先日ある山に関する小冊子でとても良い言葉を教えていただいた。
そこには「奥山」という言葉がでていた。
奥山さんという名前を持つ方がいるのは知っているけど
奥山という言葉は思いつかなかった。
山を歩く日々の中で感じていることは
里と山はどうしてこんなに気が違うんだろうということ。
犬も里と山では行動が異なる。山の中でも犬それぞれに行動が異なる。
里は里山、山は奥山。
里とは人がその場で生活するために必要なものを山の麓に集めた。
畑、薪に使うための雑木、住むための小屋、そして川の水。
人々がここに暮らしそして人の影響を受けた動物たちだけが里に住む。
もちろんこれは開発ではない。自然の力をお借りするが自然と調和した山の麓。
奥山は自然の神々の住むところ。自然の神様と生きている動物たちが暮らしている。
里山も奥山も自然だけど、奥山は今の私たちが暮らせる場所ではない。
仙人が暮らしていたところだね。
犬は人に影響を受けた動物なので里山の動物。
都会では里山もなくなり町となったので、今では里山の動物でもない犬が多い。
いわゆるシティドッグになってしまった。
奥山の心得を身につけている犬がなかなかいないということがわかってきた。
町に長居をしすぎてその心得を忘れたらしい。
奥山の心得を知らなければ、傍若無人な態度になることもある。
神様、動物、植物たちは山に入る私たちをどう感じているのだろう。
たくさんの道具を持ち込んだり騒いで走って発散する場は山にはない。
それは里山でも奥山でもない。山の中に作った「なんとかランド」かもしれない。
私も都会で暮らすころはこの間違いをよくやっていた。
山で暮らすようになって山の声が聞こえるようになり、こうした行為が山を傷つけることを知るようになった。
オポはここで暮らすうちにいつのまにかその心得を取り戻していた。
できることをひとつずつやり、何かを超えていったから。突然変身したわけではない。
奥山に入る心得を犬たちと共に取り戻したい。
ここに暮らして知ったありがたい気づきのひとつ。
そのためにできることをみなさんも何か知っているだろう。
みんなができることをひとつでもやっていこう。