グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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<おすすめのアイテム>犬用ハーブについての追加の意見

先日、ブログで紹介した犬用のハーブについての追加の情報と意見です。

最初のご紹介ページは以下からご覧いただけます。

<おすすめのアイテム>サプリメントも使いかた次第:犬用のハーブは犬の健康のためにおすすめします


犬用のハーブと上手につきあっていくためには、自然療法というものとどうやって折り合いをつけたらいいのかということだと思います。

このことについて、自分が飼い主としてこうやって選んだり考えたりしてきたということをお話します。


たくさんある犬用のハーブを選ぶにあたり、どの商品を選んだらいいのかで迷われることでしょう。

まずはコストパフォーマンス、値段が安い方が良いに越したことはありません。

かといって安かろう悪かろうでは結局お金を無駄に使うようなものです。


ハーブは一度に使う量は少量と限られています。

100グラムのハーブを購入したとしても、小型犬なら1回に与える量は小さじの半分とか4分の1くらいの量です。

ほんの少量なので、100グラムのハーブで半年くらいは継続して使用できます。

ハーブは保管状態が良ければ悪くなることはありませんので、安いものを買うというよりも良いものを継続して使うことを考えて大きめのサイズを購入されることをお勧めします。


価格よりも先行して選択の理由としたいのは、むしろどのハーブが使われているかということでしょう。

ハーブは目的に応じて選ぶものですから、その目的にあったハーブを使いたいからです。

目的の例としては、デトックスとか、消化器系のサポート、関節のサポート、皮膚用など様々です。

目的にあったハーブを使いたいために、ハーブのどんな種類が入っているのか調べてみたり関心を持たれることはとても大切な勉強になります。

以外に身近なハーブが使われています。

たとえば、ショウガやアザミといったハーブも使われていて、人と同じ用途になっているので学ぶことも多いです。


ですがここで一番大切なことを忘れてはいけません。

個々のハーブにはそれぞれに効能的なものがあり、こうした作用がありますよといった分類に分けることができます。

ただハーブの力が本来発揮されるところは、これらの個々のハーブたちの「調合」にあります。

この「調合」がうまくいっていないと、ハーブたちは結束して力を発揮することができず、ただ競うあうだけの存在になってしまいます。


ハーブたちがうまく協力しあって作用してくれるように「調合」する専門家、それがハーバリストなのです。

調合に関しては漢方薬と同じと考えていただけます。

以前、漢方薬局で薬剤師の方に食事について質問されてたときに、雑穀を白米に混ぜて食べる十六穀米かなにかを食べていると自信ありげに話したのですが、それは調合の問題なのでたくさん食べればいいということではないと即答されたときには驚きました。

つまりはハーブも同じように、効果があるからとたくさんとりすぎても意味がなく、経験のあるハーバリストが調合したものこそエネルギーを発揮するということです。

成分的な作用はもちろんあるのですが、ハーブはそれ以上にエネルギーを用いた自然療法のひとつであることを否定できません。

私はハーバリストではありませんし、ハーブの専門家でもありません。

ただ自分が思う犬にハーブを与えるというのは、犬に自然エネルギーをいただくという意味を持っているということです。


ということは、他の癒しと同じように短い間で結果を出そうと取り組むと失敗に終わることが多いのです。

どんな癒しによる変化も、いつの間にかそうなっていたというように取り戻すように変化していくものであって、急激に良くなったと感じられるようなものではありません。

もちろん、こうしたハーブを自然の雑草の中からとるのは大賛成です。

犬たちはそれぞれに自らのハーバリストですから、自分の体調に応じて必要な雑草があればそれを体に取り込もうとするのは自然の力のなす技であり、ぜひその力を使ってほしいからです。

ところが、都会にはなかなか豊かな雑草の生える空間がありません。

豊かな雑草という言い方自体が間違っているといわれそうなくらい、雑草たちは都会では生えることも許されていません。


犬の中には自然とのつながりが遠くなってしまい、雑草を食べることもできなくなってしまった犬もいます。

こうした犬たちの中にはハーブを食事にいれるとごはんを食べない場合もあります。

これらの犬たちも山歩きを重ねていくと行動が変化してきて、雑草を食べるようになることがあります。

この風景は今までなんども見てきました。

雑草を食べなかった犬が、はじめて草を食べているを見たときの喜びはなんとも言い難いものです。


たかがハーブですが、ゆっくりと犬の体に浸透していきます。

結果もうれしいものですが、その過程をぜひ楽しんでください。

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<日々のこと>やまごちの猟師さんに竹の伐採を習う:七山の尾歩山の冬のお手入れ継続中

険しい裏山を背にしているグッドボーイハート七山校では欠かせない山の手入れです。

山の手入れの季節は秋から冬にかけて。

植物たちが根を伸ばすことにエネルギーを注いでいる間に、土の上に出ている部分を切ってしまい、成長を止めたり遅らせたりします。

山の手入れの中でも特にやっかいでなかなか手が付けられないでいたのが「竹」です。

孟宗竹というすごく太くてスクスクと大きくなる竹で、タケノコの親たちですね。

竹は径がすごい勢いで広がるため、きちんと伐採しておかないと山はあっという間に占領されてしまいます。

せっかく尾歩山で育てている広葉樹も、竹の勢いが強いと養分をとられてしまい枯れてしまうのです。


その竹の手入れのために助っ人を迎えることができました。

グッドボーイハートハートでいつもみなさんに買っていただている鹿肉ジャーキー「やまごち」を作っている猟師さんに七山に来ていただきました。

竹の手入れの仕方がわからないと相談したところ、快く引き受けてくださり、やっていただきながら私でもできるようにと細かく指導していただけたのです。

竹の小枝の払い方から倒す方向やその方向を決める手順、倒すためのロープのかけ方や結び方など、ただ竹を払うといっても学ぶことはたくさんあります。

効率よくできるだけ力を使わないように、そして何よりも安全確保が大切です。


竹払いの作業には生徒さんたちのお力添えもあり、竹でうっそうとしていた山の境界線の一部がみるみるうちにきれいになり、風通しがよくなりました。

風が通ると自分はとても心地よいうえに山が喜ぶような気持ちになります。

なれない作業で緊張して疲れたけれど、やっぱり手入れしてよかったと思えるのです。

山慣れしている老犬がそばで風にあたりながら私たちの作業を見守ってくれました。

落ち着いている犬はそばにいてくれるだけで心強くなります。

何もない七山の尾歩山ですが、活き活きと育ってほしいという気持ちは犬に対するのと同じです。

犬はどう思っているのだろうと思うのと同じように、山はどう思っているのだろうと考えるようになったのはいつからかもう記憶にありません。

山とともに過ごしている猟師さんのお話や動きや知恵は、本当にありがたいものでした。

やマゴチさんで鹿のアキレスジャーキーを新発売されたということで早速購入してみました。

一袋はみなさんにお配りしようと思っています。ご希望の方には一本ずつお分けしますので、お声かけください。数に限りがありますのでなくなりましたらすみません。

山の手入れ、本当に楽しいですよ。とみなさんをお誘いしていっしょにやっていただく魂胆です。

もちろん犬たちもいっしょです。

山をはぐくみそして山から育てられる、とても良い時間を過ごせました。


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<自然のこと>ジェーン・グドール博士の映像を見て思ったこと

ジェーン・グドール博士という動物行動学者をご存知の方も多いと思います。

私が最も尊敬する動物行動学者で、欲張っていえばジェーングドールのようになりたいとまで思ってしまい、かつジェーングドールには絶対になれないと思う方なのです。このブログでの何ども取り上げました。

ジェーングドール博士はチンパンジーの研究者の第一人者ですが、とにかく彼女の美しさといえばチンパンジーと共に過ごしている姿です。

先日ナショナルジェオグラフィックの番組でジェーングドール博士の番組が紹介されましたので、初恋の人に会う気持ちでドキドキしてその映像を見ました。

過去の貴重な映像が満載で、若かりし頃のジェーングドール博士のエネルギーと情熱と愛に満ち溢れた番組でした。

同時に考えさせられるシーンもいくつかありました。

その一つ目は、ジェーングドール博士がチンパンジーに接触を図る過程の中でその関係性に混乱を生じさせることが起きたことです。

彼女のような人でも動物との関係の中で予測できなかったことがあったのだと、大変驚きました。

この事件について過去の文献でも見逃してしまったのか、私が今まで関心がなく読み過ごしてしまったのかもしれません。

その事件とは、チンパンジーが人のテントの中のバナナを持ち去ることをきっかけに、逆に餌付けをしてチンパンジーを人のテリトリーに引き寄せようとしたことです。

今では、野生動物の人による餌付けが混乱を招き動物の執着と攻撃性を高める結果になることは、動物について学ぶ者なら周知のことです。

ですが、当時はジェーングドールのような好奇心旺盛な人々が野生動物に接触をはかる挑戦の過程の中で、こうしたトラブルを引き起こすこともあったのでしょう。

バナナや他の食べ物を人のテントスペースに取りに来るチンパンジーの数は増え続け、やがて人のものはなんでも奪うようになり、チンパンジーが争奪を通して人に対しても同種に対しても攻撃性を高めていく映像が紹介されており、大変わかりやすくまたそのことで戸惑うジェーングドールの姿も印象的でした。

この問題に対しては、結局管理された餌場を設けることで、特に信頼関係を結んだ限られたチンパンジーに、限られた餌だけを得る権利を与えることで解決されたようです。

また、野生動物が人との接触を図る過程の中で起きる悲惨な事件が起きています。感染症という問題です。

海を渡ってくる人という動物が持ち込んだポリオにチンパンジーたちが感染してしまい、麻痺などの症状を起こしていくのです。

ポリオの感染はジェーングドール博士のグループからではなく、別の研究者たちのグループからチンパンジーに広がってきたもののようですが、人が持ち込んだことでチンパンジーの生存を脅かしたことは確かなことです。

つい最近ですが、アフリカの先住民族が絶滅したのではないかという番組を見ました。彼らの多くも侵入者の持ち込んだ菌による感染症でした。握手などの簡単な触れあいによって死に至らしめてしまうという最悪の出来事です。

チンパンジーは遺伝子学的にもヒトに最も近い霊長類なので、病気の感染については当然考えられることなのですが、やはりこちらも当時は知識や情報が十分になかったということなのでしょう。

目の前でポリオに侵され麻痺が生じ朽ち果てていく友人のチンパンジーに対して、ジェーングドール博士は銃殺という安楽死を選択します。

インタビューでは「自然死という選択はなかったのか」という質問に対して、「目の前で苦しんでいる友達をただ見ていることはできない。」という答えがジェーングドール博士が出した答えでした。

この事件をきっかけにして、チンパンジーに触るという接触の行為が禁じられたとのことです。

動物は生きている世界が違う、だから大切にしたいなら一定の境界線を保つという基本的なルールが見直されたことになる二つの大きな事件です。

犬はヒトが触ることができる動物です。

犬は野生動物ではなく家畜化の過程をとりながら長い時間をかけて変化してきた動物です。

だからこそヒトとテリトリーを共にすることができ触れ合えることができる特別な存在なのです。

ですがその犬にも人と一定の距離を保つ必要があるという境界線があります。

その境界線を作る必要のあるのは犬ではなくむしろ人の方です。

犬がなんらかの攻撃性、咬みつき、過剰な吠え、自分をなめたり尾を追う自虐行動、とびつき行動などをしている場合には、境界線のルールが守られていませんというメッセージとして受け取ってください。

ジェーン・グドール博士の番組はそのうちDVD化されるかもしれません。
ぜひ見ていただきたいです。

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<クラス>雪が降ったら犬が変わる、今年最後のテントクラス開催しました

寒い週末になりましたが、七山では雪は降っていません。

毎月テントクラスを楽しみにしている老犬たちと、テントクラスを開催しました。

雪が降ると交通が不便になり困るのですが、雪が降るのを期待している気持ちもあってなんだか複雑です。

雪が降るというのはなぜかテンションが上がることなのです。

犬も雪が降ってくるといつもと違う表情や行動を見せてくれます。

積雪するととてもはしゃぐ若い犬のいるけれど、年を取ってくると派手さはないけど深みのある感覚に変わっていくのでしょうか。

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そんな雪の中の犬の姿を見たいという気持ちもあって、雪を期待してしまいました。

今回ははずれでしたが、七山では年に数回積雪しますのでぜひ七山トレッキングクラスに起こしいただきたいです。

人の力だけで犬をなんとかしようと思っても限界があります。

動物が本当に変化していけるのは人がつくったルールだけではなく、それを取り巻くもっと大きな環境だと思うのです。

その大きな環境とは、自然という人の力では支配できない力であって、自然が持つルールの中に人も犬も入っているのだということを知らしめてくれるもののひとつとして雪の中で謙虚になれるのが動物というものではないでしょうか。

テントクラス中、部屋で暖がとれるようにと暖炉をいれていました。

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生徒さんのおひとりが「この暖炉と毛布があったらずっとここで過ごせるというきもちになれる、無敵ですね。」とおっしゃいました。

結局、火を扱えるようになったことで人は幸せにもなったけれど、やりすぎてしまって不幸にもなったのかもしれません。

自然の中で思いを巡らせるいろんなこと、犬との暮らしに役立てていただければと思います。

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<クラス>老犬たちのトレッキングクラス

グッドボーイハートの活動は、季節が変わるようにこれまで形を変えて移り変わってきました。

はじめに家庭訪問形式のトレーニングスタイルから始まり、次に通学できる学校を博多駅近くにつくり、その後は山での勉強と七山へ移り、今は家庭訪問クラスを七山のクラスを併設する現在の形となりました。

グッドボーイハートの設立が2000年からなので今年で18年目です。

たくさんの出会いを頂くと共に、共に学んだ仲間たちとの別れも始まっています。

今日は12歳~15歳まで、子犬のころからグッドボーイハートで育った犬たちと生徒さんたちと共に山歩きを楽しみました。

紅葉
老犬たちのペースでの山歩きなので気負うこともなくゆっくりまったりと呼吸を深めながら歩きます。

山にはきれいな空気があるし、スペースはいっぱいあるし、時間もたくさんあります。

老犬たちの山を歩く姿を見ながら「元気に過ごしてくれているようでよかった」とただほっとしてしまいます。

同時に、犬たちの生きる時間を変えることはできないけれど、今日一日ができるだけゆっくりした時間になるようにと深く呼吸するようにしています。

犬と人は生きている時間の長さが違いすぎます。

犬は人の十分の一しか生きていないのですが、犬たち自信は生きるのに必要な時間を十分にもちあわせているはずです。

でも、その犬の時間の多くを奪ってしまうのは、わたしたち人間の方ではないでしょうか。

人は忙しく呼吸もあわただしく犬たちをせかしてしまいます。

山にいるときはせめてゆっくりと呼吸をしながら、時間の流れがゆっくりなりますようにと思うのです。


2007年に七山に来てからずっとなり続けている柚子の木にたくさんの実がなりました。

柚子の実を生徒さんが取ってくださったので、みなさんのおみやげに持ち帰っていただきました。

山で犬と過ごすことは本当に地味な特別なことではありませんが、山で過ごしている犬たちはなぜか幸せそうに見えてしまいます。

老犬もこれから移動や歩行が困難になり、山で過ごす時間も少なくなってしまうかもしれません。

それでもきっと彼らは、ここで過ごしたことを体に記憶してくれていると思います。

本当に良い季節。

飼い主さんたちには、犬と共に山の空気を吸いに、山歩きに出かけてほしいです。

ダンスタンとゆず

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<犬のこと>昆虫を追いかけて遊ぶ子犬は犬らしくありませんか?

ずい分と涼しくなり少し気持ちが楽になってきました。

福岡でも朝晩はエアコンの要らない日もあり、七山では衣替えを完了しています。

気温差の激しい七山では新米がすでに出回っています。

毎年の当たり前のことなのですが、お米ができるとうれしいのは日本人として長い間受け継がれた血なのでしょうか。

犬たちにも長い時間をかけて犬として受けついできたものがあるはずです。

それは感性だったり、行動に現れたりするものです。

もえりえちゃんお庭1
犬も人も成長と共に、硬い価値観を持ち始めます。

価値観は場合によっては自分の身を助けることもあるけれど、時として行動を極端に限定させてしまうことがあります。

つまりワクワクと興味関心のあることがなくなってしまったり、他人が多数で寄り集まる価値観に流されたりして、自分の感性をなくしてくということです。

犬も子犬のときには好奇心旺盛でワクワクと行動を起こすものです。

七山でお預かり中の犬の行動を観察していると、柔らかい土の上をこの季節に這ったり飛んだりする虫を追いかけるのに夢中です。

土の中に逃げていく昆虫を片前脚で押さえ、逃げられると再びジャンプして追いかけて、よーいドンとまた前脚を上手に使います。

逃げられてしまうと深追いはせず、また新しい獲物を見つけてはちょっかいを出して遊んでいます。

蝶々が飛んできたときには空中戦となるため、頭上を見ながら走り回り、転んだり吠えたりと空中の生き物は手に負えないことも学ぶのでしょう。

こうして子犬期を過ごしていても、子犬はいつか成犬となり昆虫には興味を示さなくなっていきます。もちろんこれも普通に子犬が発達したという経過なのです。

子犬が昆虫に口をつけようとしたり前脚で触れようとすると、汚いから止めさせたいという気持ちになる飼い主もいるかもしれません。

犬の口は人の手にあたるため、なんでも口にいれて確認しようとします。

そういった意味では人の赤ちゃんも同じような行動をしているのを見かけます。

こうした行動は意味のないもので、飼い主にとってはやって欲しくない行動なのかもしれません。

養老孟司、池田清彦、奥本大三郎ら先生方が記された「虫捕る子だけが生き残る」という著書があります。人も最初に関わる捕りたい生き物は昆虫なのです。

犬は昆虫をつぶさに研究するために捕るわけではありませんが、虫との関わりをとおして脳の発達を促進する機会を得ていると私は考えています。

科学的な説明は科学者の方にお任せするとして、犬の行動を日々観察していてそのように感じるからです。

好奇心が消えてしまう子犬のころに、小さなお庭でもいいので虫と対話する機会を子犬に与えてください。

お庭がない場合には、山遊びに最適のこの季節を逃さず活用しましょう。

秋は本当に長いです。いろんなことを学ぶのには十分な時間があります。

それでも秋は犬には多くても10~13回くらいしか来ません。

私達は70回くらいは来るのでしょうか。

犬には1回の季節が大切なときなのです。

空預かり庭3

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<犬のしつけ方>「犬が木を食べても大丈夫なんですか?」はい、犬は枝遊びが大好きです。

先日ある生徒さんのクラスのときに、子犬ちゃんが紙のオモチャで遊んでいるのを見ました。

とても気に入っているらしく少し食べているようだが排便の状態がよくなったと飼い主さんもおおらかに見守ってくださっていました。

そうですね。紙はパルプなので元の素材は木ですから、子犬が遊んで噛んだりその一部を食べてしまうのはよくわかります。

枝が好きなら七山からたくさん持って来てあげますよということで、その子犬ちゃんに小枝をプレゼントしました。

とても気にいってくれたようで、小枝を噛んで遊んでいます。

らら小枝2
らら小枝3

子犬は庭遊びをすると、よく小枝を拾ってきたり口にくわえて遊んでいます。

木の皮をはがして食べたり、ガリガリを枝をかじってその一部を口に含んで食べています。

庭に落ちているような木は水分も多く、がちがちに感想した家具よりもよほど安全です。

ほおって置けば土になってしまうようなものなので、ある程度は発酵していてほどよく菌もはいっています。

木に良い菌がふくまれているので、それもいっしょに食べることができるでしょう。

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人の方も知らないうちにこの原理を利用しています。

クロモジという樹木をご存知でしょうか。

七山の山にもたくさん生育している樹木で、楊枝として使われています。

茶菓子をいただくときに使う高級な楊枝です。

クロモジには殺菌作用があり、そのために楊枝として使われてきたようです。

昔の人が爪楊枝で歯磨きをしていたのもその理由からなのかもしれません。

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犬は特に知識はありませんが、枝をかじったり細かくして食べたりします。

危険なジャーキーやガムよりもよほど安全で健康てきです。

ところがよく「犬に木をかじって食べているのですがいいのですか?」と聞かれることがあります。

いや、犬はよく木をかじって食べています。

危険な食べ方は、硬すぎる木をかじることや、犬にストレスがたまっていて大量に木をかじって食べてしまうことです。

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どんな遊び道具もストレス過多の状態の犬には危険性があります。

同じ行動をくり返したり執着行動が出るため、なかなか止めることができないからです。

こういう場合を除けば、犬は自然素材のものでよく遊びます。

犬はそもそも屋外の動物ですし、土を掘ったり木をかじったり草を食べたりするのは本来の犬らしい行動です。

犬が犬らしく過ごせる時間がどんどん少なくなっているようです。

犬が犬として自然に遊んでいた道具が身近になくなってしまったからです。

犬が自然に遊ぶことを人が止めるようになってしまいました。

犬が土の上を歩くのを汚いといわれるようになりました。

人の価値観がこれだけ変わると、犬はこれからどうやって生きていけばいいのでしょうか。

犬が自然と親しむ姿を見ると少しほっとします。

犬は自然の生き物であることを犬が教えてくれる気がします。

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<山と犬>秋のお手入れ無事に進んでいます。

わずかに紅葉し始めている静かな尾歩山。

秋の深まりをみせながら、夏に騒いでいたいろんな生物たちはほとんど姿を消しています。

大きな女郎蜘蛛と蜂が最後の活動をしているくらいです。


やっと、落ち着いて山の手入れができるようになりました。

とりきれていなかった蔓を払いながら、木々が育つ環境整備の応援です。


山の手入れのときにも、犬がそばにいてくれるとなぜか安心します。

手入れに夢中になっていますから、周囲の危険を教えてくれる役割を担ってくれるからです。

そうした自分の役割に気づく犬たちは、飼い主の方をじっとみたりそばによってきたりはしません。

鎌や鋏をもって活動していますので、人のそばでは危険もあります。

犬たちは人の作業を邪魔しないように、少し離れたところで周囲の気配をとりながら、ときには山の斜面に落ちているイノシシやウサギの落し物を食べたりしながら、ゆるやかに過ごしています。


私達ヒトの方もしっかりと山の恵を拾って降りました。

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オポが食べていたので気づいた椎の実。
ほんのり甘くて生でもおいしくいただけます。

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皮も食べられるらしいあけび。
私はあまり得意ではありませんが、生徒さんがペロリと食べました。

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山の甘柿。
柿はたいてい渋柿で、甘柿は1本だけです。
すでに熟したものは、お手伝いしてくれた犬くんがしっかりいただきました。

熟した柿が落ちてくるのを待つのは、オポのお得意芸でした。

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山が育つと動物が暮らす場ができるのが、ただうれしいのです。

山が育つと犬たちが生き生きとなるようで、ますますうれしいのです。

七山から離れた福岡の土地にも、活力ある山の空気が届くと思えるからです。


夜に七山から福岡まで移動するときに、動物たちとの遭遇が増えました。

ウサギ、アナグマ、タヌキ、イタチなど。

秋から冬にかけて活動が活発になる野生動物たちです。

わたしたちヒトも、そしてイヌも活動期の季節といえるでしょう。


また来月も山のお手入れ行います。

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ヒト科ヒト属<おすすめの本>ヒトとして:松沢哲郎氏著書「想像するちから」

 京都大学霊長類研究所という研究機関があります。チンパンジーの研究を行っている施設です。
おそらく多くのみなさんが名前を聞いたことのあるチンパンジーの「アイ」がいます。ここでアイと向き合いながらチンパンジーとヒトの研究を行っているのが松沢哲郎氏です。

 最初に松沢哲郎氏とアイの実験を見たのは、テレビのドキュメンタリー番組でした。1980年代のことではなかったかと記憶しています。小さなころから、動物のなかでも特に犬に関心があったものの、他の動物に関心がなかったわけではありません。それでも、正直に言うと動物を使って実験をしたりする研究はあまり好みませんでした。

 しかし、そのドキュメンタリー番組に出てきた松沢氏とアイの様子にしばらく釘付けになるように見ていたのを覚えています。その映像の一場面が今でも脳に焼き付いています。それはアイが順番にボードを押すと果物がでてくるという報酬ベースの実験でした。なぜ、そのふたりの姿が忘れられない映像になったのか特に疑問も抱いていなかったのですが、松沢氏の著書「想像するちから」を読み、改めてその実験の対象になる動物に対する愛着の深さを思い、実際に心揺さぶられるものがありました。

 松沢氏はこの著書の中で、チンパンジーをヒト科の動物として扱っています。その数は1頭、2頭ではなく、ひとり、ふたりと称されます。オス、メスではなく、男性そして女性と称されています。チンパンジーはヒト科ですからヒトと同じように称するという氏の姿勢が表現されています。

 生物には分類学という学問がつきものです。さまざまな形質や行動、そして現在では遺伝的に区別された分類学の中で、人はヒト科ヒト属ヒトに分類されます。動物分類学上では、ヒト科は四属あります。ヒト属のほかに、チンパンジー属、ゴリラ属、オランウータン属です。この4つの属がヒト科であり、学問的にはヒトにもっとも近い種ということです。現在のゲノム解読によると、人間とチンパンジーは遺伝的にきわめて近く、ほとんど同じ生き物であるとも記されています。

 チンパンジーが研究の対象となるのは、ヒトのことを研究する必要があるからです。同じ理由でジェーングドール博士もチンパンジーの研究を行っていました。ジェーングドール博士の場合には、アフリカの森をホームベースとして、松沢氏の場合には霊長類研究所をホームベースとして、チンパンジーの研究を通したヒトの研究が行われているのです。しかし私には、その両者ともにチンパンジーという動物に対する尊敬の気持ちと態度とそれ以上のものを感じてしまいます。

 この本をすべての方に読んでいただきたいけれど、時間のない方のために一文だけ引用してご紹介します。

引用ここから・・・・・・・

 一日の終わりに疲れてテレビをつけてると、チンパンジーが面白おかしいことをしている。それを見て、人があっはっはと笑う。
 それは人間としてよくない。
 チンパンジーを見世物や金儲けの道具にしてはいけない。母親や仲間と離れて暮らすと、チンパンジーの挨拶や性行動ができなくなる。
 覚えておいてほしい。テレビに出てくるチンパンジーの顔は肌色だ。あれは子どもの特徴だ。こともは肌色の顔をしていて、大人になると真っ黒な顔になる。つまり、テレビの番組やコマーシャルに出てくるのはみんな子どもである。本来は母親と一緒にいなければいけない年齢の子どもだ。そうしたチンパンジーを、いろいろな理由をつけて母親から引き離している。
 ビジネスのために、無理やり子どもを母親から引き離す。あるいは獣医さんが「いやぁ、子育て放棄しちゃって」と勝手は判断をくだして引き離す。どんな理由があっても、たとえ死にいたったとしても、チンパンジーの子どもを母親や仲間から引き離してはいけない。彼らには親や仲間と過ごす権利がある。それを踏みにじってよいという権利は人間の側にはない。
 チンパンジーは絶滅危惧種だ。どんどん数が減っている。レッドリストに載っていて、絶滅が危惧される生き物を、ぺっとにしてはいけない。エンターテイメント・ビジネスに使ってはいけない。

引用ここまで・・・・・・・・・・・・「松沢哲郎著書 想像するちから」

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 松沢氏のこの著書の文章はどれもおだやかで冷静なものなのですが、上記に引用した部分だけには特別な強い思いを感じられました。

 動物の行動を面白おかしく笑ってしまう、犬に対してもそんなことが日常的に行われています。ブログでもインスタグラムでもユーチューブでも、人はいつも動物を笑いものにすることで自分たち人間が優位にたとうとします。自然を支配して動物を支配する権利までも得ようとするかのようです。実際ペットたちはそのような立場にあることを認めざるを得ません。しかし、その中でも自分の犬だけはと思うことができます。

 松沢哲郎氏は施設の中のチンパンジーを対象に研究をすすめられています。施設の中では自然の中に暮らすのと同じ幸せを得ることはできません。そのため、施設の構造そのものを工夫してチンパンジーがよりチンパンジーらしく生活していけるようにと改革をすすめられてこられた方です。
ペットとして迎えた犬たちにも同じような思いで、犬として生きることを一歩でも進めていこうという気持ちは間違いではないと勇気づけられます。

 この著書で知ったのですが、松沢氏は山登りが生活の一部で、年に120日間を山に登っていたということです。自然のなかで暮らす、そういう生活をしたいということも記されていました。その気持ちが哲学を目指していた松沢氏が心理学から人を解き明かす学問にふれ、結果、チンパンジーの研究施設にたどりついたというのです。松沢氏とアイの姿を見たときに、その中になんともいえない自然でつながる対話のエネルギーを感知できたのであれば、わたしもまんざらではなかったのかもと自分を認めてあげたい気持ちにもなりました。

 この本の中には、まだまだ犬との関係を深める話題があります。また少しずつ紹介させていただきます。

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グッドボーイハートお薦めのの本はこちらかもご覧いただけます。

グッドボーイハートの本棚

Posted in 本の紹介, 自然のこと

犬の衝動的な行動は危険であること:庭先に出現したウリボウを想う

今朝、七山校で窓を開けているときに、動物がまた栗を拾って食べている風景を見ました。

最近、落ちている栗やら柿などの食べ物を、いろんな野生動物たちが食べにきています。

最初は「ああ、また何か動物が来ているのね」と単純に思ったのですが、いつもと違う感じに一瞬注目してしまいました。
アナグマかと思ったその小さな動物の背中に、縞々の模様が入っていたからです。

窓の向こうにいた動物は、よく見るとウリボウでした。
ウリボウはイノシシの子供です。
瓜のような縞模様の柄をしているのでウリボウという愛称で呼ばれています。

ウリボウを見かけたらすぐに次のものを探します。
お母さんイノシシです。

ウリボウの柄がある年齢のときには、母親のイノシシといつもいっしょに行動しています。
ひとりで行動できるようになると、親離れをして単独行動をするイノシシ。
そのころにはこのウリ柄がなくなっています。

母親イノシシは5,6頭のウリボウたちを引き連れて行動しています。
移動の際には母イノシシを先頭しにして、一列に並ぶように歩いているのを見たこともあります。


この窓の向こうにいるウリボウは、母イノシシからはぐれたのでしょう。
この年齢で母イノシシの群れから離れてしまうと、ひとりで生きていくのは困難なことです。
それなのに、まだ母イノシシから離れたことを気づいていないのか、のんきに栗を食べています。


ウリボウがひとりで生きていけない理由は、自律に必要な学習を終えていないこと。
自分の身を守る防衛行動が不足しているために、他の動物に襲われやすいことです。
ウリボウを食べる動物は、タヌキ、イタチ、キツネ、トンビ、カラスと山の中にたくさんいます。

ウリボウが母イノシシから離れてしまった理由は、ただひとつです。

母イノシシが移動するときにそれに気づかなかったのです。
何かに夢中になっていたか、栗を食べるのに夢中になっていたのかもしれません。
もしくは、栗拾いをするうちに母イノシシから自分が離れた可能性もあります。

母イノシシは移動の際に多少はウリボウの集合を待ちますが、
すべてのウリボウを集合させることはできません。
なにしろ、1頭の母イノシシが数頭のウリボウを管理しているのです。

1頭の自分勝手な行動をするウリボウを捜していたら、他のウリボウまで危険にさらしてしまいます。

母イノシシの動きをよくみていなかった衝動的に行動してしまったウリボウは
そのまま置いていくことになるのです。

こうした衝動的なウリボウは、他の動物に食べられたり、餓死してしまいます。

そのためこうしたウリボウが子供を残すことはなく、この遺伝子は受け継がれません。


これが動物の遺伝の仕組みです。

動物はより安全に行動できる動物の遺伝子を、次の世代につないでいきます。
そうすることが種の継続につながるからです。
衝動的な動物は途中で死に絶えてしまうため、自然界では遺伝子を残せません。

厳しいと感じられるかもしれませんが、これが自然界の動物のしくみです。


そこで犬のことを考えます。

犬はとても衝動的に傾いています。

なぜなら、犬の繁殖には人の「好み」が反映されて人為的な繁殖がくり返されているからです。
純血種の犬は、まさにこの好みのために繁殖された犬たちです。

これらの犬は囲われた敷地や室内で飼うことを前提にしています。
衝動的であっても野生の世界のように、淘汰されてしまうことはありません。

人の好む犬の外見は、小さいもの、鼻の短いもの、脚の短いもの、毛質の異常なもの、大きすぎるものが
多くなっています。
これらの形質は犬という動物からはかなりかけ離れているため、遺伝的には非常に危険な濃い血液で作られています。
そのため精神的にも身体的にも、不健康な犬ができてしまいます。

本来の自然な動物であれば危険な衝動性も、淘汰されることなく犬たちの中に残されてしまいます。

犬は急に走り出したり、走り回ったり、とびついたり、ギャンギャンと吠えることが多くなりました。

めったなことで声を出したり急に走り出したりすることのない野生動物のような慎重さはなくなっています。

それだけに犬は自分では安全を確保することが難しくなっています。


犬を飼う人はこう考えるかもしれません。

犬は人に飼うために生まれてきた動物なのだから、囲いの中で安全であればそれでいいのだと。
犬は走り回ったり、とびついたり、ギャンギャンと吠えている方が可愛らしいのだと思うかもしれません。

犬の身になって考えるとどうでしょうか。
環境の変化に驚いたり敏感になったり、ストレスを抱えやすくなっている犬の立場に立ってみます。
衝動的な行動がくり返されて学習行動となり、いつも脳がハイになっている犬の立場に立ってみます。

やはりこれは、とても大変な生き方になってしまうと思うのです。

すでに繁殖されてしまい生まれてしまった犬たちには、
少しでも環境整備を通して、落ち着きを取り戻すための方法を身につけていってください。
それが犬のストレスを軽減させる方法であり、犬が安心を獲得する方法です。

これから犬を飼う方には、興奮しやすく衝動的な犬ではなく、落ち着いて自律する力のある犬を求めて欲しいと思います。

繁殖をする側は、犬を飼う人が求める犬を繁殖させているだけです。

興奮しやすく衝動的な犬は、走り出したり突然攻撃したりします。
よく吠えたり奇声を発したりします。

こうした犬を迎えて悩んでいたとしても、それを繁殖した方のせいにしても何も変わりません。


人為的な繁殖による犬の内的な質の変化について、犬を求める飼い主の方々もいっしょに考えていただければと思います。


dav

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