犬に対する飼い主や人の声かけが、人の思惑とは別の方向に向ってしまうことがあります。
最も多くみられる間違いで、人側がなかなか改善できないのが、怖がる犬に対するなだめ行為です。
怖がる犬に対するなだめ行為とは、まさに、なだめるということを目的とした声かけです。
人の犬に対するなだめ行為について例をあげてみましょう。
散歩中に環境の変化に適応できず、硬直して動けなくなり立ち止まって尾を下げている犬がいるとします。
それを見た人の多くは、犬をなだめようとします。
犬に対して「大丈夫よ~」とやさしい声をかけて、体をさすっている行為を見かけることもあるでしょう。
もしくは、犬を抱きあげた上で赤ちゃんのように上下左右に振って、抱っこしてあやしながら「大丈夫よ、怖くないわよ~」となだめてはいないでしょうか?
犬を抱っこしてあやしている状態は、犬を赤ちゃんと取り違えている擬人化した行為になります。
抱っこという行為自体が犬に対して負担をかけるペット化の接し方ですから、抱っこをせがむ犬は当然社会的に不安定な状態にあります。
犬という動物に対する対応としてこれらの接し方が不適切だということは理解されやすく納得もいくでしょう。
しかし、体をさすってやさしく声をかけるなだめがなぜ犬にいけないのかというのはわかりにくいことです。
そもそも、なだめるというのは相手に状況を理解させて説得したり、納得させたりするための時間稼ぎです。
説得の行為に関しては言葉のコミュニケーションを用いて理解させるという方法です。
そのなだめる行為に、体に触れるという接触を伴う人が用いる落ち着かせのコミュニケーションが入っています。
犬にこうした行為が通じない理由は、簡潔にいえば人と犬ではコミュニケーション方法が違うということです。
では、怖がって尾を下げて震えている犬がいたとしたら、犬だけで生きている群れの犬たちはどうするでしょうか?
犬が怖がる状態を脱却する方法は、自力で快復するのを待つというやり方になります。
同時に、群れの強さを感じることができれば、群れの安定度によって犬の快復力は高まっていきます。
つまり、その犬の近くで普段と変わらず堂々と振舞うことが、怖がっている犬の快復力を高める方法です。
怖がっている犬が必要としているのは、やさしく声をかける人間ではありません。
やさしい声は違う面からみると、弱弱しい声ということです。
怖がっている犬が必要としているのは、弱い動物ではなく群れを率いてくれる強くてたくましい存在なのです。
何かあっても群れのために戦う意志があるトップの犬たちがいて、規律のある群れにいると犬は自律した快復力が高まっていきます。
逆に、やさしく語りかける飼い主の声となでる手は、犬が怖がっていることをさらに強化する(その行動を高める)要因となってしまいます。
犬はますます、怖がることをやめられなくなっていくのです。
飼い主の気を引くために、わざと怖がっているわけではありません。
怖がりの強い犬は自律性が育ちにくく依存性が高まりやすいため、飼い主に対する依存性を高めてしまう行為によって飼い主の反応が出やすい行動をしてしまうということです。
犬が怖がることを改善したいと願う飼い主が、実は犬の怖がる行為を高めているということに多くの飼い主は気づいていません。
動物の行動学的にはとてもシンプルな構造なのですが、行動に変化が見られないということは、何か周りの環境に要因があるということです。
最も大きな要因が飼い主のつくった環境(生活環境のすべてを含む)と飼い主の接し方です。
だから、飼い主が変われば犬の行動は案外簡単に変わってしまうのです。
預かりのトレーニングで結果が出やすいのは当然のことなのですが、同時に飼い主の元にもどれば以前と同じになりやすいということです。
人と犬ではコミュニケーションの方法が違うということ、当たり前のことなのですが再度確認しましょう。