グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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“ごぼうびか罰か”のトレーニングでは犬に安心を教えることはできないのです。

犬の学習やトレーニング、犬のしつけを学ばれている方にとって、罰を用いたトレーニングよりもごほうびを用いたトレーニングの方が圧倒的に人気があるのは分かります。

犬が「罰=痛みや嫌悪刺激」を避けるために何かを学ぶ罰を回避させるトレーニングは犬にとっても飼い主にとっても辛いものです。

オヤツを見せたらすぐにオスワリをするなら、オヤツを使ったごほうびトレーニングの方がずっと犬に優しいと思うでしょう。

でも、よく考えてみましょう。

「ごほうび」と「罰」はコインの裏表のようなものです。

楽しそうな「ごほうびトレーニング」にも実は落とし穴がたくさんあります。

ごほうびトレーニングと罰を伴うトレーニングが同じものだとはいいませんが、同じ種類の道具で犬を操作しようとしていることに変わりはありません。

そして何より(ここが一番大切なところ)ごほうびか罰トレーニングでは犬に教えられないことがあります。

それは「犬が安心&安全を得ること」です。

犬にオヤツを用いたトレーニングをしても、犬は安心&安全を得ることはできません。

犬はオヤツを見ると集中するし、オヤツを見せればすぐにオスワリをするし、オヤツをみせればすぐにハウスに入ります。

本当にすぐにできるようになるので食べ物をドッグトレーニングに使うことが流行りました。(すでに過去形ですみません。)

でもこのトレーニングは何かの特技を教えるときには有効な場合もありますが、他の場合ではほとんど無効です。

ほんの動機付けにはなっても、すぐに引き上げることをおすすめします。

さて、犬が安心して生活をすることを「ごほうびか罰か」のトレーニングでは教えることはできないと言いました。

では、犬はどのようなトレーニングで「安心&安全」を得ることができるのでしょうか。

グッドボーイハートで真剣に学ばれている生徒さんなら即答していただけると思います。

そうです。

不安を抱えている犬には、犬が安心して生活できる環境を整える=「環境整備」が必要です。

犬に必要な安全な寝床、安心できる休める場所、信頼できる飼い主。

この「環境整備」ですが、飼い主さんが準備できる環境がすべて異なるのと、犬の性質や経験や遺伝が全部違うので、一言でこの形とお伝えすることはできません。

室内飼育されている犬の飼い主なら、うちの犬は室内にいるから安心だと思っているはずと思い込んではいないでしょうか。

もし犬が室内で吠えたり騒いだりするなら、もし飼い主が留守番のときに犬が吠えるなら、もし来客のときにインターホンで犬がワンワンと吠えるなら、その犬は自分の住処をまだ安心だと感じていないのです。

犬は物理的な環境整備と、飼い主との関係性という精神的な環境整備のふたつによって安心と安全を獲得していきます。

犬は不安やストレスを感じると、吠えたり、騒いだり、飛びついたり、噛みついたりするのです。

犬にごほうびや罰を与えることよりも、もっと基本を整える環境整備トレーニングからおすすめします。


 

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畜産のアニマルウェルフェアに学ぶ動物のストレス管理とチェックについて

先日のブログ記事で動物福祉についての話題を取り上げました。

以下の講義をEラーニングで受講させていただき、その中から犬との暮らしに役立ててただけそうなことがありました。

公益社団法人日本動物福祉協会主催「第8回動物福祉市民講座」

講義題目「乳牛のアニマルウェルフェアを分かりやすく」

講師 瀬尾 哲也 先生【帯広畜産大学 畜産学部 准教授 / (一社)アニマルウェルフェア畜産協会 代表理事】

瀬尾先生の講義の中では、畜産の現場でアニマルウェルフェア(動物福祉)を実現させるための指針としていくつかの具体的なチェック項目について紹介されました。

動物の健全な身体の維持に関わるチェック、そして動物の健全な精神の維持に関わるチェックがあります。

身体のチェックは分かりやすいものが多い中、健全な精神については知るにはどうしたらいいのかと思われるかもしれません。

そのチェック項目はグッドボーイハートの生徒さんならみなさんが持っているストレス性行動のチェック項目と同じようなものでした。

たとえば、牛の場合には次のような異常行動をする牛がいないことが基準をクリアしていると紹介されました。

その異常行動とは、

・犬座姿勢(オスワリの形で座る)

・舌遊び

・異物舐め(牛舎の柵などを長く舐める)

などが紹介されました。

しかも基準をクリアするためには、こうした異常行動をする牛が一頭もいないという数字だったのです。

異常行動のチェックは動物を管理する上では必須の項目だという認識はありましたが、その数が「一頭もいない」という厳しい数字であることを始めてしりました。

犬であれば、

・長い時間手をなめる

・サークルやケージの柵をなめたりかじったりする

・2本脚立ちをする

といった行動が上記の牛の行動と同等のストレスシグナルです。

多くの家庭犬たちがこの異常行動をしていますので、飼い主としては冷や汗の出るところです。

理由については後述します。

 

他のストレス値として、人に対する逃走反応スコアについても紹介されました。

人に対してどの程度の恐れを抱いているのかという反応のスコアです。

牛の場合には、後ろに身を引く距離で測るそうです。

犬の場合にも同じように後ろに身を引く行動でも測りますが、逆に人に飛びつく(攻撃のパターン)行動でも測ることになります。

 

また管理に関する基準の中には、尾を切る「断尾」が一頭もないことが基準とのことでした。

多くの犬たちがいまだ尾を切り落とされている家庭犬が本当に動物として尊重されているのかを真剣に考える必要がありそうです。

 

では先の犬の手舐め行動(ストレス性行動の中の自虐行動)は牛舎で飼われている犬よりも多い理由について説明します。

犬は他の家畜化された動物たちとは一線を画す動物であることを動物行動学者のコンラート・ローレンツ博士がその著書に書いています。

牛や豚のように長い歴史をかけて管理される家畜として人為的な繁殖してきた動物と犬では異なるのです。

犬はその多くが(純血種の多くもまた)本来の犬としての機能性を人が役立たせてきた動物です。

家庭の中に長い時間にわたり閉じ込めたり犬としての活動をする機会を失うとストレス性行動が多発します。

そのため牛では一頭も見逃されない舌遊び的なストレス性行動が、家庭の犬では多発することになります。

他にも不十分な計画による人為的な繁殖や、繁殖の過程も犬たちの将来の行動に影響をしていることでしょう。

牛の方が明らかに犬よりもきつく管理された動物であるにも関わらず、犬の方がストレス行動が多いという事実には驚きと反省が必要です。

 

その他、瀬尾先生のお話の中には犬の行動について理解を深めるためのいくつものヒントや、これまでそうではないかと予測していたことに対する革新的な後押しをいただきました。

今後また記事として記録していきます。

今回は貴重なセミナーを無料で提供して下さった瀬尾先生と日本動物福祉協会、そしてセミナーの開催をご連絡してくださったGBH生の皆様に感謝いたします。

Posted in 人イヌにあう, 犬のこと

犬との生活、犬のしつけ方も動物福祉の視点で考える時代になった

先日ドラマ大草原小さな家に出てくる動物たちが犬も含めて人に利用される家畜として大切にされている歴史についてお話しました。

いまや犬は家族の一員ですから家畜という言葉はもう時代にはあいません。

それでも犬は人が生活のために必要であるという理由で繁殖したり売買や譲渡することのできる動物であるという現実をまず受け入れておく必要があります。

その基盤の中で考えなければいけないのは、人と暮らす動物が幸せであるかどうかということです。

 

グッドタイミングで、公益社団法人日本動物福祉協会主催のEラーニング「第8回動物福祉市民講座」を受講しました。

内容が面白すぎて繰り返しみているためまだ第一部の瀬尾先生の講義を伺ったところです。

講義題目「乳牛のアニマルウェルフェアを分かりやすく」

講師 瀬尾 哲也 先生【帯広畜産大学 畜産学部 准教授 / (一社)アニマルウェルフェア畜産協会 代表理事】

瀬尾先生の講義の題目の中にある「アニマルウェルフェア」とはまさに「動物福祉」を英訳した言葉です。

瀬尾先生の講義の一部にはこのような説明がありました。

動物の飼育には動物福祉という考え方がイギリスを中心に広まっている。

動物福祉とは福祉という言葉から人の弱者を支援するサービスと誤解されているがそうではない。

“Animal Welfare”は「動物福祉」や「家畜福祉」と訳される。

“Welfare”には「幸福」や「良く生きること」という意味もある

畜産技術協会では「快適性に配慮した家畜の飼養管理」とし、アニマルウェルフェアとカタカナ表記している。

※引用ここまで

動物福祉という考え方は動物を管理飼育するすべてのものが考える必要のある知識であることは間違いありません。

畜産などでたくさんの動物を管理する場合には必須の規則です。

ここで瀬尾先生は動物愛護とアニマルウェルフェアの違いについても触れられました。

とても参考になる内容なので引用させていただきます。

愛護とアニマルウェルフェアの違い

愛護:かわいがり保護すること。

主語は人間。

動物を愛する情動。

アニマルウェルフェア:

客観的に動物の快適性の配慮を目指す。

動物の立場でとらえる。

※引用ここまで

瀬尾先生の講義のプリントのとおり、動物愛護とは動物をかわいがる人の情動のことであって、動物にとってはどうでも良いことなのです。

そもそもは子供たちに動物をかわいがる精神を教育しようというのが動物愛護です。

犬を飼うために必要なのは動物愛護ではなく動物福祉の方です。

もう十年以上前からこの議論はあったはずですがまだまだ一般の方々にはこのことが伝わらない、浸透していきません。

畜産の場合には多頭での飼育になるため「動物の日々の快適性にたいする配慮」がとても重要になります。

しかし犬も同じように「動物の快適性の配慮」が最も大切なのです。

犬は室内飼育が多いし、エアコンもあるし、毛布もあるし、清潔だし、快適性は十分に確保されていると思いますか?

犬が適切な場所、テリトリーの外で排泄ができる環境や、犬が土や草に触れられる時間、犬が日向ぼっこする場所や時間はありますか?

犬は臭いに敏感な動物なのに、部屋はいつも閉め切ったまま、食べ物や清掃品や洗剤の臭いに囲まれて過ごしてはいないでしょうか?

犬の立場になってとらえるためには、犬を科学的に動物として理解する必要があるのです。

そのために、犬の歴史、習性、行動、機能性、遺伝について学ぶためにドッグスクールが存在しています。

いろいろなドッグスクールがある中でグッドボーイハートは犬について学ぶための学校であると宣言します。

飼い主が犬のことを理解すること、それが犬の行動の改善につながり、犬と人の幸せにつながる、その中で犬の動物福祉を実現させること、それがグッドボーイハートの目指すところです。

瀬尾先生のアニマルウェルフェア基準にもとづく畜産の話の中でまだ興味深い内容がありますので次回もそのことに触れます。

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開拓のドラマ「大草原の小さな家」に見る犬の姿

お預かりクラスの合間に七山の尾歩山の刈込みに疲れてきて、何か励ましになるような物語を見ようと思いついたのが「大草原の小さな家」でした。

テレビ放送されたアメリカドラマですが、あまりにも古すぎてそれなりの年齢の人しか知らないとは思います。

アメリカ大陸を開拓する移民のお話なので、先住民族との複雑な歴史など正確に描かれているとは思えませんが、大地を開拓する過程にはリアル感を感じます。

その大草原の小さな家の最初の最初。シーズン1のエピソード1を見たのですが、なかなか感慨深いものがありました。

① 犬の話から始まったこと

② 馬・犬・牛などの動物が人の生活を支えていたこと

この二つです。

 

① 犬の話から始まったこと

 

大草原の小さな家の1回目の前半は犬の話でした。

新しい土地を求めて移動する父、母、娘3人。そして同伴するのは中型犬(日本では大型にはいる)毛足の長いテリア種の犬でした。

テリア種はネズミなどの害獣を取るのが役割の犬です。

おそらく大陸に渡る船に乗せられてきた犬の末裔なのでしょう。

そのテリアのジャックという犬は開拓のために移民する家族の一員として暮らしています。

新しい土地を求めて移動する家族を乗せた馬車に寄り添いながら走り続けます。

実際に馬車に同伴できる犬もいたのでしょう。

犬はかなり長く走ることができる動物でしたがテリア種になると脚も短くオオカミのようにはいかなかったはずですが。

さらにジャックは毛むくじゃらなのにかなり汚れているしとてもシャンプーされている様子はありません。

ジャックは屋外と室内を出入り自由で、日ごろは家族と家畜を守るための番犬として大切にされています。

一度だけ家畜の場所につながれるシーンがあります。

ジャックをつなぐ父親に「今まで一度もつないだことがないのに、かわいそう」と同情する娘。

犬をつないだ綱を外そうとした娘が強く怒られます。

犬をどのように扱うのか厳しいルールがあったことがうかがえます。

そして何よりも、ジャックはよく人のいうことをききます。

子供たちの言うことももちろん聞きます。

子供の外出について来ようとする犬に「ジャック。ゴーホーム。」といって家に戻ることを教えます。

犬はそれに従い家畜場に戻ります。

「家にもどりなさい」の合図。

「オイデ」よりももっと難しい合図です。

犬と人の関係を考える上でとても考えさせるドラマです。

 

② 馬・犬・牛などの動物が人の生活を支えていたこと

 

大草原の小さな家の第一話にはたくさんの人と暮らす動物が登場します。

移動の際には馬車が活躍、馬の扱いを知っていなければ大陸を移動することもできません。

畑を作るには牛が必要です。

牛の扱いと管理は絶対でした。

そして鳥を育てて卵を食べること。

そして何より犬の存在の大きさが心に響きます。

動物を利用しているといえばそのとおりです。

動物の持っている能力を利用して人の生活を豊かにしようとする。

可哀そうだと思うかもしれませんが、みなさんのそばにいるお人形のような風貌の犬たちも同じ目的で販売されているのです。

考えなければいけないのは、彼らが動物として幸せに生きていくということはどういうことかということです。

動物福祉という言葉についてそろそろ考えてみる時代です。


 

 

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犬のしつけ方ポイント「大技を習う前に基本を叩き込むこと」

学生時代にテニス部に入部してからというもの華やかなサービスエースやスマッシュや見事なロブにあこがれていたのに、部活のほとんどの時間はランニングと素振りでした。

素振りはテニスの基礎の基礎。

素振りだけで終わり玉を一度も打つことがなかった日もありました。

華やかなプレーをやってみたいけれどその前には基礎作りというのがあり、犬のしつけ方にもその基礎があります。

ところが習い事と同じように何か目立つようなことから取り組んでしまう失敗が犬のしつけ方の中でもありがちです。

 

「犬に何か教えていることがありますか?」といいう飼い主に対する質問に対して案外多い答えが次の答えです。

「オスワリ、あとオテを教えました。」

と誇らしげに飼い主が言います。

なぜかゴハンを与えるときにオスワリというのはものすごくメジャーな犬に対するかけことばのようでほとんどの犬がオスワリをしてゴハンをもらっています。

次の「オテ」ですが、これは実際には犬のしつけ方という分野とは無関係です。

「オテ」は犬のしつけというよりも“犬の芸”の方です。

芸とは犬が普通に人に対してあまりしないことを、合図を使ってさせるというものです。

それが「オテ」です。

他者に手をかけるこの「オテ」行動は、犬と犬のコミュニケーションなら友愛とは別の意味を示す、つまり強い主張行動になります。

大人しい犬なら人にしそうにない行動ですが、オヤツひとつですぐにできるようになります。

でもどんなに「オテ」ができる犬でも一番難しい合図はすぐにはできません。

 

一番難しい合図、犬のしつけの大技といえば「オイデ」です。

室内でオヤツひとつあれば教えられる「オイデ」も、もし屋外でリードが外れてしまったら、犬が走り出したらあなたの犬は「オイデ」に反応して戻ってくるでしょうか。

これもありがちなしつけの失敗ですが、まだ十分にコミュニケーションがとれていな犬のリードを屋外で外してオイデの練習をさせてはいないでしょうか。

あなた犬が生後数ヶ月ならきっと飼い主のオイデに単純に反応します。

しかしその犬は生後8ケ月になるとオイデといっても戻って来ない犬になります。

幼くて飼い主から離れられなかった子犬は、成長と共に飼い主から離れていくようになる。

オイデが出来ていたのではなく、離れることができなかっただけなのです。

犬に「オイデ」というしつけの大技を教える前に、もっと大切な基本を教えておく必要があります。

 

犬のしつけの基礎の基礎。それは「マテ」です。

いついかなるときでも、ある程度の時間のマテができるようになること。

これが犬のしつけ方の基本の基本です。

ゴハンやオヤツのお預けのマテができる犬も飼い主が離れて戻るまでのマテはなかなかできません。

このマテ(待機)こそ犬が犬として一番やらなければいけない行動です。

ひとりでもできる役割で忍耐も必要です。

マテは犬がじっとしている行動なので動きがなく動画映えもインスタ映えもしません。

それでもマテができる犬は本当に強いのです。

マテがどのくらい(距離や時間だけではなく状況別に)できるでしょうか?

インターホンが鳴っても「ベッドでマテ」ができるでしょうか?

オヤツがなくてもできるでしょうか?

犬のしつけの基礎の基礎からもう一度見直してみましょう。

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犬の行動を決める「メンタルマップ」について考えてみました。

犬の逃走行動についての数日前に記述したブログ記事から広げました。

関連ブログ記事→“警察犬が山で逃走した事件”についての個人的な考え・犬の衝動性について

話題を広げて一回目は逃げだした犬がどうやったら戻れるかというお話をしました。

犬の行動を決める道具のひとつは“犬の足裏のパッドの臭い”だった

犬が地面に鼻先をつけたまま「臭いの足跡」を追跡している姿を一度は見られたことがあるでしょう。


今回は犬の行動を決める道具として二つめを考えてみます。

少し難しい話になりますので、繰り返し読んで下さいね。

 

犬が行動を決める道具として二つ目に考えるのは「メンタルマップ」です。

メンタルマップという言葉を聞いたことがありますか?

私は初めてこのメンタルマップについて考えるようになったのは、自分が盲導犬を訓練し育成する仕事をしていたときに、視覚障害者の方々がどのように歩いているのかを知ったときでした。

それは普段から自分が使っているのと同じシステムだったのです。

メンタルマップとは自分の頭の中にある地図です。

歩いているときにも、車を運転しているときにも、地下鉄を乗り換えるときにも、スーパーの中を移動しているときにも、このメンタルマップの活用によって行動がスムーズになります。

メンタルマップという頭の中の地図には二つの要素が必要です。

ひとつは「自分」もうひとつは「地図」です。

地図の中に自分が今どこにいるのかという位置があって、動物はいつもその中で活動をしています。

たとえ室内であっても庭であってもメンタルマップは常日頃から利用されているのでそれを意識することはありません。

むしろメンタルマップが頭の中から紛失してしまったときに、その大切さに気づきます。

わたしは最近よく運転しているときにメンタルマップを紛失することがあります。

なぜならカーナビを使用することになったからです。

カーナビのいうとおりに、まっすぐ、曲がって、左へ、右へと言われたとおりにハンドルを切って運転をすすめると、自分の頭の中には地図が出来上がりません。

特に初めていく場所では全く地図がないため、1本でも違う道へ入ってしまうと間違えたみちをまっすぐに戻ってこなければ迷子になってしまいます。

 

犬たちの迷子は実はこうしたカーナビ状態で起きてしまいます。

犬にはひとつめの足跡の地図があります。

でもこの臭いの足跡は一本線になっています。

もし少しでも道を外れてしまって臭いの足跡の線を失ってしまうことになれば、何かで臭いが消されてしまったら自分が今どこにいるのかが分からなくなってしまいます。

 

ところが犬にもメンタルマップがあるはずです。(科学的にはまだ証明されていないようですが、脳の構造からして私はあると考えています。)

メンタルマップの作り方が私たち人間と犬で違うとすれば、私たちは視覚的に地図を把握しますが、犬は臭いの流れによって地図を把握します。

そのため都心の高い建物などで風の流れが不自然だったり全体を流れる風がさえぎられると臭いのメンタルマップの作成はできなくなります。

ところが山や畑などのゆるやかに風の流れる環境では、臭いの流れによって全体を把握することができます。

臭いが大きく遮断されるとすれば川の流れです。

一直線に流れる川の流れる臭いは山と山の臭いを遮断するでしょう。

動物たちにとって谷とはひとつの大きな境界線だったはずです。

 

そして、私がカーナビを使うたびにメンタルマップの作成ができずに脳内が退化していくように、犬たちも常日頃からメンタルマップの作成ができずに行動にストレスを感じています。

昭和の初期にはまだ高い建物やマンションが少なかったので、地域の犬たちの頭の中にはメンタルマップが存在していたのかと思います。

人々の頭の中には「地図」と「自分をさす➨」が存在するという話は、あの養老猛司先生の話の中にもありました。

また詳しく勉強していきます。

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犬の行動を決める道具のひとつは“犬の足裏のパッドの臭い”だった

犬の逃走行動についての数日前に記述したブログ記事に関連した内容です。

関連ブログ記事→“警察犬が山で逃走した事件”についての個人的な考え・犬の衝動性について

 

もし犬が逃走後に戻ってくるとしたら、どのようなルートをたどって帰ってくるのでしょうか。

ひとつは自分の歩いた足跡の臭いを嗅ぎながら戻る、という方法です。

ヘンゼルとグレーテルが迷子にならないようにパンくずを置きながら道を歩いていったように、犬も迷子にならないように自分の足裏にある汗腺から臭いを出しながら歩いています。

飼い主なら一度は犬のパッドの臭いを嗅いだことがあるかと思いますが、独特の臭いがしますね。

あの足裏の臭いを地面につけておくことが移動中のマーキング行動になっているのです。

この地面の臭いについた臭いですが、こんな風についているとします。

● ● ● ● ● ●

でもこれではどちらが来た方向かわかりませんね。

実際には犬にはこのように臭いを取ります。

⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒

犬は自分が歩いてきた方向が分かります。

なぜなら、臭いの分子の量が違っているからです。

新しい臭いは臭いの量が多く、古い臭いは臭いの量が少ない。

この臭いの量で今なのか、ちょっと前なのか、それともずっと前なのかを判断しています。

特に山や畑などの土の上に残された臭いをとるのはとても得意です。

他の動物を追跡する際にも使われる土の上に犬の鼻先を付けて歩く追跡行動は犬が最も得意とするところですが、この動物の歩いていった方向を知ることも同じ原理で成り立っています。

しかしアスファルトの上には臭いがつきにくい上に、自分の歩いたあとにきつい臭いのゴム製の靴を履いた人間が歩くことで臭いはますます減っていきます。

ウロウロとすればますます臭いは攪乱されてしまいます。

都市空間で迷子の多い理由は臭いが判別しにくいということもありますが実は他にも理由があります。

次に続きます。


 

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可愛らしい女子犬ちゃんたちの戦いがあまりにも犬すぎて逆に微笑ましい

先日、可愛らしいメスの犬ちゃんを2頭お預かりしました。

それぞれ別の家庭で暮らしている犬ちゃんたち。

犬種は同じだけど、年齢は多少違います。

どちらもあまり他の犬とのコミュニケーションや関係作りが上手ということでもありません。

その日は福岡でのお預かりになり、あまり慣れていない2頭は今回は対面させずにお返ししようと思いました。

むしろ、対面させない状態でお互いの庭やクレートでの過ごし方がどのくらい変わるのかを観察したいと思いました。

どちらの犬ちゃんも普段は大人しいものの飼い主さんへの自己アピールはある程度強い感じです。

家庭で抱っこされながら育った犬ちゃんは、私が一番!私が女王様!と思っています。

トレーニングでクレートで休むこともちゃんとできるのですが、ちょっとしたときにクレートの中から気配を醸し出し「あのねー。用事があるんですけど!!!!」と主張することがあります。

実際に2頭の犬ちゃんたち、単独でのお預かりでは状況によってクレートの中で小さなアピール音を出すことがありました。

しかし今回、ふたつのクレートが同じ部屋の端と端においてある状態で、お互いに全く気配を消していました。

その気配の消し方はもはや忍法としか思えないほどのすばらしさです。

泥棒が入ってきたとしても、絶対にそのクレートの中に犬がいるということに気づかないでしょう。

見事な気配を消す2頭の犬ちゃんに関心すると同時に、庭での攻防が気になりました。

 

お庭を交互に使って遊ばせてみました。

庭に出たときには、それぞれがまず周囲を探索して、自分がここと思う場所で排尿や排便をします。

ここと思う場所で休んだり、遊んだりすることもあります。

この可愛らしい2頭の女子犬ちゃんたちはどちらもが「わたしが女王様」だと思っているのに、庭に別の犬が排尿をしていることを知ります。

そこでお互いに排尿と排便によるマーキング合戦が始まりました。

普段よりも排泄回数が増えて、排尿の場所ややり方、排便の回数まで変わってしまいます。

 

犬と犬の対決といってもオス犬とメス犬では多少関わり合いが違います。

動物には相違がありますが、この性別による違いは人と似ているところもあります。

オス同士の戦いは分かりやすく正面衝突、つまり「やれんのか(猪木節)!」的にメンチをきる喧嘩だったり、もしくは目をそらして戦いを避けたりすることもあります。

ところがメス犬とメス犬の戦いの場合には、あくまでけん制攻撃的なモードで張り合います。

まずはマーキング合戦です。

排尿と排便を使ったマーキング合戦ですが、当然のことですがオス犬もすることがあります。

ただオス犬の場合にはそのことが直接対決を引き出すきっかけになることもあり、目の前に相手がいるときには慎重な犬もいて経験数も行動に影響しているようです。

さて、女子犬ちゃんのマーキング対決に戻りますが、その犬ちゃんたちの排尿や排便の様子を見ながら、見かけは可愛らしいけれどやっぱり犬だな~と当たり前のことを思いました。

排泄物で臭いをつけて自己主張をするという行為があまりにも犬でほほえましくさえ思えました。

今回は同じ場所に2頭を出すことがなかったため、けん制的な行動で終わりました。

しかし排泄物をお互いに嗅ぎあったことで、お互いの性別、年齢、経験、そして性質に関わる情報までも相手に提供したことにもなりました。

もし今度2頭が対面したときには「あのときのあんたね。」となるわけです。

飼い主さんがいれば吠えるか逃げるかして対決を避けるでしょうが、飼い主さん不在の対面ではどうなるでしょうか。

犬と犬はいつでも仲良し、うちの犬は誰でも大好き、誰とでも仲良くなれるなんてそんなうそっぽいことを思いこむことはもうやめましょう。

自分が一番だと思っている犬はたくさんいるし、実際におうちでは本当に一番の女子犬ちゃんなのです。

そんな犬ちゃんたちの対決ですら、犬と人の難しい関係性よりはずっとシンプルなものです。

次回の直接対決が今から楽しみです。

Posted in 日々のこと, クラスのこと, 犬のこと

犬が成長する環境整備のために木々の育つ環境を整えています。

程よく暖かく程よく冷たい風が吹く秋の日。

山で作業をするには最高の気温です。

今日はお預かりクラスの利用で到着した犬くんをお伴に、年に数回しか手入れに入れない尾歩山の東側の斜面の手入れに突入しました。

棘のついた雑草やらカヤやら笹やら葛やら…。

山の木々の成長を阻害するものたちを鎌、はさみ、のこぎりの山の手入れ3種の道具を駆使して刈り込んでいきます。

お供の犬くんは作業する私の周囲で番犬をしてくれるので調子にのって2時間ほど続けました。

なぜこんなに苦労して山の手入れをしなければいけないかというと、この尾歩山の中で成長する犬たちがいるからです。

犬の成長と発達のために、何よりも必要なのは環境を整備すること。

生徒さんたちに常々お願いしていることですが、実は私もこうして環境整備を進めています。

室内環境の整備や、寝床を準備することや、お散歩のコースを選択することや、床材を整えることや、部屋に仕切りを作ること、テラスやベランダを整備することの全てが、犬が安心して成長できる環境を整えることです。

同じように私もこの尾歩山を安全かつ安心して活用できる場となるように環境を整備する責任を負っています。

いつもトレッキングクラスに利用している道だけを整備しているのではありません。

みなさんが普段通行しない尾歩山の全ての木々がちゃんと育って森になるように育てているのです。

木々を育てて健全な森をつくるには木々の育つ環境を整備しなければなりません。

犬を育てて犬の健全な心身をつくるには、犬の育つ環境を整備しなければなりません。

環境を整えていないのに、犬をほめたり叱ったり、ごほうびを与えたり罰を与えたりしても、何も変わらないどころか犬は壊れていきます。

それは私が山の環境を整えていないのに、肥料を与えたり、ロープをかけたりするのと同じことです。

木々の根が育つように、犬の脳内では神経がきちんと発達していきます。

犬が心地よく過ごせる環境が整えられていることが何よりも大切なことです。

犬は人間ではない、犬は人よりもずっと自然に近い動物であることをこれからも尊重したいと思います。

この季節だからこそできる山の手入れを今年も楽しみます。

Posted in 日々のこと, 犬のこと, 自然のこと

“警察犬が山で逃走した事件”についての個人的な考え・犬の衝動性について

少し前のニュースになりますが「警察犬が逃走したので地域に注意を呼び掛けている」というニュースが耳に入りました。

私がラジオのニュースで聞き覚えた内容はこのようなものでした。

・警察犬が山で逃走した

・逃走した警察犬は2歳でよく訓練されている優秀な犬だ

・警察犬は行方不明者の捜索のために警察官などと共に山に入っていた

・警察犬といっても大型犬なので地域に注意を呼び掛けている

そして翌日だったと思いますが「警察犬が保護された」というニュースをまたラジオでききました。

・行方不明だった警察犬が無事に保護されました

・警察犬はリードが木に絡まった状態で捜索中の警察官に発見された

・見つかったのはいなくなった場所から100メートルくらいだった

・発見されたときに興奮していた

・警察官から魚肉ソーセージなどをもらって食べた

こんなニュースでした。

 

ニュースの内容も事実と相違があることがありますので本当にこうした経過だったかどうかは分かりませんが、そうだとしての私の意見です。

そもそも捜索活動中の警察犬が行方不明になってその警察犬を捜索するというのですから、不思議なことになったのだなと言葉もありません。

山で犬が逃走したの理由はおそらく「衝動的に走り出した」ということだけです。

他の動物の気配などで走り出した可能性は十分にありますが、野生動物は犬の衝動的な行動を引き出すもっとも強い動機です。

よく捕獲本能が芽生えて動物を追いかけるといいますが、捕獲本能というのはそれほど単純なものではありません。

むしろ、わかりやすい言葉でいえば「ビビッて走り出した」ということです。

怖いものがあったら逆の方向に逃げそうだと人は思うでしょうが、監禁されている動物になると怖いものがあるとそれに向かって走り出すという行動になります。

街中で身動きがとれなくなったイノシシが人にむかっていきなり突進してくるような感じです。

 

見つかった場所がいなくなった場所から100メートルくらい。

ということは犬の移動距離能力を考えると本当にすごく近いですので、人や犬がワイワイといる中に戻れないわけはありません。

衝動的に走り出したが一定の距離を走って自分を取り戻した、しかしそのときにはリードが木に絡まっていて身動きが取れなかった、ということでしょう。

身動きが取れなくなっって周囲に動物の気配があれば、自分も気配を消すのが一番の身を守る方法です。

ここではちゃんと気配を消していたので、見つけてもらったときには大興奮となったと思います。

吠えて人を呼べばよかったのにと思うかもしれませんが、そうしなかったのは冷静な行動でした。

 

しかし、リードを付けたまま捜索しなければいけなかったこの警察犬は、行動の安定性からするとまだ信頼性は十分ではなかったのか、それともそのリードはほんの短いものだったのかが定かではありません。

いずれにしても「衝動的に走り出した」行動をした時点で、フィールドに出る使役犬としては「まだまだ」であったと言わざるを得ません。

犬の衝動性は「ごほうびと罰」でコントロールすることができません。

犬をほめたり叱ったりする方法で訓練をしただけでは、犬の衝動性を管理することはできないのです。

そもそもその犬の衝動性を制御できるのは「犬自身」出会って他者にはそれができないのです。

ではなぜ逃走しない人と共に活動できる犬を育てることができるのか。答えはとても簡単です。

犬が「個体」よりももっと大切だと思うものを自分の中にもっている時です。

「個体」よりも大切な「群れ」という存在の一部であることを犬が知ったときにはじめて犬は自分の衝動性を抑えることができるようになります。

この抑制は「それがいい」とか「それが悪い」といった価値観をもってされるのではなく衝動的になることがないという行動の変化で訪れてくるのです。

犬と人。違いもあれば似たところもあります。

犬が山で逃走したと聞くと「動物の本能で…」などと失礼な解説をする人も出てくるのもしれませんが、人だって何か別の生物に拘束されてしまえば、何かをきっかけに衝動的に走り出すはずです。

逃走した犬は、まだ群れに所属してはおらず、人にとらわれているという感覚があったのでしょう。

それにしても見つかったことがニュースになったり、美味しそうに魚肉ソーセージを食べたことがニュースになったりする当たり、この国は良い意味では平和、少し悪口をいうなら平和ボケしているのかもしれません。

私がもし山で逃走して見つかった犬を保護したら、その犬の生涯のために絶対に魚肉ソーセージをすぐに与えたりはしません。

本当にその動物を成長させてその犬の持っている力を引き出してあげたいなら、自分の気持ちも律して犬に接すること、これが今のところの私の犬に対する姿勢です。


 

 

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