グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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犬への号令がなかなか伝わらないという飼い主への三つのヒント

「犬を叱ってはいけない」「犬は褒めてしつけるのがいい」というしつけ方が流行したため、その流れが生み出したものは「犬を褒めてしつける」が行き過ぎた「犬をおだててしつける」犬のしつけ方です。

犬のテンションを上げることや、犬に食べ物を与えて行動を起こさせようとするしつけ方が方向性を失った結果、犬は抑制の効かない動物に、そして飼い主との信頼関係を作れず、孤独なストレス状態に陥ることになります。

 

犬は社会的な群れを形成して生きる動物です。

群れの中での親犬が子犬や未熟な若い犬の教育は、群れそのものが正常に機能し群れが存続することにつながります。

群れとしては今すべきことを伝える方法を身につけておく必要があります。

しかし、フセを教えるとしてもその教え方(学習のさせ方)によって結果は全く違うものになります。

犬がおやつなどの食べ物やおもちゃをもらうなどの報酬が出ると察知したときにはする行動も報酬が出ないと知ると従わない、これは犬のしつけとは言えません。

犬は食べ物をもらうためにただ行動しているということになります。

つまり、飼い主と犬の間に主従関係ができているとは言えません。

従うべきは、優秀な群れのリーダーとしての飼い主だけです。

強く優れていなければ従う価値がない。

これが犬の社会です。

 

強い飼い主にならなければいけないと、犬に言うことをきかせようとして大きな声が出てしまうこともあるでしょう。

「強くフセと言わないとフセないのですが、叱っているようで可愛そうになります。」と戸惑う飼い主さんもいます。

フセという号令は叱るためのダメとかノーとかいう言葉ではありません。

犬を否定する言葉ではなく、犬に行動を起こさせるための言葉です。

その言葉、伝わらないとしたら何が足りないと説明すればいいのだろうかと考えていたときに思い出した映画があります。

それは「三島由紀夫 VS 東大全共闘 50年目の真実」という映画です。

この時代を生きていないので内容は難しく理解することはできないのですが、三島由紀夫氏と当時の全共闘の東大生の討論の中に「伝えるということ」のヒントを得られるような気がして数回見ました。

三島氏は討論の中で「熱情を感じることができた。」と表現しています。

熱情とは熱意のことでしょうが、他にもこの討論を通して行き来しているものがあります。

ナレーターが最後にまとめる三つのこと。「尊敬、言葉、熱量」。

この三つは、人が犬に対して真剣に接するときには外せないものなのです。

 

まず尊敬。もっとも重要な要素です。

犬という相手を尊敬(リスペクト)していなければ、大きな声はただの暴言になります。

犬は素晴らしい動物だ、あなたのことを尊敬している、だから私と真剣に勝負しなさいという気持ちがあるでしょうか。

犬にネコなで声で話しかける、キャー可愛いとおだてる、犬を表面的に扱うことを私は好みません。

それは、犬をただの動くぬいぐるみ程度としてしか見ていない軽薄な行為だと思うからです。

犬は人の喜ぶような形や顔にされています。

みなが可愛がったり抱きしめたりしたいというような容貌になっています。

それでもやはり犬は犬。

彼らには強い攻撃性があり、ひとつの命としてこの世界を生きる希望も持っているでしょう。

ただ彼ら犬の運命は、私たちの国では人に飼われることです。

だから飼い主によって自分の運命は決まってしまいます。

犬を尊敬するということがどういうことなのか、まだよくわからないという方にはローレンツの本をおすすめします。

 

次に言葉。

犬に理解できるように与えられる犬の機能性としてのコミュニケーションの形であるか、犬が理解できるようになった人の言葉であるべきです。

犬が飼い主の強さをわかって安心できるようにするために、飼い主は犬に言葉を教えるのです。

それは、おすわり、ふせ、まて、といった合図や号令というもので、言葉を持たない犬にとってはそれはシグナルとして認識されているでしょう。

親犬も子犬に対して要求をすることも威嚇することも、攻撃をすることもあります。

それはお互いが共通のシグナルを持っているからであり、それをとらえ違いすることがありません。

ところが人と犬は違ったコミュニケーションを持っています。

なので、人が犬と関係性を結ぶにあたって要求すべきいくつかの合図は犬に教えておくべきです。

ローレンツはマテとついて歩くことと、バスケットだと言っていましたが、私は、フセマテ、ついて歩くこととオスワリ、の二つのセットが必須だと思います。

 

最後に「熱量」です。

実はこれもとても大切なものだと思います。

前述の「大きな声を出すと叱っているような気がして」という部分ですが、大きな声は必要なくとも熱量は必要です。

熱量があれば声が大きくなっても仕方ありません。

それは犬を叱っているからではなく、対話には熱量が必要だということです。

実際、犬と犬のコミュニケーションを見ていても、興奮している犬を一喝する犬の声はワンにしろ、ウォンにしろ、ウォーにしろ、ガルにしろ、ある程度の熱量があります。

その熱量は私たち人間の比ではありません。

逆に、犬が人に咬みつこうとして威嚇するときにもすごい熱量を感じられるでしょう。

咬まれたことがなくてもガウという犬の威嚇音にひるむ人は多いはずです。

伝わらなければ意味がない、これもまた犬の世界です。

熱量は怒りではありません。

大きな声は怒っているわけではありません。

むしろ怒りは対話を生まず、怒りは決裂を生み出します。

犬に対する「どうして思い通りにならなのか」「なんでそんなにいうことを聞かないの」という怒りや憤りを犬は敏感に感じ取ります。

犬の方は「終わったな」と思うかもしれません。

怒りは犬との関係を良くするために全く必要がありません。

必要なのは「熱量」。

熱量は継続して出すことができますが、怒りはそう長くは続きません。

 

動物と真剣に向き合って信頼関係を築き上げたいと思うなら、まずその動物のことを知って理解すること。

相手の習性や立場を知って理解した上で、相手を尊重することも大切です。

犬を尊重するということは、飼い主である自分が社会的に主導権を握るリーダー的な立場を犬が認めてくれるように考えて行動をするということ。

これは犬を弱い動物としていじめることではなく、犬が飼い主と良い関係を結び安心して暮らしていくために必要なことです。

「強くなければ従う価値がない。」

人が強い動物であったからこそ、犬は人に従う価値があると判断したはずです。

同時に人はそれほどバカでもないらしい。

人は他の動物について知り学ぶ知識を身に着けるという習性も持っています。

犬に認められる飼い主となるために、自信を持って号令を出しましょう。

Posted in 犬のこと

青年期の犬を成長させる機会を持とう!「年下がいるから成長できる」は犬も同じ。

犬は一歳になったらどのくらい成長しているの?

犬の成長はとても早く生後一歳半で、人でいう年齢の二十歳くらいにあたります。

体もある程度成長しきっていますし、精神的にも成犬と呼ばれる年齢になります。

ひとつひとつの個体がきちんと成長することで群れとなって社会活動が成り立つのが自然の中での犬としての動物の世界ですから、犬であればどの個体も「成長」を目指して日々を過ごしています。

人に飼われるようになってペット化が進んだ動物である犬も、動物としての犬の部分をすべて失ったわけではありません。

犬は考えて成長しているわけではなく、成長するのが当たり前の機能としてそうなっていくのです。

ところが、最近の犬たちはなかなか成長しません。

生後一歳半になっても「大人になったな~」と思える犬がなかなかいません。

むしろ、子犬になっていくというか、扱いにくくなったり、わがままになったり…。

行動学的にいえば、犬のストレス性行動が増えていったり、他の犬との社会的行動が不安定になったりといったことが起きるようになります。

 

子犬の出現に慌てる青年期の犬たち

分かりやすいのはその犬よりも年下の犬たちが出現してきたときです。

大体、一歳から一歳半になると子犬たちが散歩に出てくるようになります。

今までは、自分が一番下だった、子犬として可愛がられていたのです。

子犬だったから許されたこともたくさんあるのに、今度は違います。

子犬に対しては自分がお兄ちゃん犬、お姉ちゃん犬と呼ばれるようになるのです。

今までは年上の犬たちを相手にすれば良かったのに、自分が年上の犬として年下の犬に対して向き合わなければならないのです。

この年下の犬の出現が、青年期に入った犬に行動の変化を起こさせるきっかけとなります。

家庭で規則正しい生活をして、飼い主から愛情としつけをたくさん与えられた犬は、年下の犬が自分の前に現れても動じることはありません。

むしろ、年下の子犬との出会いがあることで、自分の立場や役割をわきまえる機会を得られます。

子犬だった自分、年上の犬ににおいを嗅いでもらったり、服従的にあいさつをしたり、飛んだり跳ねたり、飛びつこうとしたり、と興奮して接してきたはずです。

それが、こんどは一気に逆転。

自分に対しておびえるように近づく犬、興奮してとびつこうとする犬、礼儀もなく近づいてくる子犬たちを相手にしなければなりません。

ここでは、相手が子犬だということが重要なのです。

怯える犬、興奮する犬、礼儀なく近づく犬、これらの犬が成犬であれば、相手をしないとか遠ざけるとか、防衛することもできます。

でも相手が子犬であれば、排除することはできないのです。

自分の群れの犬でなくても、同種(犬)であれば一方的に攻撃や威嚇をすることは許されません。

同種の子供を攻撃しないという種の遺伝的な情報に従って、青年期の若い犬にも大人の犬としての対応を求められるのです。

 

子犬に対する青年期の犬の対応で犬の社会性を知ることができる

では、青年期の犬は子犬に対してどのような行動をするのでしょうか?

成熟した青年期の犬は、子犬のとびつきや甘噛みに対して辛抱強くかつはっきりとした態度で冷静に対応します。

もちろんまだ若いのですから大人の犬のように堂々とはいきません。

状況によっては、声をだしたり、飛んだり、身をかわしたりすることもあるでしょう。

そうこうしながら、大人の犬としても振る舞いを身に着けていくはずです。

逆に、成長が遅れている青年期の犬たちは子犬の出現に右往左往してしまいます。

右往左往とは行動ではなく自分の成長そのものが、という芯から揺らぐ状態です。

相手が大人のふるまいで自分を落ち着かせてくれていた環境から、相手が子犬で興奮して攻撃的に接してくるわけです。

青年期の犬であっても子犬に飛びついたり甘噛みしたりと子犬に戻ってしまう犬もいます。

子犬に対して牙をあてたり、吠えたりして子犬を遠ざけようとする犬もいます。

また子犬の対面でよだれを垂らすこともあります。

子犬との対面によって、今までとは見たことのない自分の犬の態度に驚かれることもあるでしょう。

子犬の我が犬は犬に向かって飛びついていったはず、犬が大好きだと思っていたのにそうではなかったと気付く時期にもなります。

 

犬と犬の関係性に飼い主が介入できること

犬と犬のコミュニケーション中に、飼い主はわが犬にどのようにふるまえばいいのかを教えることができません。

他の犬と対面させているときに「ああしたらいいのに」「こうしたらいいのに」と飼い主がやっきになってもそこでは全く無力なのです。

できるとしたら、他の犬に対して攻撃的な態度や消極的な態度がでれば、対面を中止させることだけです。

では、飼い主の存在は犬のコミュニケーション力を高めることができないかといえば、決してそのようなことはありません。

むしろ、飼い主が育てた犬が今のような社会性を持つことになったという自覚をまずもっていただくことは最も大切なことです。

その上で飼い主ができることは何かを現実的に考えていきましょう。

子犬との対面をする前に、日々の生活の中での飼い主の接し方や環境が犬の成長に影響しています。

生後3ケ月から生後6ケ月にかけての一番最初の発達期に飼い主が子犬を赤ちゃん犬として扱ってしまうと精神的な発達が遅れてしまいます。

遅れてしまった成長を取り戻すためには時間をかける必要がありますが、成長を諦めないということがなによりも大切でしょう。

年齢を重ねても子犬っぽい行動をする犬、赤ちゃんのように甘える犬は人から見ると可愛いと思われるかもしれません。

しかし、それが人として見た場合はどうでしょうか。

犬が年齢を重ねて大人の犬として成長し、頼もしく子犬を守ることのできるような犬に成長をするということは、飼い主とってのメリットではなくその犬自身にとってのメリットなのです。

自分の中に育つ軸のようなもの、しっかりとした幹を持つ犬の成長は、ますます楽しみです。

犬が本当に可愛いというのは、赤ちゃん犬としてではなく尊敬に値する愛おしさだと思います。

わたしたちヒトの方が時代と共に親元を離れる年齢が遅くなってしまったのかもしれません。

子犬と犬のコミュニケーション、次回の犬語セミナーで紹介します。

生後4ケ月の柴犬くんと1歳3ケ月の犬くん



 

Posted in 犬のこと, コラム

犬の重大な問題行動も実は小さなことの積み重ねから始まる。

犬と問題なく暮らしていると飼い主たちには程遠いはずの犬の問題行動。

その犬の問題行動がまさか自分の犬に起きるとは、犬と暮したばかりの、もしくは犬を迎える前の飼い主には想像もできないでしょう。

犬の問題行動のご相談は、生後3ケ月とか生後4ケ月という子犬時期であることもあるし、8歳、9歳、10歳という犬ではかなりの高齢になることもあります。

問題となる行動の種類は、犬のもつそれぞれの犬種や性質といった個性によっても違いがありますし、むしろ飼い主の生活スタイルや生活環境によって習慣化された犬の飼育環境は犬の個性よりもずっと犬の行動に影響を与えています。

犬の飼育環境と飼い主の犬に対する接し方や飼い主と犬の関係性が犬の性質を育ててきたといっても言い過ぎではありません。

ですが、ひとつだけ絶対にどの犬にも同じだと言えることがあります。

それは、どんなに重大な犬の問題行動も最初は小さな問題から始まったのだということです。

飼い主に対してかみついたり、散歩中にリードをひっぱって興奮して人や犬に吠えたり、室内で来客に対して吠える、インターホンで興奮するなどいろんな問題行動がありますが、その問題行動にも最初があったはずです。

特にかみつき行動の場合には、最初は軽く人の手に牙をあてる、声をだして吠える、手をなめるといった行動や、人に対するとびつき行動といった行動で始まります。

この最初の人に対する自己主張の強い行動を見逃さずに対応しておけば、急に噛みつくような犬にはなりません。

しかもその行動は大体生後6ケ月くらいまでに出てきます。

犬の生後6ケ月というと犬の乳歯が永久歯に生え変わるころです。

犬の永久歯が生えるころには犬の顎は大変発達しています。

犬は動物を捕食する動物ですから、犬の牙と顎は動物を殺傷することに利用するために発達してきました。

生後6ケ月になり永久歯が生え変わった犬は、刀を腰に差している状態なのです。

その武器を自分が生きるためにも使うと同時に、群れを守るために使うという風に成長していれば問題を起こすような犬にはなりません。

生後6ケ月までを飼い主の甘やかしの中で育てられると、飼い主に対する主張をしたり飼い主は自分を守る存在ではなく自分よりも下の存在となってしまい、吠える、咬みつく、マーキングといった攻撃行動を周囲のものにするようになります。

自分の子供に対しても生じる「まさかうちコが…」という考えが犬の問題解決を遅らせてしまい、問題は悪化し手に負えない状態となってトレーニングスクールにご相談に来られます。

お伝えしておきたいのは、ドッグスクールに犬の相談をされることは決して犬を責めたり悪いと決めつける行為ではありません。

犬の吠える、かみつく、マーキングや破壊行動などはすべて犬のストレス行動です。

一番困っているのは犬自身であるということを理解してあげて、できるだけ早く専門家に相談してください。

飼い主としては「私が一番この犬のことをわかっている」という気持ちですから、相談するのに躊躇する気持ちもわかります。

初回の訪問カウンセリングのときに、飼い主さんが愕然とされる姿を今までなんども見てきました。犬のことをわかっていたつもりで全くわかっていなかった、飼い主さんがそう気づかれるからです。

気付かぬうちに犬の問題が大きくなって犬の精神が蝕まれてしまう前に気づいてよかったと思えるようになるのは、犬の問題に対して前向きに取り組んだ飼い主だけです。

そのうちよくなる大した問題ではないと、犬の叫びを聞こえないふりをして問題だけが膨らみすぎると解決できないばかりでなく、犬の体調不良にもつながっていきます。

犬のしつけは犬が来る前から始まっています。


 

Posted in 犬のこと

サルにまつわる話題が満載で学んだこといろいろ。

野生のサルと柴犬の小鉄くん

オポ広場の草刈をしようと準備をしていたときのこと、広場で小鉄くん(柴犬、一歳半オス)がワンワンと吠え始めた。

正確にはウォン、ウォン、ウォン、ウォン。

澄んだ中音程の繰り返す吠え声。

吠えている方向は広場から山に向かう方、少し高めに顔を上げているような吠え声。

イノシシが栗を拾いに来ているのだろうなと、草刈機を背負って広場に降りて行ってびっくり、上を向いて吠えている小鉄くんの上にサルがいたのです。

サルは広場の栗の木に移動した後に小鉄くんに吠えられたあとに電線に飛び移り、電線を渡って移動しているときでした。

細い電線の上を走っているサルの姿に感動しながら小鉄くんの近くに近づくと、サルは小屋の屋根を伝って柵の向こうへと消えていきました。

小鉄くんの吠える声はテリトリーに来客があったときの防衛的な吠えとは違っていて、何かを発見したことを伝える吠えでした。

その後広場の草刈を始めたのですが、小鉄くんは山の方に顔を向けたまま伏せていたり立っていたりと警戒を続けていました。

草刈を終えてから山の方を見ると樹木の枝が大きく揺れており、サルがまだいることを確認しました。

サルが人や犬を恐れずに行動するということと、小鉄くんの衝動性を抑えた執着しない野生動物に対する吠えに、動物たちのもつそれぞれの距離感を知りました。

 

サル群れがオポハウスに来たことを移動マップで確認

その2日後に表庭で預かり中の子犬ちゃんとバロンくん(1歳2ケ月オス)が遊んでいてペンキ屋さんと私が話をしているすぐ近くの木にサルがいてこちらを見ていました。

なんどか庭まで降りてきたことがあるのですが、ペンキ屋さんは初めて見たとのことでびっくりしていました。

その若いオスザルは木の上で体を掻いたりとなんの用事があるのだろうかという雰囲気でした。

写真を撮影しましたが、わたしたちを見張っているようにも思えました。


サルと私たちの距離は20メートルくらいでしょうか、子犬やバロンくんはサルの存在になかなか気が付きません。

私やペンキ屋さんが撮影したりサルに注目を始めるとバロンくんがサルに気づきワンワンワン。

サルは全く移動する感じもありませんでした。

この日はその後も栗の畑で2匹を見たため、群れで移動してきたのではないかと思ったら案の定、唐津周辺をテリトリーにするサルのA群がここまでやってきたという情報を入手しました。

サルの移動情報をアップしているサイトを生徒さんが連絡してくださったので確認できました。SNSすごいですね。

群れのサルにGPSが装着されているため群れの移動を確認できるマップがあるのです。

サルによる農業被害が深刻だということでこうした活動が行われているそうで、はじめてそのようなシステムを知ることができました。

人とサルの戦いは私のすぐ身近なところで起きていたのです。

毎年、柿の実が赤くなり始めたなと思ったら、ある日忽然と全部の実がなくなっていたのはやはりサルの仕業でした。

大好きな栗の実を拾うことを楽しみにしていたのに、栗畑に落ちているのは栗の皮ばかりです。

日本サルは希少動物のため捕ることを許されていません。農家の方々にとって最強の敵であろうと思います。

爆竹のようなパーンという音はサル除けにも使われるのでしょうが、サルにそんな脅しが効果があるとも思えません。

最後にサルと境界線を戦えるのはやはり犬ですね。

境界線を守る犬たちの復活を期待しています。

 

最後に、お尻がサルのようになった最近の自分。

そしてこの間に家と山間部の間の草刈最中に、キイロスズメバチに刺されました。

人生で2回目ですがショック症状はなく、今回は草刈用のガードがあったので刺された場所はなんと尻部です。

刺された場所が幸いしたようで1回目の手のときのように死にたいと思うほどの痛みはありませんでした。

注射+くらいの痛みがあって結構長ーく痛みが続き、夜になると腫れてきて痒いのと痛いので一晩は睡眠が浅くなりました。

いつもうろうろとする場所なので大体このあたりに巣があるということはわかっていたのですが、草刈機を持って上がること自体が滅多にできないことなのでもう少し刈りたいという欲求に負けて踏み込み過ぎました。

時間に余裕があればもっとゆっくりと草刈もできるのでしょうが、犬のお世話の合間なので早く済ませたいと思ってしまうのです。

スズメバチに刺されたらお世話もできなくなってしまうことを考えなければいけませんでした。今回はすぐに動けるような状態でしたので仕事には支障ありませんでした。

スズメバチに刺されることなどは普通の山歩きではありませんので、どうぞ山を怖がらないでください。

山で暮らすとなると、戦わなければいけない、警戒しなければいけない野生動物が出てくるのは当たり前のことなのです。

そのことが嫌だったら山に暮らさなければいいのです。

「怖いからしない」という考え方や行動のパターンもありますが、自分の場合にはいつか死ぬのだからある程度やりたいことはやるという気持ちが強いのです。

犬に対しても、ケガをしたら怖いから…と思ってしまうのであれば、犬をどこにも連れていくことはできません。

犬を室内に閉じ込めておくか、柵のあるドッグランで走らせるのか、そんなことしかできません。

動物にとって危険と好奇心はセットになっていると思います。

リスクのない冒険はありません。

何もしなくて安全だけど退屈な時間よりも、少し危険が伴うけれどその危険すら自分の判断や能力に委ねられていると、自分を試す時間がある方が人生はワクワクします。

犬も同じではないかと思うのです。

ちなみに、スズメバチに刺されたあとも病院には行ってません。この程度なら行かなくても大丈夫という感覚が自分の中にあるからです。

その後も、日本ミツバチを襲撃するキイロスズメバチを駆除したりと、怖いと思うことはありません。

怖いのは動物ではない、動物に対しての自分の行動です。

犬にはなかなか咬まれることない私ですが、思いっきり警戒しているからですね。

今後は野生動物のことをもっと知ってもっと警戒して、そして程より距離を保っていきます。


 

Posted in 日々のこと, 犬のこと, 自然のこと

犬の社会化の失敗、ほとんどは経験不足よりも与えすぎが問題です。

犬の社会化学習とは

犬の社会化学習は、犬が生きるために絶対に必要な学習です。

犬の社会化を簡単に説明すると「犬が人との暮らしの中で安心な気持ちでリラックスして生活できるようになるようにするための学習」ということです。

社会性のある犬とは、日常的な生活の中では特に不安を抱えることもなく、安定した生活を送っています。

社会生活が安定した社会性が高まった犬は、吠えたり、咬みついたり、興奮したり、マーキング(トイレのにおいつけをしたりすることはありません。

ところが、社会性が育たずに不安を抱えやすいような精神状態になってしまった犬は、日常的に、吠える、咬みつく、マーキングする、興奮してとびついたり走り回る、などの行動をしています。

不安を抱えやすくなってしまった犬は、社会化がうまくいかなかったということです。

 

犬の社会化は与えればいい、は大間違いの理由

この犬の社会化学習ですが、実は大変間違えられていることがありますので警告します。

それは、犬の社会化とは経験不足によって起きるのだと思い込まれていることです。

経験をさせないと学習が進まないというのは当然のことです。

ですから、ペットショップに長い間おかれることになり、生後6ケ月の犬を購入すれば、当然のことながらその生後6ケ月の犬は何も社会化学習をせずに成長してしまったことになります。

これはこれで問題ではあるのですが、逆の問題も発生します。

生後2ケ月の子犬を自宅に迎えて、犬に社会化学習をさせなければいけないという情報だけを飼い主が持っていたとします。

・来たときから抱っこで人になれさせようとする

・来客を呼んで子犬を触ってもらってなれさせようとする

・公園に抱っこして連れていき、他人に抱っこしてもらって慣れさせようとする

・公園に連れていっていろんな犬にあわせようとする

・犬の幼稚園に入れて他の犬と過ごさせるようにする

・先住犬と室内で走り回らせている

・ドッグランに連れていっていろんな犬にあわせる

・音に馴れさせようとしてテレビを見せるようにしている

ここに挙げたすべての行動は、犬の社会化が失敗してしまう原因になります。

犬の幼稚園についてはプロのいる現場ではありますが、ただ犬に合わせれば犬は犬に対して社会化するのかというとそうではないのです。

人に置き換えてもわかるのですが、みなさんはみんな幼稚園に入るはずなのですが、幼稚園に行けば、人と上手に関われるようになったかというとそうではありません。

幼稚園に行っても人とのコミュニケーションが苦手の人はたくさんいます。

幼稚園でどのような経験をしてきたかということが重要であるということです。

この「社会化の与えすぎの失敗」ですが、私も育成という意味では同じような間違いをしたことがあります。

それは、犬ではなく植物の例になります。

植物を育てた経験のないわたしは、種を植えて、芽が出てきたとしても、何かを与えなければいけないのではないかという不安に駆られるのです。

水を与えなければいけないのではないか、肥料を与えなければいけないのではないか、太陽にあてなければいけないのではないか、と何かを与えることはとりあえず良しとしてしいます。

ところが、植物は与えすぎるとうまく育ちません。

植物が安心して育つ環境というものがあって、この植物にはこのような環境が適しているというものがあるのですから、それを人工的にどのように準備する必要があります。

つまり、犬の社会化も同じなのです。

犬になんでも与えれば犬はそれに慣れて安心すると思ったら大間違いです。

犬が安心だと思っていないのに自分の前に他の人が近づいてきて体を触ろうとしたら、興奮してとびつくようになり社会化(安心)を得ることはできないのです。

 

子犬の社会化を成功させるための方法とは

私の植物育ての失敗例にあるとおり、子犬のうまく社会化させるためには、子犬が安心できる環境を整えるというところから始めなければいけません。

それは、いきなり外に連れていって他人に会わせることでもないし、犬の幼稚園に通うことでもありません。

子犬といっても犬という動物なのです。

犬という動物が本来ならどのような環境で安心して生活をしているのか、犬の習性やコミュニケーションをよく学び、人工的にその環境を整えていくこと、これが子犬の社会化のスタートです。

日本では犬の室内飼育や集合住宅での飼育も当たり前になりつつあります。

しかし、あまりにも早い速度で犬の飼育環境が変化してしまい、犬の遺伝的な変化はそれに追いついていません。

良い意味で、どの犬もやはり自然の中の動物、犬なのだなと感じることが多々あります。

犬を犬だと理解して、私たちの暮らしの中で安心できる生活をしていけるようにするために、子犬を迎えた方は早目に良い社会化トレーニングをスタートさせてください。

また、社会化に失敗して成長してしまった犬たちも、できるだけ早い年齢で「社会化学習のやり直し」をされることをおすすめします。

飼い主のためでもあり、なによりも犬のために必要な学習なのです。

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山の日も山の日じゃなくても犬は山で遊ぼう。

いつからか定められた「山の日」、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」日らしい。

自然が身近にあった昭和の時代には必要のなかったものが必要になる。

平成から令和へと、自然から離れていく人間に対する警告としては必要なのかもしれません。

山に親しむという言葉に違和感を覚えてしまいますが、そもそも人も自然の一部だと感じる私にとっては、山は親しむというよりわたしそのものです。

そして犬にとっては、山は自分たちの里、自分たちが生まれた場所、自分たちの祖先がずっとずっと暮らしていた空間です。

犬に山はあなたの何ですか?と質問するのも失礼ですし、何より彼らは山のことをよく知っています。

犬の人為的繁殖によって短い期間に山の生活から離されてしまった犬が多い中、ほんのわずかではありますが、トレッキングクラスなどを通して山が生活の一部となった犬の姿を見るとなぜかホッとします。

山の中で歩く犬を叱ったりほめたりする必要もなく、リードは自然に緩やかに人と共に歩けるようになる犬の姿を今までになんども見てきました。

犬に何も教える必要はなく、ずっとそうしてきたのだから当たり前のことだと犬の遺伝子が思い出すように、彼らは山のなかでふんわりとリラックスして活動をします。

こんな山時間を過ごす犬は飼い主に拘束されていると感じることもなく、飼い主に執着する必要もありません。

ただ忙しい飼い主が自分を連れて山に行く時間をただ待つことだけです。

犬にとっての山の日が非日常ではなく日常になるように、グッドボーイハートで伝えられることをこれからも伝えていきます。

Posted in 犬のこと

犬の「心」はどのようにして生まれたのか。

「ヒト」と最も近い「チンパンジー」の違いにみる社会性

先日、動画配信で東京大学の公開講座を拝見しました。

東京大学の長谷川寿一先生の「ヒトの心はどのように生れ、進化してきたか?」という題目の口座で2015年に講演されたものです。

このような興味深い講演が無料で配信されているのはありがたいことです。

長谷川先生の講義では「ヒトの心」について考えるにあたり「ヒト」とはというところに焦点を当てられています。

ヒトとほぼ同族とみられいてるチンパンジーとの共通と相違。

大変近い動物であるにも関わらず、社会生活の主軸ともなる部分で違いも見られるとのこと。

例えば、夫婦関係を築くヒトと異なりチンパンジーは繁殖時だけの関係性であることや、子供を育てる方法として女性たちが社会集団としてみなで子育てをするヒトと異なり、チンパンジーはメスがひとりで子供を育て上げることなど大きな違いがあることなどとても興味深いことです。

 

「ヒト」は異なる種「イヌ」と似ているところが多い

ヒトとチンパンジーが近い関係にある動物としているのはDNA配列が生物学的に近いことだということです。

イヌとオオカミが近いと言われるのも、上記と同じ理由です。

生物学的には非常に近いヒトとチンパンジーですが、社会構造はむしろ、全く別の種である動物の方が近いというのが面白いところです。

講義の中でも鳥の種の中には生涯「一夫一婦」を貫くものもいるそうで、仲睦まじい夫婦をオシドリ夫婦という由来ですね。

夫婦関係でいえばオオカミはオスとメスの関係性が深く一夫一婦にあたります。

また、オオカミの子育て方法はオスも子育てに参加し、子供を産まないメスもいっしょに子育てをするというまさにヒト族ヒト科の私たちとよく似ています。

イヌとなると繁殖に人間の手が張り込んでしまうため、どのような形で繁殖を行っているかで、オスとメスの子育てに関する行動はかなり変わってしまいます。

人工的な繁殖下におかれたイヌは、子犬のために食料をとってくることもないし、メスといっしょに暮らしていない繁殖用のオスは交配後にメスや子犬を守ったりすることもありません。

イヌの行動が人の作った環境の中でどんどん変化していくことに人側は無関心でいるようですが、このことはイヌのコミュニケーションの能力にも強く影響してきていると思います。

 

犬の「心」はどのようにして生まれたのか。

長谷川先生は「ヒトの心はどのように生れ、進化してきたか?」の題目の答えらしきものを講義の中では話していません。私も同じような講義をするのでわかりますが、答えはまだない、だから考える過程を教えて下さっているのだと受け取りました。

先生の講義を聴きながら「ヒトの心」は社会的集団の中で生まれているのだと考えました。

さらにその社会的集団は、集団行動を維持しようするための目的とコミュニケーションを必要としています。

社会的集団から外れ、集団行動を維持する目的を失ってしまうと、コミュニケーションはなくなり心もまた失われるのではないかと考えるのです。

「心」と「感情」を同等にすることはできませんが、常に定まらずに動く「心」を安定させているのもまた結束の高い社会的集団に所属して活動をすることにあるのではないかとまた発展して考えました。

これはヒトの話でもあるし、本来はオオカミとして野生で社会生活を送っていたイヌのことでもあります。

イヌはヒトの捨てたゴミを拾う生活をするようになって社会生活を捨てました。みんなで生きるよりひとりの方が価値が高いからです。

危険と戦うなら集団がいいけれど、逃げるならひとりが良いでしょう。

イヌは一匹オオカミになってしまったということです。

そして一部のイヌは今、ヒトの家族という社会集団の中に入って生活をしています。

ゴミを拾うよりもヒトから食べ物をもらい、同時に集団に所属できるというオオカミへと復帰できる行動の変化が促されます。

人に飼われている犬は、家族という社会集団に入って群れとして活動し、コミュニケーションを発達させ、そして心を宿していくのではないでしょうか。

そんなことを考える機会を長谷川先生にいただき感謝いたします。

明日はグッドボーイハートの山の学校に講師をお迎えしてのセミナー開催です。

講師をお迎えするのは久しぶりなのでとてもドキドキしています。

犬について共に学びましょう。

まだまだ知らないことばかりです。


 

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大きく成長した木は根が張って強い!犬の脳も根が伸びると安心&安定するから原理は同じ。

枝が広がったように根が張ったクヌギはすごく強い

山の学校のオポ広場の整備を行っています。

やっと登記申請が終わったので本来の目的にあったように計画を形に変えていくことになりました。

それで、植樹した木々は山の方に植え替える作戦を実行しようとスコップをもってとりかかったのですがここで大事件。

人の背の高さほどに成長したクヌギの木々の根を掘り出そうと掘っても掘っても根が長く伸びています。

愕然として少し遠巻きに見ると、どうやら木の高さや枝の広がった方向と同じように根も張っています。木の高さが160センチくらいだと枝ぶりは2メートル以上、つまり横に4メートルは根が張っていることになります。

私はすぐに「無理」を宣言。俺にもやらせてくれとダンナくんがチャレンジしたけれど男二人でも無理、それほど木の根が張っていたということです。

根が張った木々は頑丈で全く引き抜ける感じではないのです。すばらしい安定力これこそ犬の脳の発達と同じ仕組みだと改めて感動しました。

 

犬の脳の発達は根を伸ばすこと

犬の脳の最初の発達は子犬期の脳の発達です。子犬期の脳の発達とは、脳内の神経が根を張るように伸びていくことから始まります。

伸びた根はそれぞれが地面との連携をとりながらいかに効率よく養分を吸い上げようとしているのがわかります。

根が張って地面から栄養を吸い上げているために若木の枝にはたくさんの蟻が活動をしていました。すごい栄養分なのですね。

犬の脳でも子犬のころに脳の神経が安心&安全をリターンにしながら自律的な活動を繰り返すことで根が順調に伸びていきます。

樹木の生長と犬の成長は同じなはずなのに、植物のようにはいかないのが犬の成長を支えることです。

ここには植物と動物のしくみの違いがあるからです。

犬の脳は発達できないのに犬の体は成長していく

もし子犬の脳の神経が健やかに発達することができなければ、犬は生後数ケ月もするとそれを様々な行動で表現します。

発達不全の犬は不安を抱えて行動できない、不安を抱えて依存的になる、多動になるなどの行動が起きるようになります。

悪循環が始まり、活動が広がる犬の脳は周囲の新しい出来事を拒否するようになります。

脳の神経は伸びることもできず、縮んだままになり小さな脳になります。

ところが、困ったことにというのも変ですが犬の体だけは成長するのです。

植物だったら根が伸びなければ木は育たないし大きくならないのですから、根が伸びていないことが外からみてもわかります。

犬の場合には体だけはどんどん大きくなっていくので「犬はちゃんと成長している」ようにしか見えないのです。ここのところが難しいところですね。

体は大きくなっていっても脳内の神経が発達していかなければ、犬は不安定な行動つまりストレス性行動を日常的にするようになってきます。

犬の体重が増えていくことは気にしても、犬の行動が安定しているかどうかをチェックすることは一般の方には難しいでしょう。

犬にかかわる仕事をしている方の中にも、犬の行動を適切に評価できる人は数少ないようです。

最近では犬の社会化学習のために犬の幼稚園を利用する方も増えていますが、結局社会化がうまくいかったというケースもよく耳にします。

他にも他の犬に会わせるためにドッグランに通い続けて社会化がうまいかなかったということも増えています。

犬の脳が安心&安定を積み重ねながら根を伸ばして脳内に神経細胞という地図がしっかりと根付けば、子犬が成長の過程で出会う困難に対して簡単には倒れない心を持てるようになります。

それが本来の犬の社会化です。

ですが、オポ広場のクヌギが大地に根を張ったように犬の脳の発達を促すためには「育つ環境を整える」ことが大切です。

子犬が育つ環境、犬の脳が発達する環境、犬が社会化する環境について、深く深く考えていきましょう。

木の根を掘り返す手伝いをするバロンちゃんときいろちゃん。犬は穴掘りが得意です。



 

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明日は追い山「速く動く山は形がきれい」集団行動について考える。

コロナ禍で開催できなかった博多山笠の追い山が明日の早朝に行われます。

直接見に行くことはできなかったけど、ラジオやテレビから流れてくる走る山の音や声を聴きました。

博多っ子である私にとっては聞きなれた季節の音、日常が戻ってきたようでうれしく思いました。

 

さて、その追い山ならしの映像を見て解説を聞きながら考えたことは「集団行動について」です。

集団行動は一定の数の集団(グループ)がある規則にのっとり動く行動のことをいいます。

幼稚園のときから集団行動は練習していますが、小学校、中学校となるとその集団行動のレベルも高まってきます。

追い山も移動中に舁き手が次々と持ち場を交代し持ち場に応じて役割が決まっていること、とても高度な集団行動で一トンという重さある山が動かされています。

追山ならしの動画を見ていると、タイムの速い曳山の特徴は形と動きがきれいであることです。解説者の方も速いタイムの曳山の動きを「美しい」と評価しました。速く動こうとする目的に形が応じると美しい形になります。

この原理は犬にも当てはまります。

一定の速度を保って少し早く歩く、散歩という行動。

見ていて美しいと感じられるものは、犬と人がその機能性を十分に発揮している行動です。

一方でゆっくりとした速度で歩く山歩きという行動。

山歩きには前後ではなく上下という空間も加わりますので、前に進むと同時に上に進む行動が出たり、下に進むという行動も伴います。

移動するたびに人も犬も個体の形は変わっていきますから、なかなか美しいと感じられるのには時間がかかるのですが、これが美しいとみられるようになると、全体の動きはとてもバランスがとれてきます。

犬と人という二つの個体がいっしょになって集団となった場合も、やはりバランスと集団化という二つの機能性を発揮できている山歩きはとてもきれいだなと思います。

犬とのより良い関係性を求めるために、犬と向き合ってボールを投げていても何か結果がでていないと感じられることはないでしょうか?

群れの美しさとは、集団で移動する機能美の美しさ。

それを実現するために身体的な能力は当然ながら必要ですが、あわせてお互いの存在を意識して、同じ目的をもって結束して行動することが何よりも大切なことです。

明日の追い山笠でコロナや不幸な事件や不安な思いが吹き飛んで、みなが明るい気持ちを取り戻すことができますように。

最後は結局のところ神頼みとなりますが、小さな存在である私は私なりに日々の勤めに励むだけです。

オポ広場で遊ぶ犬たち

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「子犬」と「小犬」を同じだと思ってはいませんか?

先日訪問レッスンに伺うためにマンションのエレベーターの到着を待っていたとき

一瞬地面を見ていてその瞬間「ガウガウガウ」とものすごく大きな音がしたのにびっくりして思わず「わっ」と声を上げてしまいました。

小型犬を抱きかかえた飼い主さんが犬の頭を抑えるようにして「すみません」と足早にエレベーターから出て来られました。

視線を上げていて犬だと気づいたらそんなにびっくりした声をあげなかったと思いますが、何しろ油断していたもので先に声が聞こえて驚いた次第です。

慣れている私でこんなに驚いたのですから、犬に慣れていない人や犬が嫌いな人だったらもっと怖い思いをされるだろうなと、改めてそちら側の立場に立って共感した時でした。

抱きかかえて移動できるのが小型犬の便利さではありますが、その便利さに便乗してしまい、解決していない犬の行動が案外あるではないでしょうか。

たとえば、もしこれが大型犬だとして、エレベーターから出てくるときに人をみて立ち上がりガウガウと声を出すような状態だったら、すぐにマンション内で問題になるはずです。

ところが小型犬の場合はこれくらいの吠えは「怖がっているから」という飼い主側の主張で問題となることがありません。

同じようなことは散歩中にも起こります。

人を見てワンワンと威嚇するように吠える小型犬は、抱きかかえられるようにして「大丈夫よ」という声をかけられながら、怖がりで可哀そうな弱者の小犬として吠えることが許されているように見えることもあります。

犬を見てワンワンと吠える小型犬は、「この犬は犬が好きなんです。」と犬に近づけていき犬を目前として吠えることができない状態にもっていく一方的な他の犬への接近も許されてしまいます。

しかし、やはり大型犬ではこれはまかり通りません。

犬が人を怖がって吠えていても大型犬を怖いのはむしろ人の方ですし、犬が犬を見て興奮して吠えていても、通行人は怪訝な顔しかしません。

危険な犬、吠えたり興奮するのを止めるようにトレーニングをすべきだと誰もが思うはずなのです。

なのに、小型犬は怖がって吠えることも興奮して吠えたり飛びついたりすることも、小犬だから当たり前、仕方がないのだと飼い主も世間も思っているのかもしれません。

そこで、勘違いをしているみなさんにお伝えしたいことがあります。

小犬は子犬ではありません。

小型犬は成長して脳も精神も発達する成犬、つまりはおとなの犬なのです。

対して子犬とは生後6ケ月未満の乳歯の間の時期の犬のことをいいます。

小型犬は小さくなりすぎたため、乳歯が抜けきれずに永久歯といっしょに生えてしまうことがあります。

それでも、小型犬も生後6ケ月を過ぎると少年期、青年期を経て立派なおとなの犬、成犬になります。

小型犬のサイズが、小型犬を子犬と間違ってしまうという問題が社会的に生じています。

人にとって問題というよりも、デメリットのあるのは小型犬自身です。

どんなに小さく生まれた犬にも成長して発達し、精神的に安定した豊かなドッグライフを送る権利があるはずなのに、成長をストップされた小型犬は子犬として生涯を送ることになるのかもしれません。

犬を見た目で判断しないで。

小型犬は子犬ではないこと。

小型犬もプライドが高く優秀で凛々しい犬となる権利を持っていることを、忘れないでいてあげて下さい。


 

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