グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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<犬のこと>犬にとって大切なのは野草と雑草とやわらかな土

お預かりクラスで犬ちゃんが庭や山で遊んでいる傍らで、まだまだやり残した例の背高草の撤去を進めています。

詳しくはこちら

過去ブログ記事→<日々のこと>環境にダメージ与えた事に気づき引き返したこと

一時間で100本くらいは抜き取っているのですが、この雨の中、土の中から次から次へと生えてくる生命力の強さに負けそうです。

でも七山の本来の野草や雑草たちが抜き取られた草のスペースを埋めるように生えてきてくれているので、風景はずいぶんと取り戻してきました。

除草剤や殺虫剤は本来の植物を殺してしまいます。

ガーデニングといってもいろいろとあるのでしょうが、死に絶えた庭に花をかざるように植える風景はあまり見慣れていません。

自分の小さいころにいっしょに暮らしていた柴犬が遊んでいたあの昭和の小さな博多区の一軒家の庭もしゃれた洋風の花はなく、日本古来の木々と雑草でおおわれていました。

子供のころに庭にあった木は、びわ、さくら、あじさい、梅、もみじ、柿、榊、つつじ、いぬまき、南天、シュロ、椿…たちでした。

いまここにあげた木々ですが不思議なことに七山のこの庭と山に全部あるのです。

木々のふもとにはユキノシタ、イヌフグリ、スミレ、セリ、オオバコ、カタバミ、タンポポ、ハマスゲ、リュウノヒゲ、ドクダミ、ホトケノザ、セイタカアワダチソウ、アザミ、ハコベ、スギナ、ハハコグサ…

認識できるのはこのくらいです。

雑草はもっとたくさんあるのですが名前がわからないものばかりです。

除草剤の後の悲惨は光景はちょっとした砂漠化でした。

土が枯れてしまい砂漠に雑草が立ち生えるようにして生えていたのです。

同じ光景をあちこちの駐車場で見ることができます。

雨の浄化作用もあって本来の野草が戻ってくると犬はイキイキと草の臭いを嗅いで寝転がって遊びます。

駐車場ではこんな風景を見ることはありません。

人は自然を楽しむために遠くに出かけるようになりましたが、自分の庭に自然を取り戻すことはできません。

なぜなら自然の野草や雑草と共に虫たちもかえってくるからです。

人は虫が苦手です。私だって決して好きではありません。

関わりあいたいと思うこともありません。

でも、野草や雑草と共に生きている虫という生物がいることを否定できないのです。

それを否定すればまた犬を、そして私たち人間をも否定してしまうことになります。

日本は山林地区がたくさんあります。

手の入っているのは農地だけ、お金にならない山は放置されています。

山や雑草との闘いは半端ないのです。

でも犬たちは不思議と私たち人間が雑草と戦っているとテンションマックスで応援してくれます。

頑張れ!頑張れ!といってくれているようで、誰のために頑張るのかわからないまま山の手入れをがんばっています。

犬たちにとって大切なものだと思うからこそ今のところは頑張ります。

草を食む犬の姿が、草に寝転がる犬の姿が私は好きなのです。

日本の本来の雑草や野草を復活させて、二ホンミツバチがかえってきたら、犬たちも本来の自分を取り戻せるのではないかとそんな気がしているからです。

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<犬のこと>災害時の犬の避難の神道具は三つだけ

昨晩から大雨となりました。

佐賀地区では大雨警報による避難のお知らせがスマホに届いています。

今年は災害に対する非難も大変なことでしょうが、犬を連れての避難となるとますます大変です。

毎年のように起きる災害が自分には起きないはずはないのですから犬と暮らすみなさんなら災害時の犬との避難この三つは使いこなしておくようにしましょう。

 

災害時の犬との避難にはクレートが必須

 

犬のサイズに関わらず、災害時に絶対にもちだして欲しいものが「クレート」です。

布バッグやリュックではなく、安全性が高く丈夫で犬の安心が確保できるクレートを利用してください。

体重10キロ未満の犬はクレートにいれたまま移動させるのが安全です。

それ以上の体重の犬は、移動先でクレートの中にいれる必要があります。

中型犬以上のサイズの犬のハードクレートは、瞬時に移動するには持ち運びが大変です。

車に大きなサイズのハードクレートが収まらない場合には、折り畳み式のケージかソフトクレートを利用してください。

クレートは犬にとって巣穴を意味する重要なテリトリーです。

テリトリーをそのまま移動するので犬はまず安心を獲得できます。

人にとっては犬を一時的に待機させる安全を確保する道具です。

ただクレートは災害時のみ利用することはできません。

普段の生活の中で、犬がひとりでも安心して過ごせる場としてクレートを活用しておく必要があります。

犬ならだれでも入れそうと思えそうですが、子犬のときに入ったクレートにも入ることができなくなる場合があります。

こうなると人といっしょに避難することは難しくなります。

クレートトレーニングは日々の生活の中で身に着けておいて、災害時も活用できるというのがメリットなのです。

 

災害時の犬との避難にはリードが必須

 

犬にリードをつけたことのない方の方が少ないとは思いますが、犬と人がいっしょに移動する際にはリードが必要です。

リードは伸び縮みするタイプではなく、150センチから200センチ程度の長さの通常のリード、おすすめはレザー製のリードです。

リードは犬が人と共にいることを確認しつつ、犬にとって理解が難しい環境の中で犬がどのように行動すればいいのかを人が伝える道具です。

リードは犬が逃走を防止するためのつなぎ紐ではありません。

リードは人が犬に自分の行動の意思を伝えるための道具なのです。

リードが止まっている、リードが動いている、リードがどのように動くのかが犬にどのように行動するのかを伝えていきます。

このリードの使い方を全くできていない飼い主さんがほとんどです。

街中でもリードを持つ手が掃除機を持つ手のように前に伸ばされているのはリードの使い方を理解していないからです。

リードは避難のための大切な道具であり、それを理解して使えるようになっておく必要があります。

 

災害の時に犬に必要なもの実は首輪

 

災害時に絶対に犬に着けて欲しいものが首輪です。

この首輪には名札を装着してください。

どんなときにも名札を装着した首輪をつけることができるようにいつも準備しておきましょう。

普段の散歩用首輪とは別に、名前と電話番号が入った首輪を準備しておき2重に犬の首にかけるのでも問題はありません。

電話番号はわかりやすい方がよく首輪の表面にわかるように記載、もしくは刺繍しておきましょう。

首輪は犬がストレスを感じないような飾りの少ない安全かつ自然な素材のものを選びましょう。

災害時には常に着けておく必要があります。

胴輪ではなく首輪である必要も絶対です。

胴輪は抜けやすく、胴輪をつけたままでは犬が休むときにも不便です。

胴輪は目立つため人や犬の多い屋外移動には便利なので災害時に持ち出すことはおすすめします。

避難初動自は首輪を装着してあげてください。

 

犬の三種の避難道具を使いこなそう

 

犬のクレート、リード、首輪を日ごろから適切に使えるようになっておくことが、非常時に犬の安全安心を確保する方法になります。

人も犬も非常時の行動は平素からの積み重ねであることは変わりません。

クレート、リード、首輪の三つには取り扱い説明書というのがありません。

簡単に入手できるからこそその使い方は独自のものになりがちです。

本当に犬の命を守りたいなら、日々の生活の中できちんとした使い方を身に着けていきましょう。

それが災害時にも飼い主が犬にできることの始まりです。

備えあれば憂いなしは、犬との暮らしでも同じことです。


 

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<犬のこと>犬の社会化をもう一度考えるヒント

犬の社会化という言葉をご存知でしょうか。

ほとんどの犬のしつけの本には見られるようになった「犬の社会化」というワードが広がり始めたのはここ20年くらいではないかと思います。

自分の学生時代に暮らしていた犬の社会化など考えたこともありませんでした。

その言葉を聞いたのは犬の仕事に就いたときで、そのときですら犬の社会化というものに対して科学的に説明してくれる先輩はいませんでした。

その後の犬のセミナーでなんども社会化という言葉を聞きました。

なんとなくぼやけてしまう社会化ですが、科学的に納得のいく説明文になるとこうです。

「犬の社会化とは犬が環境の中で持続的に行動を通して安心を獲得していく活動のこと」

犬と暮らしているみなさんに、この言葉の意味がわかるでしょうか。

この文章をもう少しわかりやすく数行にわけてみます。

・犬の社会化とは環境の中で持続的に行われる

つまり犬の社会化はずっと継続するもので、一時的に行われ終了するものではないのです。

犬の社会化とは生涯を通して継続する社会的機能の発達なのです。

・犬の社会化は犬が環境の中で行動することで身につく

犬の社会化とは犬が自ら行動することで身についていきます。

つまりは、犬に一方的に刺激を与えることでは実現しないということです。

なので、犬を抱っこして散歩しても全く社会化は身につかないということになります。

・犬の社会化とは安心を獲得する中で実現する

犬の社会化とは犬の脳の機能性が高まり、自らの行動を通して安心を得ることの繰り返しのことをいいます。

これは大丈夫、これはこのように回避する、これはこのように対応することで攻撃を免れる、などすべてが安心獲得の作業なのです。

ですから犬と走り回ることで安心を獲得するのではありません。

闘争行動、逃走行動、興奮行動の繰り返しは社会化を促進しないのです。

 

犬の社会化学習を説明する際に、刺激を与えることではないということだけでもわかっていただきたいのですが、なぜかたくさんの人や犬のいるところに子犬を連れていきたい飼い主さんが多いのに驚きます。

あなたの犬のもっとも大切な社会化は、まずテリトリーを獲得すること、身近な飼い主という動物を理解することです。


 

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<犬のこと>自然が犬に与える尊い時間を人は知っているのか

家庭訪問トレーニングを利用している犬ちゃんたちがときどき預かりクラスで七山にやってきます。

ほとんどが生徒さんのやむにやまれぬ事情で不在となり、犬ちゃんを窮屈な場所で過ごさせるよりは自然の中で過ごしてほしという気持ちから預かりクラスを利用されています。

はじめて犬ちゃんが七山にお泊りに来たときには、どのくらいの速度で環境の変化に適応していくのか、どのように自然と付き合おうとするのかを観察しています。

純血種の犬たちの多くは、その犬の親もまたその親も親も自然の中で過ごした体験を持たないでしょう。

犬舎でほとんどの時間を生きた犬たちの子どもたちが今こうして人と暮らしているのです。

犬舎で生まれた子犬たちが人に飼われるようになりそのまま人社会の中に「人として」大切にされ始めることはとても危険です。

動物はどんな動物であっても、自分は人である、自分は犬であると感じる時間があることが基盤になっているからです。

お預かりの犬ちゃんがどこで排泄をするのか、

空間をどのように把握していくのか、

土や草の臭いをどのように嗅いでどのように反応するのか、

そして最後は人や他の犬に対してどのように行動するのか、

こうした観察が今の犬ちゃんの状態を知らせてくれます。

風が吹いても鼻先をあげて臭いをとろうとしない犬

広い敷地でせわしなく動いてしまう犬

太陽に自分の身をゆだねることをできぬ犬など

自然が遠くなってしまったのは人だけでなく犬とて同じことです。

その犬たちがどうやって自然とつながりを持っているのか、犬の脳の中で起きていることや皮膚の上で感じていることを私たちは知る術を持ちません。

ただ言えるのは、私たちには鋭い観察をする視覚という武器があります。

そして共感というセンサーがあるのです。

犬に対する思い込みをすててすべてを受け取り、本来の犬の姿を見たいと願えばおのずと自分のやるべきことは決まってきます。

飼い主としてやるべきことはあまりにも多く、特に空間も時間も少ない都会では果たすことすら難しいことがあります。

それでも犬を愛しているなら犬とどのように過ごすのかを考えてみる、これもまたコロナ時代だからこそできることです。

お預かりクラスで対面する犬ちゃんたち



 

 

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<犬のこと>人の「犬が可哀そう…」が本当に「可哀そうな犬」にしてしまう

犬に対する人の「犬が可哀そう…」は本当にかわいそうなのか?

犬との接し方や、イヌへのトレーニングを説明する際に、たまに飼い主さんが口にする言葉があります。

「犬がかわいそう」という言葉です。

みなさんはどんな時に「犬がかわいそう」と思うのでしょうか。

こんなことがありました。

柴犬を室内で飼っている方と話していたときのことです。

「最近は柴犬を室内で飼う方が増えていますね。

でも庭でつなぎ飼いの柴犬もまだ結構いますよ。」と私が話すと

「外で飼うなんて…犬が可哀そう。」と言われたのです。

外で犬を飼うことが、犬をつないで飼うことが、可哀そうと思ってしまうのはなぜでしょうか。

他にも犬を必要以上に抱っこしないでくださいというと

「犬を抱っこして可愛がらないなんて犬が可哀そう…」。

上の二つの例にあげた内容は私はどちらも「犬が可哀そう」とは思いません。

ここには私とその方との犬に対する価値観の違いが出ているのだと思います。

ではここでの「犬が可哀そう」の意図はどこからきているのでしょうか。

その「犬が可哀そう」は理論的に説明できる動物の福祉に反する行為なのか?

「犬が可哀そう」を議論するときに感情論を外してくれという方が酷であるということはわかっています。

だとしたら犬が可哀そうと思う根拠を自分なりに整理してみるということをお勧めします。

例えば犬にくつをはかせることはどうでしょうか?

犬の脚が汚れたら可哀そう、だから犬に靴を履かせるのか。

犬がはだしであるけないなんてかわいそう、だから犬には靴を履かさないのか。

一部の方にとってはこんな質問は愚問だと思われるかもしれませんが、

現在の価値観の多様化の中ではこんなことすらもお互いの価値観を明確にする必要がでてきました。

この議論の際に、絶対に外して欲しくないことが「動物の福祉」という観点です。

「動物の福祉」とは「動物の愛護」のことです。

人間の福祉と同じように、動物もまた彼らが生きる中で不当な扱いを受けることを避けなければなりません。

動物の福祉はみなさんが美味しいと口にしているステーキになる牛肉や唐揚げになる鶏にすら求められるものです。

生きている間は、動物として生きる権利を動物たちももっている、それが「動物の福祉です」

この動物の福祉を論じるにあたっては「動物として」というキーワードに注目して考えていきます。

本当に「犬が可哀そう」なことを真剣に考えよう

動物として…。なんと深いことばでしょうか。

つまり、犬として生きる権利を守ることが犬の福祉なのです。

犬として生きるとは「犬の習性を尊重する」ということなのです。

では犬の習性とは何か、犬の飼い主はどのくらいこのことを理解しているでしょうか。

犬は習性として靴を履いて歩いたりはしません。

犬の脚ははだしで歩くことでその機能性が発達且つ保持されます。

ただし、犬の脚指はコンクリートやフローリングの上では歩くことが不快となります。

犬の脚指は地面に食い込むようになっているからです。

これが犬の歩くという習性です。

この犬の習性を尊重しない接し方や飼い方こそ、本当の「犬が可哀そう」な状態です。

では犬をつなぎ飼いするのはどうなのか?

犬という動物をつないで飼うというのは決して犬を完全に尊重した飼い方ではありません。

ただ同時に犬を室内に閉じ込めておくことはどうなのか、これもまた犬を完全に尊重した飼い方ではないのです。

ではどうすれば犬が可哀そうでないのか。

今この国内の環境の中で、犬を本来の習性を維持させながら人との暮らしを実現するというのは無理難題です。

できることといえば、犬を適切に環境を管理しつつ犬の習性を実現できる時間を50%から70%へと引き上げていくただそれだけしかできないのです。

日々の生活の中で犬がどれほど犬として尊重される時間を過ごすことができるのか、それを図っていくしかありません。

犬に対してしていることのひとつひとつ、それが本当に犬にとって可哀そうなことなのか、それともただの感情論なのか飼い主であれば一度は自分に問うて欲しいものです。

地面のにおいつけをするきいろちゃん

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<犬のこと>柴犬や豆柴が高値で取引?犬の価格は犬の幸せを決めない

柴犬や豆柴が高値になっているらしい

学生時代の友人から犬を飼おうと思っているの…と連絡がありました。

友人が言うには「ペットショップに見に行ったら豆柴が75万円で売られていてビックリした」とのことでした。

いつか犬と暮らしたいとペットショップ通いをしていた友人は、最近の急激な犬の価格の変化に驚いたのでしょう。

豆柴を買いたいという人がいて売りたいという人がいることでビジネスが成立しているわけですから、希望者が増えればオークション形式で価格が上昇するのは仕方のないことです。

ただ事実として言えることは価格は自分の購入者の満足度を上げるものであって、ものの価値を決めるわけではありません。

ものとはここでは犬のことなので、犬をものと置き換えるのには抵抗がありますが売買されている以上仕方のないことです。

しかし犬を買ったときが頂点ではなく、犬との暮らしは犬が自分の家に来た瞬間から始まるのです。

大人しい柴犬は注意を払う必要がある

本来の柴犬はやはり飼い主にはなつくが他人にはなつかないという性質でした。

この比較的難しい性質を持つ柴犬という犬が、ここまでペット化して売られるようになることになろうとは、昔ながらの柴犬を知っている人なら想像すらしなかったでしょう。

この柴犬の性質の特徴から飼いならすのがなかなか難しいところもありましたが、この頑固な性質が好きで柴犬を飼っている方もいたのです。

でもいまや柴犬は、誰にでもなつく大人しく他の犬にあってもぼーっとしているそんな犬になりつつあります。

全ての柴犬がそのように変化してきたということではないのですが、そういう大人しい性質を持つ柴犬が増えてきたようです。

ところが、この大人しい柴犬は本当に大人しいわけではありません。

大人しいのではなくただ行動ができないだけなのです。

たとえば他の犬と友好的にコミュニケーションをとるのではなく、あまりコミュニケーションをとらない行動パターンになります。

関心がないように思えるのですが、行動のパターンが抑えられているだけです。

本来の闘争行動が表現できない分、葛藤行動が多くなります。

葛藤行動は表面的には行動にでないという状態が継続するので、普通の人が見てもなかなかわかりません。

長い間の葛藤は、いずれひずみを生みパニック行動や破壊行動、興奮行動となって不規則な行動パターンとして現れることがあります。

そうなったときはご褒美や罰を連発せずに、すぐに行動の専門家に相談してください。

そもそもが大人しい柴犬として飼われていたわけですから、ご褒美や罰でなんとかなりそうですがそうもいきません。

飼い主さんの理解と協力、根気と謙虚な態度が柴犬の行く先を決めることになります。

犬の値段が犬の幸せを決める訳ではない

高値の柴犬に限らず、どんな犬であっても高い値段でかったからよかろうというものではありません。

そもそも犬の値段はドッグショーという趣味の世界で高値が決まるようになりました。

ドッグショーを見たことも行くこともない人が、なぜ高値の犬を飼う必要があるのでしょうか。

もしドッグショーに自分の犬を出す趣味にはまっているのであれば、高値の犬を飼ってドッグショーに出し、犬を繁殖させて販売するということもあるのかもしれません。

その上犬の販売には許可が必要なので続けることは業者ではければできません。

でも、あなたがただ自分の家族として犬を迎えて共に楽しく豊かに暮らしていくことを望んでいるだけなら、犬の値段を考える必要はありません。

犬に値段のつかない保護犬を迎えることでも犬との暮らしは豊かになれます。

純血種という名前のついた犬を飼ってみたいのであれば、もちろんそれでもかまいません。

ただ、犬の幸せを決めるのは犬の価格ではなく、飼い主が犬のことをどれだけ理解しているかということです。

つまりは、飼い主が犬のことをどれだけ愛しているかということなのです。

梅を食べてあそぶ黒柴ちゃん

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<クラスのこと>お預かりクラスの後の訪問レッスンで犬の変化を生かすこと

梅雨時期のお預かりクラスでしたが、まとまった雨とまとまった曇りの時間で休憩と活動を繰り返して上手く調整できました。

お預かりクラスから帰宅した犬ちゃんたちが自宅でどう過ごしているのかいつも気になるところです。

今回はタイミングよくお預かりクラス直後に数頭の犬ちゃんの家庭訪問レッスンに伺うことができました。

まだお預かりモードが続く中で、今このタイミングでココとココを強化したいという気持ちが強くなり飼い主さんに対してついプレッシャーをかけてしまいます。

しかし案外このプレッシャーに答えようとして下さる飼い主さんが多いので驚きです。

日々熱心にレッスンを受けている飼い主さんたちは、犬の行動観察能力が高まっています。

飼い主の観察能力が磨かれているため、お預かりクラスから帰宅した犬が「いつもと何か違う」ことに気づかれるようです。

「クレートに入ったあとの吠えが減った」

「以前よりベッドに上がるようになった」

「リードの引っ張りが少し緩い」

などなど、犬によってその行動の変化は様々です。

犬たちもお預かりクラスで若干の行動の変化が起きているですから、冷静になればそれを見ることができるのです。

お預かりクラスは単純にいえば、いつもと違う環境で過ごしたというだけのことです。

その中には空間の使い方、テリトリーに関して、人の接し方、自然環境など様々な刺激があります。

与えられた環境と同時に失った環境というのがあります。

それが飼い主という存在なのです。

お預かりクラスでは「飼い主という存在を失った犬」の行動を見ることができるのです。

そのときはじめて、飼い主が犬にどれだけの影響を与えていたのかを見ることができます。

犬の飼い主に対する執着が強ければ強いほど、失ったときの行動の不安定さは大きい。

犬の飼い主に対する依存や甘えが強ければ強いほど、また失ったときの行動の不安定さは大きいのです。

それは振り子の触れるように、大きく逆側にバランスを崩すという形で表れてきます。

一旦バランスを崩したように思えるときに、はじめてバランスを取り戻そうとします。

その取り戻し方をサポートしているのがお預かりクラス時につくっている環境、そして管理、接し方です。

お預かりクラスの後に預ける前と全く同じようにいきなり犬との距離を近づけてしまうと犬は以前よりももっと不安定になってしまいます。

客観的に考えればわかるようなこの原理も、犬に対する感情が先走ってしまうと何も見えなくなってしまいます。

犬に対する愛情は過ぎれば何も見えなくなります。

犬を育てることのできる環境とはあくまで犬を客観的にみる目を持ち続けることです。

飼い主として一番難しいこと。

でも飼い主として一番大切なことです。

預かりクラスで対面する犬ちゃんたち

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<クラスのこと>月日と共に緩やかに変わる犬の姿と行動を見逃さない

毎月トレッキングクラスを受講しにきている犬ちゃんといっしょにトレッキングをしました。

もう数年この七山で犬ちゃんの姿を見ているので、少しずつ変わる山の景色といっしょに犬ちゃんの成長も見てきました。

少しの時間だと変わったような変わらないような犬の行動も、長い月日の中でみるとずいぶんと変わったな、大人になったのだなと感じられるようになります。

犬と人は一緒に暮らしているのに流れている時間の幅がずいぶん違います。

若かった犬があっという間に年を取ってしまうことも仕方ありません。

犬は3才で30才くらいの大人なのに、人は3年経つてやっと仕事ができるようになるくらいなのです。

人が毎日をだらだらと過ごしているうちに犬はアッという間に成犬になり、中年になり、そしてシニア犬になっていきます。

犬は人の7倍の速さで生涯を生きていきます。

犬にとっては当たり前の時間が、人にとっては足りないと思ってしまう。

犬は10年しか活動期間がないのです。

その10年の間のどのくらいの犬としての社会的な時間があるのでしょうか。

週に1回でも月に1回でも、ゼロではありません。

トレッキングに来てくれた犬ちゃんは毎週のように飼い主さんと山歩きに出かけているそうです。

若いときは歩けたところが難しくなってきた。

前よりも探索して堂々と歩けるようになった。

尾歩山ではこれまでできあかった排泄が適切にできるようになり飼い主さんとの距離感も良い感じになってきました。

時間をかけてできるようになったことこそ、本当の成長だと思います。

時間をかける価値のあることなら結果ではなく経過に価値があります。

かけた時間の分だけ犬にとっては価値のある時間だったということになります。

だとしたら飼い主にとっても価値のある時間であったはずです。

こうして過ごした時間は記憶に深く残り思い出の日々となっていきます。

犬とのトレッキングはそんな時間になりえるのです。

共有する場所、共有する時間、そして共有する感覚。

共感とはそんなことではないだろうかと犬ちゃんと飼い主さんをみながら感じました。

トレッキングの中、山頂で休憩するクールくん



 

 

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<自然のこと>野生動物にもある仲間意識が消えゆく犬たち

犬たちとトレッキングクラスで尾歩山を歩いていたときのことです。

木々の上からガアガアとカラスの威嚇する声が聞こえます。

あきらかに「こっちにくるな」という低い鳴き声で数羽が私たちに向かってないています。

動物の死骸とかゴミかなにか餌でも持ち込んでいるのかと思って少し進むと、数m先に木の根元にうずくまるカラスを発見しました。

羽ばたきをぎこちなくして数メートル移動したが、明らかにケガをしている様子でした。

体を休めている傷ついたカラスに近付くなと仲間のカラスから威嚇されたのでした。

ケガをしたカラスが少し脇に移動してくれたので、わたしたちは犬を連れてそのまま山道を通過しました。

犬たちもカラスを追う気配を見せなかったので仲間カラスの襲撃を受けることはありませんでした。

それにしても、野生動物たちの群れの仲間意識の高さには驚かされます。

カラスといえば都会のごみ捨て場ではごみを奪いあっているカラスの姿しか見たことがなく、こんなに仲間意識が高い動物だったのかと感心しました。

自然環境の中では敵が多く、同じ種同士は結託しなければ生き永らえないのでしょう。

またゴミなどの資源を奪いあうよりも、力を合わせて大物を狩ることで食べ物を得ているためより仲間を必要とするのでしょう。

イヌ科動物も人が犬に関与するまでは犬同士が守りあう存在だったのでしょうが、人から餌をもらうようになってからは餌やテリトリーを奪い合うように変化してしまいました。

犬同士が本当に力を合わせるという姿を見ることはなかなかありません。

それでもトレッキングクラスの最中は野生動物に対しての恐怖からかグループ制が少しだけ高まります。

梅雨入りまでカウントダウンですが、梅雨の合間も社会性を育てる機会を山歩きで作っていきましょう。

 

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<犬のこと>犬にリードをつける意味をご存知ですか?

なぜ犬につなぐ引き紐のことをリードというのか?

犬と散歩するときに使う紐(ひも)のことを「リード」と呼ぶのをご存知でしょうか?

犬のレッスンのときに「リードをお持ちですか?」と尋ねると、わかる飼い主と分からない飼い主がいます。

「リード???」となったときには

「散歩のときに使う紐ですがお持ちですか?」と言い換えます。

そうすると「あー、あの紐のことですね。」といって本当に紐のようなリードを持ってこられます。

世代によっても分かれるようで、年配の方になるとほとんどの方が引き紐という方が通じます。

なぜ日本では引き紐といわれている犬につける“ひも”が“リード”と言われているのかをご存知でしょうか?

和製英語のリードですが、そもそもはリーシュという英語からきています。

リーシュは紐という意味でリーシュコードというのが正式につなぐ紐という意味です。

リーシュコードがリードと聞き取られてそうなったのかもしれません。

犬のリードは紐以上の意味を持つ

犬の散歩用の紐はリーシュからきていて、海外のペットコーナーでもリードではなくリーシュといわないと通じません。

でもリードという言い方はとても都合が良いものです。

リードといえばリーシュよりもリーダーするのリードを想像させてくれます。

犬にリードをつけて歩くというと、紐をつけて歩くという表現よりも、犬をリードしながら歩くのだと意識づけてくれることもできます。

犬に紐をつけて歩くというと、犬の紐をもったまま犬の後ろをついて歩く人の姿を想像してしまいます。

犬にリードをつけて歩くというと、犬の前を人が歩く姿を想像しませんか

この後者の歩き方が犬を落ち着かせることのできる犬の散歩の姿なので、積極的に犬のリードという言葉を使っていただきたいと思います。

散歩のときに犬にリードをつける意味

散歩のときに犬にリードをつけて歩くのは犬が逃げてしまうのを防止するためではありません。

犬と安全に散歩という社会的な活動を行うために、犬をリードしながら散歩をするための道具が犬のリードです。

犬が安心して安全に飼い主といっしょに散歩に行くというのは犬にとって大切な活動です。

犬を安心させるためにリードが必要であり、そのことで結果として犬と人は安全に散歩をすることができます。

特に都会の散歩となると刺激の多い空間を縫うように歩いていかなければいけないこともあります。

危険な横断歩道を渡ったり、自転車がわきを通行したり、車も人の横を通ることもあります。

急に猫が飛び出してきたり、子どもが走ってきたり、他の犬とすれ違ったりと、犬にとっては興奮する出来事がたくさんおきます。

犬がリードを通して人の動きを知り、人に沿うように歩くようになれば犬にリードの意味を伝えることに成功しています。

でも犬がリードに反発したり、リードをひっぱったり、リードを噛んだり、地面に寝転がったり、後ずさったりするような行動をするときには、犬はリードを持っている人に従うことに抵抗を示しています。

人はこの姿を見て「リードという紐」が嫌なのだと誤解します。

真実は違います。

犬が嫌がっているのは「リードを持っている人に従う」ことなのです。

犬はなぜリードを持っている人に従わないのか

なぜ犬はリードを持っている自分に対して従ってくれないのだろうか。

犬が悪いのでしょうか?

いえ犬は決して悪くありません。

犬は正直に目の前に起きていることに正しく反応しているだけです。

だから犬に対してカッとなったり怒ったりするのは止めましょう。

飼い主としてもうひとつランクアップすれば、犬は人と共に軽やかにリードをつけて歩いてくれます。

その日が来るのは明後日かもしれないし、一年後かもしれません。

どちらにしても楽しみです。

小手先のごほうびはもう使わずに、飼い主として真剣勝負で挑みましょう。

犬もきっと真剣に向き合ってくれるはずです!

犬のリード歩行は大切なトレーニング

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