グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

トップページ
お電話でのお問い合わせ
お問い合わせフォーム

「先生には犬のテリトリーが見えるんですね。」というコメントについて。

家庭訪問レッスンのメリットは、犬が育っている環境を細かく見ることができるということ。

次に、犬の普段の行動を直接自分の目で確認することができるということ、です。

他にもたくさんのメリットがあって、その中に飼い主さんとマンツーマンで話ができるということがあります。

セミナーはゼミ形式のクラスでは、他の方が気になって質問できない方もたくさんいます。

こんな質問聞いてもいいのかなとなるところをマンツーマンだと次第に遠慮せずに質問してくれます。

中には「先生何歳ですか?」といった質問に及ぶこともあるのですが、その前にもっと犬のことで聞きたいことが山積みであるでしょう。

その生徒さんからの質問は私の発想の思いもよばない内容になったり、ああそこがわからないのかとか、ああそんな風に感じられるのかとかそうした飼い主さんの味方や考え方を知る貴重な機会です。

先日、家庭訪問レッスンに伺ったときに、生徒さんと「犬のテリトリー」の話になりました。

もう数年クラスを継続されていて、飼い主さんの理解力や情報力は上級者レベルです。

駆け出しのドッグインストラクターよりは圧倒的に高いレベルの知識を備えていらっしゃるような状態です。

犬の行動がどのように決められいくのか、表面的な話ではなく「犬のテリトリー構成

という行動学的な内容でお話しすることでより犬について興味を持ってくださいました。

その説明が終わると、こういわれたのです。

「先生には犬のテリトリーが見えるのですね。」

これは質問というよりも感想にあたるコメントです。

ですが質問同様に「なるほど、飼い主さんはそのように見ているのだと知ることができました。」

 

わたしはこうお答えしました。

「私が見ているのは、犬がテリトリーを守っているとき、そして私のテリトリーを侵害しようとしているとき、の二つなんです。」

そうすると飼い主さんはとても納得された様子でした。

 

グッドボーイハートのトレーニングクラスを受講されている方なら、きっとこの言葉の意味を分かっていただけると思います。

こうして私はどのような説明をすれば、飼い主がより早く理解にたどり着けるのかをクラスを通して学んでいます。

この数十年の空いたに何件のプライベートクラスを開催したのか数えることもできませんが、この間に生徒さんからたくさんの質問を受けることで自分も学びを重ねることができました。

以前、とても有名な方(誰であったか思い出せないのですが…)がこんな感じのことを言われていました。

まず自分が理解するのに1年かかったらそれを人に説明できるようになるのにさらに数年が必要になると。

このことは全く自分に当てはまります。

私がわかっていることを人がわかるように説明するのにとても時間がかかるのです。

自分の中での消化する時間というのが必要になるからです。

だから気長にお付き合いいただきたいと思います。

20年前の私は今の私と別人ですし、10年前に犬について知っていたことももはやほんの少しだったり間違っていることもたくさんありました。

今では結構いい線まで来ていると思います。

すごく時間がかかりたくさんの学ぶ時間をいただきました。

と思ったら結構年齢もとってしまい、せっかく学んだことをどのようにみなさんにお伝えしていったらいいのかと今考えているところです。

とりあえず、ブログという方法があります。

もう若い方は文字もあまり読まないらしいですが、動画配信まで遠いのでブログをつづっていきます。

どなたかもっとできる方は、それぞれの立場で犬にとって大切なことを伝えていってください。

お預かりクラスで伸びをするレオンちゃん

Posted in クラスのこと, 犬のこと

馬の世界の「馴致」という社会化の必要性は当然犬にもあるのをご存じでしょうか。

先日おすすめの本の記事で紹介した「馬はなぜ走るのか?」の中に“馴致”

という学習についての内容がありました。

馴致といえば犬の社会化トレーニングでも使用される言葉で、馬でも使うのかと思ったのですがどうやら競走馬では馴致は「乗り慣らし」として周知されている言葉だということを知りました。

そういえば「馴れる」の文字は馬偏なので、至極納得です。

本の中にある競走馬でいうところの「馴致」の内容がとてもわかりやすいもので引用を含みながら紹介します。

サラブレッドとして繁殖された馬が競走馬になるためには訓練が必要だがそれをする前段階として「馴致」を説明されています。

ここから引用

馬に対して競走馬としての訓練を始めるには、その前段階として、

1.人間の存在に馴らす

2.人間の指示に従うようにする

というふたつのステップが必要になる。馬を人に慣れされる、あるいは競走馬として扱うことに馴れさせる、いわゆる「馴致」である。

引用ここまで「馬ははぜ走るのか」より

この二つはサラブレッドが競走馬になるために必要なことはもちろんながら、その前段階としての馬が人に飼育される動物になるために必須項目なのです。

この馴致は犬のしつけ方やトレーニングの世界では「社会化」と言われます。

犬の社会化は広義の意味で、その中に馴致という狭義の部分が入っているのは馬と同じです。

「犬の社会化」という言葉はここ10年くらい前から日本では認知が広がり始めました。

今は一般の飼い主でも「社会化」という言葉を知っていることが多く、変わったなという印象を受けます。

犬の社会化が認知され始めたのは「犬はきちんと社会化されないと成犬になったときに吠えたり噛んだりするようになるますよ」という動物病院やペットショップなど飼い主がはじめに接触する犬の専門家からの指導によるものだと推測します。

言葉上では正論である前出の一文ですが、そのやり方についてはひどく間違ったものになってしまった結果が今の犬たちに表れています。

犬の社会化をたくさんの人や犬に会わせること、いろんな場所につれていくこと、たくさんの刺激を与えることだということは犬の社会性を発達させるよりむしろ疎外してしまいます。

犬の社会性を育てる際の基盤になるのは犬でもやはり「馴致」なのです。

1 犬を人に馴らす

2 犬が人に従えるようになる

この二つの犬の馴致についてご存じでしょうか。

例えば、犬を人に馴らすとは人が抱き上げたりなでたり食べ物を与えたりほめたりすることではありません。

そもそも子犬が人に馴れているものだと思い、最初から友達のようになれなれしく接するでもありません。

子犬にもっとも大切なこの馴致の過程について、この馬の本はとても参考になる内容が書いてあります。

そろそろ読んでみたくなりましたね。

「犬の馴致」についてもっと学びましょう。

 

関連ブログ記事→

おすすめの本「馬はなぜ走るのか」には犬に通じる話題が満載です。

Posted in 犬のこと

「自然が好き」とは簡単にはいかないが「自然の中にいる犬が好き」なら納得できる

福岡の都市空間を車で行ったり来たりする仕事をもう長く続けています。

家庭訪問形式のトレーニングクラスをどうしてもやめることができないからです。

一時は博多駅の近くにドッグスクールを持って、そこに通学で通ってきていただいたこともありました。

しかしやっぱり犬の問題となる行動に取り組むためには、犬の社会性を養う方法をお伝えするには、最初はご家庭が一番だという結論に達しました。

犬が日常生活を暮らしている家庭の中での「様子=行動」の実際を見た方がより犬のことがわかり、その環境の中で起きている問題を解決する糸口も見つけやすいのです。

しかし同時に犬には自然と関わる時間がすごく大切なのだということをお伝えしたいとも思っています。

家庭訪問クラスを続けながら、いつかチャンスをつくって犬といっしょに七山のグッドボーイハートを訪れてくださる機会を私が一番待ち望んでいます。

今日もまたはじめて犬ちゃんとご家族がいっしょにグッドボーイハートの尾歩山にトレッキング体験に来てくださいました。

小さな子供たちもいっしょに、ワーワーと楽しく山を歩きました。

まだ小学生だというお姉ちゃんもバランスを取りながら、数か月の犬ちゃんといっしょにはじめての山歩きです。

「山に来るのははじめて?こんなところはどんな感じ?」と聞いてみました。

「気持ちがいいから好き、でも虫が嫌い!」

子供は正直です。

私だって答えは同じです。

自然はとても気持ちがいい、でも虫は大嫌いです。

でも私が虫が嫌いだからといって自然の中で過ごす犬の姿を見る機会を失うことは考えられません。

すべてを受け入れることはできないかもしれない、それでもやっぱり自然は犬にとって必要なのです。

 

少々くだらない話ですが、パソコンに出てきた「あなたの将来の夢を探す適職診断」というアンケートに答えてみました。

35個のたわいのない質問に答えると自分の適職が出るいうものでした。

結果に苦笑しました。

「あなたは・・・

自然と触れ合うのが好きなタイプ です。」

ということで、納得せざるを得ない結果となりました。

 

今日はいっしょに参加してくれた小さな未来の少年に「ぞうさんは?」

といわれてしまいました。

ぞうさんもたしかに自然の一部ではあるけれど、ここでは準備できそうにありません。

身の丈にあった自然のサイズの中で犬の世界は広がります。

虫が出動を始めています。

戦いが始まります。

Posted in クラスのこと, 犬のこと, 自然のこと

いろんな意味で「余裕のない犬たち」へ人が与えている影響について

都会の犬たちを見ていると、そんなに焦らなくていいよ、そんなにびっくりしなくていいよ、そんなに興奮しなくても大丈夫と声をかけたくなります。

彼らには余裕がないというか、状態を表現するにはあまりにも漠然としてますがその言葉がぴったりきます。

人でいうといころの余裕がないという場合にもいろんな余裕のなさがある中で、一番ダメージが大きいのは「心に余裕のない状態」でしょう。

心に余裕のない状態になると、本当は自分の元にちゃんとあるべきものも「ない」と思い込んでしまうからです。

本来なら「動物を飼う」という選択は余裕があってするものというのが私たちの子供のころの考え方でした。

お金に余裕がある人が犬を飼う。

犬を飼えるスペース(庭)がある人が犬を飼うことができる。

余裕がない家で犬を飼う場合には、餌だけ与えてあとは自由という明治時代のような飼い方であったと思います。

昭和の初期にもこんな犬の飼い方はまだ通用していました。

でも今はそうはいきません。

だから今は余裕のある人が犬を飼うはずなのですが、本当にそうなっているでしょうか。

 

都会で飼い主さんと暮らす犬の元にはなんでもあるはずです。

食べるものもある。

たくさんの水もある。

安心して眠れる場所もある。

共に過ごす仲間もある。

余裕のある人に飼われた犬ならなんでもちゃんと持っているはずです。

ところがそうなっていない、だから都会の犬たちには余裕がない状態なのです。

ではそれはなぜなのだろうかと考えていました。

 

今お預かりの犬ちゃんといっしょに七山のオポ邸で過ごしています。

裏にや尾歩山(おぽさん)手前にはオポ広場とオポづくしの空間の中で感じるのは、ただ広いということ。

広いといってもコンクリートで固められた駐車場とは違います。

少しでもスペースがあれば芽を出そうとするたくましい雑草やら木々やらの生命の宿る地面がどこまでも続いています。

一日中庭や山を犬といっしょにうろうろと歩いていると、ここにはたくさんあるけれど都会にはないものがあるな。

「自然空間」そして「時間」。

どんなにたくさんの「もの」を持っていても、自然を感じる空間と時間を失うと心に余裕がなくなってしまうのかもしれない。

こうした土地は産業の盛んなお金を生み出す都会とは切り離されて存在していることがあります。

でもこの無駄に広い新鮮な空気が流れるこの空間が犬に心の余裕を与えていくのを感じるたびに、どうにかして犬の中にこの空間をと考えるのです。

犬だって普段は穴藏生活をするような動物です。

寝たり食べたり休んだりする場所は狭い場所の方が落ち着きます。

でも活動するならやっぱり犬がもともと生きていた場所、山という存在が自分の中にあることを体感している犬とそうでない犬では、生涯を喜びが違うと思います。

私が犬たちを見ていて感じたことで、科学的な根拠も裏付けする資料もありません。

何が犬の幸せなのか、何が犬の喜びなのか、と聞かれることがありますが、それをホルモン量の測定値で知ったところで何になるのでしょうか。

瞳の深さ、毛の輝きや柔らかさ、体の動かし方、そんな犬が一番美しく見える場所が山だというだけなのです。

そしてその山は犬の心にきっと余裕を与えてくれます。

その犬にとって一度しかない生涯をどのように飼い主と過ごすのか、犬の生涯は人次第です。

Posted in 犬のこと

「犬に嫌われるたくないから叱れない」飼い主さん、犬に捨てられますよ!

みなさんの反感を買うかと思ったけどなかなか好評だった記事があります。

最近のブログ記事「犬になめられて喜ぶ皆さん、犬のことを「舐めんなよ」!【前編】

が以外に高評価を得ました。

「思い当たるところがある。」

「自分も犬になめられていると思う。」

などの意見をいただきました。

飼い主としてを客観的に自分を評価する機会がみなさんには必要なのだと思い、今日も思い切ったことを書いてみます。

多くの飼い主はわが犬に嫌われたくありません、むしろ好かれたいです。

その気持ちは飼い主として犬と暮らしていた私にもよくわかります

とても大切な気持ちですし全面的に尊重します。

ただ違うのではないかと思うのは「犬に嫌われたくないから叱れない。」という場合です。

 

子供を育てたことのある方なら「子供に嫌われたくないから叱れない。」という親をやさしく思いやりのある親と評価づけることはないでしょう。

親なのにこんなことを言ってしまったら親としては失格です。

子供を叱るのは「子供の立場に立って子供にとって必要だと思うときに叱る」ということではないでしょうか?

子供は感受性が高く素直な動物であると思います。

親が適切な形で適切に叱れば、子供はそれを受け入れた上で親という存在を尊重する。

そしてそのことで自分も尊重されたと感じるのではないかと考えています。

 

犬の場合にもそれは同じです。

犬は必要なときに叱責を受ければ、はじめは反発するようなしぐさをみせても、飼い主の態度を受け入れ尊重し、また自分も犬として尊重された感じるはずです。

犬はより強いグループに入りたいという社会的欲求を持っており、そこに自分がいることに満足を得てまた成長を促す機会にもなるのです。

逆に犬がどのような行動をしても「かわいいから~」とそれを許し「嫌われたくないから」と犬を甘やかすと、犬はどんどん不安定になりストレス行動を連発していきます。

その先には「このヤバい飼い主の元から逃げ出したい」という逃走欲求が芽生えてきます。

犬の好き嫌いで発しているのではなく、犬の欲求のバランスにより発しているのです。

もし山でリードが外れて犬が飼い主の足元から逃げ出してしまったら「犬にとってあなたにはそれだけの価値しかなかった。」と思ってくださいと私は飼い主さんにお伝えしています。

笑い話のようなコメントですが、本当に笑えるでしょうか?

 

ではやみくもに犬を叩いて叱っていいかというとそんなことではありません。

「犬を叱る」という言葉の意味や定義や使うべきときをコミュニケーションとして理解する必要があります。

それもまたドッグトレーニングとしてみなさんが学ぶべきことのひとつです。

私自身もたくさんのコメントで飼い主さんから嫌われるだろうと思うときはたくさんあります。

ドッグインストラクターとしては飼い主と出会う時間と回数の制限があります。

本当に限られた時間の中でできるだけたくさんの真実を伝えたい、そのためには直球を投げるしかありません。

相手に拒否されたくないという気持ちで曖昧な言葉を使ったり、犬のことより飼い主を喜ばせることを考えるようになったら自分はもう終わりだなと思っています。

私は嫌われてもかまいません。

犬と飼い主にとって今一番大切だと思うことを、今伝えるべきことをこれからも話続けます。

Posted in 犬のこと

次々と現れるウイルスの出現は人間が野生動物を追いやったことにあるという仮説

今年に入ってから読みたい本が積みあがっていきます。

生徒さんからお声かけいただいた「馬の本」

ぜひ読んでくださいとすすめられた「環境の本」

そして昨日もまたラジオから流れてくる対談の言葉にひかれ興味を持った先生がいます。

 

山本太郎先生という感染症に関する書籍の著者でもある先生です。

ラジオの中で耳にしたのは次のような言葉でした。

新型コロナウイルスはそもそも戦う相手ではない、

感染症の発生は近日、あまりにも多くなっている、

新型コロナウイルスはスペイン風邪などに比べれば恐れるべき感染症ではないが、SNSの普及がこの感染症の脅威を増大させた、

人類に影響のある感染症のほとんどが野生動物から発生しているが、その野生動物を追いやっているのは人間である。

そんな内容でした。

私もそもそも感じていた動物と人の関係性について、山本先生の視点では野生動物と人のかかわりを感染症からみるということのようです。

自分の中では犬と人とのかかわりと距離感を犬の行動からみるということなのです。

ここでいう「みる」とはただ視覚的に見るといういみではなく、そこから知見していくという意味です。

人間が野生動物との境界線を越えて野生動物を追い込んだことが昨今の感染症発生の多さにつながっていると指摘される山本先生の視点は、犬についても応用されるような気がしています。

犬もまた、人の愛情と親切によって追い立てられて行き場を失っている動物です。

犬は徹底的な管理と消毒によって人に害を及ぼすような感染症を封じ込められています。

ところが、封じ込められない「犬の行動」というものがあり、その爆発する行動が現在では動物としてはかなり異常だと思えるほどひどいものになりつつあります。

新型コロナウイルスを悪いものやっつけるもの、封じ込めるもの、として戦う姿勢が多い中、ウイルスも生物の一部だとして大きな視点で科学的に説明してくれる先生の本をぜひ読んでみたいと思いました。

さっそくアマゾンのほしいものリストにいれました。

今年は読みたい本がたくさんあります。

学びの一年、これからスタートです。


 

Posted in 日々のこと, 犬のこと, 自然のこと

トリミング中に犬が死亡という記事について今お話しできること

福岡県で起きたトリミング中に犬が死亡するという痛ましいニュースに胸を痛めた方もいらっしゃることと思います。

亡くなられた犬ちゃんのご冥福をお祈りいたします。

事件を起こしたトリミングショップと同じ動物取扱業者としての私が今お伝えできることだけを簡単に述べさせていただきます。

当事件については直接見聞きしたわけでもなく今から詳細について具体的にわかってくるものと思います。

トリミングであれペットホテルであれ、犬を飼い主の元から離してお預かりするには最善の注意と管理を徹底することはこの仕事の責任であることは間違いありません。

しかし、飼い主のいない状態で犬に対してどのようなことが起きているのかを飼い主は直接知ることはできません。

写真や動画や報告書といった形でお伝えすることはできても、飼い主がその場についているわけではありません。

犬に対するトリミングなどの手入れ、動物病院での診療やケア、ドッグスクールでの訓練はトレーニング、ペットホテルや犬の保育園などで過ごす時間など、それぞれの立場とポリシーを持って対応しています。

それぞれの立場というのは、病院、トリマー、ドッグトレーナー、ペットシッターなどが自分ができることとやるべきことの自覚を持っているということ。

それぞれのポリシーとは犬に対する価値観やモラルなども含みます。

それがお店や病院やスクールによって多少の違いがあるということは、飼い主側に選択の権利があるということです。

例えば動物病院であれば近いからお世話になっているという理由のほかに、先生が話しやすいとか診察内容が信頼できるなどもあると思うのです。

トリミングショップやドッグスクールも同じように、飼い主さんの選択する理由というのがあったのだと思います。

この人にだったら犬を預けてもいい。

このトリマーにだったら私の犬をケアしていただきたい。

このドッグトレーナーにだったら犬のことを教わりたい。

そんな選択ができるほど今ペットサービスの数はとても増えています。

なかなか表面では見えない犬に対する価値観を、まずは飼い主さん自身で知っていただくことが最も大切なことではないでしょうか?

サービスといっても提供しているのは「人」です。

価格やチラシのデザインや店の風貌も大切ですが、どのような人がどのような価値観で犬とかかわっているのか、時間をかけて知ることが自分の犬のためにできることだと思うのです。

現在様々なペットサービスを利用中の方は、「選びなおし」もありだと思います。

私自身も近いから選ばれるドッグスクールだとしてもうれしいことではありますが、「ブログを読んで興味を持ちました。」と言っていただけると数万倍うれしいものです。

この事件をただ傍観せずに、飼い主としてできることをやっていきましょう。


 

Posted in 日々のこと, 犬のこと

今日は節分だから犬と豆まきするなら注意してほしいこと!

今日は節分ですね。

軽い話題でいきたいと思います。

節分といえば「豆まき」。

季節の行事は大切にしたいので形式的でも行いたいものです。

この室内での豆まきに参加してくるのが犬たちです。

豆まきといえば思い出すのは、愛犬のオポとの毎年の豆まき風景です。

「鬼はそと~、福はうち~」とあちこちに大豆をまいていると、オポが通り過ぎたあとは掃除機をかけたようにきれいになっていきました。

その吸い込みのすごさは、ラブラドールならではお家芸です。

普通の犬なら乾燥した大豆をカリカリと咀嚼しながら食べていくはずですが、ラブですから吸い込むようになくなっていきました。

乾燥大豆を咀嚼せずに吸い込んでいくのですから、翌日の排便は想像がつきます。

乾燥大豆が良い具合に膨らんで排泄物として出てきていました。

全く消化していないのに具合が悪くなるわけでもない感じもまたラブラドールという犬種のある意味でのすごさかもしれません。

乾燥大豆は結構膨らみますし、人間でもガスが発生します。

小型犬やおなかの強くない犬たちにはたくさんの豆を食べられないように工夫してあげてください。

一年に一度のこの人間の行為を犬がどのように受け取っているのかは知ることもできませんが、目の前に食べられるものがあったら食べる、それが犬ということでしょうか。

おなかを壊さないように気を付けて豆まきを楽しんでください。

Posted in 犬のこと

格闘家の飼い主さんと格闘家のダンナくんの間に割り込む本家格闘家「?」を愛する私の意見

先日グッドボーイハート七山に通学レッスンを受講するために来てくださった生徒さんと私のダンナくんと私の三人でディスカッションになりました。

テーマは「ザ・格闘」。

なぜならその生徒さんは格闘技の現役の先生で黒帯の強者。

対するうちのダンナくんは自称格闘家で格闘技のことを話し出すと体も動き出すほどの本物。

この二人の格闘家の「格闘」の話を横で聞きながら横から突っ込みをいれる私がいました。

格闘家の二人に言わせると「格闘技は構えの段階で相手がどの程度かわかる」とのことなのです。

それなら犬も同じことです。

犬だって相手を目の前にすれば相手がどの程度かわるし、賢い犬なら勝ち目があるかどうかも分かります。

いつもリードをつけられていて勢いだけあるのに本気でやりあったことのない弱い犬は、本当は弱いのに自分は強いと勘違いしていることもまれにあります。

そんな犬にも本気で向き合い続ければしつけの細かいテクニックなどある程度あれば十分です。

ところがこの二人の格闘家のどちらもが、小型犬にとびつかれ、なめられるという状態なのです。

私から「すきがありすぎる」「構えがたりない」と叱責されてしまう格闘家たち。

ダンナくんの言い訳によると「それはね、構えてないからだよ!」とのこと。

なぜ構えないのかと尋ねると「だってかわいいから…」というのです。

そして続けていうにはこうでした。

「相手を倒していいというのならいくらでも戦える。

だけど相手をいなして収めるとなるとそうはいかない。

相手をいなして収めるためには相手の3倍以上は強くなければならないから…」

ということでした。

ここでいう「いなす」とは犬の世界の「服従関係を結ぶ」という意味です。

決して力で服従させるということではありません。

犬と対立してやっつけるならすごく簡単。

でも犬が自分に服従したいと思うかどうかとなるとそう簡単ではありません。

なぜなら犬こそ本物の格闘家の末裔だからです。

山の中に暮らす犬などスキなどあればいつなんどき誰にやられてしまってもいいような状態です。

食ったり食われたり、争ったり奪ったり、この繰り返しが自然の中ではいつも行われています。

人は囲いの中で家畜を育て誰とも争わないのようなふりをしています。

でも犬の血の中に流れているのは「やんのかおら」の世界なのです。

その格闘家の末裔の犬が従っても価値があるという人間になりたいのならすごく強くなければいけません。

その強さは犬を叩いたり殴ったり痛みを与えることではありません。

動物として自制がきき、精神力が強く、忍耐強く、賢く、強靭な犬からみて「こいつなかなかやるな!」と思わせるような人であるときに犬が従う価値があると判断するのです。

食べ物を与えたり、頭をなでてあげるだけでは犬は安心しません。

犬こそ本物の格闘家として、あなたのスキを見破るのです。

今日もとびつかれたら「スキあり!」ですよ。

押忍!!

Posted in クラスのこと, 犬のこと

犬のことを「舐めんなよ」!【後編】

このブログ記事は以下の記事の後編です。

犬になめられて喜ぶ皆さん、犬のことを「舐めんなよ」!【前編】

 

今となっては動物虐待になりそうな“舐めんなよ猫”

「なめんなよ」というセリフで学ラン(男子の学生服)を着たバンド姿の猫を思い浮かべる世代もいるでしょう。

当時は犬にしか関心がなくほとんど見向きもしなかったこのキャラクターですが、もし今あのキャラクターが登場したら動物虐待とみなされそうなそんな無理やりな方法でした。

あのようなものがまかり通った時代なのだから、動物に対する理解など広がるはずがないという時代もあったのです。

ようやく、動物の習性と行動を正しく理解できる謙虚さが日本人にも身につきつつあるようなので落ち着いて「犬の舐める行動」について考えてみましょう。

 

犬が人の口回りをなめるのは「ごはんちょうだい」だけではない理由

犬が人をなめるときにはその部位によってメッセージもいろいろあるというお話を前編で紹介しました。

犬が人の口の周りをなめるときには、食べ物を要求する行動だというのはよく知られています。

子犬が親犬に対してする行動で、人に飼われるようになった子犬にはよくある行動です。

このかわいらしいと思える口回りをなめる行動も、ただかわいいだけでは収まりません。

犬は飼い主の口回りから顔全部をなめるようになります。

その行為と直接的に関連はしなくても、飼い主は子犬に食べ物を与えて育てます。

子犬の要求に応じた形で食べ物が提供されることが続きます。

そのうちに子犬は乳歯が抜けて成犬(おとなの犬)になります。

それでも成長した犬は飼い主の顔をなめて食べ物をもらう行為を続けます。

犬の精神構造の中では自分はまだ赤ちゃん犬であり、飼い主に要求する関係が有効なのだとなっていくわけです。

これが犬の未熟性を強めてしまう理由になります。

食べ物を要求してもらう行為はエスカレートしていきます。

犬にとっては自分が要求したら簡単に答える相手がそばにいるのですからこの関係性を継続させることしか選択肢はありません。

犬は成長して成犬となり吠えたり噛んだりできるようになると、泣きと脅しの両方を使って自分の思い通りに餌を出す人間を育て続けます。

ごはん要求の口舐め行動はとても分かりやすい犬と人の関係性の発展なのです。

ところが、この口舐めはこれだけでは収まらなくなります。

 

犬が舐める行動のもう一つの犬語とは?

犬のえさを要求する行動だった口舐めとは別にもう一つの犬が舐めることの意味があります。

その意味は母犬が子犬を舐め回す行動から起きています。

母犬が子犬を舐める行動は、自力で排泄ができない生まれたばかりの子犬の便は尿を舐めて刺激して食べるという行動から来ています。

母犬は子犬の排泄のお世話のために子犬を舐めると同時に、それ以外にもよく子犬をなめます。

子犬を舐めることで自分の匂いを子犬につけて「これは私のもの」と分かりやすくするためなのです。

母犬の匂いを子犬に覚えさせることにもつながりますね。

犬がなめる行動の意味には「それ、わたしのものよ!」と主張するときです。

例えば、テーブルにちょっと見えているパンのはしっこをペロリと犬になめられたことはありませんか?

それは「このパンわたしのものよ!」と主張する行動です。

なめたものを自分のものだという、それは他者にも通じるのです。

自分の唾液をつけたのだから「あなたは私のものよ」と言われるのがうれしいと思うこともあるでしょう(人間の世界にありがちですが…)。

でも言い方を変えれば「お前はおれのもの→だから言うことをきけ」となるわけですから、そんなに簡単には済まされません。

 

犬が人をなめる行動もまさに「舐めんなよの世界

そこで犬が人をなめるという行動を許す、いやもしくは歓迎することが継続すると、飼い主は自分が犬の所有物であるということを認めたことになります。

喜んでいる場合ではありません。

犬によっては自分の好きなように使う、つまい場合によっては飼い主は犬の舎弟(グループの中での弟分という感じ)ということです。

犬からするとお前は俺になめられるようなもんだ、だから黙って俺の言うことを聞けと。

犬の方はちゃんと理にかなっていて、時間をかけて築き上げてきた飼い主との関係性です。

ところが飼い主の方は、自分に甘えている犬がちょっと要求していたかと思うと、次の瞬間にはがるがると威嚇をしてくるのですから「なぜ?」と戸惑ってしまうのですね。

でも間違えているのは犬の方ではなく人間の方なのです。

犬はちゃんと犬の世界に通用する筋の通ったコミュニケーションで人に接しています。

「なめられる」とは文字通り、犬の世界でも「なめとんのか?」の「なめる」なのです。

さて、目の前にいるあなたの犬を見てください。

あなたの犬はあなたをなめてかかっているでしょうか?

自分をなめる犬のことがどうやっても天使にしか見えないという場合は、犬が吠えたり噛んだりしても仕方なしとしてすべてを受け入れる覚悟だとは思います。

でも犬の方は本当にそれで満足なのか…。

ここからはご自身で考えてみてください。


 

Posted in 犬のこと