グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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動物園の取り組みから学ぶ「“さわる”ふれあいを“学ぶ”ふれあいに変える」こと

ライオンを飼育しない動物園

先日動画配信サイトで南海チャンネルの制作した動物に関する番組を見て感じたことがあります。

番組名は「#7どうぶつたちの“幸せ”の先に」というものでした。

動物福祉をテーマにして動物園や畜産業の現場を取材したもので普段から動物福祉を考える立場の自分にとってはとても興味深い内容でした。

動物福祉とはなんぞやを簡単に述べるなら「動物の立場に立って考える」ということになります。

番組の取材先は愛媛のとべ動物園と京都市動物園でした。

どちらの動物園でも「動物が本来の性質を発揮できるように」という取り組みをしているということでした。具体的な取り組みとしては、京都動物園ではライオンを飼育しないという方向に転換したそうです。

なぜライオンを飼育しないのかというと、ライオンは群れで暮らす習性を持つため動物園ではそれに必要な環境を整備できないということでした。

この話を聴き、オオカミも群れで暮らす習性を持つ動物なのだから、それについてはどうしているのだろうという疑問が生じました。

調べてみると次のようなコメントが出ていました。

御意見箱に寄せられた御質問への回答 H30.9.24~H30.10.26
249
Q.オオカミはなぜいないの?
A.現在,動物園では約120種の動物を飼育しています。過去には 200種を越える動物を飼育していましたが,「動物福祉」の観点から飼育環境の改善,「種の保全に力を入れるための 選択と 集 中の考え方から,一部の種について飼育展示を止めるという判断をしています。オオカミもその一種で,“見たい”との御要望に添えないことがございますが,御理解下さい。

【飼育を止めた動物種の例】
アシカ コンドル オオカミ ビルマニシキヘビ ホッキョクグマ

たくさんの人が訪れる、特に子供たちが教育の場として利用する動物園でこのような取り組みが行われていることに感動しました。

動物た見たいという子供の気持ちに対して見たい動物がなぜそこにいないのかという理由を伝えることで、子供たちが動物の立場に立って考えるという視点を学ぶことができ、さらに「オオカミやライオンは群れで暮らす動物なのだ。」ということも学ぶことができるのです。

 

ふれあい教室をふれる場から学ぶ場へ

さらに京都動物園ではふれあいのルールを見直す取り組みがなされているそうです。

子供たちの“ふれあい”に使われていた動物はテンジクネズミです。これまでは子供たちが抱っこしたりなでたりするいわゆる“ふれあい”をしていたものを、動物福祉の考えから大きく転換させていました。

それは、従来の「さわる」ふれあいを止めて、ふれあうということを学ぶ空間に変えるという素晴らしいものでした。このふれあい教室では、子供たちがものを使ってテンジクネズミの飼育環境を考えながら空間を作っていくという取り組みをされているのです。

「さわる」ふれあいを「環境を考える」ふれあいに変える。

さわれないではふれあいにならないではないかと考えるのは大人の発想です。

映像に映る子供たちはテンジクネズミを観察しながらどのような空間をテンジクネズミが受け入れるのかを楽しむようにトンネルをつくったり隠れ場所を作ったりしています。

本来のふれあいとは触ることではなく、相手の立場に立って考えること、まさに動物福祉の視点に立つことこそふれあうことの原点だということを証明してくれるものでした。

 

犬の飼い主は誰よりも強く犬の幸せ(福祉)を望んでいるはずです。

ところが飼い主の多くは犬の幸せは飼い主や他人に撫でられたり触られたりすることだと勘違いしています。

犬の立場に立って考えて下さいといったとしても、犬がなでられることが一番大切だと信じて疑わない人がたくさんいますが、質問を変えてみましょう。

犬の福祉(幸せ)を考えるなら、犬が本来の性質を発揮できるようにするために何が必要かを考えて下さい。

先程のふれあい教室のテンジクネズミたちですが、「さわる」ふれあいを止めたことでテンジクネズミの診療が減少したそうです。

触られることがテンジクネズミたちのストレスや病気に繋がっていたことがわかります。

本来は人に触られるとストレスを感じる動物を、さわる「ペット」という道具にしたものが一部の愛玩犬です。

ですが犬を愛する皆さんなら、犬を触る道具として必要としたとは思えません。

犬が本来の性質を発揮できるために何ができるかを考える、これが犬の福祉(幸せ)を考えることです。


 

 

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脱走したアールのルートを特定。動物の行動観察に思い込みは禁物。

先日のブログ記事「ヤギたちの飼育小屋をめぐる様々ないきさつと事件から学ぶ動物のこと」の後編です。

 

柵から脱走したアールの脱走ルートを探る

新しいヤギの小屋を囲む柵から脱走を繰り返すアール。

脱走を阻止するために柵を強化するわたしたち管理者(私とダンナくん)とアールの戦いを終わらせるために、脱走ルートを特定することになりました。

最初はゼットを柵の外に出してアールを柵の中に入れればそのうちにアールが脱走するはず、という作戦を立てました。

柵の中のアールの様子を少し離れて見守り続けましたが、アールは脱走を実行しません。

犬であれば人から観察されている気配を察知すればおとなしく、人の気配がなくなってからルールを破るということはよくあることです。

ヤギが犬ほど賢い動物なのかは不明のため意外と簡単に脱走するのではないかと軽く考えていましたがヤギも警戒はしますので、このトラップ作戦が成功するには時間がかかりすぎると考えて断念しました。

次の作戦は道具。人間の素晴らしいところは様々な道具を開発して使えることですからこれで動物との闘いを終結させます。

今回は野生動物の行動を知るために活用している録画機材を使用しました。

昼に設置して3時間程度でちりんちりんという鈴の音がします。アールのつけている鈴の音です。

見に行くとアールが柵の外に出ていました。作戦成功。

録画を解析すると、なんとアールは柵の下をくぐって外に出ていることが分かりました。

 

思い込みが解決を遅らせるという基本に戻る

アールの脱走で柵を強化するために柵の上を高くすることに集中してしまいました。

柵を飛んだかくぐったかを話し合った結果、飛んだ可能性が高いと思う理由があったのです。

理由1、アールは脱走しているのにゼットは脱走していない。

くぐったのであれば、なぜアールは脱走したのにゼットは脱走しなかったのだろうか。

アールがくぐったところからゼットがくぐろうとして鳴いているという行動はありませんでした。

アールが脱走したあともゼットは小屋の中から動いておらず、うろうろする様子もありません。

犬だったら、どちらか1頭がくぐれば残された1頭もくぐろうとするはずです。特に2頭が常にいっしょに活動する群れ状態であれば行動を共にしようとするために残された者が追う行動はでるはずだと考えました。

またアールがゼットよりも4キロほど体重が軽いです。

そもそもの跳躍力はアールよりもゼットの方がある傾向が強かったこともあります。

アールが飛べてゼットが飛ぼうとしなかった、だから柵を飛び越えたのだと仮定しました。

理由2、柵から出たアールが新小屋に戻れずに旧小屋に戻っていた。

4回ほど柵の中から脱走したアールは古い小屋の方に帰巣していました。

脱走したのは人の気配のない夕方以降が多かったことと、雨が降り続いたため脱走したアールもなんらかの形で小屋に戻りたかったのでしょう。

しかしアールが戻ったのは新小屋ではなく旧小屋です。

新小屋を出たのに旧小屋にもどったのはなぜか。

もし柵をくぐったのであれば同じ場所を逆からくぐれば新小屋に戻れたはずではないか。

アールが旧小屋に戻ったのは、柵を超えたからだと考えたのです。

急斜面の山に囲まれた場所ですから、柵を超えた場合に逆から同じ場所の柵を超えようとしてもジャンプする位置は低い場所から高い場所へ飛ぶことになり成功する可能性は低くなります。

そのため、アールはくぐったのではなく柵を超えたのだと考えました。

理由3、思い込みが見方を狂わせてしまう。

動物の行動を観察したり評価したりする過程で一番やっかいなのは「思い込み」です。

動物はこうであるとか、このような行動パターンがあるなどという思い込みが一旦強くなるとそれを強めようとする考えが次々と浮かんできます。

そして、別の行動が起きたという可能性を否定する案も勝手に沸いてきます。

例えば、アールがもしくぐったとしても体があまり汚れていないとか、怖がりのアールがくぐるはずがないといった考えがアールが柵をくぐったのではないかという案を否定していきました。

ところが、動画ではアールが柵を揺らすようにくぐっている映像が撮影されていました。

かなり強く押さなければ通れないような小さな穴をアールは押して通ったわけです。

アールの性質や行動パターンを含めて脱走ルートを考えたはずでしたが結果は負けでした。

行動のパターンや習性は行動を理解したり予測するために十分な武器にはなりますが、思い込みは決して良い結果を生みません。深く反省です。

 

私たちの知らないアールとゼットの関係性

そして、私たちはまだアールとゼットについて十分に知らなことがたくさんあるのだということを教えてもらいました。

いつも共に行動をしているアールとゼットですが、ここ数ケ月はフリー活動するゼットがアールから結構離れていることもありました。

と思っても、アールを小屋に戻すと走ってくるゼット、やっぱり2頭は仲良しなのねと思っていたのです。

しかし、柵を強化させてゼットの待つ新小屋にアールを戻したところ、2頭は激しい頭突きあいを始めました。

アールが柵から脱走したのにゼットがなかなか出ようとしなかった理由は、ゼットがくぐるには穴が小さかったという理由とは別に、ゼットは新小屋を自分のものとするために必要以上に出る行動をしなかったとも考えられます。

2頭は群れであり仲良しであるはずですが、力比べやテリトリー争いには非常に厳しいものがあります。

群れの中の闘争行動はポジショニングのために大切な社会活動であることはヤギでも犬と同じであるということのようです。

ヤギのアールとゼットにいろんなことを学んでいます。

 

動物の行動は、その種の動物の習性を調べたり理解することとは別に、動物と動物の違いと類似を比較することでよりその理解を深めることができます。

ヒト、イヌ、ヤギはみな哺乳動物であると同時に社会性の高い動物であることで似ています。

イヌとヤギは人に家畜化された動物ということで似ています。

「似てる」と「違う」を探す毎日。

動物との暮らしは学びがいっぱいです。

右がアール、左がゼット。新小屋の上で。



でも脱走は困るので、今後はほどほどにお願いしたいです。

頭突きで喧嘩するアールとゼット。



関連記事:ヤギたちの飼育小屋をめぐる様々ないきさつと事件から学ぶ動物のこと

Posted in 山羊, 自然のこと

ヤギたちの飼育小屋をめぐる様々ないきさつと事件から学ぶ動物のこと

ヤギのアールとゼットが今年の4月に1歳を迎えました。

ここ最近、アール&ゼットというヤギたちから学ぶことが多く、一旦ここにまとめ記事として記録させていただきます。

今まで、子山羊たちが毎日草を食べながら成長する姿を微笑ましく見守っていたと言いたいところですが、そんなに平穏なことばかりでもありませんでした。

最初は可愛らしくよくメーメーとヤギらしくないていたのですが次第になくことも少なくなり、今年に入ってアール&ゼットが青年期を過ぎるようになると2頭の活動は日ごとに広がっていきました。


一時期は2頭をフリーにしていてもちゃんと夜になると巣となる山羊小屋に戻っていく山羊たちに「ヤギは案外賢いね~」と関心していたのもつかの間、ついに2頭は彼女たちのメンタルマップ(脳内にある活動マップ)を超えて、七山のこの巣から佐賀大和方面へのガードレールのある車道をまっすぐと進んでいってしまい、たくさんの目撃情報が入ったことで捕獲に行かなければならない事態が起きました。

その後は周囲のご迷惑もあるため慎重にしていましたが逃走の傾向の強いアールの方はなかなかフリーにすることができず、ずっと係留せざるを得ない状態になりました。

色の濃いゼットの方はアールよりも逃走傾向が少なく、明らかに姉妹ヤギであっても資質の違いを感じました。犬に対してもすぐに逃走するアールに対して、頭を突き出して自分のテリトリーを主張するゼットは安定した行動を見せるようになり、その変化についてはまた別の記事としてまとめたいと思います。

結局、ゼットは常にフリーでも逃走することもなく安定した行動をするが、アールは常に係留されておりストレスが強くなっていると感じるいろんなことがありました。

石の上がお気に入りのゼット



アールになとしてでも自由時間を作ってあげたいと思い、ダンナくんともよく話し合って二つのことを計画しました。

プランA⇒今ある小さな山羊小屋は狭くて雨に耐えられないため、新しい山羊小屋を作る。

プランB⇒新しい山羊小屋を囲む柵を作って、アールとゼットをフリーで入れられる場所を作る。

プランは立てたので早速実行です。

新山羊小屋を作るダンナくんとそれを見守るゼット



いつもは計画にものすごい時間を費やすダンナくんですが、今回は梅雨入り前に山羊小屋を完成させるのがプランAの時間制限だったため猛スピードで山羊小屋を仕上げていきました。

プランBの方は私が担当しました。

もともと最初の山羊小屋を作ったときにも小屋を柵で囲ったのですが、なんどか柵の隙間からまだ小さかったアールとゼットが逃走したことがあって柵作りを諦めていたのです。

その後、フリーでも巣となる小屋に戻ることがわかったが逃走が激しくなり係留にいたったため、今回は木の柵の内側にイノシシ用の鉄製の網を張り巡らす二重の柵として作りました。

小屋も柵も完成してやっと2頭を柵の中にフリーいれてホッとしたのが数日前のこと。

ですが昨日、なんとアールが柵を超えて外に出てきたことが数回続いたのです。

アールは夜の間に柵から出て、柵の中の新小屋には戻ることができず、柵の外にある旧小屋で雨をしのいでいたのです。

柵は私が作りました。高さもかなりあるしジャンプ台になる足場的なものも取り払ったはずなのですがどこから出たのかを検証しました。

くぐれる場所はないので、出たとしたら柵を超えたはずだと判断します。

しかもアールが出ているのにゼットは出ていないのなら、ゼットはアールよりも4キロほど大きいので跳躍の高さならアールの方があると思ったからです。

ならばと柵の低そうなところをさらに高いイノシシ網で囲って、足場になりそうな木を撤去して「これで大丈夫ね」と安心して部屋に戻りました。

夕方、雨模様でかなり薄暗くなるとテラスにいた小鉄くんがウーと唸る声、そしてちりんちりんとアールのつけている鈴の音がとても近くに感じます。

「アール出たかも…」とダンナくんと顔を見合わせてしまいました。

下からライトで照らすと、新小屋には山羊の目ふたつ、そして旧小屋に山羊の目ふたつ。

上がゼット、下がアールです。

頑丈につくった柵のどこから出たのか今でも不明ですが、こちらの想像を超える行動をしてくれるアールにしてやられた感じです。

ですがアールの方も出たはいいけど戻れないということで、雨を防げる新小屋に戻ることができず、雨が入ってくる旧小屋にいる選択が不思議でもあり納得いくでもあり、面白い動物だなと楽しくなりました。

アールがどこから出たのか、古畑任三郎さんに聞いてみたい気分です。

Posted in 山羊, 自然のこと

ヤギのゼットが蛇に噛まれて負傷した。自然の中に生命力を感じたこと。

ある日の夕方、ヤギのゼットがいつも出さない声を出しているのを聞いて、ダンナくんが様子を見にいきました。

ゼットは鼻から出血しており最初は何が起きたのか分からなかったのですが、どうやら蛇に噛まれたようです。

激しく鳴き体をゆする様子からして、ゼットに噛みついた蛇は毒を持っている蛇である可能性も高いです。

アールの方は平常なので伝染病ということはないかと思いましたが念のため家畜保健所に問い合わせて状態を説明しました。

獣医師の先生は、蛇である可能性が高いが心配だったら連れて来られたらどうかとのことでした。

自然界に存在する動物から攻撃に対してヤギたちもある程度の免疫は持っているはずですが、「見ていられない」というダンナくんが軽トラに乗せて家畜保健所に連れていき診療を受けて戻りました。

傷を見てもらったところやはり毒蛇、おそらくマムシであるだろうということになりました。

帰宅したゼットはよろよろと自力で歩きながら小屋の中に入っていきました。

それから次の日も次の日もまた次の日も、ほとんど動くことがありません。

2回ほど小屋から出たところで地面に伏せていて、帰るときには補助をしたり。

小屋に自分から戻った様子だが頭を奥に向けたままで、回転できない状態で倒れているなどでした。

それでも時間がたつとなんとか頭を小屋の表側に向けており、ゼットにできるのはそれだけで、もちろん草など食べることなどできません。

マムシに噛まれて動かないヤギのゼット



細い顔が真ん丸になってしまい、目を開けると瞳孔も開いているので黒目が丸くなっています。

「ゼット、大丈夫…」と頭を触っても動くこともありません。

事件があってから3日間全く動くことがなかったヤギのゼットを見守り続けました。

そして4日目の朝、ゼットが小屋から出て草を食べている風景を見ました。

脚はよろよろ、少し収まったかのように見える顔はまだ腫れています。

草を食べていますが上手く食べられないのか食べこぼしたりむしるのにも時間がかかっていました。


それでも淡々と草を食べ続けているゼットを見てホッとし、また偉いなと関心していました。

誰かにすがったり頼っても解決することのない自分の問題を自分だけで抱え、ひたすら耐えて3日間を過ごし、完全いに回復していないのに自力で草を食べ始める。

動物としては当たり前のことなのでしょうが、騒ぐことに慣れている人間のひとりとしては動物の強さを感じる出来事でした。

何としても生きようとする力がこれだけ発揮されるのは、常に自然の中にあっていろんな生き物と対立したり闘争しながら過ごしているから、生きているのが当たり前ではないからかもしれないと思えました。

人に家畜化された動物であるヤギ、でも私たちが与えているのは小屋と塩だけです。

ちなみに、ゼットといつも一緒にいる姉妹ヤギのアールのこと。

ゼットが瀕死の状態にあることでアールも少しダメージを受けるのではないかと観察を続けましたが、アールの方はいつもと変わりません。

ゼットがずっと小屋から出なくても寄り添うこともないし、ゼットに気遣う様子もありません。

山羊たちの間には共感はきっとあるのでしょうが、人のような感情移入がないようです。

この感情移入こそ人と犬の関係を難しくする人の性質ですから、ある程度にとどめておかなければいけません。

ご心配や応援のメッセージを寄せて下さりありがとうございました。

ゼットの完全回復まであと少しです。

マムシに噛まれた後、回復したヤギのゼット



 

 

Posted in 山羊, 自然のこと

今日はジェーン・グドール博士の生誕90周年記念でした。90歳おめでとうございます。

今日、パソコンの左下のウインドウズの検索ボックスに、変わった絵が表示されていました。

シルバーカラーの長い髪の毛の女性とチンパンジーの絵。

間違いない、これは絶対にあの方のイラストだと確認してそのボタンを押しました。

リンクしたページは「ジェーングドール生誕90周年」でした。

今日は私の尊敬するチンパンジー研究の第一人者であるジェーン・グドール博士のお誕生日だったのです。

このブログ記事でも「ジェーン・グドール」と検索したら8件くらいの記事にその名前が登場するくらい、動物行動学者として心から尊敬している先生です。

世の中には動物のことが好きだという方がたくさんいらっしゃると思います。

テレビの動物番組を欠かさずに見て、YouTubeで動物の映像を毎日見て癒されている方も多いことでしょう。そして犬を動物として愛して止まない方もたくさんいます。

でも、ジェーン・グドール博士のことをご存じの方はどのくらいいるでしょうか。

博士の功績についてはネットから情報を得ることができますし、いくつかの読みやすい本もあります。

野生のチンパンジーたちの研究を重ねながら彼らの森が失われていくことを知って、私たち人が自ら考える機会やヒントをいくつも下さいました。

犬とチンパンジーは全く違う動物ですし、家畜化された犬と野生で暮らすチンパンジーを安易に比較することはできません。それでも、動物との距離感や動物を愛するとはどのような事なのかをグドール博士から学ぶことができました。

グドール博士はひとりひとりが実践するという希望の種を撒こうと現在でも活動を続けていらっしゃいます。

自分にできることは限られているけれど、動物がそばにいる限り、学び実践することが生きることそのものであると思っています。

いつも一緒に学んで下さるグッドボーイハートの皆様には改めて感謝の気持ちを込めながら、何度も初心に戻って学び続けます。

Posted in 日々のこと, 自然のこと

自然の中で長く過ごすと、知覚が鋭敏になること。

年末年始と唐津市のオポハウススクールで過ごす時間が長くなりました。

山の暮らしから都会の暮らしへと移ったときにいつも感じることがあります。

 

山での生活で味覚の変化を感じる

久しぶりに福岡に戻ってほっと一息で癒されるのはずのコーヒーが本当に不味い。

これは、福岡と七山(唐津市内の山)の二拠点生活の中で、山の滞在時間が長くなると毎度起きることです。

実は、ダンナくん(私の主人の愛称)もこうした話をしていないのに同じような経験をしていました。

「福岡に帰って紅茶を飲んだら不味いんよ…。

それで、開封した紅茶がダメだったんだと思って新しいのを開けて飲んだんよ…。

それでもやっぱり不味いんよ…。

で、水や!って気づいたんよ。」

という事ことがありました。

ただ、水が違うだけで美味しいか不味いかが分かれるなら水だけの問題なのですが、これがそれだけでもないのです。

水の違いだけでないのです。自分の舌が違いのわかる舌=味覚になっているのです。

博多で食べておいしいと思えるものが、七山では不味いと感じてしまうのです。

例えば、博多では食べられるインスタント食品が山では美味しいと感じられません。

山にいるときにはどんどん食事がシンプルになっていきます。

普段からごはんとお味噌汁とお豆腐で、と言ってるのもまんざら楽したいだけではないようです。

 

他の知覚よりもわかりやすい味覚の変化

山暮らしで変わっていく知覚についてですが、感覚的に一番はっきりと表れるのは「味覚」です。

接触行動は大脳の辺縁系が関与する原始的行動なので、最初に変化するのが味覚なのかもしれません。

もしくは、私たち人間が味覚以外の知覚が動物に比べて能力がなさすぎるという理由もあるのかもしませんが、いずれにしても味覚の変化は七山滞在時でもはっきりとわかります。

人工的な味付けのものを美味しいと感じられなくなり、味覚のごまかしがきかなくなってきます。それで、どんどんシンプルなものを食べたくなります。

個人的にはもともとその傾向が強いのですが、さらに加速していきます。

実際に変化しているのは味覚だけでなく、他の知覚も鋭敏になっている気がします。

 

嗅覚や視覚、触覚も鋭敏化する

空気がきれいな山の中ではにおいに敏感になります。

都市空間だったらつねにガスや食べ物や人工的な芳香剤のにおいがするため、臭いに鈍感にならなければ生きづらくなります。

ですが、山は土や草のにおいばかりですし空気の流れで常ににおいが流れていきます。

こんな透き通ったにおいの空間では、少しににおいにも敏感にならざるを得ません。

視覚も変化していきます。

常に視覚を遮られる状態で遠くが見えない都市空間と違い、遠くに動いているものもすぐに気づけるようになります。

さらに、ライトにさらされて鈍化してしまった視覚も、太陽の光や影に敏感になります。

肌の触覚にも変化があります。

ポリエステルなどの化学繊維に対して敏感に反応するようになります。拒絶感が強くなるのです。

鈍感な人間でもこれほど知覚に変化があるのですから、犬だったらもっと変化するはずです。

知覚が鋭敏化するというよりは、本来の状態に戻っているような気がします。

 

犬の知覚センサーが正常化するとどうなる

自然環境に暮らし始めると知覚が変化するということが犬に起きると、犬はどう感じるようになるでしょうか。

ジャンクなドライフードを美味しいと思わなくなるか。

洗剤のにおいに違和感を感じるようになるとか。

犬に尋ねてみないとなんとも言えません。

しかし冷静に考えてみるば、知覚の正常化は脳の正常化です。

正常になる、機能性が高まるというのに悪いということはないはずです。

犬の鋭敏な感覚は都市空間では時として邪魔になることがあるかもしれませんが、それが犬という動物だということを知って受け入れるということの方が重要性が高いのです。

要するに、犬がまともになる空間にできるだけ一緒に出かけましょうねということです。

寒い冬の季節ですが、山の空気は夏よりもずっと透明です。

ぜひこの季節も犬と山にお出かけ下さい。


 

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都会暮らしの犬の日常に「自然と暮らす」を取り入れるために山を借りるという選択。

グッドボーイハートは「自然との調和を目指す」をテーマにしています。

なんだか壮大なテーマですが、簡単に言えば「犬と人が自然の中で過ごす時間を増やしましょう。」ということです。

犬と自然の中で過ごす理由はたくさんありますが、一番の理由は「自然の中の犬は特別」だからです。

私も一飼い主として犬のオポと都心で暮らし始めたとき、まだ子犬だったオポを連れて山や海に出かける時間を大切にし、時間のある限り出かけていました。

犬には自然が大切なのだと頭で考えたのではなく、犬が山で過ごしているその表情や行動の輝きを見て、単純に犬は自然で過ごすのが心地よいのだと感じたからです。

その思いは家庭訪問クラスの中でもあふれて出ており、これまでにもたくさんのグッドボーイハート生の飼い主さんたちが犬と共に、山へ出かけて下さいました。

休日に山歩きを趣味にしている方

犬とのキャンプを始めた方

そして、中にはこんな新しい取り組みに参加された生徒さんがいらっしゃったのです。

オポ広場で対面するヤギのゼットとシュナウザーのきいろちゃん



その生徒さんは休日に犬といっしょにキャンプに行かれていたのを知っていました。

キャンプ情報としていろいろと教えていただいたこともありました。

「今度はどちらのキャンプ場にお出かけですか?」とレッスンのときにお尋ねしたところ

「実はわたしたち今…山を借りてるんです。」と。

山を借りている…?

ああ、お知り合いの方が山を持っているのだなと勝手に想像を始めたのですが、全く違う内容でした。

その生徒さんが借りている山というのは「フォレンタ」という事業による年間契約の山の賃貸だったのです。

貸農園の山バージョンのようなものです。

山の一角のスペースをレンタルしていて、ルールにのっとれば開拓や焚火やキャンプなどもできるということでした。

人が入らなくなって荒れ果てた里山をこのような事業を通して活用するとは、なんとも楽しいことです。

自分たちの都合でいつでもその「貸山」に出かけてゆっくりと過ごすことができる時間。

キャンプ場では落ちている木を動かしたり環境を変えていくことができませんから、キャンプ場とはまた違った活動ができます。

山の整備をする時間、同行している小型犬ちゃんは飼い主さんについて回り活動を楽しんでいるということでした。

山仕事をする飼い主さんを見守る犬の姿を想像するだけで楽しくなってしまいました。

里山には人が入らなくなり荒れ果てています。

人と山を繋ごうという新しい事業があることを知って未来への希望が広がりました。

近頃は若い世代の方々はマイカーも持たない時代ですが、そのかわりレンタカーがあります。

同じように実家が里山でなくても、山のレンタルがあるなら使う方はもっといるはずです。

使っていない山を貸したいという方もいらっしゃるでしょう。

日本の素晴らしい国土が生きを吹き返し犬と飼い主の安心して過ごせる場所が増えますように。

森林レンタル=フォレンタのホームページはこちらです。

森林レンタルサービス forenta

 

 

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動物を人に慣れさせる方法について「餌づけ」から「人づけ」へ

野生動物と「餌づけ」・「人づけ」

動物を人に慣れさせる方法として「餌づけ」という方法があります。

野生動物に対する「餌づけ」法は、古い時代から使用されていたようですが、次第にその方法は「人づけ」という方法に変わっていきます。

 

人づけ法でチンパンジーと交流した女性

人づけにより野生動物との関係性を深める方法をいち早く実践していたのは、私の尊敬する師、ジェーングドール博士であると私は信じています。

ジェーングドール博士は1960年からチンパンジーの研究のためにアフリカの奥地に暮らし、毎日チンパンジーの活動するテリトリーを訪れて観察を続けることでチンパンジーを理解しながら動物の警戒心をとき、チンパンジーとのコミュニケーションを実践した女史です。

京都大学名誉教授でゴリラ研究で著名な山極壽一博士によると、アフリカ大陸の内戦などの影響で一時研究が閉ざされていたのちに、山極博士がゴリラ研究を再開し始めたときにはすでに、「餌づけ」法から「人づけ」法に変わっていたと言われています。(※参考文献「僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう(文春新書発行)」

山極先生は、ジェーングドール博士をアフリカに派遣したリーキー氏がゴリラ研究を依頼したダイアン・フォッシーという女史に学んだということですから、人付け法はジェーングドール博士やダイアンフォッシー博士などの影響を強く受けている流れだと考えています。

 

餌づけが動物に与える影響について

餌づけは人に慣れていない動物を人に近づける簡単な方法ではありますが、それにより動物本来の生態に影響を与えてしまいます。

また、餌づけによって動物が人に対する執着をするようになり、動物と人の関係性に強い影響を与えます。

執着によって引き起こされる影響とは、動物が人が好きになるといったファンタジーな話ではありません。

餌づけされた動物は人を感知すると食べ物を連想するようになり、ドーパミンを放出するようになります。

人が動物の興奮性や快楽性を操作する刺激となってしまうため人に依存する関係になります。

野生動物の習性を知るために動物を観察することが目的の類人猿の研究にとって、餌付け法は効果がないばかりでなくデメリットが多い。

時間がかかっても確実にその動物の習性や知性を引き出すことのできる人付け法が効果が高いということを、ジェーングドール博士やダイアンフォッシー博士らの研究者が実践したのではないでしょうか。

それに、研究結果として得られた内容よりも素晴らしいことは、博士たちがチンパンジーやゴリラとうちとけていったひとつひとつの出来事を生んだ過程にあったはずです。

逆を言えば、チンパンジーやゴリラといった野生動物にとって人という動物がどのように認識されていくかを考えるとどちらが歴史的に重要であるかの答えは簡単です。

 

犬と餌づけの話

犬は野生動物ではなく人に飼われる動物です。

少なくとも日本では、人に飼われていない犬の存在は許されていません。それは狂犬病予防法という法律によって、すべての犬は人の管理下にあることを法律で定められているからです。

ところが犬の中には、ノヤギならぬ野犬(やけん)という犬がいて、人の手を離れて暮らす犬が、里や山や都市空間の中にもいます。

野犬には現在でも多くの餌やり活動をする人間がいて、餌付けによって生活をしています。

餌づけは野犬を生かすためだけでなく、野犬を捕獲する方法のひとつとしても用いられています。

ですが餌付けはコミュニケーションの方法ではありません。

人に近づいてきたところを捕獲するためのひとつの方法です。

餌づけによって犬が人に馴れることはありません。

距離が縮まるということと信頼関係を作ることは全く別のことです。

犬との信頼関係をつくるために食べ物は必要ありません。

必要なのは観察、時間、環境、継続、熱意。

そして仲間も大切な存在です。

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「奈良公園の鹿は野生動物」に納得できない理由

奈良公園の鹿の扱いが問題になっているというニュースを見ました。

天然記念物として観光の目玉になっている奈良公園のたくさんの鹿。

しかし、中には農作物を荒らしたり人に攻撃する鹿も出てくるためそれらの「問題のある鹿」は、保護施設となる「鹿苑」という特別柵の中で管理されているという映像と説明をニュース番組で見ました。

その鹿苑の鹿たちの扱いについて内部告発的に訴えが上がり、奈良市が調査に入ることになったそうです。

奈良県のホームページには「奈良公園の鹿は野生動物です。飼育されている鹿ではありません。」とはっきりと野生動物宣言がされています。

ですが、これはあまりにもわかりにくいことです。鹿せんべいを食べる「餌付け」された鹿で、人に対して害を及ぼすものを保護するというのです。

保護された鹿苑の鹿たちは完全な飼育下にある鹿ですから、鹿苑の鹿は野生動物ではありません。

「奈良公園の鹿は餌付けされているのになぜ野生動物なの?」と意見する私に対して、奈良県出身のダンナくんは「歴史があるからしかたないやん」と身内発言でガードしグッドボーイハート内討論は発展しませんでした。

奈良公園の鹿は公園内の草木を食べているという説明となっていますが、鹿せんべいを人からもらって餌付けもされており、せんべいを見せるとお辞儀をするという条件付けから発生した行動のパターンまで身に着けています。

野生動物は餌付けによって人に近づくようになることは、動物と人との長い関わりの中で明らかです。

野生動物をもっと近くで見たい、触りたい、餌を与えたい、仲良くなりたい、といった人間の好奇心や愛情欲求を満たしてくれる最も簡単で時間のかからない方法が、動物に対する餌付け行動、です。

鹿せんべいを与えないと公園の草木では鹿の食べものが賄えないということと、観光地として訪れる人が喜ぶというふたつの理由によって鹿せんべいによる餌やりが始まったでないかと想像しています。

餌付けによって動物は人に慣れていきますが、同時に執着もはじめます。

餌付けによる執着行動は攻撃行動にも発展していきます。

奈良公園の鹿の中に人を攻撃する鹿が一定数出てくることは当たり前のことなのです。

 

私の身近にいる仔山羊のアールとゼットは、全く餌付けをしていません。

人から食べ物をもらうことはありません。

一日中山の中を歩きながら、庭を歩きながら、ずっと草を食べ続けています。

冬になったら枯草を買ってきておいておく必要があるかもしれません。

しかしそれすら、手で与える必要はありません。

食べ物で慣れさせてはいませんが、仔山羊たちは人に慣れています。

人という動物を良く知っています。

ですが山羊は「家畜化」という歴史を通して大昔から人が飼って利用してきた家畜動物です。

野生化した山羊(ノヤギ)は世界的にあちこちにいるようですが、野生として生存し続けている山羊が今なおいるのか、少し調べてみましたがわかりませんでした。

話が山羊にそれてしまいましたが、動物を人に慣らす方法は餌付けだけではないという風に話を続けます。

オポハウスの仔山羊「アールとゼット」



 

次のブログ記事→動物を人に慣れさせる方法について「餌付けから人付けへ」

 

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秋のはじまりもやっぱり犬との山歩きをしよう。山という環境が犬と人に与えてくれるゆっくりとした時間に感謝。

彼岸花にクロアゲハが立ち止まる季節となって、ようやく山の学校にも冷たい風が吹き心地よさを体感できるようになりました。

これから一番楽しい山歩きの季節がはじまります。

この季節にトレッキングデビューできる犬たちはラッキーです。

犬との山歩きクラスについて「何の目的があってやっているのですか?」と尋ねられることがあります。

目的と聞かれると少し返答に困るのですが、犬との過ごす時間の使い方として絶対に外してほしくないことが山歩きなのだと言ったらよいでしょうか。

犬が人と山を歩く行動は非常に原始的なもので、同時に非常に多い経験として脳内に刻み込まれているはずなのです。

犬と人が出会ったのも山だったはずだし、犬と人が協力して活動するようになったのもそもそもは山であるはずだからです。

その山歩きという空間の中では、犬も人も最大限に使わなければいけないのは体全体です。

表面的な刺激に対してただ反応する脳の動きを止めて、一歩一歩踏み出す脚に注意を払うこと、鼻先を通り過ぎる風のにおいを嗅ぐことなど、山の中でもっとも優先させるべきことに集中して歩きます。

犬と暮していると犬が暇していて可哀そうだと思い、室内空間でたくさんのオモチャやオヤツを与えたりゲームをしたり、撫でたり触ったり、抱っこしたりして過ごすことが増えてしまうかもしれません。

しかし、それは犬本来の活動とはいえないのです。

室内でしか過ごす経験がない犬たちが繁殖を重ねていき、犬という動物が次第に自然の中から遠ざかっていくのが時代の流れかもしれませんが、犬が山の中で活動する姿をわたしは自分が死ぬまでは見ていたいなと思うのです。

ほんの数千坪しかない山の学校の敷地でも、仔山羊のアールゼットのお世話や犬たちの活動に付き添うとかなりの上下運動を必要とします。

博多の家だったらどんなに歩き続けても平らしかないはずなのに、山の空間には平らという場所がそもそもありません。

小さいころから都会育ちの私の体には大変なことも多いですが、俊敏な犬や山羊に負けないぞという気持ちで山歩きを楽しんでいます。

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