ずいぶんと暖かくなってきた。
庭で草刈をしていたときのある日の出来事。
私の草刈作業中には番犬をしてくれるオポがいる。
いつも…というわけではないけど、都合が合えば頼まなくてもやってくれる。
無理強いをしてはいないので私もあまり気にしていない。
草刈中にオポの吠える声が聞こえてきた。
番犬のオポはゲートの前で伏せていたのだが、ゲートに近づき4つ脚で立って吠えていた。
オポから私までの距離は20メートルくらい。今私のいる場所は急な斜面で高さもかなりある。
みると、若い男性が家の前の坂道をうちの方に向かってのぼってくる。
その男性は坂道の途中で立ち止まり、手にもっているアタッシュケースを地面に置いた。
この瞬間にオポは吠えるのを止めた。
オポの後ろ姿しか見えないけど姿勢は男性の方を向き、どうやら視線も男性の方を向いているようだ。
注目している感じは後ろからでも確認できる。
男性はアタッシュケースをおいたまま再びこちらに向かって歩き出した。
オポも再び吠え始める。
柵まであと10メートルを切ったところで男性が立ち止まる。
オポも吠えるのを止めた。姿勢と視線はまだ男性の方を向いている。
ここで私は「あなたに気づいていること」を知らせる動作をとる。
それに気づきその男性も立ち止まったまま待っている。
オポは吠えずに両者の接触を伺っている。
日常のなにげないシーンだけど、いろんなことを考えることができる。
自分がいて犬がいてテリトリーに外から人が近づいているのだ。
たいしたことないだけに見過ごしてしまいそうなたくさんのこと。
たとえば、あなたが飼い主であなたの家族の犬が同じ状況にいたったとき、オポと同じような行動をするのだろうか。
もししないのであればどのような行動をするのだろうか。
もし同じでないなら何が違うのだろう。
状況が同じで行動が異なるということは何かが違うのだ。
それは一体なんだろう。
それはずっと変わらないものなのだろうか。
もしくは変わるものだろうか。
変わるとすれば何が変わるのか。
答えは誰にでも出せる。
初心者はわかることから、中級クラスの方はもっとわかるレベルへ。
それぞれの段階でわかることは何かある。
わからないと決めてしまうことよりもっと危険なのは、関心がない、ということかな。
先日、ビデオ説明のために前者の例をあげたらこんな質問がかえってきた。
「その男性は犬のことを知っていたんでしょうか。」
つまりこの男性は、犬のことを知っていた上でそのような行動をとったのかということだ。
考えて行動するようなタイミングではなかったということはいえる。
この男性の行動は自然と行われたものだ。おそらく本能的な脳の支配によって。
こんな普通のことから知ることはたくさんある。
わかったつもりにならないで「知る」余地さえあれば入ってくる。
わたしたちが「知っている」と思いこんだ上で行っている。
犬に対するあまりにも礼儀のない行動よりもずっとわかりやすい。
知るためには情報が必要?でも情報に振り回されていないか。
「プレイボウ=遊びを誘うシグナル」ではないね。
そういうときにもみられるけど、全体を見るセンサーを忘れないで。
センサーといえば・・・冒頭の「庭で草刈をしているときのある日の出来事」の一文で
ピンとくるものがあったら、それも確かなセンサーなのだ。