グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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散歩中の犬の排泄「したいときにその辺でしてます。」ってこれ、すごく犬が困ってる行動ですから。

犬の散歩中の状態を飼い主さんに質問するときに、必ず尋ねるのが「犬が散歩中にどこで排泄するのか。」ということです。

この質問の意味がもしわかるのでしたら、相当に犬の行動について勉強をされて来られたということです。

ほとんどの飼い主さんが、犬が散歩中に排泄をする場所や目的について考えることがありません。

散歩中にどのような場所で排泄をしますか?という私の質問に多くの飼い主がこう答えます。

・散歩中に排泄をします。いつも同じところです。

・散歩中に歩いていて適当な場所でします。

・散歩中に自分がしたいと思ったところでします。

どの答えもしっくりときません。

いつも同じところでしますと答えた場合でも、歩道の上でする。

歩いていると急に立ち止まってするなどいろいろとあります。

犬が排泄をするときだけ立ち止まっている行動についても、立ち止まってすると思ってしまうようですね。

犬が排泄をする目的は常にテリトリーの境界線との関係があります。

排尿はもちろん、排便にはもっと深い意味があります。

ここぞと思うところで犬は排便をするはずなのです。

ところが、犬が「ここぞ」と思える場所がないと、歩いている途中で便意をもよおしコンクリートの上に排便をしてしまことがあります。

犬がここぞと思った場所で排便をするときは、入念に匂いを嗅いで「ここ」と場所を決めてするものです。

また排便は当然のことながら消化が終わったあとの便のことなので、未消化のものや軟便をするときには本来の排泄とは違う目的で出してしまったことになります。

人間からすると、そんなに都合よく自分が目的とする場所にたどり着くまで排便をがまんするわけないと考えるでしょう。

でも、ある意味人間ですら便意を催したときに、適切な場所(せめて近場のトイレ)に駆け込むまでは我慢できるはずです。

以前知人から聞いた話だと小学生の息子さんは、便をするためにわざわざ学校から自宅まで戻ってきていたということです。

となると、本当に適切な場所でないと排便できないのは犬も人も似たもの同士です。

犬は排泄物でテリトリーを構成する習性を今でも固辞しています。

もし散歩中に排泄を「その辺でしたいときに」しているとすれば、散歩の環境やさせ方の何かに不具合が発生しています。

犬の行動には面白いほど「意味」があることが多いのです。

だからこそ犬を学ぶことは新しい発見の続きです。

 

犬語セミナー動画募集に早速答えて下さりありがとうございます。

動画はまだまだ募集しております。

名作をお待ちしています。

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犬ができるまで練習するのが「犬のしつけ」。マテならレベル1までは達成すること!

何事も宿題とか練習というのは続かないものです。

「どうやったらできるようになるのですか?」の質問のすべてに対するシンプルな答えは、「犬ができるようになるまですること」なのです。

「できるようになるまで(練習)すること」「できなかったら叱ること」は全く別のことだということをまず理解していただく必要があります。

「できなかったら叱る」ことを繰り返していたら、いつかできるようになるだろうかと考えてみてください。

絶対にできるようにはなりません。

だとしたら「できるようになるまでする」⇒「できるようになるまで練習する」しかないのです。

できるようになるまでするにはどのようにすればよいのですか?

できることを繰り返し練習して、少しずつステップを上げていくだけです。

結局のところ、犬のしつけは繰り返し練習でしかないのです。

練習を言えば、みなさんが何かで体験した練習と同じことです。

ピアノの練習、歌の練習、テニスの練習、料理の練習。

特にスポーツなどの体を使う練習のときには、間違ったことからはなかなか学びません。

間違えたフォームを身に着けるとそこから脱することは難しいのです。

一度身に着けたものはなかなか変えられない、姿勢や体の動かし方など特にそうですね。

犬も一度身に付いた悪癖を取り去るのには根気が必要です。

でもその悪癖すら、叱るではなく、できるようにして固定させるそして認める(ほめる)、これがしつけの練習です。

 

たとえば、マテの練習を室内でするなら、できるようにさせることを繰り返して

「飼い主がマテといってリビングを出てトイレに行って戻ってくるまで同じ場所にいる」

これがマテのレベル1です。

レベル1まではどの飼い主と犬のペアでもできるようになりますし、できないのは練習不足なだけです。

そしてレベル1を達成しなければ、マテはできているとは言えません。

もちろんおやつなし、おもちゃなしです。

早ければ生後4ケ月でもできますし、1歳までにはできるようになっていただきたいですね。

犬ができないのは犬ができないのではなく飼い主ができていないのですが、直接そうわれるのも凹むでしょう。

でも気づかなければできない犬にイライラしてしまい、怒りだけが生まれてしまいます。

できないのは犬ではなく自分であるということさえはっきりすれば、あとは自分しかやる人間はいません。

生活管理トレーニングが終了したらすぐにマテの練習を重ねて下さい。

「できるできるの繰り返し」

できるようにさせる、それが犬のしつけです。


 

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犬にもPTSD(心的外傷後ストレス障害)はあると思います。

毎日の訪問レッスンで見る犬の行動は、単純なイタズラやいうことを聞かないといったレベルではない状況になっていることがあります。

数時間に及ぶ吠えが続く

数時間に及ぶ常同行動の繰り返し

パニックを起こしたように興奮するなど。

カウンセリングの時には、犬に何が起きているのかを分からずに混乱する飼い主の元で、犬はますます手の付けられない状態になっていることがあります。

こうした意味不明の行動を見た飼い主は、この犬は普通ではない、遺伝的に何かおかしいのではないかと考え、率直にそう尋ねられる場合もあります。

自分の犬が何か状態がおかしくなっていると感じられているのは、兆候としては良いことです。

異変を感じ取る、このことこそ犬を救う最大のきっかけだからです。

そしてこの問題を解決したいと思ったときに、同時に考えるのが「なぜこうなった」という理由についてです。

理由のひとつとして、遺伝的におかしいのではないかと考えることもまた普通の発想です。

遺伝的に行動に解決のできない支障があるとすれば、脳は発達を阻害する何かを抱えているということです。

そこから発展して、発達を阻害された=未発達の脳の状態で体験したことが、トラウマを生み出しPTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥っていることがあることもまた否定はできません。

ところが犬の脳の研究はそこまで進んでいないことと、実際には脳の発達に影響を与えている要因となるものが、犬によってあまりにも異なるため(遺伝的要因、飼育環境要因)比較が難しいために、簡単にそう決めつけることもできません。

しかし、最近偶然読んだ本の中に、題目の一文を簡単に言ってくださった先生が見つかりました。

面白くて今も読み返している本は神田橋條治先生の発達障害に関する一般人向けの書籍です。

書籍の中には質疑応答風にありました。

「先生そういえば犬にもフラッシュバックがあるって書いていらっしゃましたよね?」

「犬もPTSDになるんですか?」

神田橋先生「なると思いますよ。」

と犬の下りは3行で終わってしまったのですが、まさか犬の話題が登場するとは思わずに読んでいたのでびっくりしました。

そして、神田橋先生のこの一言をいただいて、やっぱり犬もPTSDになるのかと自分の予測が裏付けられたようで楽になりました。

また発達した脳でもPTSDになりますが、犬の場合には未発達の影響がかなり重なり合っているということもよく見られるケースです。

 

ここで付け加えたいのは、あなたの犬がPTSDになっているかどうかは簡単に判断しないことです。

それにPTSDといってもレベルというものがあります。

同じような行動に条件付け行動というものもあります。

似ているようでかなり違いがあります。

さらに発達障害に関して神田橋先生は「発達障害は発達するもの」と考えられていることもあわせてお伝えしておきます。

私も同じように考えています。

犬の未発達、発達障害は、発達する可能性のあるものとしてトレーニングをしています。

発達を阻害している環境を整備しなおすことがトレーニングクラスの目的です。

 

みなさんが「いうことを聞かない犬」とおもっているその犬が実は発達障害でさらにPTSDになっているのかもしれないのです。

犬たちの発達を阻害しているのが飼い主さん自身だとしたらどうでしょうか。

実は多くのケースで、飼い主と家庭の飼育環境が犬の発達を阻害しています。

新たな病気を生み出す前に、ぜひ問題を感じたらすぐに専門家に相談してください。

繰り返しますが、犬に問題があると感じられることはとても良いことなのです。

不安に思わずに問題に気づいてよかったと思っていただき、前向きに対処していきましょう。

誰のためでもない、犬と飼い主さんの暮らしのためにです。

お散歩代行中の写真
本文とは関係ありません。



 

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10年たって考える「このコを連れてどのように避難するのか。」

今日はやはり10年前の今日を思い出す日となりました。

たくさんの不幸が生まれたあの震災で、わが身にもしこのことが起きたらと考えるきっかけをいただきました。

そのとき私はまだ生前のオポと七山にいました。

お昼ころからお客様をお迎えしていっしょに山を歩き、午後になってパソコンを立ち上げたときに起きていることを知ったのです。

まだガラ携でしたし、情報も断片的でしたが、家や自動車が津波に触られる風景を見てこの中にいくつの犬の命が人と共に流されただろうかと思いました。

大型犬のオポを連れて逃げる場所など山の上以外にはないと思いました。

私とオポにとっては歩く体力と結束力だけが一緒に逃げ去る道具だと考えました。

 

しかし、普通に犬を飼っている方には、これをきっかけにクレートトレーニングは必須とますます思うようになりました。

小さな犬を抱きかかえて避難している方もいましたが、やはりバッグよりもクレートをもって避難する方が何よりも安全ですし、犬の安心度も違います。

クレートトレーニングを始めるときは「小さな入れ物にいれてかわいそう」と思ったという飼い主も、その意味や役割を知るとこの道具の必要性をきちんと理解してくださいます。

クレートは犬を閉じ込めるものではありません。

むしろ犬の世界を広がるためのものです。

そして何よりも、災害時の避難には必ず日常的に利用しているクレートを持ち出して下さい。

小さな犬はクレートの中に待機させて移動

大きな犬はクレートを折りたたんで移動させ適切な場所で組み立てます。

 

そして何よりも大切なことは、有事が起きてもパニックを起こさず飼い主と共に行動できるような犬として成長をさせるために「犬のしつけ」をすることです。

犬のしつけの究極の目指すところとは、芸をさせたり、ドッグランで遊ばせたり、お留守番させることではありません。

災害という場面においてでさえも人との信頼関係の中で最後までともに頑張ることのできずつながりを作ることだと思っています。

そこに至る方はほんの一握りだとは思いますが、ぜひここまでやってきてください。

10年前のあの災害時には国内はもとより海外からもレスキューとしてトレーニングを受けた犬たちが現場にやってきました。

災害という危険な場におかれてもなお平常を保ちつつ任務にあたるのは、厳しく叱られたからはなく、人と大切なつながりを作るための規律をお互いに守り続けたからです。

人と人の間にですらこの規律やもはやなくなりつつあります。

私にできること、また今年の今日も深く考え生きている限りお返ししていきます。


 

 

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グループトレッキングクラスを開催しました。

気持ちの良い週末でした。

福岡県はまだ自粛期間中ですが、自然の中を歩くことくらいは許していただきたいです。

七山でグループトレッキングクラスを開催しました。

まだ木々には小さな芽が吹いているくらいです。

風の通り抜ける気持ちの良い山を知っている犬と知らない犬と、いっしょにグループとなって歩いていきます。

回数を重ねるうちに人と人もお互いを知るようになります。

飼い主の安心感が犬にも落ち着きを与えていきます。

犬にとって山を歩くという行動は、犬の脳の中の一番中心部に入っている最も重要な情報です。

普段は歩かない土の上、いつもは歩いていないバランスの悪い坂道、たくさんの動物の足跡の匂い…。

こうした山の環境が犬を呼び覚ますきっかけになると思うことからトレッキングクラスは成り立っています。

犬を呼び覚ますなどどういう意味か?と思われるかもしれません。

しかし飼い主の中には「自分の犬は人だと思っている」という人もいるのです。

おそらくそれはうちの子自慢の言葉なのかもしれませんが、犬にとっては危険なことです。

犬は犬として生きる権利というのを持っている。

犬は山を歩く権利を持っているのです。

犬が犬としての自覚と尊厳を取り戻すために、犬のことを学びましょう。


3月は28日に開催予定です。

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環境を変えられないなら足すしかない、それもできないなら動くしかないか。

寒波でご心配いただいておりますが今のところ福岡近郊をウロウロしています。

しかし週末にはあの山に向かって走る予定なのでまたインスタグラムでご紹介します。

先日のすごい勢いで書いたトイレ問題のブログ記事を少し整理しておきます。

ブログ記事→都心の犬のトイレ問題でぶつかる人と人の「環境問題」を解決する方法はあるのか?

 

都心の犬の排泄に嫌悪感を示す地域住民と、犬のことを思う飼い主側とのトラブル。

解決の方向に向けて動けるのは人間だけ、しかし犬の排泄場所を指定されるとなると犬自身にとっても重要な問題です。

前回のブログ記事で問題として指摘したかったのは「環境に問題がある」ということです。

その環境とは都市環境の構成の在り方ですが、すでに作られてしまった住宅地や都市空間を今さら変えるということもできません。

 

すぐに変えられるのは自分の敷地の中のことだけです。

その自分の敷地すら集合住宅の中にあるとなると規則が多くどうしようもないということになります。

一時あった犬と暮らす人だけが一緒に集まって住むような「ペット可」ではない「ペット重要視」マンションも上手くはいきませんでした。

犬との暮らしといっても価値観は人ぞれぞれです。

同じマンションに住んでいるからといって親しい関わりをすべての人は求めてはいないようで、近すぎる距離間の中ではプライベートを重要にしたいというのが都心の方の本音ではないでしょうか。

となるとマンションの中には犬が好きな人と犬が嫌いな人がいる。

さらに犬を飼う人同士の間にも価値観の違いがあるとなっていきどんどん分かれてしまうのです。

マンション内の自分の敷地も上手く使えないというのが実情といったところでしょう。

 

となると問題の解決方法はひとつ。

環境が足りないならなんらかの方法で足すしかありません。

その足算とは今ある敷地以外に使える場所を持つということです。

都心の方はこの考えでドッグランに出向くのかなと思います。

ドッグランなら犬をリードから解放できる…と誰もが単純に思ってしまいます。

うちのダンナくんも私と出会っていないくて犬を飼っていたら

「間違いなくドッグランに犬を連れていってリードを外した」と断言します。

 

犬は走り回りたい場所を必要としているのではなく、生活空間の延長となる場所を自然の中に必要としていると考えると、ドッグランという交流の場ではない自然な空間を選択されるのではないかなと思います。

そこで考えるのが自然の残っている人の立ち入らなくなった田舎です。

昔は人が住んでいた日本の田舎。

今ではすむ人もなくさびれて荒れ果てています。

犬たちを休ませながら人が手入れをすれば、荒れ果てた山も生き返り、山が生き返ると海も豊富になってくると思うのです。

問題になるのは都心と田舎の行き来に時間がかかることです。

道路問題がもっと整備されれば、交通事情がもっと変われば、

犬にもうひとつの空間を準備することなど大したことではないと思います。

田舎の土地の値段はびっくりするほど安いのだけど、そこに移動するためにかかる時間のために敬遠されてしまいます。

さらに敬遠される理由はその土地が整備されていないからです。

土地を整備して家をリフォームしてと考えるとたくさんの資金が必要になります。

常套句ですが、宝くじでも当たったら「犬との暮らしを新しくする基金」として使いたいくらいです。

 

でも少しだけここに風が吹いているような気がするのです。

そうです。コロナ禍で広まったテレワークという働き方なのです。

都会ではなくても仕事はできるじゃないかと動き出している人たちがいます。

都心はウイルスで危機的な状況になっています。

それが日本の国全体の危機を招いているように感じてしまうのは、あまりにも一極集中にしすぎた都市の作り方ではないかと。

そろそろ分散が必要になってきたこの波に、若い飼い主さんこそぜひ乗って下さい。

私は旅行は好きじゃなくて、犬と過ごすことが大好きですというなら、

今ある都心の空間とはすごく離れた場所に居心地の良い場所を確保するというのもひとつの生き方改善です。

その方向性なら犬の賛同も得られそうです。

しかし人間の生涯も80年のうちに自律して活動できるとなると30年くらいと案外短いものです。

犬の生涯はもっと短く即決しなければいけないこともまた多しです。

なんだかムズムズしますが、結論としては自然で過ごす時間を増やして下さいと、そいういうことに行きつきます。

 

 

 

 

 

 

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犬と猫のコミュニケーションが面白い!犬語なのか、それとも猫語なのか?

犬と猫…。

犬猿の仲とは違いますが、いろいろと確執のある関係のようです。

どちらも人のテリトリーの中に住む動物ですが、その家畜化の歴史には違いがあることをあのローレンツ氏も「ヒト犬に会う」の著書の冒頭で述べています。

同居する猫がいないとしても散歩中に出会ったり庭で対面したりと、犬にとって猫の存在は日常的なものです。

犬にとって人という動物が社会的な動物であるのと同じくらい、本来なら猫は犬にとっての社会的動物であると思います。

ここでいう社会的動物とは、敵対する可能性もあるが、そうならない可能性もあり、ある程度のコミュニケーションがとれて対立を回避することも可能な動物という意味です。

 

先日お預かりの犬ちゃんが庭にいるときに、となりの猫と絶妙な掛け合いをするのを観察することができました。

犬ちゃんは小庭の柵越しに外を見ていました。

ちょうど対面の家の屋根の上に猫がいます。

猫は屋根の一番端まで出てきており、私が見たときにはすでにその位置からこちらの庭の中にいる犬にうなり声を上げていました。

どちらが先に視線を送ったのかはわかりませんが、猫と犬は対峙した状態でお互いに視線を外そうとしません。

猫の方は「ヴーーーー」と低いうなり声を上げていますが、姿勢は座ったままです。

犬の方は四つ足で立っていますが尾は下がったままです。

そのうちに猫はうなり声を上げるのを止めました。

でもお互いに視線を外さずにずっと見合っています。

いつまで見合っているのだろうと私もその光景を窓越しに見ていたのですが20分くらいそのままお互いに見合ったままでした。

そのうちに、猫の方が「飽きた」という感じなのか先に動き出しました。

屋根の先からひとつ家の方に入ったテラスの方に移動してまたこちらを見ています。

猫がひとつ下がった段階で犬の方は尻尾を少しあげましたが横には降っていません。

そのうちに猫がテラスでころころと寝転んで背中を床に着けてこすりつけるような行動をはじめました。

犬の方も猫からときおり視線をはずして体の向きを左右に変えたり近くの臭いをとったりし始めました。

猫はころころと身を返しながら時折おきあがって犬の方を見ています。

犬も視線をときどきそらしながらもまだ完全に猫から目を離すことができません。

トータルで1時間ほどたってから猫がいなくなってしまいました。

猫がいなくなると犬も別のことを始めていました。

 

そもそも預かりの犬ちゃんはまだ若く、そんなに長い時間ひとつのことに集中しているのを見たことがありません。

この時には猫に対峙している時間がかなり長かったことに驚きました。

コミュニケーションの優先権は猫の方にありました。

うなられて、ガン見されて、無視されて、また凝視されるを繰り返される。

犬の方はただ猫の攻撃性が高まらないようにか、ほとんどじっとしているしかできません。

それでも猫の行動から自分へのコミュニケーションを受け取ろうとしているのがわかりました。

 

都会では犬同様に猫のテリトリーも狭く、喧嘩するか逃げ惑う猫の姿しか見ることができません。

猫はいつも走り出し、犬はそれを追うような行動を見せます。

猫は犬から逃げているわけではないのですが、猫が逃げるから犬は追う、という行動のパターンが身についていきます。

ただ「逃げる追う」という単純な行動の中にコミュニケーションや関係性はありません。

ところがこんな里山の犬と猫のコミュニケーションは違います。

テリトリーは広く猫はいつもゆっくりと歩いているのを見ることができます。

同じように昔はよくフリーで歩いていた犬もほとんどゆっくりと歩いている姿しか見ることはありませんでした。

そもそも走っている姿を見ることの方がなかったと記憶しています。

そういえばオポもこの七山に住んでいるときには、走る姿を見ることはあまりありませんでした。

日常的にはいつも歩いているだけで走る必要があまりなかったようです。

広いテリトリーと安心安全を確保した動物はコミュニケーションを楽しみます。

今回、この猫にしてみれば犬を相手にそう長い間対峙することの重要性はさほどなかったと思いますが、ほとんど暇つぶしのように相手をしてくれていたようです。

犬の方はなかなかできない経験をしたようで良い社会勉強となりました。

種の異なる動物たち、コミュニケーションの方法もかなり違いがあります。

それでも長い歴史の中で隣人的な存在であった犬と猫。

空間さえ整えばコミュニケーションには発展性があることを再認識できました。

社会化は逃げたり追ったりすることではない、何かのヒントになればと思います。


 

 

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犬も自発的に行動すると脳が活性化するけど、それ自分勝手に行動…と区別すること。

ブログに書きたいことが満載なのですが、内容を頭の中で整理するのに時間がかかってしまいます。

しかもグッドボーイハートのこのブログはどんどん深みを増しており、グッドボーイハートで学ばれていない方には理解しにくいような内容になっています。

それでも、このブログはグッドボーイハートでご縁のあった飼い主さんたちがより犬への理解を深めていただくための参考書として今後も利用していただきたいと思います。

なので記事内容のレベルを落とす気はありません。

ということで今日も少し難解です。

「自発的に行動すると脳が活性化する。」という内容の話を車で移動中のラジオで聴きました。

脳科学の先生が脳についてお話をされていたのです。

「自発的に行動する」とはどういうことなのか?

人間社会では「人から言われたことだけをするのではなく、自分で考えて行動するという」意味で使われることが多いようです。

いわゆる「指示待ち人間」ではなく「自分で考えて行動するようになれ」ということです。

 

犬の行動にも「自発的行動」と「能動的行動」というのがあります。

人から言われてオスワリをするなら能動的行動?

犬が自分からオスワリをするなら自発的行動?

どうですか。そう思われるでしょうか。

ところがそうでもありません。

行動というのは単純なようでそんなに単純ではないのが行動学を学ぶ楽しさです。

先の犬の行動の振り分けですがこんな風になったらどうでしょうか?

オヤツを見せられた犬が自分からオスワリしたら自発的行動なのか。

オスワリと人から言われてオスワリした犬が能動的行動なのか。

どうでしょうか。

 

自発的行動というのは自分勝手に行動することではないということはすぐに理解できると思います。

もし自発的行動が自分勝手行動と同じなら、衝動的に行動すれば脳は活性化するということになってしまいます。

私の考える自発的行動とは、自分の所属する社会的グループ、犬なら群れのために利益のでる行動をするために自分の行動を決めることです。

人なら会社や家族がより繁栄するために自分ができることを考えて行動することが自発的行動ではないでしょうか?

その行動の選択の中には、いろんなチョイスがあってどれにしようかと考え整理し、そして葛藤の上に行動が決まります。

自分勝手行動は自分の利益のためだけに行動をすることで自発的行動ではないのです。

オヤツのためにオスワリするならそれは自発的行動ではなく自分中心行動になってしまいます。

 

では、オスワリと言われたらオスワリするのは能動的行動でしょうか。

人から言われたことをするから確かに能動的ではあります。

でも犬も最初から自分の役割を知っているわけではありません。

今何をしなければわからない年齢の犬や、未熟な動物はまず言われたことをきちんとできるようになることから行動はスタートします。

自分の行動によって何かを獲得しているのであれば、それは今能動的行動であっても明日は服従性行動というランクの高い行動に変化する可能性があります。

犬は動物ですが決して衝動的で自分勝手な動物ではありません。

本来の犬は社会性が高く、強い群れに所属したいという服従欲求というのを持っています。

どのくらいの飼い主さんが犬のこの高い社会性を満足させられることができているのかと思いつつラジオを聴いていました。

ちなみに人間は80歳を超えてもまだ脳を書き換えている、一年でずいぶん書き換えられるそうです。

だから老いを受け入れず新しいことにチャレンジしていくのは脳にとっては喜ばしいことのようです。

頭だけでなく体を動かすことは脳を良い状態にするとのことでした。

これを励みに山の手入れをがんばることにします。

トレッキングクラスで落ち葉の道を歩く犬ちゃん



 

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お知らせ「年末年始のお預かりクラスのご予約お急ぎください。」

寒さが増してきましたね。

七山はもっと冷え込んでおります。

そんな越冬準備のために薪ストーブ用の木を生徒さんからいただくことができました。

すごく助かりました!ありがとうございます。

他にも庭木処分する予定だとか、公園に木が置いてあるよといったお声かけ大歓迎です。

ゴミで燃すくらいなら私たちの暖のために薪をいただければ嬉しいです。

 

さて、年末年始のお預かりクラスについてグッドボーイハートからのお知らせです。

年末年始のお預かりクラスのお問合せが増えています。

みなさんの犬ちゃんたちを安心安全かつ楽しくお預かりするためのスケジュールを立てる予定です。

もし年末年始にお預かりをご希望の場合には早めにご予約いただきますようお願いいたします。

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結果にコミットするグッドボーイハートのトレーニングは生徒さんとの約束の繰り返し

また預かりクラスのために七山に戻ってきました。

今回の犬ちゃんたちもよりとりどりなので、考えていたらテンションが高まってしまい昨日も本日も眠気が来ずに困っています。

よくみなさんに「好きな仕事をされているから幸せですね。」と言われます。

幸せであることは否定しませんが、好きだからこそ限りなくつぎ込んでしまうこともあるし、思うようにいかず悩むことなど山のようにあります。

どのようなトレーニングを飼い主さんに提案すれば良いのか、レッスンの対象は犬ではなくあくまで飼い主という人なのです。

犬は全く問題がなくても、人はなかなか難しいものです。

そんなことを考えているときに、あの有名なCMがYouTubeで流れていました。

結果にコミットするあのダイエットのCMです。

ライザップのメソッド

1 データに基づいた科学的トレーニング

2 トレーナーが寄り添ったトレーニング

3 日課を与える

これを見たときにそのままではないかと思ったのです。

ライザップさんから勝手にお借りして申し訳ありませんが、当校に当てはめるならこんな感じです。

グッドボーイハートのメソッド

1 犬の習性に基づいた科学的なトレーニング

2 ドッグトレーナーが寄り添ったドッグトレーニング

3 飼い主に日課を与える

そのまんまのぱくりではないかというご指摘甘んじて受けましょう。

しかしこれぞグッドボーイハートの結果にコミットするメソッドです。

しかし上手く考える人は上手く考えるものですね。

こうしたより分かりやすい広告が人に理解を促すのですね。

その点ではわたしは言葉足らずでまだまだ勉強が必要のようですが、今持っているものをまずは全部出し切ることの方が先かもしれません。

しかしライザップさん「結果にコミットする」という言葉もとても深い言葉です。

結果にコミットするとは、お互いに約束を交わすという意味です。

お金を払ったから絶対に痩せますよ、と言ってはいません。

お互いに約束を守ることでいっしょに結果を出しましょうね、というのが結果にコミットするの本当の意味ですね。

グッドボーイハートのトレーニングにも、犬の管理方法や接し方や練習など日々の積み重ねをしていただくことがインストラクターである私と生徒さんである飼い主さんの約束事です。

しかし犬に対する管理や接し方は、犬に対する気持ちがそのまま出てしまうものです。

なかなか私の前で練習したように接することができないというのが実際のところだと思います。

犬を可愛がりたいという気持ちは私も同じです。

ところが可愛がりが甘やかしになる境界線を見つけることは難しいようです。

人の子供に対してですら難しいことを、犬などの社会に飛び出す必要すらない動物に飼い主として責任感を持って向き合える人は本当に一握りしかいないとは思います。

インストラクターの指導内容と、実際の飼い主さんの行動にズレが生じるとなかなか結果にコミットできません。

ズレを修正するには多少の時間が必要ですが、急いで解決したいという気持ちもわかります。

だから多少厳しくはっきりと発言させていただいていますがその点はご了承下さい。

これでも昔よりはずっと丸くなったと生徒さんたちから言われます。

どんなに厳しかったのだろうと申し訳なく思いますが、こうして目の前に犬がいると考えが止まらなくなってしまうような犬バカさからくると思って大目に見ていただければと思います。

生徒さんたちに私から課した犬のしつけ方の日課が約束事なら

私の側のお約束は、犬のことを真剣に考えて知り得たことを飼い主さんに分かりやすくお伝えすることです。

確かだれかとても偉い方(名前が出てきません…)が、自分が理解するのに一年かかったらそれを他人に説明するのにまた一年以上が必要になるというようなことを言っていました。

もっと長い年数だったかもしれません。

本当にその通りなので、犬のことを私から知りたい方はどうぞ気長にお付き合いください。

自分で言うものなんですが、私は日々進化しています。

昨年の自分だったら思いつかないような考えに今年はいたっています。

そして同時に老化もしているのですが、これもまた動物としての成り行きです。


 

 

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