犬にしつけやトレーニングをするのを「犬が可哀そう」だと言われることがあります。
実際にトレーニングクラスを受講されることを決められた生徒さんが言われることはありませんが、しつけに関心を示さない方の中にはこうした意見を持たれる方も多いのです。
犬は吠える動物なのに吠えさせないのはかわいそうとか、犬をクレートに入れることはかわいそうといった意見もあると思います。
なんでも一概に否定することは避けないですが、見方を変えて判断しなければいけない要素も含んでいるはずです。
たとえば、来客を知らせるインターホンの音にワンワンと吠え続け走り回って興奮する犬がいるとします。
きちんとしたハウストレーニングを行うと、ハウスの中ではインターホンの音に吠えなくなります。
これを犬が可哀そうを思う人は「狭いところに入れられて吠えられなくなっているから」と思うかもしれません。
でも本当はそうではありません。
犬は隠れる習性をもつということを知っているでしょうか?
来客である犬にとっては外敵かもしれない人がテリトリー内に入ってくるときに飼い主が適切に対応すれば、犬は不要に吠えたり興奮する必要はありません。
これがハウストレーニングの原理です。
ハウスという巣穴に隠れている間にら来客がかえってしまうことを理解すると、犬はハウスで待つようになります。
犬は興奮して吠えるということをせずに落ち着いていられるわけですから、環境はよりよくなっています。
犬が吠えたり飛びついたり走り回ったりすることが犬が喜んでいるのではなく犬のストレス行動であるという理解がないと、犬が落ち着けるようになってよかったと思えないのでしょう。
これでははじめから人と犬はすれ違っていることになります。
犬を理解しない人は犬が隠れ場を必要としていることも理解できず、クレートを可哀そうといいます。
クレートが巣穴にならなければ当然犬はずっとクレートで騒ぎますので、それはもちろんむごいことです。
だからこそ閉じ込め場としてクレートを使うのではなく、クレートが巣穴となるための練習が必要になります。
それが犬のしつけやトレーニングといわれるものです。
犬をハウスに入れるのが可哀そうで…という飼い主さんがいわれたら、犬が吠えて走り回っている方がよほど可哀そうな状態だとお伝えします。
何が犬にとって「可哀そう」なのか、トレーニングやしつけの趣旨や中身の本質を理解しなければ正しい答えが出せません。
犬のしつけとトレーニングは犬の習性にできるだけあった環境を提供すること、犬の習性に応じたコミュニケーションを引き出せること、そして犬が落ち着いて生活できるように整え成長を促すことです。
本当に犬が可哀そうなのは、犬が理解されていないということです。