暖かくなったり、肌寒くなったり。
鳥の声が響き渡りカエルの合唱が川ではじまった。
毎日あきることのない変化というものを楽しめる季節、春・・・もう終わりそうだね。
先日テントクラスに参加した生徒さんから、こんな話を聞いた。
「テント場の近くに枯れ木があったのでテントの上に倒れないように倒そうと思ったんですけど
途中で別の木にひっかかってしまったんです。
先生とオポさんが歩いているときに倒れなければいいけど・・」
ふむふむ。
倒れ掛かっている木など山の中には何本もあるから、いちいち頭上をみながら歩いてはいないけど
人が倒した木となると、いつ倒れるかわからないものね。
そんなコメントをいただいた日、早速オポと山に入った。
驚いたことに、いつも休憩するスペースの真ん中付近に木が倒れていた。
木が倒れていたから驚いたのではなく、
さっき「倒木」について話をしたばかりだったのに
話に聞いた場所とは全く違う場所で、しかもテントを直撃する形で木が倒れていたからだ。
数日続いた暴風で倒れたのか、倒れるべき時がきて倒れたのか。
事の流れからすると「倒れるものは倒れるよ」と木々が語ったのだろう。
そこは、人や犬が休憩スペースとして利用している場所だ。
その中心に木が倒れていることをイメージしてほしい。
自分たちが下敷きになってもおかしくないような場に、木が倒れている。
みなさんだったら、まずどんな声を発するのだろう。
「まあ、ビックリした。」
「ケガをしなくてよかったわ。」
「危ないわね。」
そんなところだろうか。
では、犬たちだったらどんな反応をすると思う?
「ビックリして近づかない。」
「おそるおそる近づいて確認する。」
「今までなかった木に対して吠える。」
「いやがらせにオシッコをひっかける。」
他には?
こうした環境の変化を動物がどのように感じているのか?
私としては大変興味深いところだ。
さあ、オポはどうだろう。
いつもと何ら変わることがない。
木が倒れているということは、いつもと何ら変わることがないということだと彼は伝えていた。
そればかりではなかった。
オポはその倒木の横に伏せてゆっくりとその木に自分の頭を乗せて休んでいる。
「ちょうどよかった。アゴ乗せが欲しかったんだよね。」というように。
動物は変化を恐れているのではない。
それがどのようにして起こるのかを恐れているのだろう。
犬の最も近くにいて共に生活をしている人という動物は
自分たちの都合で何かと変化させてしまうやっかいな動物だ。
自分たちの都合で変化させられた環境はとても不自然で、そして時には危険なのだ。
起こるべくして起こる「自然」の変化というものを動物たちは受け入れる準備ができているはず。
そうした自然の変化を受け入れられないのなら動物であることを忘れそうになっているからかもしれない。
それに、変化を起こそうなどと大層な驕りではないか。
変化は自然に訪れるのだ。自分がその一部でさえあれば。