グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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<犬のしつけ方>犬の脳の発育について考える

普段の生活の中でも、公園や地域にいる犬の行動につい注目してしまいます。

最近の犬たちの行動を見ていると、犬の行動はかなり「ハイ」な状態になっているではないかと感じます。

もちろん、全ての犬がというわけではありません。
そういう行動が目立つということです。


犬の行動がハイだと感じるのは、とびつき行動や吠えること、奇声を発する、多動など、行動に多さが見られるからです。

こうした行動の多い多動傾向の犬の脳は、常に活動しているということです。
行動には脳の活動を伴うので、活動が多いということは、脳が働いているということになります。
ときにこうした状態は脳が「活発である」とか「活性化」していると捉えられてしまうかもしません。

しかし、これらの無駄な行動は決して適切に活性化しているのではなく、脳は活発である反面、エネルギーを消費しすぎているのではないかと見ています。

つまり、むしろ活動が不安定と見るべきであり、脳機能が満杯な状態なのです

では、犬の脳が活性化しすぎることも犬にとって負担があるなら、どのような状態が犬にとって心地よいのでしょうか。


犬の生きることを健康に導く脳の機能とは、脳が正常に発育した上で、その機能をできるだけ長く維持し続けるということではないでしょうか。

犬の健康生活を考える上で、犬の発達と成長の機会を大切にしたというのは言うまでもありません。

その発達の中に、犬の脳の発育は当然含まれてくるのです。


犬の発育時で最も大切な時期は、生後4ヶ月までを含む生後2才くらいまでです。

犬が生後2才までに安定した経験を通して発育した脳は、大変安定したものとなるでしょう。

ところが、現在の犬の生活はとても安定した経験を積めるような環境が整いません。

人工的で擬似的な体験しか犬たちに与えられないからです。


犬がもう3才、5才、7才、10才にもなってしまい、犬の脳の発育が十分でないことに気づかれてうろたえてしまうかもしれません。

必要な時期に発達しなかった機能を、成犬になってから発育させることは100%はできません。

ですが、全くできないという訳でもありませんし、機能回復の可能性が0%ということでもないのです。


脳の発育と機能について自分たちに置き換えてみて考えましょう。

20歳を越えてから脳のは退行していて、その老化を止めることはできません。

さらに、幼少期に鍛えられなかった脳の発育を、大人になってから行うのは困難なことのように思えます。

困難であるということと、発育のゼロであるということの意味は違います。


犬の脳は人のそれよりも柔軟性があるように思えます。

科学的には解明されていないかもしれませんが、犬たちと接していることで感じることです。

環境の変化に対する行動や表情の変化、飼い主が変わったときに起きる劇的な変化など、犬の行動の変化や発育の過程にはいつも驚かされているからです。


先日、知人が若いころに聴いていた音楽を聴くと若返るからといって昭和のなつかしのメロディーのCDをプレゼントしてくれました。

果たして本当に脳が若返るのかどうかはわかりませんが、脳の柔軟性を高めることに役立つ感じはしています。

どんな方法が犬の脳の発育を助けてくれるのか、ある程度はわかっているものの、分からない部分もたくさんあります。

まずは、犬の脳の発育の現実的な段階について理解をした上で、いろいろと考えてみてください。

ただし、食べ物の存在をちらつかせたトレーニングは、犬の脳を硬くしてしまいます。

柔軟な発想は、縛られない脳から生まれるということです。

mde

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<犬のしつけ方>人の指差しに変わる、物を差し示す犬のコミュニケーション

昨日のブログで、人の指差しを理解する犬についてお話ししました。

ブログ記事<犬のしつけ方>人の指差しを理解する犬に観る理解力

記事の中でも述べたように、犬は人が物を指し示すときに使用する指で差す行動をしません。

犬にも脚の指がありますが、犬は人のように指を使っていないからです。

犬たちにとって脚の指は、どのような状況下でも必要に応じて行動を起こすために、常に地面の状態を受け取りいつでも活動に備える必要があるからでしょう。

しかし、この差す指を持たない犬たちにも、互いに物を指し示すという行動があります。


犬と暮らしているみなさんは、もうお気づきのことと思います。

犬がテーブルの上に乗っているジャーキーや、棚の上にあるオモチャを指し示したことはないでしょうか。

「あれ!」という感じですね。


このような指し示す行為に犬が使用するのは、視線です。

はっきりと差し示す場合には、体の全体を矢印のようにその方向へ向け、視線をまっすぐにそちらに向けてみます。

その後、指し示しを受け取って欲しい飼い主の方に一旦視線を移します。

飼い主が自分を見ていることを確認したら、再び指し示す方向に視線を向けます。

これを数回くり返せば、ほとんどの飼い主は犬が指し示している物に気づくことができます。


犬が物を視線で差して他者に伝える方法は、人に対するために発達したものではないようです。

観察していると犬は他の犬に対しても、同じ視線使いで差すという行為をします。

違いを感じられるのは、人に対して行うときには数回にわたり人の方を視線を移すのですが、
他の犬に伝える場合には、視線を他の犬に移すことが少ないということです。

犬と犬、物を指し示すような関係性に至ったときには、その関係性は深いものであるからでしょうか。

物を指し示す行為をする犬の行動を、他の犬が読み取る早さは人よりも早いのです。

犬が体の向きや視線で物を差す行動には、人の指差しにつながる社会性の高さをみることができます。

犬はやはり、とても社会性の高い動物なのだ。

彼らは社会を必要としているし、社会で使うコミュニケーションも発達させることができる。

そんなすばらしい犬という動物の発達を、飼い主おひとりおひとりがぜひ支えてください。

dav

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<犬のしつけ方>人の指差しを理解する犬の理解力とは

人と犬の間で起きるいろいろな行き違いは、種が異なる動物であるというところから起きています。

必要な環境が違う、習性が違う、求める環境が違う、そしてコミュニケーションの方法が違います。

犬のコミュニケーションは人という種とは大きく異なるのです。

そのコミュニケーションの差を埋めようと焦ってしまうと、つい犬の行動やしぐさを擬人化して捉えてしまいます。

例えば、走り回っている犬の行動を見て、犬が喜んでいると思ってしまうこと。

他にも、人に走りよってとびつく犬の行動を見て、人のことが好きだと受け取ってしまうことはないでしょうか。

犬の人に対する興奮行動を喜びと見てしまうのは、擬人化とは少し違うかもしれませんが、人の気持ちを優先させた偏った見方であることは事実でしょう。

お互いが理解しあえる関係になるためには、もう少し現実的に受け取りが可能なコミュニケーションの方法について知ることを提案します。

現実的な受け取り可能なコミュニケーションのひとつに「人の指差し」というのがあります。

「指を差す行動」は、他者に注意を促したい対象を指で差し示すことで伝える方法です。

「指差し」については、チンパンジーの研究者である松沢先生がヒト科動物のコミュニケーションとして紹介しています。

私たちヒト科動物にとって、指差しのコミュニケーションはとても重要で有意義なものです。

 

ところが、犬は人のように指を使いません。

例えば、犬はオヤツを指で差してあれが欲しいということはできないのです。

犬が使用することのないこの指差しですが、人との暮らしで人の指を差す方向に関心を向けるようになります。

犬が人の指差しを理解することについては、行動学者のコンラート・ローレンツも指摘しています。

こうした人のコミュニケーションに対する犬の理解は、人が意図的に教えなくとも自然に身についていくものです。

犬が人の行動を観察しながら、人の意図を読み取ろうとする過程の中で、自然に理解できるようになったものなのでしょう。

犬の方がこうして自然学習を重ねていく姿をみると、人との関係性の深まりを感じるため、感慨深いものがあります。

人への理解が高まることは、犬にとっても世界の広がる瞬間になるのでしょう。

分かり合えないと嘆くよりも、分かり合いたいと前進する方を選ぶ気持ちは、犬の中にもあるのではないでしょうか。

自分の犬は人の指差しを理解しているなと思われるなら、犬はいつもあなたを見てあなたのことをもっと理解したいと学んでいるはずです。

dav

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<犬のしつけ方>急変する犬たちの“先生モード”は何故起きる?

日々のトレーニングクラスを受講する飼い主さん宅でほとんどといって起きる不思議現象があります。

トレーニングクラス時の犬の行動が、日常とは明らかに違うらしいのです。

こうした犬の変化を、生徒さんたちが「先生モード」と呼ぶようになってしまいました。

“モード”とはなるほどなという感じです。

入力モードの切り替えのように、環境に応じて変化する犬の様子を上手く表現されました。

とはいえ、関心している場合ではありません。

この「先生モード」ですが、具体的にはいろんな行動の変化で起きています。


たとえば、トレーニングクラスの際にこんなことが起きるのです。

普段クレートに入れると吠える犬が、クレートの中で吠えない。

いつもは食事前にワンワン吠える犬が吠えなくなる。

来客があるととびついて甘噛みをする犬が、オスワリする。

ハウスといってもクレートに入らない犬が入る。

など、先生モードの行動も犬によって様々です。


この「先生モード」行動ですが、何故犬の行動が変わってしまうのだろうかと不思議に思われることもあるようです。

確かに犬の行動には変化が見られますが、犬そのものが変わったわけではありません。


先生モードへの切り替えはとても早く、普段モードへの切り替えも早く行われているようです。

レッスン後に「ありがとうございました」といってドアをパタンと閉めると、部屋の中を走り出す犬の足音を聞くこともありました。

「私=先生」という環境の因子が、犬の行動に与えている影響度の強さを感じるのですが、自分は犬に直接トレーニングを行ったりはしません。

それでも犬たちは、何かが違うことを察知して行動を変化させているようです。

環境に応じて行動を変化させるのは動物の行動の基本ですから、忠実にそれを行っているといえます。


では、環境がどのような方向に変化していったのかというと、私が犬の飼い主を管理する人として位置づけられているということでしょう。

直接的に犬のトレーニングを行いませんが、インストラクターとして必要な作業や説明の指示を飼い主に与えるのが自分の役割です。

実践的にやっていただくために、行動の指導も与えていきます。

たとえば、犬をハウスに入れて下さいとか、もう少し姿勢をまっすぐにしてなどと、飼い主の行動についての指導する様子を犬たちは感じ取っています。

わかりやすくいえば、飼い主の上にたつボスがやってきていろいろと確認をしているという様子です。


社会性が高く環境の変化に敏感に反応する犬という動物が、普段と異なるこうした環境に対して「先生モード」になるのは、ごく自然な反応なのです。

ということは、犬は環境さえ整えばできるということなのです。

この情報は、最初は飼い主にとっては受け入れ難い事実かもしれません。

結局、犬じゃなくて変化すべきは飼い主だと言われていることになるからです。

でも、考え方を変えるとこんなに簡単なことはないのです。

なぜなら、犬を変えることよりも自分を変えることの方が簡単にできることだからです。


自分を変えずに犬を変えようとする飼い主は、苦労ばかりが伴い先が見えてきません。

犬を変えるのではなく、自分を変えるのだと理解した飼い主の犬は、本当にみるみると変化していきます。

「先生モード」になりやすい犬は、成長の可能性を秘めた犬だという良いお知らせなのです。

ならば張り切って、犬との関係改善を進めていきましょう。

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<犬のしつけ方>『狗馬之心』くばのこころ

柴犬を育てている飼い主さんから、手作りの木の貼り絵のようなものをいただきました。

dav
きちんとオスワリをする柴犬の先に書かれている文字に目が止まります。

なんと書かれているのですか、とお尋ねすると「くばのこころ」だと教えてくださいました。

なるほど「狗馬之心」と書いてありました。

くばのこころの意味を辞書で調べると以下のようにありました。

~辞書より~
地位が上の者への忠誠心、誠意のこと。
「狗馬」は犬と馬のことで、犬や馬のように恩を忘れず主人に仕えて、少しずつでも恩返しをするという意味。
君主に対する自分の忠誠を自らを卑下していう言葉。
以上

犬といえば、飼い主の恩を忘れずに忠誠を誓う動物の代名詞のようになっています。

人にとってそのような心が動物の中にあり、その動物の心を見習うべしと教えることなどは、日本人的な動物に学ぶ心の在り方であり、美しいと感じることもできます。

ですが一面では、犬に対して必要以上の忠誠心を求めてしまうことがあるのも事実でしょう。

恩を忘れるなということを人が人に求めるならいくらでもどうぞと思うのですが、同じことを犬に求めることは、少し方向性が違うとしか思えません。

確かに犬には、見事な「忠誠の姿」を見ることができます。

それは、恩を忘れないという過去へのとらわれによるものではなくて、むしろとても現実的に現在起きていることを忠実に伝える忠誠の姿です。

つまり、現在目の前にいる飼い主という存在を、いつも正しく映し出してくれることこそが犬の忠誠の姿なのです。

単純に言えば、聞きなれた言葉になります。

犬は飼い主の鏡なのです。


ここで多くの飼い主さんが「全然似てませんよ」と思うかもしれません。

犬は見事に飼い主の内面を映し出すため、それを語るのは少し恥ずかしい気持ちになるくらい繊細です。

だから、あえて似ているとはいいませんが、飼い主側としては「自分の犬が自分似ているところってなんだろう?」と考えてみてもいいとは思います。

狗馬之心

本来の忠誠をきちんと果たす犬たちは、飼い主の言うことをきくなどの表面的な忠誠ではごまかされないのです。

犬を知って我を知る、

犬はありがたい存在なのです。

dav


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<犬のしつけ方>ソファの背もたれを占領する犬たち

犬のいろいろな行動は、習性から起こるものと、環境に応じて学習によって身に付くものがあります。

後者の場合、犬が暮らす環境の中で犬の必要性に応じて見につけていくことがあります。

イヌという動物が、人と暮らす必要のない環境で生活をすることができれば、人がイヌの行動に与える影響はかなり少ないものになります。

国内で身近なイヌばかりを見ていると、想像もつかないかもしれません。

でも世界に目を向けると、イヌは様々な環境で生活しているという事実があります。

山の中で生きるイヌ、ゴミをあさる犬、地域をうろついてコンビ二でゴハンをもらう犬、
そのスタイルは様々ですが、どのような環境もイヌの行動に影響を与えています。


犬は環境の影響を受けるのです。

特に人に飼われる犬の場合には、社会的な対象である人が作った環境内で起きる行動には、奇想天外なものがいくつも見られます。

飼い主さんが気づいていない犬の特殊な行動は、一定のグループの中で見られることがあり、そのグループ内の犬の行動や性質の特徴は多少似通った部分があるのです。

それで注目して始まった「~する犬たち」シリーズに上がられる犬の行動パターンが見つかりました。

ソファの背もたれに居座る犬たちのことです。


「居座る」というのは多少御幣があるかもしれません。

これらの犬たちはソファの背もたれに座ったり、伏せたりすることがあります。

それだけでなく、ソファの背もたれを歩いていたり、ソファの背もたれに手をかけたりすることもあります。

ソファというのは人用のソファのことで、人が使っているものか、以前使っていたものが多いのですが、中には犬用の大型のソファを与えられていることもあるかもしれません。

ソファの背もたれに乗る犬の多くは小型犬のようです。

大型犬がソファの背もたれに乗るのは容易ではないでしょう。

しかし、私はソファの背もたれに手をかける大型犬を今までに何頭も見てきました。


飼い主はこの行動にあまり関心を示していません。

飼い主が犬の行動に関心を持つのは大きくわけて3つあるようです。

一つ目は、自分のいうことを聞いたとき。

二つ目は、困った行動をしたとき。

三つ目は、具合の悪そうにしているとき。

この3種類の犬の行動に対して、飼い主はとても敏感に反応します。


飼い主に拾いあがられない些細な行動は、家庭訪問トレーニングクラスに伺ったときに、犬がしているのを見て気づいてメモをしておきます。

実はこの些細な行動こそが、犬の何気ないメッセージであることが多いのです。

なぜ、犬は狭いソファの背もたれに乗って休む必要があるのでしょうか。

こんなことを考えていると楽しくてワクワクして時間のたつのも忘れてしまいます。


こうやって今年も一年間、いろいろと見て考えて知って、犬の不思議に魅了されて過ごしてきました。

今年一年、犬の学びをご一緒していただきありがとうございました。

来年は、もっと奥伝に近づけるべく探究心を持って進んで参ります。

dav




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<犬のしつけ方>犬の気持ちは、犬の顔の表情筋を読め!

犬って何を考えているんだろうは、なかなか解けない質問です。

何かを考えているのか、もしくは考えていないかもしれないというところから、考えなければいけないという土ツボにはまってしまいます。

だけど、犬が表現しているものは、わりと分かりやすいものです。

分かりにくいことよりも、分かりやすいことから始めが方がいいですね。


でも、この犬の表現方法も、人間の方はかなりの誤解で受け取ってしまいます。

「犬が尻尾を振っていると、なんだか喜んでいると思ってしまうんですよね。」

これが多くの飼い主さんの言葉でしょう。

ですが私は、尻尾を高く上げてブンブンと横に振りながら、吠え続け、
もう少しでも近付こうものなら噛み付くことが予測される犬と何ども接触しました。

尻尾を振っていても、決して喜んでいるわけではないのです。


犬の気持ちをもう少しはっきりと受け取るために、見分けられる筋肉があります。

表情筋といわれる顔の筋肉です。

人では表情筋というと美しい笑顔をつくるために大切らしいですが、犬にも顔に筋肉があり犬の表情はこの筋肉によって変化しています。


犬が緊張しているときには、表情筋はひきつる方角へ上げられます。

よく犬の笑顔として紹介されている写真も、ほとんどが犬が緊張して引きつっている顔なのです。

横上に引きつって筋肉が引き上げられると、歯がしっかりと見えてしまいます。

人の笑顔が歯を見せることだという印象から、これらの犬の表情が笑顔だと思われるのでしょうが、これも受け取り方が曖昧です。


鼻先にシワを寄せるような表情になると、緊張から恐怖に変化していくことを受け取ります。

鼻先という中心に皮膚が集まることで自然と牙が見え始めます。

同時にウーという防衛の音を発することになります。

犬の表情の作り方は、表情を作ろうとして起きているのではなく、音を出すためだったり、牙を相手に見せるためだったりするのです。

結果、そのような表情になってしまうということです。


表情の変化は社会的な対象である他の犬は人に対して向けられるのが普通です。

生物ではないものにこうした表情が向けられるときには、それを生きていると認識しているか、何者であるかが認識できずにいるためです。

生きているものかもしれないということで、まずは社会的信号を発しているということです。


表情筋は読み取りやすいものではありますが、ある種類の犬たちからはあまりこの信号を得られません。

まず、顔周りの毛を長くしたままの犬たちです。

例えばプードルは顔の毛の長さで、表情筋がとてもわかりにくくなっています。

表情筋を上手く受け取りたいなら、顔周り、特に鼻周りの毛は短くしてあげてほしいのですが、可愛くないということで、あまり人気がないようです。

次に、短頭種の犬たちです。フレンチブルドッグ、ペキニーズ、ブルドッグ、パグなど、短頭種の犬たちの顔には最初からシワがよっています。

この形状からは気持ちにあわせた表情を表現するには、十分とはいえません。

全く出ていないわけではないので、細かに観察してその犬なりの表情を早く知ってあげるといいでしょう。

そして、表情の種類の少なくなった犬です。分かりやすくいうと、行動の種類が少なくなった犬といった方がいいでしょうか。

飼いやすいといわれるゴールデン・リトリバー、キャバリアなどは、社会的行動のいくつかが極端に少なくなっています。

同時に、緊張した犬のような表情をすることが少ないため、かわいらしく人気のある犬種でもあります。

一方で犬という動物の本来もつ高い社会的コミュニケーション力は、多少落ちてしまっている傾向があります。


犬の表情筋をよく観察し、自分の犬の性質についてみなおしてみましょう。

表情筋は表現することで発達することは言うまでもありません。

表情のない犬は、表現の受け取り先がないということです。

犬と毎日接して、もっともその表現を受け取っているのは、飼い主さんであること大切にしてください。

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<犬の体>犬の真上に飛びあがる垂直離陸行動のすごさに感動!

犬の行動を見ていると、その体の使い方に驚かされることがよくあります。

やっぱりすごいな~と感じるのは、「俊敏さ」と「柔軟さ」でしょうか。

動きの中には、いくつもの“技”のようなものが見つけられるのですが、

その中でも、注目したいのは垂直離陸行動です。


垂直離陸というと、主に飛行機が垂直に飛び立つことをいわれます。

犬がまっすぐに上に飛びあがる行動ですが、飛びあがり方に特徴があるのです。


子供のころに垂直飛びという運動検査がありました。

まっすぐに上に飛んで何センチ飛び上がったのかを計るものですね。

できるだけ高く飛ぼうと思ったら、どうしても一旦体を下に沈ませてしまいます。

そして、勢いをつけて上に飛びあがります。


ところが犬の上手な垂直離陸の場合には、体を沈める行動をしないのです。

膝を曲げることもありません。

もともと、活動することが前提ですから犬の膝はいつも曲がっています。

そして体を全く下に沈めずに、ただ上にまっすぐに飛びあがります。


足裏は全体が一瞬で地から離れ、足裏全体が地に着地します。

古武術の先生の本を読んでいると、同じように垂直離陸という言葉がありました。

説明には「居着かない」とあります。

つまり、同じ場所に居着かずに瞬時に行動に移ることができるということです。


同じ場所に居着かないというのは、考えずに体が反射的に反応をすることです。

犬が何よりも得意とする行動ですし、跳躍力が加わることで垂直離陸の高さは犬の体高と同じ位までになります。


時代劇で忍者が垂直離陸をして、自分の身長ほどの塀の上に上がっているシーンがありますね。

特撮なのか実際にしているのかは不明ですが、まさに垂直離陸です。


この垂直離陸のとびあがりとは別に、体のバランスを崩したように飛びあがる行動があります。

それが、2本の前脚をつきだす「とびつき行動」です。

犬が前脚を上げるとびつき行動の時には、体を沈めるようにしてそれから飛びあがります。

バランスを崩していますので、人や物に対して前脚をつく感じになります。

垂直離陸の飛びが1回で終わるの対して、バランスを崩した2本脚とびつきはくり返し飛びあがります。


そこに居着かない犬の動き、居着かないというのはこだわらない、執着しないということです。

今この瞬間を生きる犬という動物の本質につながる行動でもあります。

人が最も苦手とするところで、見習いたい心のあり方でもあります。


犬の垂直離陸行動は残念ながら動画撮影できませんでしたが、いつか撮影できることがあれば掲載します。

dav

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<犬のしつけ方>人の上を平然と歩く犬、人の上に乗って寝る犬たち

ブログの記事がいろんな犬たちシリーズ化してきてしまいました。

この仕事をしている特典は、様々な犬の行動を観察したり知る機会を得られることです。

犬によって違いのある行動もありますが、犬によっては同じ行動をすることもあります。


同じ行動をしている犬がいる場合には、他にも同じ行動をするのかどうかを確認します。

行動を比較することで、よりその犬の行動の表現の目的がはっきりとしてくるからです。


今日は、人の上を平然と歩いている犬と、人の上に乗って寝る犬を紹介します。


人の上を平然と歩くというのは、人が横になって寝ているときに、
人をじゅうたんマットのように踏んづけて歩いている犬のことです。

小型犬の場合には、文字通り踏んづけて歩いていきます。

大型犬の場合には、人をまたごすようにして歩いていきます。

逆に、うちの犬は絶対に人を踏んだり、またごしたりしないという犬もいるでしょう。

あなたの犬はどちらでしょうか。


もうひとつは、人の上に乗って寝る犬です。

人が横になって寝ていると、人の体の上に乗って寝ます。

犬によっては、特定の人にしかこれをしないということもあるし
もしくは、すべての飼い主の上に乗って寝るということもあります。

これも、うちでは絶対にないという犬もいるでしょう。

小型犬の行動のようにみえるのですが、実は大型犬も人の上に乗って寝ることがあります。


これらの行動は犬のどのような状態を表現する行動なのでしょうか。

世間の多くの飼い主さんはこのように説明するでしょう。

人の上を歩いて通るなんて、人を信頼しているからだわ、とか

人の上に寝るが好きなんです、といったものですね。

その人のことが好きだから人の上に乗って寝るという説明もあるかもしれません。

こうした曖昧な見方で終わらせてしまうのはもったいないことです。

犬の行動は犬のメッセージなのですから、もっと真摯に受け取る練習をしましょう。


これらの行動は、このブログでは幾度も紹介し、みなさんの頭の中にも入っている
人側のパーソナルスペースを侵す行動であるということは明白です。

犬がしているから疑問を感じないのかもしれませんが、
同じ行動を、人が人に対して行ったとすればどうでしょうか。

悪ふざけでなければ、侮辱的な行動でもあり、イジメ的な行動でもありますね。

相手が完全に自分よりも弱い存在であるということを、
相手のスペースを侵害することをもって受け入れさせているのです。


いいえ、犬たちは悪くありません。

人に対する犬の多くの行動は、人が犬に対して行った行動の鏡なのです。

これらの行動をする犬たちは、人にスペース侵害をされた経験のある犬です。

犬に対するスペース侵害とは、人が犬に対して愛情表現として行っている行動の中にいくつも見られるのです。


平然と人の上を歩く犬、

人の上に乗って寝る犬、

これらの犬を身近に見ることがあれば、飼い主さんとの関係について
もういちど考えてみる良い機会としてみてください。

dav

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<犬のしつけ方>散歩中に排泄することができない犬たちの理由

福岡市内を中心とする場所では、犬に排泄をさせる場所についてのトラブルも多く発生します。

トラブルの理由はわりと単純です。

犬が増えていること、排泄させる場所がなくなっていることです。


犬が増えた理由は、マンションの室内飼育の増加を住宅地の建設です。

排泄させる場所がなくなっているのは、公園の縮小と道路のアスファルト化です。

これらの理由は現象として実際に起きていることです。

環境に不具合を起こせば、犬は排泄場所が不安定になり、
歩きながら排泄する、いわゆるお漏らしをしてしまうこともあります。

こうした目に見える理由だけでなく、犬側の理由もあります。


犬側の排泄場所が不安定な理由は、犬の排泄の目的なのです。

犬の排泄は、ただ生理的に用を足すというものだけではありません。

生理的な行動と共に、テリトリーを獲得するために行動を行っています。

排泄行動はテリトリーを獲得する行動と結びついているのです。

このことが、室内であれ、屋外であれ、犬の排泄の場が不安定になる第一の理由です。


ちょっとイメージしてみてください。

犬の散歩コースと同じ道を、何頭くらいの犬が歩いていると思いますか?

経路が全く重ならなくても、ポイント的に重なるとなると数十頭の犬が、

テリトリーを重ねているということも十分にありえます。


犬たちは排泄をする前に、他の犬の排泄の臭いを嗅いでいます。

この場が自分のテリトリーだと主張する犬の臭いを嗅いでいるわけです。

その社会的なグループに、入っていこうと思う犬だけが、そこに排尿をします。

グループに入るというのは、堂々と入っていくタイプと、出会ったら吠えあうという形で
関係を持ち始める犬もいます。

最近は、後者のにらみ合い、吠えあい、相手の存在を無視といった対立的な行動も多くみられます。


中にはグループ内にいることと、自分の立場を認識しつつ、堂々と歩く犬、
もしくは、頭を下げたり顔を背けたりして、弱弱しく振舞って世渡りをする犬もいます。

こうした犬はほんの少しになってきました。

犬の性格の問題だけでなく、犬の数があまりにも多く、犬たちのストレスも大変強いため、
お互いが関わるということが難しくなってきてしまったからです。

これは犬側の問題ではなく、人の作った空間によって生じてしまった難しさです。


中には、どこにも排泄することができず、かなり遠くまで歩いて行って排泄をする犬や、
外で排泄できずに、自宅までがまんしてしまう犬もいます。

室内で排泄をしてほしい飼い主からすると、犬の室内トイレは「助かる」ことなのでしょうが、
実際の犬の発達や健康を考えると、喜ばしいとは言えません。


とはいえ、アスファルトばかりの街中で排泄ができるのが公園だけとなると、
公園に犬の排泄が集中してしまいます。

「公園は犬のトイレではない」という意見も、最なものだといえます。

他人の家の前や駐車場で排泄をしてしまうことも、同じ理由で了解できません。


では、どうしたらいいのだろうかと頭を悩ませています。

人側に立って考えれば、室内やベランダや庭で排泄させて、
散歩中は排泄をさせないという意見になるでしょう。

しかし、これは犬のナチュラルな行動に反しており、
動物福祉的な視点からみても明らかにフェアではありません。

まだ最適な解決策を見出していないのですが、
工夫してやっていただいていることもあります。

もっとより良い方法がないかを考えているところですが、
人の暮らし、犬の暮らしの根本が変化していかなければ、難しい問題のようです。

あと10年もしたら、犬は室内でしか排泄しないとか、
犬は室内飼いが常識といった時代がやってくるのでしょうか。

犬という動物をそこまで変えてしまうことは許されることとは思いません。

犬の行動の不思議さは、環境の不安定さでもあります。

よく観察して、よく考えていきましょう。

dav

Posted in 犬のこと