グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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お盆の犬のお預かりクラス:犬たちの夏のお昼寝は体調管理のために

 お盆に入り七山校周辺はますます涼しくなってきました。福岡佐賀方面では雨も降りました。一雨ごとに涼しくなれば、犬たちが活発になるあの秋がやってきますので、雨もまんざら悪くはありません。
 このお盆の間に帰省する飼い主さんたちから離れて、七山の季節を楽しみにやってきた犬たちが数頭います。その犬たちの姿を見ながら、あることを考えました。

● お昼寝してますか?

 まだ秋が深まるまでの間、どんな犬にも、そして多分人にも大切な時間といえば、お昼寝です。日中休みなく働いていらっしゃる方々には申し訳ないのですが、みなさんはお昼寝されるでしょうか?

 お盆のある日、数頭の犬たちがお預かりでいっしょになることがありました。2頭は数年来のおつきあいで気のおける仲間、そのうちの1頭と子犬の方もなんどか顔を合わせて距離を保てる関係ということで、テラスや室内に犬たちをセパレートして過ごしましたがとても静かに過ごしていました。

 交代で散歩や相手をしたり、草刈をいっしょに過ごしたり、それぞれにお昼のオヤツを食べたりしてまったりと過ごしていたのですが、昼過ぎの13時くらいになるとなんとなくわたしを含める全員が活動停止モードに入りました。

 それぞれの場所でそれぞれに始めたお昼寝です。昼寝のポーズも時間を経て少しずつ変わってきます。立ち上がって部屋の中を歩いても犬たちの方は起きませんが、少し気配が大きくなると起きてしまうので睡眠の深さはそれほど深くないようです。犬たちのうちの一頭はおちびさんだったので、寝言を言っていました。

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● 犬の昼寝の機能とはなんだろう

 犬という動物をいろいろと観察していると、もしくは日々観察する飼い主さんに話しを聴いてみると、犬とひなたぼっこが切り離せないように、犬と昼寝という関係もかなり深いつながりがあるようです。確かに動物の活動時間は、陽が上っている間、陽が沈んでいく間の朝夕です。夏場は太陽が高いところにある時間が長いため、その時間は活動を停止しています。

 動物は自分の内側の作用、つまり欲求に対して純粋に反応しています。人に飼われる犬ですから、飼われていることがストレスになるのですからストレスによる欲求の変化や行動の変化というのはある程度あります。その犬にかかるストレスを少し横に置いて考えると、犬の活動性は太陽や気圧によって左右される犬の中にある自律神経による調整によって行われているように感じるのです。

 たとえば、太陽が出ているときは自律神経の交感神経が活発になります。交感神経は活動の神経なので、太陽がのぼっていれば活動が高くなるように思えます。しかし実際には熱帯低気圧が迫ってくるこの季節は気圧が下がるため副交感神経が活発となります。副交感神経は休息の神経なので活動が低下します。そのため、犬たちも低気圧の多い夏の季節、特に気圧の下がる日中には昼寝が多くなるという仕組みのようです。

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● 睡眠の質を高めるためによいお昼寝をしよう

 人は行動を情報操作によって左右され考えて決めてしまうことがほとんどです。たとえば、テレビでこれが老化防止に効果があると紹介された食品がその日のうちにはスーパーに山積みされています。つまり売れるからです。

 睡眠についても同じような傾向があります。昼寝は短い方がいいとか長い方がいいとかいろいろと情報がたくさんありますね。情報によって正否を決めてからでないと行動できなくなってしまった人と違って、犬の方は自然体です(ストレスの低い犬のことです)。

 自然体の犬は昼寝の時間を決めていません。好きなときに寝て好きなときに起きています。言葉を変えると体の要求に応じて寝ますし、体の要求に応じて起きています。ただ、犬が自然に寝たり起きたりしたいと思っても、周囲の環境が不安定だと動物は寝ることはできません。

 犬の周りでは常に人間が活動しているわけですし、その人間が環境の安全の確保した状態で、部屋に閉じ込められているとかつながれているとか柵の中に入れられているのです。環境を飼い主などの管理人に委託しているといえばいいでしょうか。

 ところが人はなかなか日中にゆっくりとすることがありません。行動は止まっていても脳内は常に活動しているのが人という動物です。妄想も含めて人の脳はなかなか止まることができません。一番できることは、自分も昼寝をしてしまうことですが、今度は人が昼寝をすると犬よりも熟睡しすぎてしまうため管理人として不十分となり、犬の方が起きてしまうことがありますね。人もいっしょにお昼寝はおすすめしますが、犬の気配ですぐに起き上がる程度のちょっと横になって浅く眠ったり起きたりするという術を身につけるといいでしょう。

 実はわたしは大変長い間このタヌキ寝入り状態で過ごしてきました。犬を管理する施設で働いていたので夜でもいつも犬の気配で犬舎を確認しに行ったからです。若いからできたことですがとても疲れる仕事でした。当時は人手がなく毎日のことでした。しかしこの術は今とても役に立っています。犬たちの昼寝のときにタヌキ寝入りでうまく休息をとることができます。夜も短期間ですからこの状態で寝ています。ちょっとした犬の気配でも起き上がることができます。

 夏の昼寝は犬の疲れを回復させてくれます。お留守番中には犬は十分に休めていません。たいていの犬は緊張して過ごしています。前脚や後脚をずっとなめている犬もいます。体をかき続けている犬もいます。雨の日や太陽の高い日にお出かけの予定がないなら、お昼は犬のお昼寝につきあってあげてください。今年も犬の夏が終わっていきます。あと少し体をゆっくりと休めて、活動期を迎えましょう。

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どの季節を生きているのか:犬との暮らし時間の差を越えるために

先日あるご家庭で「一番暑い夏は越えましたね。もう秋ですからね。」というと
「少し季節が早いのですか?」と尋ねられました。

お尋ねの理由はわかります。福岡では、また夏まっさかりというほどの暑さなのに、
もう秋ですからねというのは不思議ですね。

理由は、週の半分くらいを七山に戻って過ごしているからです。

実はわたしも七山に来たばかりのとき、山の手入れについて土地の方とお話しているときに
季節の違いを知りました。
自分が夏だと思っていた8月の中旬は、山の人にとっては秋の始まりなのです。

単なる価値観の違いではなく、肌を通して季節の違いを感じます。


8月7日に立秋を過ぎて、七山ではすっかり秋の風を感じられるようになりました。

まだ蝉の声が一日中響いてはいますが、ツクツクボウシの声が聞こえるようになりました。
この声を聴くと秋が近付いているというお知らせを受け取ったような気持ちになります。

棚田の稲穂は頭をしっかりと下げています。

栗や柿の実は枝がたわむほどになり、いくつかは青いまま落ち始めています。
雑草は夏枯れを終わり、まだまだ最後のひと葉を広げようとします。

山の斜面にオオスズメバチが巣を作ってしまい、山歩きのコースの変更を迫られました。
これが最近の一番の山の悩みです。
ハチは10月にかけて巣を大きくしていきますので、ハチの数が増えるのはこれからです。
これも季節の流れです。

この季節の移り変わりは、街中のファッション店の季節の先取りと同じ速さですが、
肌を通して伝わってくる感覚は全然違います。

この季節感を全身で味わえるようになって、やっと私も8月のこの季節に秋が始まったと
思えるようになるのに何年もかかりました。

犬たちが季節を情緒的に受け取っているのかどうかはわかりません。
ただ、犬たちが太陽や風の移り変わりを毎日感じていることは確かです。

過去にも未来にも執着しない犬という動物ですから、冬のことをうらやむこともありません。
早く涼しい秋になればいいなと思うこともありません。
ただ、今日の一日を体で感じることが彼らのできる最大のことであり、そして最も有意義なことです。

こうして外気にあたって季節を感じることが動物の幸せであると思えるようになったことは、
七山という土地で過ごす時間をいただいたことで体が学んだ大切なことです。

考えると自分にとっては約50回(ここは曖昧に)の夏を越したということ。
犬たちは多くて10数回の夏を越すだけです。
犬の寿命を考えると、犬によっては6回、7回、8回の夏だけだとしても不思議ではありません。

しかし、これはやはり回数ではないと思うのです。

どんな夏をどういう風に過ごして越したのか、やっぱり毎日の生きる質を思います。

人と比べるとほんのわずかな回数しかない犬たちのそれぞれの季節が、
自然とともにあり、季節を体感できるものであるための環境作りは決して簡単ではありません。

でも、どんなことも思わないと変わりません。

まず、犬にとって大切なことは何かを思い、考え、そしてそれを実現しようと願い、行動する。
できなくても今日できることをひとつやってみる、そのくり返しです。

犬の生きる時間の短さを思うと、なかなか人の成長は追いつかないのですが、
気づいて変化しようとする飼い主と共にいるだけで、犬は気持ちが楽になるのではないでしょうか。

活発なハチを横目に、秋はやっぱりお山のシーズンです。
体験トレッキングクラスも行っていますのでお気軽にご連絡ください。

クウーちゃん山登り

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犬の排泄行動に自由を与えよう!:ペットドアを使って広がる犬の世界

犬が室内飼育であったら、安全に導入していただきたい犬用の道具があります。

ペットドアです。ペットドアはいろんな意味で犬の世界を変えるすばらいい道具です。


● ペットドアって何?どうやって使うの?

 ペットドアとは、室内と庭やテラスやべランドを仕切る戸口につける犬猫専用のドアのことです。室内の部屋と部屋を行き来させるためにも使われることがありますが、今ここで重要性を説明するのは屋外と屋内をつなぐドアにつける犬用の出入口です。

 使いやすいタイプは、網戸に設置するタイプです。引き戸のサッシの間に挟むものもありますが、留守中のセキュリティの意味からも現実的ではありません。ペットドアは飼い主が室内にいるときに使用するものと考えると、網戸の一部にペット用の戸口をつければいいということで十分です。

ペットドア

 このペットドアをつけることで、犬は庭やテラスやベランダという屋外へ飼い主の手を借りずに行くことができるという権利を獲得します。ペットドアをつけなければ、庭に出るたびに飼い主に扉を開けるように要求する必要があります。犬によっては戸口の前に座ったり、気づかないと扉に手をかけて音を出したり、扉の前をウロウロしたりします。しかしこれも、伝える力の高い犬の行動です。

 他の多くの犬は飼い主に上手く庭に出ることを伝えることができずに、すぐに諦めてしまうのです。これもあまり気づかれていないことですが、じつに簡単に諦めてしまいます。犬の生活が飼い主不在ではなりたたない自律性の低いものなので、庭に出たいと思っても立ち上がって扉の前に座ることができないような状態に追い込まれてしまう、それが今の犬たちの姿です。ペットドアによって飼い主が犬の外に出たいという欲求に気づかなくても、犬は飼い主を気にすることなく庭やテラスに出ることができます。

 生徒さんにお願いしてご自宅の様子を撮影していただきました。短いビデオですのでご覧ください。
ペットドアを使って庭と室内を行き来する犬(動画)
※you tube に投稿した動画へリンクします

● ペットドアによって変化する犬の行動

 この自由行動によって一番先に変化するのは、排泄をどこでいつするのかという生活習慣です。庭やテラスなどの家の周辺の屋外に出入りができるようになると、犬は屋外で排泄をするようになります。特に土や草などの自然環境のある庭であれば、比較的早い時期に庭で排泄ができるようになるでしょう。

 この排泄行為によって犬のテリトリーは変化していきます。犬の生活にとって最も大切なのはテリトリーのあり方です。屋外にも犬のテリトリーができることは、城にたとえると堀ができたようなものなのです。これは犬の生活する世界を現実的に大きく変えていきます。

 具体的な変化としては、室内での排泄をしなくなり庭で排泄をするようになります。中型犬以上だったら当たり前のことと思われるこの行動も、自律性の低い小型犬だとなかなか実現しません。散歩中に排泄をするが室内でのトイレで排泄をする行動がずっと続きます。むしろこれをいいことだと思っている飼い主さんも多いようですが、人にとって都合のいい行動が犬の発達の視点からみて良いといえるかどうかは別です。室内で排泄行動を続ける犬は、精神的に人に依存している状態であり、自律性は低いということになります。

 先のビデオに登場してくれたミニチュアピンシャーの犬ちゃんですが、マンションでも使っていたペットドアを戸建てでも使うようになりました。マンションの時にはベランダではひなたぼっこはするけど排泄はなかなかせずに、室内排泄行動がつづきました。しかし庭に自ら出るようになって、現在では庭でしか排泄をしないため室内にあったトイレトレーは不要になりました。

 ベランダでの排泄は、子犬の時期には上手くいくのですが成長が進むとしなくなってしまいます。まだ散歩中に排泄場所を決めていないような時期では、人の管理する空間の中の屋外でするという行動になるからです。犬舎で管理されるような犬たちも、排泄場所というのは決まっているので、コンクリートの上で排泄をします。これも収容管理上とはいえ、犬の習性には無理のある行動です。

 成犬はマンションのベランダでの排泄をしないとしても、ペットドアはマンションでも効果を発揮することがあります。たとえば、よくひなたぼっこをするためにベランダに出て行く犬がいます。ベランダから外に出ることもできないし、強い風、反響する音や臭いなどは動物にとってはとても違和感のあるものです。そうであっても、閉ざされた空間に長く閉じ込められることは犬にとってストレスになるものです。ベランダに人があまり来ないことを知っている犬は、人との距離をとるために出たり入ったりすることもあります。そうであっても犬にとって必要なスペースになることがあります。

 しかしペットドアはやはり戸建てで使用してください。ベランダは安全なようで危険なこともあります。動物はビックリしたら飛び越えられないような柵も飛び越えることがあります。火事場の馬鹿力というものが出るのでしょうが、犬が絶対にベランダの囲いを飛び越えないとは言い切れません。ベランダ使用の方は犬の行動を管理しながら、ベランダを気分転換の場として上手に提供してあげましょう。


●おまけ

 さて、ペットドアの画像を検索していてこんなもものを見つけました。
ペットドアのデザインしたiphoneのケース

 アメリカ製のデザインのドアかもしれませんが、海外ではドアそのものをペット用に加工されていることもあります。こうしたドアのデザインは珍しくないようです。戸建てなのに室内で排泄をさせるということの方がずっと珍しいです。映画にもよく犬を飼っている家が出てきますのでチェックしてください。室内のペットシーツを置いていることは珍しいことなのです。

 ペットドアの利用を通して犬のナチュラルな排泄行動やテリトリーの広がり、犬の自律性について考えるきっかけを作ると楽しく理解が進みます。下の写真は、大きすぎてペットドアがなかったオポのための手作りのペットドアです。

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叱ったら犬が逆切れして吠えるのは何故か?:どうやって叱ったらいいかは飼い主のセルフコントロールが解決

 犬を叱ったら逆に吠えたりとびついてきたり、ひどいときには咬みついてきたりするというご相談を受けることがあります。いわゆる逆切れという状態です。


● ほめてしつけるトレーニングだったら犬を叱る必要はないの?

 ルールに違反したら間違いを指摘することや、興奮しそうになるときにそれを抑えることは犬の成長過程では大切なことです。ほめてしつけるトレーニングにもいろいろあって、その中には犬に間違いをさせないから叱る必要もないというものもあります。これもドッグトレーニング技法のひとつの考え方ではあると思います。しかしこれは成長や発達を促すトレーニングとはいえません。

 叱ることなくほめるたりオヤツのごほうびを与えるだけのトレーニングは、完全管理しているので犬は失敗しないということです。がんじがらめの生活です。たとえば動物園の動物がときどき芸を披露するイベントがあります。海洋動物や哺乳動物もオペラント条件付けで強化すれば特定の芸を覚えます。しかし芸を披露したあとはまた完全管理の檻の中に閉じ込められます。動物園の動物は叱られることはありません。

 叱るというのは、犬との関係を作る上で大切なことです。特に犬が成長の過程の中ではこうした行為が必要になるからこそ、「いつどのように叱るのか」という飼い主としての姿勢を身につけておくことも同時に大事なことなのです。


● 叱ったら犬が吠えたり咬みついたり来るのは理由がある

 犬をきちんと育てるというと漠然としていますが、要するにルールをきちんと教えていきましょうねということです。そのルールを破ろうとしたときには「いけない」という意味で叱る必要があります。もちろん、このルールの導入は、犬に安全でストレスのない生活環境が与えられていることが前提での話しです。犬がサークルやケイジに閉じ込められて長時間の留守番を強いられ、必要なコミュニケーションが与えられていないような環境では、犬にルールを導入することすらできないことは前提の上での生活ルールの導入です。

 犬と人の暮らしに導入する生活のルールや関係性のルールはご家庭によって様々だと思います。その中で、どなたにも導入していただきたい簡単なルールを例にあげて説明します。そのルールとは「テーブルに手(脚)をかけない」というルールです。

 犬がテーブルに脚をのせようとしたときは「イケナイ」といって叱る必要があります。叱る言葉はどんな言葉でもいいのですが、自分が安定して用いられる言葉を使ってください。いつも同じものでなくても構いません。ただ名前を呼ぶだけでは意味を伝えることにはなりませんし、名前を強い口調で呼ばれることはプレッシャーがかかりすぎます。自分の名前を大声で呼ばれるよりは、イケナイといわれることの方が犬にはダメージが少ないのです。

 まずこれで叱る言葉という道具が必要なことを理解できたでしょうか。ですがこれがなかなか上手くいかないようです。つまり、ブログの題名にあるとおり、叱ってもすぐに同じことをくり返すとか、叱るとワンワン吠える、叱ると部屋の中を走り回る、叱ると牙(歯)をあててくるといった反撃を受けてしまうことがあります。理由はふたつあります。まず理解できないという理由です。犬に何がイケナイのかを理解させるためには「叱るタイミング」が大切だからです。

 犬がテーブルに脚をかけそうになった瞬間をつかみ「イケナイ」とうまく言えば、犬は「何がイケナイのか」を理解します。ここでは、その瞬間にというのが叱り方の最初のポイントです。犬の理解力によっては、脚をかけた後に「イケナイ」といってもわかりそうなことですが、ここは動物として何がイケナイのかを伝えるためには、まさにテーブルに脚をかけそうになる、つまり飛びあがった瞬間でテーブルに脚をかける前の瞬間に「イケナイ」の声を出してください。このタイミングを逃すと多くの犬には何がイケナイのかの理解に時間がかかります。どんな失敗も学習経験になってしまうからです。

 本来の犬の状態なら何度「イケナイ」をくり返せばわかるかということですが、おそらく1回もしくは2回程度です。それ以上くり返さないと理解できないのであれば、他の生活改善ももう一度見直す必要があります。犬は飼い主の叱責を理解できずそれをストレスを感じるとワンワンと吠えたり走り回ったりすることもあります。もちろん、同じイケナイ行動をなんども繰り返します。ストレスが強い状態におかれている犬は社会的なコミュニケーション力が低いのです。人も同じなのでここは相似している部分ですから理解しやすいところです。


● 飼い主の状態が犬に影響を与えること

 犬を叱ると逆に反撃されてしまうもう一つの理由は、その叱り方は感情的であるときです。叱る側の飼い主の方が興奮して叱るというよりも怒りになり攻撃的になってしまっているときです。こういうときには犬はこれを受け取りません。攻撃には攻撃や防衛をというのは動物のナチュラルな反応だからです。犬は軽い防衛のポーズをとったり、叱った飼い主に吠えたり、ときにはいきなりとびついて牙をあてることもあります。

 犬を叱っている飼い主が感情的であるかどうかを最も知っているのは犬の方です。犬は人が思っている以上に相手の状態を把握する力があります。たとえば、仕事のときの外出では吠えない犬がプライベートのお出かけのときには後追いをするといったことも、なぜわかるのだろうという犬の理解力です。

 特に飼い主がイライラとしている軽い攻撃モードに入る感情を持つことをすぐに察知します。なぜならその飼い主にはその臭いがするからです。感情の高まりは見えない心の問題でなく、動物のホルモンの状態を変化させます。攻撃をするためにはそれに必要なホルモンがありますから、その放出量が上がってきます。犬が最も敏感に察知する臭いです。

 そんなにイライラしていないよと思ってもそうではない飼い主側の状態があります。仕事で疲れている、処理していない問題を抱えている、家族は夫婦間の折り合いが悪い、子どものことで悩んでいる、近所の人から不快なことをいわれた、テレビで不安になるニュースを見たなど、人もいつもストレスにさらされているのです。

 このストレス社会の中で、人の方がリラックス状態を保てずにいることがあります。そのストレス状態にさらされている飼い主が、普段から問題行動を起こす犬のルール違反に対して必要以上の感情が上昇してしまることがあります。そして結局この叱る行為によって犬は興奮し、再び飼い主はストレスを受けることになります。全くの悪循環です。

 いろんな事情はあるかもしれませんが、まず飼い主の方が自分の毎日の心身を健康に保つことに戻ります。まず、自分が安定した状態であること、そして、犬にも安定した生活ができるような環境を整えることです。その上で生活のルールを決めること、そして生活のルールを伝えること、その中に叱るという行為が登場します。

 犬を育てること、犬のしつけ、犬のトレーニングなど、犬との関係性を築いていくどんなときにも自分(飼い主)が犬に与えている影響について考える視点を持つ事がこの問題の解決のポイントです。いいかえれば、犬にとって飼い主はそれだけ重要な存在であるということなので、謙虚にまた楽しく犬から学びたいものです。

 戦国の武将、武田信玄の格言にもこんなものがあるそうです。「組織はまず管理者が自分を管理せよ」。犬と人のグループは仲良しグループではないのです。毎日危険と戦いながら安全を確保し、そして楽しく暮らす家族というひとつの組織です。犬を家族とするグループの武将として襟をただしていきましょう。


カレンお外2

Posted in 犬のこと

渋谷の忠犬ハチ公は普通の野良犬だったという事実:犬のFACT(ファクト)をそのまま尊重することについて

 先日レッスン中に飼い主さんと、犬の服従性の発達の重要さと依存的な行動の違いについて説明をしていました。そのとき飼い主さんからハチ公の名前が出て「えーー!本当ですか?!」という意外に大きな反応をいただいたので、今日はそのハチ公をテーマにお話しします。


● ハチ公は本当に亡くなった飼い主を待って渋谷駅に通ってきたのか?

 そもそも、ハチ公が忠犬として銅像を立てられ、教科書に「恩を忘れないこと」を教えるための教材として取り上げられ、そしてついにあのリチャードギア主演の映画にまでなってしまった理由は、ハチ公の忠犬としての涙なくしては語れない物語にありました。

 そのハチ公の物語とはあまりにも有名なのでここで説明するまでもないでしょう。つまり、勤務先で亡くなった飼い主の死を知ることもなく、飼い主の帰りを待っている飼い主に忠実な犬「ハチ公物語」です。犬が飼い主に忠実だというのは、ハチ公が物語になる前から取り上げられていることです。

 故事にも「飼い犬に噛まれる」というものがあります。恩を仇で返されるという意味のことわざです。犬は飼い主に忠実であるということが前提でのことわざですが、忠実といっても様々な形があります。3日えさをもらうと3年恩を忘れないなどといわれることもありますが、確かに食にありつける場がないときに、3日もえさにありつければえさをくれた人を長い間忘れずにまた通ってくるというのは、イヌという動物の知性の高さによる行動そのものです。

 しかし、ハチ公の忠犬性は食べ物とは切り離されて報道されていました。老犬のハチ公は飼い主の死も知らずに毎日渋谷駅へと通ってくる恩を忘れない犬として紹介されたのです。もともとハチ公は秋田犬だったのですが、その秋田犬を見た日本犬協会の役員が朝日新聞に忠犬物語として紹介した記事が掲載され、ハチ公ブームが巻き起こったのです。

 しかし実際のハチ公は、飼い主の死後一旦は別の家に引き取られたがその家にいつかず、結局元の家に戻されたが駅近くをうろついていたということです。というのも渋谷駅前には当時夕方になると屋台が出ていたからです。最初の飼い主も屋台を利用するうちにハチ公もおこぼれにあずかり、そのうち飼い主がいなくとも屋台で焼き鳥を食べる客から焼き鳥をもらっていたのでしょう。実際、ハチ公が死亡して解剖されたときには胃の中から焼き鳥の串が3,4本出てきたという記録も残っているようです。

 お腹もすかせて飼い主を待ち続ける忠犬ハチ公ではなく、大好きな焼き鳥をもらいに渋谷駅に通い続けた野良犬ハチ公だというのが、本来のハチ公の姿なのでしょう。こちらの方が犬としては本来的な行動であり、とても納得のいくものです。

ハチ公

● ハチ公をめぐる誹謗中傷事件もあったこと

 そのハチ公をめぐって誹謗中傷が起きていた事実もありました。つまり、ハチ公は渋谷駅の屋台の食べ物を狙っていた駄犬であって忠犬ではないというものだったようです。この誹謗中傷には、各団体の利権争いも絡まっていたようで、こうしたものはいつの時代にも起きていたのだなと権威や利益を争う人々の思惑が見え隠れします。

 背景やハチ公の残されている行動を見れば、ハチ公が餌をもらうために渋谷駅をうろついていたことは間違いのない事実でしょう。かといってハチ公が忠犬でないということも筋が立ちません。飼い主に可愛がられ、飼い主と共に立ち寄った焼き鳥屋で焼き鳥をもらい、飼い主の亡きあともその屋台の客らに可愛がられて焼き鳥をもらっていたハチ公は、それだけで忠犬であるからです。ハチ公は飼い主の家に居つかない野良犬であり、そして亡くなった飼い主にとっては忠犬でもあったのです。

 ハチ公をめぐる事件については、以下のホームページで当時交わされた手紙を取り上げて詳しくとりあげられています。
★参考資料★
忠犬ハチ公への中傷事例について←「帝國の犬たち」ホームページに掲載されています。


● 普通の野良犬だったハチ公の事実が広がらないメディアの報道と人々犬に求めるもの

 ハチ公が野良犬であった事実について、中傷されなければいけない理由はどこにもありません。もしあるとすれば、ハチ公が特別の忠誠心を示した犬であるという報道に対して、それはうそではないかという騙されたことに対する思いからくるものであればわかります。もしそうであれば、それはハチ公やハチ公の飼い主に対して向けられるものではなく、報道したメディアやそれを考えなくそのまま広げてきた各所機関に対して一旦は向けられるかもしれません。

 しかし、その次に向けられなければいけないのは自分に対する質問です。自分自身がこのハチ公の感動の物語を聞いたときに「これは犬としては何かおかしくないか?」という違和感を覚えられなかったほど、犬についての理解が進んでいなかったという事実を認めるのが先決です。その上で、ハチという犬がそのままで亡き飼い主や地域の人々とそれなりに関わりあいながら野良犬ハチとしてよい日々を送っていたのであれば、それはそれでいいではないでしょうか。

 むしろ、ハチがハチ公として新聞に取り上げられた後、まだ生存していたハチを見ようと見物人がおしかけることがハチの人生を変えてしまったであろうと悲しく思います。ハチ公の銅像は人々の善意の募金によって建てられました。ハチは亡くなったあと解剖され剥製にされて保存されています。ハチは剥製にされることを望んだのでしょうか。これは人の善意なのでしょうか。

 犬は本当にすばらしい動物です。ハチもきっと人にとびつく多少怖がりの傾向のある犬で、でも上手にみんなに大好きな焼き鳥をもらって生きていたのでしょう。その生をそのまま尊重できるような価値観は、これからも犬を救うと思います。

 さて、名犬ラッシーは本当に名犬だったのか。ぜひ疑問を持って犬の事実をしり、その事実の中から犬がどのように扱われてきたのか、もしくは犬として尊重されてきたのかという事実を組みとっていくと新しい見方が育ちます。犬には不幸な歴史もたくさんあります。それは大きな学びなのですが、それすら見えなくなってしまい、人は犬を愛している、犬も人のことが大好きだという妄想に浸るよりも、真実の中に犬のすばらしさを見出して行きたいと思います。

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Posted in 犬のこと

犬の光線療法:太陽の暖かさでトラブルを助けてもらうこと

 ちょっとした失敗もすぐには口に出せないものですが、わたしは比較的すぐに口に出すようにしています。その方があとに残らないし、自分でも納得できるからです。実は先週、そんなことがありました。


● 草刈作業で腰痛になったこと

 庭と山の間部分になる斜面が少しずつ藪になってきていて、その藪を撤去しなければいけない時期になりました。もっと早く対応すべきだったのですが、忙しさと疲れでついつい後回しになったのですが、ついにこの数日で片をつけようと思ってうちにあったものでは重たく鋼が回るのであまり得意でない草刈機をもってほんの少し作業をしました。おかげで一部だけきれいに草刈りができたのですが、その夜から異変が起こりました。

 体が思い、熱っぽい、むくみがひどい。苦手な草刈機を使用したあとなのでこのくらいは仕方のないことと思いつつ、オイルマッサージなど少しして一晩越えると翌日の朝は起き上がれません。それでもゆっくりと起き上がって仕事に出かけ、次の日の草刈はさすがにやめて静かにしていました。それでもさらに2日後、草刈をした4日後にヒーリングをさせていただいた後に自分の体にも大きな異変が起こりました。腰部に激痛が走り吐き気を催すほどでしたので、これほどの強い痛みは10年に1回くらいかなと思えるほどの痛みでした。


 ● ヒーリングが治癒を高めることで痛みが強くなること

 タッチヒーリングは自分にもすることができます。むしろ自分に一番すべき行為です。自分のことばかりということではありません。癒しというのは不思議なもので、自分から波及するようにつながってひろがっていくのです。豊かな自然環境はそのものが癒しの場になりますが、場として存在するだけでなく、ひとつひとつの生物、土、生き物、風、水、太陽がつながりあってひとつの癒しの場というのをつくりあげています。自分もそのひとつであるだけです。だから自分に癒しを受けられないような状態では、他者への癒しは広がりません。自分が一番というのではなく、自分の全体のひとつとして捉えるということです。

 ドッグヒーリングのクラスを腰痛がある程度おさまっていると思ってさせていただいたことから、自分への治癒効果が高まってしまいました。それで激痛が強くなったのでその最中は立ち上がれないほどでしたがほんの数時間です。痛みは治癒のシグナルであるという気持ちがあるので、痛みが出たから大丈夫という安心感もありました。それでも、日々の仕事がありますから、痛みをゆっくりと経過させていくために、ヒーリング中にも使用する光線を自分に当てることにしました。

にこちゃんの光線
 ● 光線療法とは

光線療法といわれる道具をグッドボーイハートでは使用してます。コウケントーという名前の道具で、通販で気軽に購入できる道具です。人の整体院などでもよく使用されているようです。グッドボーイハートは治療院ではありませんので、健康のための補助道具としてタッチヒーリングの始めにご希望があれば使っていただいています。この光線にあたって自分の腰痛をやんわりとさせることにしました。

 光線のしくみについてはここで説明するよりも株式会社コウケントーのホームページをご覧いただいた方がいいでしょう。実際にその光に当たってみるとその感じ方もさまざまのようで不思議です。敏感体質であるわたしの場合は、手足の先がビリビリとするような感じです。しかし心地いいです。即効性のあるような薬ではありませんが、実際にいろんな治療に使われています。よく温灸と同じと思われますがまず熱の伝導の仕方が違います。温灸は伝道という方式で一箇所からひろがる、光線は放射という形で伝わります。熱の伝導率は光線の方が高いということになります。それぞれということでしょうが、古くからある日本製の機械で気軽に使えるとうことでお薦めします。

 実は犬たちも結構おとなしくというよりも、みずからこの光線に当たろうとすることもあります。毛の色や皮膚の色の変化、生活環境の変化で太陽の光が少し足りないということもあるのかもしれません。コウケントーを発売する会社の別団体として光線療法を使用した論文のような新聞を送っていただくことがあるのですが、犬や猫やうさぎも光線にあたっている写真がときどき紹介されています。

 手当てや光線療法で復活をはかるわたしですが、今回の腰痛での撃沈は精神的にも応えました。腰痛だけだと思っていたら、その後足の筋肉にも筋肉痛がでたのです。中年になったというお知らせなのでしょうが、今後は鎌をよく磨いで手作業で復活するしかありません。七山ではもう日差しが弱くなり草がすごい勢いで伸びてきています。草との境界線争いはまだ続きます。

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Posted in クラスのこと, 犬のこと

ヤマカガシと犬のオポのこと:犬がヘビに咬まれないようにするためには?

 夏休みで子ども達が活動中です。小学校高学年の子どもが毒ヘビにかまれたことがニュースになっています。自然環境の中で野生生物に接してケガをすることもありますが、大事にいたらないように注意をすると同時に、もっと深く自分たちに起きていることを考えてみます。


● 毒蛇はどんなところにいるのか?ヤマカガシはなぜ咬みつくのか?

 先日子どもたちが咬まれたヘビはヤマカガシというヘビでした。ニュースではものすごく恐ろしい毒ヘビだという印象を与えるような表現をされていましたが、ヤマカガシはずっと以前から日本の山里に生息しています。というわたしも、ヤマカガシという生物をしっかりと認識して見ることができるようになったのは、七山に移転して山歩きをするようになってからです。

ですから、ヤマカガシという生き物が山里遠く生活する人々にとっては、その存在すら忘れられてしまうような存在であることも理解しています。

 ヤマカガシという名前のカガシとは古語で蛇という意味があるそうです。昔はヤマカガチとも呼ばれていたそうですね。カガシや案山子とも関連があるという情報もありましたが、正確に確認できませんでした。いずれにしても、ヤマカガシは古来から山の中に生息する山を守る生物として認められてきたことは確かのようです。
蛇は山の神様ともいわれる存在なのです。そのヘビを毒物として遠ざけずに、古くから山に生息する生き物としてその存在をありがたいとまでは思えなくても、ただそこにあるものとして認める姿勢はもっていたいものです。

 ヤマカガシは確かに毒を持ちます。奥の牙に毒性をもつため、強く咬まれることがなければ、つまり軽い威嚇で前の牙が当たる程度であれば大丈夫ということもできます。ただ攻撃には攻撃をという姿勢を持つのは生き物の生き残る手段です。ヘビも種類によって多少の気質の違いはあるでしょうが、ヤマカガシの場合は「激しい」といわれることもあります。
でもヤマカガシの一番の手段は、やっぱり逃げることなのです。毒性があるのも、相手を殺戮することが目的ではなく相手を一瞬ひるませておいて、そして自分は逃げるための防衛の道具です。

 今回の子どもたちのヤマカガシに咬まれたいきさつは、ヘビを捕まえたり手で掴もうとしたとニュースにはありました。ヘビを捕まえて持ち帰ろうとする子どもさんの気合には敬意を表します。咬まれた子どもの方は良い勉強になったということでしょうが、今の世の中ではなかなかそうはいかないようです。
病院では毒ヘビに咬まれたときの血清があり、ほとんどが血清で対応されることになります。ですがこれもショック状態に陥ることもあり、必ずしも安全な処置とはいえないものです。


 犬の場合はどうでしょうか?犬が毒ヘビに咬まれるなどと想像しただけで、ぞっとされることでしょう。実際に犬がマムシに咬まれたあとの回復力の速さは、人がかなうようなものではありません。やっぱり犬なんだなと思うような回復を果たします。しかし、犬によっては犬だから大丈夫ということでもありません。大丈夫ではない犬はどのような犬かというと、まず薬を多様している犬です。薬の使用は動物の免疫力を落とします。特にステロイド系の薬を使用している動物にとって生物の毒は要注意です。

 また純血種の犬たちは免疫力が低いため要注意です。純血種というのは遺伝子の小さなプールの中で繁殖を続けていますので血が濃いということです。雑種が環境に対して抵抗力を強めて進化していくのに対し、純血種は生物学的に限られた枠の中で育てられたものです。当然のことですが免疫力は弱くなっています。
その親犬やさらにまた上の犬たちもずっと予防薬やワクチン接種を続けていれば、さらに免疫力は弱くなります。こうしたくり返しが続いていますので、純血種の犬が生物の毒に対応できるのか、もはやわかりません。純血種の犬たちはそれごと自然の生態系から切り離されていく存在だと思うと、とてもさびしくなってしまいます。


● ヤマカガシは本当に怖いのか?ヤマカガシと犬のオポのこと

 そのヤマカガシと犬のオポの実話です。

 その日、わたしとオポはいつものとおり裏山(尾歩山(おぽさん))を散歩していたときのことです。山の一部に急なところがあり、ゆっくりと歩いていたのですが急に視界が広がったようになった場に出ました。

 わたしの前を歩いていたオポのすぐ前に、長いものがパッと立ち上がりました。それも突然出てきた感じだったのですが、見るとヤマカガシが高く首をあげています。いわゆる鎌をあげるという状態です。鎌のような形になっていました。

 いっしゅんのことでしたが、わたしもオポも立ち止まりました。ヤマカガシはその位置からオポまで飛びかかることのできる生き物です。もちろん、わたしも大変緊張していて思考を失ってしまいました。数秒そうしていたあと、わたしが後ろに数歩下がるのと同時に、オポも向きを変えずに後ろに数歩下がりました。その瞬間、ヤマカガシもすっと後ろに下がるように消えていったのです。

 そしてまた数秒がたったでしょうか。オポはゆっくりと前歩いていた速度と同じ速度で進み始めました。ヤマカガシがまだそこにいるなら、オポが前進するわけはありません。オポを信頼し、わたしも共に進みました。もちろん、ヤマカガシはもうそこにはいませんでした。

 私達の登場でビックリしたヤマカガシが鎌を上げ、私達の後退を受けてヤマカガシも逃げる選択をしたということです。山の中ではこうした突然の遭遇が一番怖いのですが、そのときにも冷静さが必要です。

 オポは都会暮らしでヘビに咬まれたことも、ヘビの臭いをとりにいったりしたこともありません。むしろ都会暮らしのときに山や川に遊びに行っていたときは、興奮が高く近くにヘビがいてもあまり見えてないように行動していてハラハラとしたこともあります。

 そのオポが七山で暮らすようになっていろんな急激な変化が彼の中に起こりました。そのひとつが野生生物に対する配慮と反応です。配慮というと擬人的な臭いがありますが、気遣いというよりも、環境の全体を捉えて刺激を求めない行動ということです。

 そうした自然環境とのかかわりの中でオポは自然に野生生物に対する態度を変えていきました。オポにとって鎌をあげるヤマカガシという生物は、図鑑で学んだりネットで知識を得たりする必要のない対象です。生きているものがいる、相手が防衛、攻撃の臭いを発していれば、まず近付かない、脅かさない、距離をとるという自然な反応です。わたしが「あれはね、ヤマカガシといって毒があるから近付いてはダメよ」と教えることもできません。

● 犬に対して「ヘビには近付くな」と教えることができるのか

 こうしたオポのしたような犬の反応を他の犬に望むことは、現実的ではありません。ずっと都心で閉じ込められて生活している犬に、いきなりそれを要求するのはフェアではないと考えるからです。ただ、本来犬に備わっている機能性として、いつかあわられてくれたらいいなと思いつつ希望を持って進むしかありません。犬の持つすごい本能という機能性と能力を引き出すための方法は、あります。

 それは、自然の中での過ごし方にあります。トレッキングクラスで取り入れている過ごし方は、自然の環境に沿うやり方です。そしてわたしたち人の方も、少しずつ自然との距離を縮めながらお互いの距離というのをはかる必要があります。そして周囲にあるものを感じたり認めたりすることから始めることしかありません。それはゆっくりと歩くということです。

 若い人たちが森の中で音楽フェスティバルを行ういわゆるフェスというスタイルが楽しいというのはよくわかります。自分も若いころに一度行った事があります。わたしはあまり楽しくなかったのですが、開放感があって周囲の自然に癒されながら激しい音楽を聴きたいという若者の単純な欲求です。
 でも今は音響設備も発達しています。ステレオやマイクを使って人工的に人の声ではあり得ない音を作り出してしまいます。映像を見ていて思うのは、その音を聞かされる森に住む動物たち、昆虫たち、木々や草、そして山そのものはどう受け止めているのかということです。願わくば、そのフェスティバルのために木々を切り倒すことだけは止めて欲しいと思います。

 犬は大騒ぎするようなフェスティバルにいっても喜びは得られません。自然のリズムが犬のリズムなので、ゆっくりと響き渡る音響を使わないピアノや笛やヴァイオリンには耳を傾けてくれるかもしれません。

 犬に沿うように過ごし方を変えてもよし、人の過ごし方が変化してそれに犬たちが沿うてくれてもよし。いずれにしても、自然を丸ごと感じることが自分の身を守ることにつながっていきます。そして、その過ごし方は、不思議ですが家庭の中にも流れていきます。

 くれぐれも、興奮しやすく走り出してしまう犬を山に連れていくときには、まず動きの制御を忘れないようにしてください。そして環境を知るためには、犬を連れていろんな山に行くのではなく、同じ場所に何どもでかけて庭と思えるほど、その土地を身につけるようにされることをおすすめします。それは、あまり楽しいことではないかも知れないけれど、その変化しない環境の中に楽しみが見つかったときが最高に楽しいのです。

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犬語セミナーに学ぶ犬の世界:犬はただかまってほしいのではない、本当の犬の欲求とは何か?

 週末はグッドボーイハート福岡校で犬語セミナーを開催しました。飼い主さんだけを対象とした犬のコミュニケーション=行動学を学ぶセミナーです。暑さの中たくさんの方にお越しいただきありがとうございました。セミナーの追加補足を含めて、犬のコミュニケーションについてお話します。


● 犬の要求行動にはどんな行動があるのか?

 犬はいろんな意味で、人がいないと成り立たない生活を送っています。どんなに精神的に自律していると感じられる犬でも、必要なものが必要な時期に与えられないとそれを要求する行動をします。

 犬にとって人といることで一番大切な理由はゴハン(食べること)です。昭和初期に犬たちがまだ係留されることもなく家の付近をうろうろとして過ごしていたときもゴハンの時間になるとちゃんとそれぞれの家に戻っていったものです。
 
 中には係留される犬も夜中になると首輪抜けに成功して放し飼いを謳歌していた犬もいたのでしょうが、こうした犬たちも朝方のゴハンの時間になるとそれぞれの庭に戻って再び係留されるのでした。この時代の犬のゴハンは、朝方もしくは夜遅い時間でした。残飯の処理をかねていますから人の一日の食事が終わった後だったからです。今の子ども達は見ることのない遠い昔の風景です。

 話を元に戻します。今は係留されているか庭の囲いの中、室内の中に軟禁状態で管理されている犬たちにとっては、自由な犬たちよりも強くゴハンを待っています。ゴハンのときにはそれぞれの要求行動を見ることもできます。

 ゴハンを要求する行動にはこんなものがあります。ジャンプしたりワンワン吠えたりして興奮する行動をする。鼻を鳴らしたり人について回る行動をする。人にとびつく。飼い主をじっとみている。飼い主に手をかける。

 さらに興奮するとこんな行動に発展します。吠えるからギャーというような奇声に変わる。クルクルと回る。部屋の中を行ったり来たりする。ハウスに入れられるとハウスの入り口をガリガリと手でかくなどの行動です。

 要求行動はストップが入らないとそのまま興奮行動へと変化していく傾向が強いのです。なぜなら要求が通らない状態が続いてしまうわけですから、ストレス値がほんの少しの時間に上昇してしまいます。そのため要求行動がとびつく吠えるなどの興奮行動に発展するとエスカレート式に行動が強くなり、その結果ゴハンにありつけるとなると、犬は意図せずこの行動を毎日学習してしまいます。

 これに対して、ゴハンの前にじっとオスワリしたりフセをしてゴハンの時間まで待つとか、ハウスに入って静かにゴハンを待っている犬たちがいます。ゴハンが来るまでのほんの少しの間、犬は自らの要求と興奮を抑えてその時がくるのを待ちます。いわゆる自制状態になります。自制の結果、ゴハンにありつけます。自制しているときには、飼い主を観察することもできます。そのため「だれが自分にゴハンを与えているのか」を理解することもできます。

 興奮している犬はただゴハンの方しか見ていません。そのため誰にゴハンをもらっているのかというのもあまり理解していません。いつも興奮することでゴハンをもらえ、要求を通す状態を強くしてしまいます。ゴハンの与え方というよりは、犬がゴハンをもらうという行動に対して「犬のしつけ」として厳しく指導するのは、犬にきちんとした理解力をつけさせ関係性を築くことが犬の安定につながっているためです。


● 要求行動を受け入れて甘えさせても犬には安定はない

 ゴハンを与える以外にも、犬が人に要求する行動はたくさん見られます。特に室内飼いの犬では一日中こうした行動が見られます。飼い主に手をかける、鼻を鳴らす、とびつく、口をなめる、膝の上に乗ってくる、お腹を見せるなどの行動は、飼い主さんに対する要求行動です。よくみなさんが言われる言葉では「かまってほしい」という行動であるともいえますし、甘え行動ともいわれます。

 「かまってほしい」というのは、犬がひとりでは何もすることがないという室内での退屈な犬の生活を表していると同時に、別の意味では飼い主に構ってもらわないと落ち着かないという依存的な関係が強くなっているという不安定さのメッセージでもあります。犬のかまって行動はそのうち飼い主の膝の上にじっとしていることで安定をみたように勘違いしてしまいますが、実はこれは真の安定ではありません。

 飼い主の膝を居場所とする犬は、飼い主が動いたり他の人と接触することを阻止しようとします。飼い主の後ろをついて回る、とびついて要求をくり返す、鼻をならす、家族や来客に吠える、帰宅すると興奮する、そしてストレスはさらに上昇し、ついに誰かに咬み付くという結果になるでしょう。

 要求行動が高まり、適当に相手をしてごまかそうとしても犬の興奮がおさまらなくなることがあります。犬が飼い主に対して甘咬みする、髪の毛にかみつく、洋服にかみついてくるという行動をエスカレートしているときには要注意です。ここまで関係が悪化してしまうと強く叱っても犬は吠えたり飼い主に威嚇したりして全くいうことを聞かなくなります。


● 犬の要求行動や興奮行動を叱ったら吠え返してくる犬、なんでなの?

 飼い主が「ダメ」と叱ったら吠えたり威嚇してくるのはなぜでしょうか?ずばり、自分と親の関係や、会社の上司と部下である自分の関係に当てはめてみてください。自分が間違えたり横柄な態度を示したり暴言を吐いたりしたとして、そのときに受けた注意を受け入れられるか、受け入れられなくとも一旦下がって少しくさくさしてでも、自分を抑えることができるのは、相手に対する敬意かなんらかの関係性が生まれているからです。そうでなく、相手が全く普段から自分の指導も相手もせずに自分のことだけに時間を使っているのに対し、犬の方も飼い主と同じように好き勝手に振舞うことを叱られれば吠え返す気持ちもわかります。

 では、どうすればいいのでしょうか?というのがみなさんの知りたいところだと思います。客観的に考えればとても単純なことなのです。犬は飼い主とのより良い行動を望んでいるだけです。なぜならそれが自分の安定につながっているからです。犬は社会性の高い動物です。同居する家族である人とやらなければいけないのは社会的な関係を結ぶことです。それは、放し飼いにされていて、どの家でゴハンをもらっても良かった時代とは違います。犬は飼い主に行動を制限されているため飼い主なしでは行動できない動物になってしまったのです。犬が飼い主と社会的な関係を築いていくことが、犬にとっても社会とのつながりの扉になっているはずです。

 具体的にはどうしたらいいのかというと、まず犬と過ごす時間を増やすことが一番です。散歩、遊び、室内でのルールを教える、外飼いの場合にもフセマテやオイデができるようになるのは、飼い主との関係の上で成り立っています。散歩、遊び、ルールを教えることの中には、最初は飼い主が主導的な立場であることをわかるようにしてください。教えるという行為自体が主導権を握っていますから自然にそうなっていくはずです。ただ、リードをもって犬に好き勝手に振舞わせた散歩では、あまり意味がないどころか、せっかくの犬との時間が関係性を難しくする時間になってしまうということです。


● 犬との暮らしで飼い主に欠く事のできない大切な二つの学び

 そしてその犬との関係作りに欠かせないことがあります。それは犬という動物を犬として理解する必要があるという飼い主側の必要性です。犬として理解する方法のひとつに、犬の行動やコミュニケーションに対する理解を身につけるという学びがあります。次に、犬の社会性について理解を深める必要があります。たったこの二つのことに対する理解だけなはずなのに、なかなか理解が進まないことがあります。理由は、最初に思い込みがあるからです。「犬は人のことが好き」だと思い込んでいる方は、まずそれを捨ててみましょう。そして、「犬から信頼される飼い主を目指す」と言い換えてみてはどうでしょうか。

 犬の行動やコミュニケーションについては、犬の行動を撮影したビデオを見て学ぶのが一番です。肉眼だと見落としていることがたくさんあるからです。今回の犬語セミナーでは七山校でお預かりクラスを利用していただいたときに撮影したビデオも使用しました。家庭とは異なる環境で、来客と対面して遊んでもらうビデオなどですが、普段の自宅での来客に対する行動とは全く違う風景に参加した飼い主さんも驚かれていました。犬に安定した基盤である環境を与えると、犬はさほど興奮することなく人と接したりコミュニケーションをとることができるようになります。

 忙しい中に癒しを求めて衝動的に犬を飼ってしまうと、犬を飼ったら癒されるはずだったのにという不満がたまってしまいそれが犬にもわかってしまいます。ただ犬を見たりなでるだけの道具として使うことは、犬を傷つけるだけでなくそれをした人も傷つくことになります。なぜなら、そこには犬の幸せな空気は流れず、人はそのときは気づかなくともきっといつかそのことに気づいて苦しい思いをされるからです。

 だから、犬の行動に何か問題を感じるなら、まだ大丈夫です。まだ犬は飼い主とのより良い関係を求めていますし、これから時間をかけてその関係を良いものに変えていくことができます。犬は犬なのです。犬の権利などを主張するつもりはありません。ただ、犬との暮らしを関係を通して楽しんでください。それはドッグランやドッグカフェにはありません。あなたの生活の中にあり、そしてそれをひとつひとつ変えていくだけのことです。どこまで変化していけるのか、どこまでも楽しんでください。



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犬も夏休みが欲しい:避暑地代わりに利用していただく山間での預かりクラス

 グッドボーイハートでは預かりクラス(犬のお泊りクラス・ドッグホテルなどともいわれます)を提供しています。一般的にはドッグホテルという言い方になりますが、グッドボーイハートはドッグスクールですから、どんなときにも学びをという姿勢を貫きとおします。犬のお預かり時にもいっしょに成長しましょうという姿勢を持って犬のお世話をさせていただきます。

 ● 本当に涼しい七山の夏

 今こうしてパソコンに向かっている昼前の時間、博多にいれば窓を完全に閉ざしてエアコンを26度に設定しなければいられないような季節ですが、ここ七山ではエアコンも扇風機も必要ありません。室内の温度は25度、外ではセミがミンミンとせわしなく鳴いている夏の風景ですが、室内と日よけを張ったテラスには少し冷たい風が通り抜けていきます。

 訪れる人の大半はその涼しさにビックリされます。なにしろ標高が500メートルな上に、山の陰に位置するように家が建っていますので、冬は大変寒いのですが代わりに夏は本当に涼しいのです。昔の住所は唐津市池原山影となっていましたので、まさしくそのとおりです。

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● エアコンでは不健康になる動物の体

 自分も博多の中心部で育ってきました。小学生の頃には母親がすでにアスファルトになっていた家の前の小さな道に打ち水をしていたことを懐かしく思い出します。そのうち水でわずかな涼しさが戻ってきたことを懐かしく思い出します。しかし40年前と比べると、明らかに都心部の気温は動物が耐え難いほどになっています。

 この暑さの中、大半の犬を飼うご家庭ではエアコンは欠かせません。留守番のときにもエアコンを犬のためにつけてくださる家庭が増えたことを少しホッとしています。最近ではスマートフォンでエアコン温度の管理もできるようですから、長時間の留守番になる犬のためにはそうした配慮はしていただきたいのです。

 こうしてエアコンという文明の力に頼るからといって動物が健康的に過ごせるわけではありません。身体的感性の落ちている人でも、敏感な方はエアコンをつけていると体がだるいとか頭が痛い、気持ちがぐったりするヤル気になれないなど、身体的不調だけでなく精神的な不調を感じられることもあるでしょう。単純に外気温と室内気温の差が出れば出るほど体の機能調整が不安定となります。外には全く出していない犬であっても、太陽の位置は特別な機能を通して感知しているはずです。さらにエアコンでは体の表面温度は下がったように思えても体の機能を働かせることがなくなるため、犬は不具合を生じます。

 これに反することになりますが、動物の飼育管理にあたって完全管理は動物を長生きさせるという事実はある程度立証されることでしょう。これは人についても同じことです。病院などの完全管理されている場所の方が、自宅で療養する人よりお様々な管理によって長く生きるとは思います。ただ、その生きるという姿が、活き活きと生きているのではなく、ただ生かされているということであれば、それはもやは生きているとはいえません。エアコンという設備によって暑さを乗り越えている犬たちの瞳から輝きが失われてしまわないように、この季節にぜひお願いしたいことがあります。それは、犬にも夏休みを与えて欲しいということです。

● 犬も夏休みをとろう、生かされることよりも生きることを選ぶために。

 実はわたしもとても敏感体質なもので、エアコンがあまり得意でないため、限界を感じると多少の時間でもこの季節は七山に戻るようにしています。身体的な不調だけでなく、精神的にも不安定になるのを自己調整するために自分にとって必要なことだと感じているからです。

 そして、この時期はできるだけ犬たちを数日でも七山の健やかな気候の中で過ごしていただけるようにと、七山滞在時間を増やしています。夏休みのお預かりクラスのご希望があれば、そちらを優先してスケジュールを組立てたりもしています。それは、その時間が犬たちが生きるためにとても大切な時間だと感じるからです。仕事上、犬の表情や犬の瞳や毛質の状態を見れば、犬がどのように暮らしているのかがわかってしまいます。その中には仕事で培った勘というのもありますが、刑事ドラマの勘のようなものでしょうが実は案外信頼できる情報です。シャンプーやカットをきれいにしてもらいよい香りがして、整備された食事によって体型を保つ大変可愛がられているのだろうなと思えるその犬たちの中に、動物の生の強さを感じられないこともあります。逆にまだ室内でストレス行動を繰り広げている犬を見ると、その中に怒りや憤りを感じることができるため、まだ生きる力があるのだと安心してしまいます。

 そうはいってもこうした問題を起こす犬たちにも限界があります。そのうちに抵抗する力はなくなり、大人しくなったかと思えばただ生きることをやめ、生かされることを選択したかのような姿に変化してしまいます。飼い主さんはこの内面的な光の変化に気づくことはあまりありません。だからこそ、輝きを失う前に犬が生きているということがどういうことなのかを知り、そこにいっしょに寄り添っていただきたいと思うのです。

 小学生の低学年までは東京で育ったため、夏休みには遠縁の親戚の家に母と共に出かけたことを思い出します。マンション暮らしでマンションの砂場が遊び場だった自分にとって、山の中で蝉をとったり川でザリガニをとったりした思い出は今でも鮮明に映像として記憶に残っています。もっとたくさんの思い出があったはずなのに、わずかに残されている映像がこうした自然の映像であることはとても不思議なことです。

 ということで、犬の夏休みを山林学校で過ごさせたいと真剣に考える飼い主さんはぜひご連絡ください。山には危険もいっぱいあります。ケガとも無縁ではありません。ブヨにさされて赤いぽつぽつができるかもしれません。それでも、それが生きているということではないでしょうか。

グッドボーイハートの犬の預かりクラスの詳細はこちらでご覧ください。

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よく動く元気な犬が活動的とはいえない理由:犬の自己抑制力と行動の関連性を知ること

犬の行動範囲は活動性について飼い主さんに質問をして犬の行動についてもろもろの状況説明を聞く中で、犬の見方の違いについて感じることがあります。たとえば、犬がよく動いて活動することが、活発であり積極的な犬なのだと思っていることです。こうして文字に書けば、動くことが活動することなのだから、積極的に活動するので間違ってはいないのではないかと受け取られるでしょう。しかしこうした犬の行動ももっと綿密にみていきその行動の目的や達成しているものとつなぎ合わせると以外にそうでもないということに気づきます。今回は犬の必要性や発達に関する情報について知っていただきたくためのヒントを提供します。

● 野生動物の行動範囲からみる動物の性質

七山校での早朝の出来事、朝の5時半くらいにガサガサと窓の外で動物が歩く音が聞こえてきました。あ、またアナグマが幼虫でも探しに来たのだろうなと、音のする方に視線を移します。ぼんやりと茶色の動物のシルエットが目の中に入ってきました。サイズが大きい?アナグマではなくイノシシだったのです。

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庭先で探索するイノシシ



大きいといっても成獣になると背中までの高さが1メートルくらいになるイノシシです。庭先にうろついていたイノシシは60センチくらいの、まだ駆け出しのイノシシでした。この春に生まれて親元を離れ単独で行動できるようになったのだろうと推測します。

野生動物は人を恐れています。特に、イノシシやアナグマは食用として狩られる一方で畑を荒らす害獣として扱われています。人が畑を持って以来の長い歴史の闘争です。そのため、イノシシは人の暮らす家周辺を日中にうろつく事はありません。夜間になると人間の屋外活動が停止するため、その時間を利用して危険地域をうろつき始めます。

このイノシシがいた時間はすでに陽が登り、あたりは明るくなっていました。のん気にうろつくのは危険な時間帯です。しかも、まだあまり経験値のない若いイノシシが近付いて安心できるような場所でもありません。庭と裏山の間の草刈が追いつかず、多少の茂みができてしまったことで、イノシシが経路を間違ったと考えることもできます。

そして、この積極的に活動するイノシシの性質ですが、ある面では利益を得る可能性が高い行動です。家の周囲には柿や栗などの木もあり、そろそろ青い実が落ち始めています。もみじの根や若い木々の上に這うむかごの根は山芋で、イノシシの大好物です。山奥では得られないご馳走を食べることのできるからです。

一方で危険性を伴う行動でもあります。動物の行動範囲は、好奇心や積極的な態度、欲求の高さにより活動性の高まりによって広がる反面、警戒心や慎重な態度、欲求を抑える抑制力によって制限されています。結局のところ、冒険心の強く欲が高すぎて危険を顧みず行動をすれば、その動物は事故や事件に巻き込まれ子孫を残す前に死ぬことになります。こうして淘汰がかかるため、自然環境に自律的に生活する野生動物は、一定の警戒心によって行動を抑制する力を備えています。こうしたブレーキがきちんと働いていることが、生きていくために大切だということを受け継いでいるのです。

● 家庭犬にみる抑制力の低さ

それでは、家庭犬の活動性はどのように変化しているでしょうか。まず、愛玩化によって活動性は極端に低くなっています。愛玩として人が求めている犬は、抱っこしたり、その辺に寝そべらせたりしているだけで、活動しない犬を良しとするからです。いわゆるお座敷犬といわれ、犬用のマットや座布団に寝そべって一日を終えてしまうような犬や人に抱っこされてじっとしているような犬を求めているなら、それは愛玩犬といいます。

また、人為的な繁殖による身体構造の変化によって、犬の本来の活動場所であった斜面の上り下りすら難しくなっています。うちの犬は上がったり下りたりできると思っている方も犬の動きをよくみてください。体のサイズやバランスの悪さから犬はよく飛び跳ねるように動きます。段差を歩くのではなくぴょんぴょんと飛びます。大きなサイズの犬も四つ足のバランスの悪い状態で立っていることができないからです。足の運びが速くなり、階段もとても早く上り下りをします。逆にバランスがとれる犬は階段の上り下りでもゆっくりと途中で止まることもできます。数歩でしたら後ろに下がることも可能です。

これらの活動性の低さと身体能力の変化にあわせて変化してきたのが、犬の抑制力の低さです。本来の動物は活動性があり、身体能力も発達しているが、抑制力が働かないと淘汰されてしまうという説明をしました。ところが、犬の場合には人為的な繁殖や管理方法によってその活動性が低下し、身体的な能力も明らかに低下しました。しかし同時に抑制力も低下してしまっていることが以外に理解されていません。

日常的に管理された場所で行動範囲も決められて活動性も低くなっている犬であれば、室内では動くことが少なくなっています。屋外では常に囲いかリードで制限されているため、自分で行動制限を与える必要がありません。家庭犬たちは抑制というブレーキ機能を使わないまま成長します。このブレーキのない動物の危険性は、リードが外れてしまったり、家の戸口がたまたま開いていたときに事故となります。犬は制限された場所から走り出してしまい、走り出した場所で見知らぬものに接近しすぎてしまいます。

急に走り出すこうした犬の行動は、屋外だけでなく室内でも見られることがあります。インターホンが鳴ったとき、来客が来たとき、何かいつもと違うものが部屋の中にあったとき、いつもはしまっている戸口がたまたま開いていたときなど、におもわず駆け出してしまうのは、活動性が高いからではありません。これは衝動的な行動なのです。この衝動的な行動をとっているときは、犬が周囲の環境の変化や接近した対象に対して正しく認知を進める作業は行われません。衝動的な行動をしているときにはかなりテンションが高まっているからです。

● 家庭犬の抑制力を育てることはできるのか?

抑制力の働いていない衝動的な行動は活動性の高さとはいえません。わかりやすく言えば、これらの衝動的な行動は、犬のストレス性行動といえます。つまり、犬はストレスの状態を強めていこうとしている状態なので、外部からのなんらかの制御を必要としている状況にあるということです。

この制御機能が備わっていない動物に対して、その機能の発達を求められるかどうかは、個体差がありはっきりといえません。もう少し正確にいうと、だれもその犬の失われた機能の発達を求めていないのですから、実際どうなのかということはわかっていないということです。

現実的に考えれば、人為的な繁殖によってゆがめられた犬の機能性を、経験を通して復活させることは、とても難しいことだと思います。犬には冒険をさせることもできず、環境を制限された室内やリードがついている場所や、安全な囲いの中で行動させることを人が望んだ結果です。犬が本来もつ能力と機能性の高さを思うと、こうして犬が変化していくことはとても悲しいことではありますが、この流れはしばらく続きそうです。

しかし、人は考えて変化する動物です。人という動物の変化にはまだ希望もあります。尊敬するジェーングドール博士の掲げた3つの理念のひとつは「hope」です。人という動物を信じることができなくなったとき、動物の美しさはすべて失われるのかもしれません。

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