるとか。
他にも、とびつき行動やイタズラ行動が同時に起こっていることもあります。
留守中の行動や日常的な細かい行動チェックになると、もっと多くの犬のメッセージシグナルを見ることができるかもしれません。

犬の「どの行動」を飼い主が問題と捉えるかは、飼い主によってかなり違っていることがあります。なかには、来客への吠えとか、庭を通行する人に吠えることはあまり気にならないという方もいます。家具やじゅうたんをかじられるのは、あまり困っていないとか、犬だからテーブルにとびつくのは当たり前のことと思われていることもあります。

地域差はあるでしょうが、あまり人を自宅に招く習慣がなかったり、もしあったとしても気の知れた知人や親戚くらいなので、少し吠える程度は問題なしとされるのでしょう。室内での小さなイタズラは犬だから当たり前と見られることもあるようで、これらの行動は飼い主の関心を引かないこともあります。


散歩中の引っ張り行動をはじめとする、散歩中の様々な散歩が上手くいっていないのは、犬の環境への適応性が育っていない=犬の会性が十分に発達していない状態を知らせています。

社会性が十分に発達していないというのは、もっと単純な言葉でいうと「社会化していない」といことです。
社会化はしている、していないという白黒ではありません。こうした表現は誤解を招くかもしれませんが、社会化していないといった方が理解を得られると思いますのでここでは使わせていただきます。


犬の社会化はかなり誤解されて受け取られているようです。


社会化は散歩に出た外環境での学習だと思っていませんか?

そのように思うと、外に出て学習させることだけが社会化だと思ってしまいます。
たくさんの人に会わせるとか、たくさんの犬に会わせるとか、いろんな場所に連れていくというのは、社会化をすすめる方法ではありません。

散歩に出て、いろんな人や犬と出会う経験や、いろんな場所に出向く経験は社会化のチャンスではありますが、回数を重ねればいいというものではありません。
多くの人や犬に接触しすぎて、社会性が難しくなっている犬が増えてます。
飼い主が良かれと思ってやったことが、子犬のころには分からないのですが成犬になって思わぬ形で帰ってきます。
これはとても危険な方向です。


社会化の最も大切な部分が忘れ去られているように思えます。

どちらかという深く考えずにネットや本に書いてある犬のしつけや社会化のさせ方を実践されている方が多いようにも感じます。まず、書いてあることもよく考えてから実践されることをお勧めします。


以前はワクチン接種による拘束期間が長く、社会性の未発達の犬が増えて吠えや咬みつきの問題が非常に多くおきていました。
そのため、最近では以前よりも幼い年齢で散歩に出ることが推奨されるようになりました。体の健康も大切だけど、社会性の発達は犬の心と行動の両方に影響します。
その重要性が認められた結果ではあるでしょう。

幼い年齢から散歩に出たとしても、ただ散歩に連れ出すだけでは社会性は発達しないのです。

社会性を育てるために最も大切なのは、飼い主との生活環境です。
物理的な環境や接し方を含め、家庭が基盤になるのは人の子と同じです。

子供よりも難しいのは、犬が人でない種の異なる動物であるということです。

犬にとって必要な環境、接し方、コミュニケーションや過ごし方を理解することが
犬を、特に子犬を育てる上で何よりも大切なことです。

飼い主との関係性をつくることが社会化の基盤になります。
この部分がしっかりとしていれば、子犬の頃にパピーパーティに連れていく必要はありません。むしろこのことが、犬に対して興奮しやすい経験をさせてしまう場所になっていることも多いのです。

ところが子犬のころの社会化の経験学習が行動に出てくるまでには一年近くかかってしまいます。一歳近くになって急に散歩中に引っ張るようになったり、吠えたり、逃げたり、物に執着するようになったのは、急に性格が変わったからではありません。

今まで過ごした一年間の学習結果が、ちゃんと表現されているということです。

散歩中の引っ張り行動を改善したければ、散歩のやり方だけを変える対処法ではもったいないです。

せっかく犬が発している行動というメッセージを受け取り、ぜひ根本解決を目指してください。

人も犬も、どんなに小さなことであっても、環境を少しでも変えるというのはあまり得意ではありません。習慣になっているので、それを変えると落ち着かなくなるからです。
たとえばクレートの位置を移動させることすら違和感を覚えることがあるでしょう。


でも、前進したいという気持ちがあるなら、犬と共に安心できる暮らしを獲得したいという気持ちがあるなら、まずは一歩を踏み出してください。

dav









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犬の社会性と自律性を求めて:プライベートトレッキングクラス

グッドボーイハートのトレッキングクラスは、初期のころはグループクラスとして開催していました。
グループのトレッキングクラスは、複数の犬と飼い主さんたちといっしょに山歩きをするクラスです。このクラスは七山校を開催する前から行っていました。


そのグループのトレッキングクラスを重ねるうちに、プライベートでトレッキングをする必要性を痛感するようになりました。
他の犬との関係性がむずかしかったり、他の犬との関係性の前に飼い主さんともっと安定した関係を作る必要を感じたからです。

ところが、一旦グループでのトレッキングクラスに参加すると、プライベートでのトレッキングクラスを受講されることはつまらないと感じられる方もいらしたようです。みんなでワイワイいいながら歩くほうが楽しいと感じられるからでしょう。

どんなことでも楽しいと感じられる方がいいとは思いますが、本来の目的を見失っていては困ります

グッドボーイハートでクラスを受講される本来の目的はなんだったのでしょうか。
犬とより良い関係を築きたい、犬に十分に与えられなかった経験学習の機会を提供したい、犬の社会性を育てていきたい、犬の自律性を育てていきたい…など。

その本来の目的をきちんと見据えて、犬と向き合っていく時間としてすべてのプライベートクラスはグループクラスよりも重点を置いています。まず、犬のことを良く知るためには環境の中の家庭訪問トレーニングから開始して、そして犬の社会性を育てる機会としてプライベートトレッキングクラスに起こしいただくようになると、犬の行動の安定性は目に見えるように変化していきます。

自然環境の中で動物に行われていることについてすべて科学的に説明ができるわけではありません。
ただ、この広大でたくさんの命の育まれる場所で、飼い主さんと犬のそれぞれに、そしてその間にも何か見えないけれども確実に変わっていくものがあります。

変化の起こりやすい飼い主さんにはある似た面をお持ちなのだなということを感じます。

それは、今を見ることができるようになるということです。遠くを見過ぎない、後ろを振り返りすぎずできるだけ今を見るようつとめること、そんなことができるようになる飼い主さんたちは、なぜか犬も少しずつ変化していきます。

そうなると、こんなにできないとかこんな風になってほしいという言葉が少なくなり、今はこのときはこういう風に行動するその意味や理由はわからないけど、といったような発言が多くなります。

変化するというのはすごく流れるのではなく、安定した状態で自分の中に核となるものができあがることで安心して変わっていけるということだからでしょうか。

山歩きも同じだと思うのです。一点一点、足を地面につけるときにそこに自分が存在していなければ、足場はグラグラしてしまいます。気持ちが不安定だと、山歩きのときにそのことがよくわかるようになります。今日はちょっとふらついているなと思うこともあり、それが自分を知る機会にもなるのです。

ほんの数回の山歩きなのに少しずつ変化する犬の姿は楽しいものです。

トレッキングクラスは犬を走らせたり、遊ばせたり、ストレスを発散させるためのクラスではありません。それは危ないことなのでそうさせたいなら囲いの中で行ってください。
この違いが分かるようになったら、それは一歩前進です。
何に前進しているのかというと、犬としてそして人としてという関係作りへの前進です。



dav

※3月14日に公開予定だった記事を本日公開しましたので、あわせてご覧ください。




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