犬という動物の不思議は、サイズや見かけ(形態)のバラエティーさに富んでいることです。
同じ種類の動物でありながら、ここまでいろんな姿形のものになってしまうのも珍しいでしょう。
体重が一キロもない犬から60キロを超える犬、被毛の短いものから長いもの、直毛のものからカールした毛のもの、脚の長いのから短いもの、耳が立っているものもあれば倒れているのもいます。
色は白、黒、茶が基本色ですが単色、まだら、ぶち、トライカラー、左右対称の犬など本当に様々です。
もちろんこのような犬たちは人が犬の繁殖に強く関与したことで遺伝子的に変異を遂げてきたわけですが、それにしてもね~と思います。
そしてそれ以上に不思議なのは、見かけが全く違う犬同士が出会ったときに相手が犬であるということをすぐに見分けてしまう能力です。
犬は嗅覚を主体として判別(区別)をする動物ですが、とはいえ全く視覚の情報に騙されないというのはおそるべきことです。
犬が以下に嗅覚情報を大切にしているのかということと、犬と区別する臭いがすべての犬に含まれているということなのです。
実際に犬は同族の犬の排泄物には強い関心を示しますが、人の尿の臭いにはほとんど関心を示しません。
特に屋外に人が排尿をしたとしてもほとんどといっていいほど関心を示しません。
こちらからすると犬も人も同じような尿の臭いしかしないように感じるのですが、その臭いの中にある「犬のもの」「犬ではないもの」の区別がはっきりと記させているわけです。
こんなことも分からないのに犬が受け取っているものと同じ情報を共有することなどできるわけがありません。
そもそも受容器官の性能に差がありすぎるわけですから、この部分では人は犬にかなうはずもないのです。
お預かり中に大きな犬くんに小さな犬くんを近距離で臭いをとれるような状態にすると、瞬時にお互いの情報を嗅ぎあうことで交換しあいコミュニケーションがはじまっていきます。
大きな犬が堂々として小さな犬がビクビクしているかというと、そんなことはありません。
小さなチワワくんでも大きな犬くんに怖がることなく自己アピールができるような性質を持っています。
お互いに犬であるということがサイズの違いによる怖さを克服するのでしょうか。
私が観察するかぎりにおいてですが、堂々としている犬は犬としての自覚をまだ十分に持っているのではないかと考えます。
そしてビクビクしている犬は犬としての自覚を失いかけているように思えるのです。
人間が人間として生きることも難しい時代に、犬が犬として生きることなど実現のしようがありません。
失われた自尊心を取り戻すための犬との山歩き。
七山でも紅葉のすばらしい季節です。
ぜひお出かけください。