グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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ヒロシのぼっちキャンプの番組を見てやっぱり「キャンプには犬」ということ

ヒロシさんのぼっちキャンプ番組を見た

お笑い芸人好きのダンナくんが「勉強のために」と録画してくれていたヒロシのぼっちキャンプという番組を見ました。

コロナ禍でブームになっているらしい三蜜にならない「ひとりキャンプ」をいち早くやっていたのが芸人のヒロシさんだとききました。

自分の山を買う前のヒロシさんのキャンプ、それから自分の山を購入したあとに自分の山でするキャンプまでの番組を一気に見ました。

山暮らしとか山歩きでもないし犬も出てこないただのキャンプですが、自分の山を購入してまで大切にしたいヒロシさんのこだわりの時間については伝わってきました。

私にとってはあまり印象の低い芸人さんだったのですが、こんな一面があったのだなとかなりイメージが変わりました。

 

犬とのキャンプのおすすめ

犬との山歩きと同時に、犬とのキャンプもおすすめしています。

まずは道具から入らないと気が済まない方や、こだわりたい方、

あまり歩きたくないけど自然の中で過ごしたい方には「キャンプから始める」のもまたおすすめです。

ヒロシさんが使っていたフェンネルの小さなランタンや火吹き棒、飯盒などはザ・キャンプって感じでよいですよね。

もしかしたらヒロシさんはそのうちに犬を飼うかも…などと想像しました。

キャンプなどの屋外活動は犬がいることのありがたさを一番感じられるからです。

特に昼間の山歩きよりも、夜を過ごすキャンプの方が犬の役割は発揮されます。

犬と暮らす皆さんならその答えわかりますよね?

 

キャンプの時に犬としての役割を発揮する犬

そうです。野生動物の気配をいち早く人に知らせてくれる、それが犬の役割です。

野生動物が近づいてくると「ウー」と小さな声で唸って飼い主に知らせます。

姿勢は動物のいる方向を見て、体を低くして、あそこに敵がいますよと教えます。

その後は飼い主がどうするか、犬は人の指示を待ちます。

おっと、この犬の行動は理想的な行動ですが、すべての犬がそうするわけではありません。

飼い主を守ることを自分の役割とする犬、飼い主とひとつの群れであると自覚できている犬、こうした犬はキャンプで理想的な行動をします。

でもそうでない犬もたくさんいて、キャンプ中にバーベキューの肉を横取りしたり、シュラフに潜って寝てしまうかもしれません。

もしくは野生動物の気配にびっくりして山に走り出すかもしれませんのでご用心ください。

本来なら小型のテリアでも番犬としてずいぶん活躍したものです。

キャンプをするならいつか犬たちに活躍の場を与えてくださいね。


テント場でのオポ

Posted in 犬のこと, 自然のこと

犬になめられて喜ぶ皆さん、犬のことを「舐めんなよ」!【前編】

先日のブログ記事の続きではありません。(犬の社会化の話題少しお待ちください…)

今日の話題は犬の「なめる」という行動についてとりあげます。

 

犬になめられたら私のことが好きなのか?

非常に多くの人は犬に舐められたら自分のことが好きだと思うでしょう。

これはよくある「犬に対する誤解」です。

多分ですが「犬が尾を振っているときは喜んでいるとき」といった曖昧な情報の広がりによって知られていることと同じです。

犬が尾を振るときは喜んでいるときだけではありません。

犬は心身のバランスをとるために尻尾を振ることもあるし、興奮したり攻撃性が高まるときも尻尾を振ります。

ただ振り方に違いがあるのでそれで判別できるということです。

犬が人を舐める行動も単に人が好きだからというわけではありません。

舐める行動のパターンや状況によって意味合いが違ってくるのです。

 

どのようなところを犬に舐められるのか?

ではどのような時に、どのような部分を犬に舐められるのでしょうか?

状況よりどこを舐められるのか、の方が答えやすいので先にそちらを質問します。

だいたい次のような箇所を舐められているのだと思います。

・口の周りを舐められる

・手を舐められる

・足を舐められる

・服の上からも舐められる

 

この中で口の周辺を舐められるというのは子犬のする行動でよくあります。

これは子犬が世話をする母犬に対して食べ物を要求する行動です。

口回りをなめられると大人の犬は自然に食べ物を嘔吐する仕組みになっています。

子犬が世話をしている人の口をなめようとするのはおなかがすいたという要求行動なのです。

 

他の部位をなめる行為は通常では犬と犬ではあまりみられません。

犬はサルのように毛づくろいをしあったりはしないので、他の犬を舐めるという行為はしないのです。

非常に特別なとき、他の犬がけがをしているときなどに舐めることがありますが、それ以外の舐めについては見られません。

もしみられるとしたら先の口回りを舐めるというのとは違うメッセージとして使われています。

メッセージといっても「わたしはあなたのことが好きですよ」という意味ではありません。

犬の舐める行動はもっと違った意味を持つのです。

続きは後編へ。

Posted in 犬のこと

子供の「三つ子の魂百まで」は犬の性格形成にも通じる

子供の性格や育て方でいわれる「三つ子の魂百まで」ということわざは若い方にも通用するでしょうか。

文字通りですが、小さいころに作られた性格や行動はその人が大人になるまで影響を及ぼすということです。

 

「三つ子の魂百まで」は犬の成長にもいえる

この「三つ子の魂百まで」のことわざは実は犬の成長と発達にも通用します。

つまり犬が成長して成犬になったときの性質(性格)や行動は、子犬のころにどのように成長してきたかが強く影響しているということです。

※カッコ書きで性格としたのは犬の場合には性格といわず性質や気質と表現するのが学問としては一般的なのでこのように表記いたします。

子犬の時期とは具体的にどような時期かというと「生後4ケ月まで」と考えます。

その理由については後程説明します。

 

さて、犬の行動に影響を与えている要因はざっくり考えると2つになります。

1 犬の性質

2 その行動に影響を与えている環境

この二つです。

こう考えるととてもシンプルですね。

例をあげましょう。

ワンコという犬にAさんが近づいてきました。

ワンコはAさんに唸ってあとずさりします。

今度は、ワン太郎という犬にAさんが同じ環境と状態で近づいてきました。

ワン太郎はAさんが近づくと軽く尾を振って顔を背けました。

Aさんが近づいてくるという同じ環境が来ているにも関わらず、ワンコとワン太郎の行動が違うのはなぜか?

答えは単純で、つまりワンコとワン太郎では性質が違うからです。

 

この行動に影響を与える性質の基盤が子犬時代に形成されるというのですから、子犬育てがいかに重要かということです。

 

犬の「三つ子の魂百」までに科学的な根拠はあるのか。

となると気になるのが、実際のところ三つ子の魂百までが犬にも起こるという根拠があるのかというところですが、根拠はあります。

子供時代に性格が作られる背景には、幼児のときに脳内のシナプスの形成が進むという科学的な理由があるからです。

人と同じように犬の脳内にもシナプスがあります。

そしてその形成時期は犬が子犬期の生後4ケ月未満にシナプスの8割程度が形成されるという科学的データがあります。

脳内のシナプスとは機械でいうところの接続ケーブルのようなものです。

複雑な機械が作動するためにはいろいろなパーツが接続されていてお互いの連携で機能していきますね。

その接続をしているのがシナプスといわれる部品です。

シナプスは形成というつながる作業をしたり、刈り込みといういらないものを削除することを繰り返してより良い回路を作っていきます。

こうして脳内の基盤となる回路をつくっていく時期が子供では3歳、犬では生後4ケ月ころまでです。

本来なら生後3ケ月にその多くが作られてその後1ケ月は追加で刈り込みが行われるようなものなのですが、生後3ケ月と言ってしまうと子犬を抱えている方が焦ってしまいそうで、生後4ケ月とお伝えするようにしています。

情報を橋渡しする回路が作られるまでに子犬は自分で動いていろいろなものを匂ったり探索したり体を使ったりしながら環境に適応する能力を身に着けていくのです。

それがみなさんが聞いたことのある「子犬の社会化期」なのです。

 

子犬の社会化期(生後4ケ月)までにたくさんの経験をさせるべきなの?

結論から言いますが、これはノーです。

犬が混乱するような状態で刺激を提供し続けると、犬のシナプス形成は混乱してしまいます。

シナプスは接続がうまくいく状態ではつながっていきますが、うまくいかない状態ではつながりが得られず回路が上手に作られないからです。

犬の社会化の意味をもう一度犬の立場にたって考えてみる必要があります。

この話題については近々ブログ記事として追加します。

では、犬が生後4ケ月までにどのような環境で過ごすことでシナプスの形成と刈り込みが進むのか、それは犬が本来犬としての習性を発揮できるような環境に違い場所であるということになります。

つまり犬は屋外の動物なので、安全は木々に囲われた適度な広さの柔らかい土と草の生えた自然の空間である庭で過ごすことです。

土の上を歩くこと、穴を掘ること、草を食べること、そして安全な寝床を持つこと。

さらに自分を守ってくれるコミュニケーションの通じる動物がいること、はじめは自分の親が、その親を通して人を理解し、そしてそこから人との暮らしが始まるのが最善でしょう。

頭数の多いブリーディングをしているような繁殖所ではなかなかこのような環境を継続して短い子犬期に提供することはできません。

昭和以前の日本であれば犬は軒下あたりで生まれたあと親犬と生活を共にしながら、人眼に見えて寄ってくるようになるには生後3ケ月くらいにはなっていたと思います。

日本の里に暮らす犬たちは勝手に社会化をしていたのですね。

純血種など最初から人が繁殖に関与しているヨーロッパでは、子犬の成長期には子犬は屋外で過ごす時間を作っています。

純血種の繁殖は1800年代からになりますので上手に犬の繁殖を手掛けてきた文化を持っているからこその犬への理解です。

本場できちんとブリーディングされて育てられた犬は日本に入ってくることはほとんどなくみなさんの目に触れることもなかなかないとは思います。

土台の作り方が違うのです。

今日本では、その上っ面だけをなぞったような形での犬の飼い方やしつけ方がはやりになっています。

着こなせない洋服をなんとか着ようとしている不器用な状態なのだろうなと思います。

 

ここからさらに飼い主としてはもうこのことで頭がいっぱいになっていないでしょうか。

犬が生後4ケ月を過ぎてしまっていたら性格はもう変わらないのだろうか…。

どう思いますか?

次の記事につなげます。

 

初めての雪体験をするミックス犬ちゃん



 

Posted in 犬のこと

オポとの雪遊びを思い出しながら自然とつながるセンスを考える

お預かり犬ちゃんが雪の中で遊ぶ風景を楽しく見守っていました。

犬が楽しんでいるのかどうかは不明なのですが、とりあえず少しテンションが上がってでもちゃんと抑制もかかっています。

動いたりとまったりの行動の繰り返しが、アクセルとブレーキをちゃんと使っていることがわかります。

興奮するでも抑制する。

動物の行動はこの繰り返しです。

犬を興奮させすぎることには反対ですが、犬が自然の力をどのように受け取るのかは見届けたい。

でもそんな自然の変化は街中では感じることはできません。

オポと博多のマンションに暮らしていたときに冬になって山のほうで積雪があったと聞くとどうしてもオポを雪の風景の中に連れて行きたくなりました。

知人と連絡をとったのですが凍結しているので車は下においてくるしかない。

それでオポと凍結の始まるその山道を3キロ以上の道のりでしたが歩いて上っていきました。

到着するとふんわりとした雪の風景が広がり、オポはいつもとは違う匂いと感覚にテンションが上がります。

それでもちゃんとブレーキのある犬だったので、走ったり止まったりを繰り返しながら安全に周囲を確認しながら探索を続けていました。

下道から歩いてきた私とオポに知人はびっくりしていましたが、そもそも犬を通して知り合いになった方なので私の犬に対する思いはちゃんと理解してくれます。

雪遊びが済んだあとは少し部屋で暖まらせてもらってそれからまた山道をとぼとぼと歩いて下り車でマンションに帰宅したのです。

犬にとって何が幸せなのかもちろん私にもわかっていません。

でもどうして山にたびたび向かったのかというと、山にいくと犬の目の輝きや体の柔らかさや体全体からあふれてくる躍動感が違うと思ったからです。

そんな経験の積み重ねでオポという犬が自分の機能をできる限り発揮する機会をつくってあげなければと考えるようになったのだと思います。

理由はあとからくっついてきただけで、最初はこっちのほうがいいような気がするという感覚から始まっていました。

福岡などの都心で訪問レッスンや通学レッスンを受けてくださった生徒さんたちを山遊びや山歩きにお誘いしている理由は、山で過ごす犬をちゃんと受け取られるようになれれば犬が山で生き返ること、犬が山の動物であるということを頭でなく心で感じていただけるのではないかと考えているからです。

しかしそのためには飼い主さんの方にも一定のセンス(感受性)というのが必要であるということがわかってきました。

この自然とつながる感受性は小さいころに自然とかかわりながら成長した人の中にはあるのですが、最近ではマンションで育った子供さんも増えてきたのでなかなかそうしたセンスは簡単には身につかないのだということも現実として見えてきました。

昨年からのコロナウイルスという猛威によって価値観はいろんな場面で二極化しているのでは感じています。

動けなくなる人、戦う人。

都会と田舎の二極化生活。

自然と都市のバランス。

コロナウイルスの到達しそうにない七山ではそんなことも考えていました。

都市空間は犬には少しやっかいな環境になりました。

グッドボーイハートしてできること、ひとつずつ考えて行動して前進します。

 

オポが見てるから…ですね。

2011年グッドボーイハート七山のオポ

Posted in 犬のこと, 自然のこと, オポのこと

お預かり中の犬ちゃんと雪遊びをしながら考えた犬のスペース問題

結局水道管問題が解決せずに、水も飲めず顔も洗えないというサバイバル状態から脱出するために下山を決意しました。

コロナ対策のためにも免疫力は万全に整えておきたいので、寒さと栄養不足というダブルのストレスを今抱えるわけにはいかないという体のいい理由もあります。

ところが預かりの犬ちゃんの方は2日目ということで環境になじんできました。

昨日までは飼い主さんが迎えに来てくれるはずだという感じで警戒&対立モードだったのですが一度遠吠えをして吹っ切れたのか態度が一変しました。

恋愛だったらこの変わりようにはビックリするような感じですがメス犬ちゃんなのでこれくらいのイレギュラーボールは受け取れるようにならなければいけません。

犬ちゃんはふわっふわのお庭の雪の上をジャンプジャンプして遊んでおり、下山しなければと思いながらもギリギリまでと思ってずっと付き合っていました。

二時間くらいはその風景を眺めたり一緒に走ったり写真を撮ったりしていましたが、昨晩の冷え込みで体が限界に達しつつあったので「ごめんね~」といって犬ちゃんを連れて雪景色をあとにしました。

飼い主さんだったらもっとこの姿を見ていたかっただろうなと思って動画は余分にとったつもりだったのですが、操作ミスで少し抜けている部分もありガッカリ。

でも少しの動画と写真が撮影できたので早速報告します。

普段見ることのできない風景の中にいる自分の犬、飼い主さんはどのようにみられるのでしょうか。

雪の中で横跳びする犬の行動を見ながら、かなり広いスペースに解放してあげないとこうした横動きは出てこないと感じていました。

飼い主さんと過ごす場所が部屋の中だけとなると、なかなか関係性を築いていくのには難しいものがあります。

やっぱりお庭が欲しいですね。

マンションなら広いテラスでもいい、プライベートで使えるお庭なら実家のお庭でもいいし、プライベートの安心できる空間で過ごせる場所があると犬の行動は実に変化が大きいのです。

ドッグランとなると他の犬との取り合いになり勝ちです。

プライベートで使用するならまだ良いですが、犬の排尿の臭いの多いドッグランはあまりお勧めできないのです。

あまり流行っていない山とか森のようなドッグランをプライベート空間として利用できるならお庭変わりにお勧めします。

まずは犬にとって必要な環境は何かを考えて、それを準備する。

自分の手元になければ用意するか代用する。

もしくはいずれ近いうちに実現させるべく計画を立てるといったところでしょうか。

興奮しやすい犬ははじめからそういう性質を持っているわけではないのです。

その犬の性質と環境や接し方が合わなかったとき、犬には問題行動という大きなトラブルが発生しているだけなのです。

遺伝的に難しい犬などあまりいないと思います。

難しいのは提供された環境の方であって、局はわたしたち人間の問題なのだとやっぱりここに行きつきます。

グッドボーイハートのお預かりクラス2021年1月

Posted in 日々のこと, クラスのこと, 犬のこと

雪の七山の家は別世界で身の引き締まる思いだけ…。

ドキドキしながら七山に戻りました。

預かりの犬ちゃんに少しでも山の空気を吸わせてあげたいなと思いつつ山に向かって車を走らせました。


二丈当たりから山の風景がいつもと違うのこを見ながらすでに心臓がバクバクし始めました。

怖いというよりもどうなってるんだろうというドキドキです。

唐津市に到着したときにあきらかにいつもとは違う風景だということがわかりました。

唐津から七山に向かう道ですら、慣れている人でも多少の勇気のいる道路状況になっていました。

家への距離が近づくにつれてカーブを曲がる度に変化する景色。


家の前まで来ると切り返しはできないような状態になっていました。

車を逆向きにすることすらできません。

でもいつもこのような状態だったのでこれでパニックになるということもなく、スコップで車の足回りの雪をはらって逆方向に車を停車させて出る準備も万端にしたうえで家にのぼります。

車を降りた犬ちゃんははじめての七山で自分の脚の高さくらいまでの雪に少しだけびっくりした感じでしたが、外空間に慣れているようで全く寒さを訴えることもなくむしろ臭いとりしたりと探索に余念のない様子でした。


そして大問題が発覚しました。

水道管が凍結しています。

七山を離れていなければ雪が降っても全然大丈夫だったのに…。

水道をいつもつかっているから水道管が凍結するということがなかったからです。

室内の水道管が凍結したことがないのではじめてのことに戸惑いました。

雪を溶かしてなんどか水道管にお湯をかけたのですがさっぱりの様子で部屋を暖めたりいろいろとやりましたが結局ダメでした。

せっかく犬ちゃんも来たのだからと今日はここにキャンプのつもりで寝ることにして、明日脱出します。

こんなに雪の量が多かったのは久しぶりです。

山の中はきれいな風景だろうと行きたくて仕方ないのですが、水がでないというのは大変なことで残念ですが今回は諦めることにします。

グッドボーイハートの前の坂道



ただ白くて明るくて静かで綺麗な風景なのに、生活するのは大変なところです。

身の引き締まる思いなのですが、体力を消耗するので食べ過ぎてしまいます。

ロシアの人は太っているように感じるのはやっぱり寒いからかな、冬の魚が丸いのは脂肪がたくさんついているからだし、イノシシだって冬はコラーゲンに守られている、寒さで食べたくなる理由わかりますね。

食べ過ぎに注意しながら、犬ちゃんとギリギリまで満喫することにします。

Posted in 日々のこと, クラスのこと, 犬のこと, 自然のこと

福岡でめったにない大雪にあたったラッキーな犬たちの様子

福岡では2016年以来の5年ぶりの大雪ということでした。

私も博多にいたので朝真っ白の地面を見て「博多では久しぶりだな~」と思いました。

2016年といえばまだオポが生存していたので、おそらく七山の冷凍庫の中状態で過ごしていたのでしょう。

今回は福岡に大雪ということで生徒さんたちからいくつかのお写真が送られてきてついテンションが上がりました。

追加の私の依頼にこたえて下さりいただいた写真も掲載します。











動画などもたくさん送っていただきました。

しかし百聞は一見にしかずとはまさにです。

雪といえば自然現象。

人も行動を制限させるほどの強い自然の力を示すひとつの風景だと思うのです。

その雪の中でテンションのあがる犬たち。

それが遊びにもつながっていくのですが、子供たちと同じですね。

大人にとってただ大変でしかない雪ですが、犬にとっては世界が変わってしまったということです。

その表情がどの写真からも見てとれます。

興奮、困惑、警戒、戸惑い、逃走…とそれぞれの表情でいつもと違うことが起きていることを感じ取っています。

やっぱり犬は自然の流れの中で生きていると思ったのです。

今日はそれだけをお伝えしたくてブログに写真を掲載させていただきました。

みなさんのそれぞれのインスタグラムにもアップされているようですが、ブログしかご覧になれない方のためにご協力いただいてありがとうございました。

楽しい動画もたくさん届いています。

またおいおいご紹介していきます。

明日もまた雪及び氷との闘いになりそうです。

私は七山に向かう予定ですが、楽しみでもあり怖くもあり。

私もまた動物なのだと感じる時間です。

Posted in 日々のこと, 犬のこと

環境を変えられないなら足すしかない、それもできないなら動くしかないか。

寒波でご心配いただいておりますが今のところ福岡近郊をウロウロしています。

しかし週末にはあの山に向かって走る予定なのでまたインスタグラムでご紹介します。

先日のすごい勢いで書いたトイレ問題のブログ記事を少し整理しておきます。

ブログ記事→都心の犬のトイレ問題でぶつかる人と人の「環境問題」を解決する方法はあるのか?

 

都心の犬の排泄に嫌悪感を示す地域住民と、犬のことを思う飼い主側とのトラブル。

解決の方向に向けて動けるのは人間だけ、しかし犬の排泄場所を指定されるとなると犬自身にとっても重要な問題です。

前回のブログ記事で問題として指摘したかったのは「環境に問題がある」ということです。

その環境とは都市環境の構成の在り方ですが、すでに作られてしまった住宅地や都市空間を今さら変えるということもできません。

 

すぐに変えられるのは自分の敷地の中のことだけです。

その自分の敷地すら集合住宅の中にあるとなると規則が多くどうしようもないということになります。

一時あった犬と暮らす人だけが一緒に集まって住むような「ペット可」ではない「ペット重要視」マンションも上手くはいきませんでした。

犬との暮らしといっても価値観は人ぞれぞれです。

同じマンションに住んでいるからといって親しい関わりをすべての人は求めてはいないようで、近すぎる距離間の中ではプライベートを重要にしたいというのが都心の方の本音ではないでしょうか。

となるとマンションの中には犬が好きな人と犬が嫌いな人がいる。

さらに犬を飼う人同士の間にも価値観の違いがあるとなっていきどんどん分かれてしまうのです。

マンション内の自分の敷地も上手く使えないというのが実情といったところでしょう。

 

となると問題の解決方法はひとつ。

環境が足りないならなんらかの方法で足すしかありません。

その足算とは今ある敷地以外に使える場所を持つということです。

都心の方はこの考えでドッグランに出向くのかなと思います。

ドッグランなら犬をリードから解放できる…と誰もが単純に思ってしまいます。

うちのダンナくんも私と出会っていないくて犬を飼っていたら

「間違いなくドッグランに犬を連れていってリードを外した」と断言します。

 

犬は走り回りたい場所を必要としているのではなく、生活空間の延長となる場所を自然の中に必要としていると考えると、ドッグランという交流の場ではない自然な空間を選択されるのではないかなと思います。

そこで考えるのが自然の残っている人の立ち入らなくなった田舎です。

昔は人が住んでいた日本の田舎。

今ではすむ人もなくさびれて荒れ果てています。

犬たちを休ませながら人が手入れをすれば、荒れ果てた山も生き返り、山が生き返ると海も豊富になってくると思うのです。

問題になるのは都心と田舎の行き来に時間がかかることです。

道路問題がもっと整備されれば、交通事情がもっと変われば、

犬にもうひとつの空間を準備することなど大したことではないと思います。

田舎の土地の値段はびっくりするほど安いのだけど、そこに移動するためにかかる時間のために敬遠されてしまいます。

さらに敬遠される理由はその土地が整備されていないからです。

土地を整備して家をリフォームしてと考えるとたくさんの資金が必要になります。

常套句ですが、宝くじでも当たったら「犬との暮らしを新しくする基金」として使いたいくらいです。

 

でも少しだけここに風が吹いているような気がするのです。

そうです。コロナ禍で広まったテレワークという働き方なのです。

都会ではなくても仕事はできるじゃないかと動き出している人たちがいます。

都心はウイルスで危機的な状況になっています。

それが日本の国全体の危機を招いているように感じてしまうのは、あまりにも一極集中にしすぎた都市の作り方ではないかと。

そろそろ分散が必要になってきたこの波に、若い飼い主さんこそぜひ乗って下さい。

私は旅行は好きじゃなくて、犬と過ごすことが大好きですというなら、

今ある都心の空間とはすごく離れた場所に居心地の良い場所を確保するというのもひとつの生き方改善です。

その方向性なら犬の賛同も得られそうです。

しかし人間の生涯も80年のうちに自律して活動できるとなると30年くらいと案外短いものです。

犬の生涯はもっと短く即決しなければいけないこともまた多しです。

なんだかムズムズしますが、結論としては自然で過ごす時間を増やして下さいと、そいういうことに行きつきます。

 

 

 

 

 

 

Posted in 犬のこと, 自然のこと, 未分類

都心の犬のトイレ問題でぶつかる人と人の「環境問題」を解決する方法はあるのか?

今日は生徒さんからあるインスタグラムに掲載された事件について考えたことをお伝えします。

犬の排泄に関するトラブル

今回見せていただいたインスタグラムのコメントはそのひとつに過ぎず、同じような問題はつねに身の回りに起きていますのでみなさん我が事として考えていただけると思います。

犬の排泄でおきるトラブルとは、犬の排尿、排便に対する地域の方の嫌悪感です。

この話題については過去にブログでも紹介しました。

排便については取り去ることや、犬が便をする直前にチラシを引くなどして無事に「キャッチ」すれば、地面を汚すことなく排便を持ち帰ることができます。

やっかいなのは排便ではなく排尿の方なのです。

 

犬の排尿に嫌悪感を示す地域住民の気持ち

犬が排尿をすることで地域に迷惑をかけてしまうと配慮できる飼い主はたくさんいます。

結構たくさんの飼い主がペットボトルに水をいれて持ち歩き、犬が排尿をした後には水で流すなどして臭いが残りにくいようにしています。

そこまでして配慮をしていても、それでも犬に排泄をされた場所のすぐ近くに住む住民が、犬が排尿することと不快に思ってしまうというのもまた事実なのです。

犬の排尿を不快に感じる地域住民は直接的に飼い主に注意をしたり「犬の排泄お断り」の注意書きを貼ったり、また水を撒く回数を増やしたり、中には犬が散歩に来る時間帯に水を撒く行為をして追い返すということもあるかもしれません。

住民側にすると自分の家のすぐ近くで排泄をする犬は一頭ではないはずです。

一頭の犬が排泄をすれば同じ場所でまた別の犬も排泄をすることになります。

同じ場所に一日に何頭も排泄をする、それがコンクリートやアスファルトになって街中で風の流れの滞りもあれば、それはすごい悪臭になって感じられるでしょう。

臭いというのは一度気になると、その後もずっと気になるようになります。

そうすると散歩で通りすぎる犬をマークすることになり、犬が散歩している姿すらも受け入れなくなります。

地域が狭い都市環境や、郊外でも家が立ち並ぶような場所であれば、当然そうした不快感を犬に感じてしまう人たちが出ても不思議ではないのです。

飼い主側はこの住民の反応を異常だと感じるかもしれませんが、この住宅が立ち並ぶ環境の中にたくさんの犬が住んでいることの方がずっと異常事態であるということもまた事実なのです。

 

犬にどこで排泄をさせたらいいのか?

では犬にどこで排泄をさせたらいいのかという疑問が出てきます。

一番問題のないのは、自宅でさせるという方法です。

多くの自治体がこの方法を奨励しています。

犬の排泄は自宅の敷地の中でさせることが最も早い解決方法です。

もちろんこれは一方的に人の立場にたった結論であって、犬の言い分は全く聞かない場合です。

人の都合だけを優先させるなら「犬の排泄は自宅の敷地に限る」とするのが良いでしょう。

ところが、犬には犬の習性というものがあります。

動物の福祉を実践することを推奨されているこの国では、犬は犬としての習性を発揮できるように犬を飼う必要がある、これまた法律で定められています。

犬の習性として考えるならば、犬は自分の生活圏内の一番小さな巣穴周辺では排泄をしません。

ある程度のサイズの庭があれば、その庭で排泄をさせて散歩中は一切排泄をさせずに帰宅することもできないことはありません。

でもマンションや庭のない家となると犬の習性に反する場所で排泄をさせる必要がでてきます。

また、犬は自分で行動できるテリトリーの一番最大限の場所に排泄をする習性があります。

これが公園などのふたつめのテリトリーでの排泄行為になります。

このテリトリーを犬が持っているかいないかで、犬の日常的な生活のストレスにはかなり差があります。

これもまた犬の習性によって生じる行動であって、犬としての動物の福祉を実現させたいならそうした場所に排泄する権利も与えなければいけません。

 

そもそもの環境整備が追い付いていない

ひとつを立てればひとつが上手くいかない、こうした状態が発生してしまうのは日本という国の都市環境整備があまりうまくいっていないからではないかというのが私の考えです。

日本のように人口密度が高く山が多くて開発できる地域が限られていて、しかもものすごい早さで都市化が進んでしまった国の中で、みんななんとか都会での生活を満喫しようとぎちぎちに家を建ててマンションに暮らし、そして犬を飼う。

ヨーロッパのそれのようにはなかなかいかないのだと思います。

どこかにしわ寄せがくるとしたら、それは犬たちにということなのかもしれません。

私たちには充分な空間もなければ十分な時間もないし、田舎と都心はまだ距離もあります。

都市と都市は高速道路で結ばれていても、田舎と都会はそうではないからです。

移動に時間がかかりすぎて自然はとても遠いのです。

そんな中で今、双方にとってより良い答えというのを持たないというのはあります。

ただ唯一言えるのは、住宅街での犬の排泄は遠慮しましょう。

もちろん公園が良いとは言えませんが、まだ住宅街よりはましです。

河川敷や海や広場があるのならそちら方が排泄場所としてはまだましだというだけです。

そして今後の犬たちの未来のために、都市空間で犬と暮らすということをもっと考える機会を持ちたいです。

その機会を持つときには「犬はこういう動物である」という根拠を基に進めていきたいです。

犬が犬として暮らせる社会があることが、犬が人と暮らす価値のあることだと思うからです。

人の作った空間だから変えていくのも人であるはず。

マンションの形や使い方、都市空間の在り方。

もっともっとたくさん考えることいっぱいです。

犬との暮らしが大切だから、犬の幸せが大切だから、そして人が幸せでないと犬も幸せにはなりません。

それが犬なのです。

Posted in 犬のこと

犬の行動に自分(飼い主)がどの程度関与しているのかを見極めればしつけはできたようなもの

犬の吠えたり咬んだりという問題行動やトイレの失敗や異常行動などに悩みご相談いただく方がずっといるからこうしてドッグスクールとして長い間仕事をさせてもらうことができました。

仕事があるという意味ではありがたいのですが、それだけ人が困るような犬の行動が今でもあるという意味では犬への理解の普及というのは難しいのだなと感じます。

できるだけわかりやすく犬を理解していただくためにお伝えしているのですが、直球すぎて受け取っていただけないことも多いのです。

その飼い主さんに向けたド直球が今回の記事の題目です。

 

犬の行動に自分(飼い主)がどの程度影響を与えているのか?

 

おそらくですが、飼い主のほとんどはそんなことを考えたことはないでしょう。

犬がトイレの失敗をします…

犬が吠えます…

犬が噛みつきます…

その行動は飼い主というあなたが存在していることで起きているのだということを知るのはかなり大変です。

自分も飼い主のひとりであったわけですからわかりますよ。

自分の犬の問題行動を引き起こしている、つまり原因の中に「自分」が入っっている。

入っているどころか中心的存在ですらあると知ったときの衝撃と落ち込みが大変なものです。

だから飼い主はこう質問します。

「犬が噛みつくんです。どうしたら犬が噛みつかなくなるのですか?」

そうですね。たしかにあなたの犬は噛みつきます。

でももしあなたがここにいないとしたら…あなたの犬は噛みつくでしょうか?

 

噛みつく犬もいるかもしれませんし、噛みつかない犬もいるでしょう。

自分の家の中では噛みつく犬も、トリミングショップでは噛みつかないなど、そんなケースもありそうです。

いずれにしても、飼い主の存在はなんらかの形で家庭犬に影響を与えています。

それは良い方にも悪い方にも出ているのであって、犬にとって不利益な方に出ているときには「犬の問題となる行動」として見られるでしょう。

 

犬のしつけ方は飼い主がどのように行動を変化させることができるかで決まる?

 

飼い主の行動が犬に影響を与えているということに気づき、受け入れてしまえばあとはそれほど難しくありません。

自分がその行動のきっかけになっているのですから、あとは変えていくべきは犬ではなく飼い主です。

自分の行動をどのように変えていけばいいのかを指導するのが家庭犬インストラクターとしてのわたしの役割です。

ドッグトレーナーとは犬を調教する立場

ドッグインストラクターとは飼い主の指導にあたる立場

資格として明確な基準はありませんが、役割としてはきっちりと分けたいところです。

飼い主のこのような行動のパターンが犬に影響を与えていることをお伝えして飼い主側の行動矯正をお願いするのがドッグインストラクターの仕事です。

だから生徒さんはほとんどの人が

「犬のしつけだと思っていたのですが、このレッスンは飼い主のしつけなんですね。」といって笑うときがやってきます。

そう思えるのならもう結果は見えています。

悪いのは犬じゃなかった…。

悪いのは自分だったと思える飼い主の、あなたの犬はぐんぐんと変化していきますよ。

 

家庭訪問レッスンや通学レッスンで飼い主さんとお話しているといろんなしつけのヒントに気づかされます。

犬のしつけ方のヒントとは、もし自分が飼い主であったら当然考えたりやるべきことを普通の飼い主さんは考えたりやったりはしないのだということです。

こちらは犬のことをある程度は勉強してきたので飼い主といってもプロフェッショナル飼い主です。

生徒さんは普通の飼い主さん、何が正解かがわからなくてドッグスクールに通っているのですから当たり前のことです。

毎回のレッスンで学ぶことがたくさんあり勉強になります。

だからすべての生徒さんに言います。いつもありがとうございます。

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