先日トレッキングクラスのときに、久しぶりに懐かしい犬の姿を見ました。
クラスに参加してくれた犬ちゃんが切った竹の節の中に溜まっている水を飲んでいるのを見てうれしくなったのです。
その犬ちゃんが黒ラブちゃんだったので、懐かしく思い出したのかもしれません。
竹の節の水をよく飲んでいたのはオポでした。
山歩きをするときには必ずといっていいほど、竹の水を飲んでいました。
私が持っていく水は飲まないときにも竹の水を飲んだので、特別な水なのだろうと思いました。
犬がこうやって人が要求もしないのに自らする行動を見ていると、犬にとってすごく大切なことなのだろうと考えます。
しかも竹の水は人にとっては不潔に思えてしまうので、とてもそれを自分も飲んでみようとは思いません。
その不潔な水が犬にとっては特別な水なのです。
科学的にはわからないのですが、推測するところ竹の成分や竹の節の中に溜まった枯葉によって溜水が発酵しているのでしょう。
食べるものであれ、飲むものであれ、犬にとっても発酵食品は健康であるために欠かせないものです。
わたしたちもいろんな形で発酵食品をとるのと同じ理由ですが、発酵した食べ物は犬の腸内環境を整えてくれます。
ところが犬たちはテレビやネットでその情報を仕入れて頭で考えて行動しているわけではありません。
「この水ってお腹にいいってこの前テレビでやっていたな」と考えることもないのに、なぜ竹の水を飲むのでしょうか。
それは彼らの心底に秘められた長く受け継がれた情報網によるものです。
こうした自然の力を自らのものとするセンサーが働いたときに「すごい!」と関心します。
ちなみに同じ理由なのだと思いますが、玄関前のバケツに溜まった水を預かり犬ちゃんが競うようにして飲みます。
バケツの中には枯葉と雨水が入っていて、雨が降るたびに水の入れ替えが起きています。
井戸水を飲み水として準備しておいても、なぜかバケツの水の方を飲もうとするのです。
どんな味がするのだろうかと思うのですが、まだ自分で飲む勇気がありません。
犬の自然とつながる力のほんの小さなこと、もっともっと犬たちには大きな力が隠されています。
人はそれを封印しようとするけれど、犬たちはきっと使ってみたいと思うでしょう。
飼い主さんたちはどちらがいいのでしょうか。
人のようであってほしいのか、犬のようであってほしいのか、犬は皆さん次第だと思います。