グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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<日々のこと・犬のこと>梅雨入り前の山の手入れに番犬は心強し:忙しいときは黙って待つのも犬の仕事

梅雨入り前の山の下刈りをしました。

トレッキングクラスに参加してくださった生徒さんたちの手も借りて、ほんの一時間でも数名でするとずいぶんと山が生き返ります。

その翌日もまたひとりで山の下刈りに出かけました。

お供に預かり犬くんについてきてもらいました。


下刈りの最中に周囲に異変があったら教えてもらうための番犬として同伴してもらっています。

預かり犬ちゃんたちの中には仕事の内容を心得ていて探索から見張りまで中心となって活動する犬もいます。

ですが大半の犬ちゃんたちは何をやっていいのかわからず山の中でたたずむ感じです。

先日は老犬くんを連れていきましたので、手入れの時に爆睡していたようで倒れているのかと思ってびっくりしました。

ですがその横になって目を閉じて木の日陰で休む姿は、とても心地よい感じで起こすのが申し訳ないと感じるくらいでした。

騒々しい都心の庭先では得られない極上の時間だったのでしょうか。

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山慣れしていない犬ちゃんたちは茂みに伏せて待ての待機行動で手入れをする私が戻るのを待っています。

マテをさせられると吠えたり興奮したりするようなご自宅で出る行動は山の中ではほとんど見られません。

飼い主さんもいないから甘えがきかない、環境が厳しいから大人しくなってしまうといろいろあるでしょうが、一番効き目があるのは私が真剣に忙しくしているので声をかけずらいというが一番ではないかと思います。

動物であれば山の手入れの最中に風が林を抜け始め心地よく感じる変化を受け取ってくれていると感じます。

この山の雰囲気は山すその家だけでなく、山よりもずっと下の平地の家々にまで及んでいるはずです。

コンクリートとビルだらけになった都心の窓を閉めたマンションの中ではもはや感じえない感覚かもしれません。

さざ波のように広がるこの静かな風を犬と共有できていることを喜びにできた一日でした。

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Posted in 日々のこと, 犬のこと

<日々のこと・犬のこと>犬と暮らす独特の文化としつけ方に対する国民性の現れ

ドッグスクールのブログの記事としては少し堅苦しい題となりました。

数十年という間、人と犬の暮らしに関して考えながら過ごしていると、いろんな疑問にぶつかったり頭をかしげたくなるようなこともあります。

日々のこととして今日はまとまっていない思いを述べさせていただきます。
日本人の犬との暮らしというのはここ数十年で大きく変わっていきました。

それは昭和の時代からこの令和にかけて生活スタイルや価値観が大きく変化してきたことに連動しています。

国内で狂犬病予防法が施行されたのは昭和40年代なのでそれほど昔でもありません。

この法律をきっかけにウロウロと自由に過ごしていた犬たちはつなぎ飼いをされるようになり、その中で室内で小さな犬を飼う愛玩犬=お座敷犬と呼ばれる存在が出てきました。

その後純血種犬という文化がヨーロッパから入ってくると、ブランド品をそろえるのと同じような気持ちで、犬を飼うなら純血種犬を飼うことがひとつのステータスになりました。

次に犬は庭付きで飼うのが当たり前だった時代から、一機にマンションでのペット飼育が促進されるようになりました。

たくさんの小型の純血種犬たちが集合住宅で飼われるようになりました。

ここまでアッという間だったのですが、今では街中で見る小型犬たちが散歩する風景が定着しています。


この短期間での犬や犬と人の暮らしの変化は、大切なことをうわべだけの情報で伝えてしまう結果にもなりました。

血種が普通の犬だと思っている人が多くプードルとかチワワといった種類があるという間違った考え方が広がっています。

犬が尾を振っていることを喜んでいるからと誤解している人が大半です。

犬の短く切断された尾を生まれたときからそうなのだと思っている人が一般的です。

犬は室内で排泄すべきだと勘違いされている方もまた多いです。

こうした多くの間違いは浅く広く伝わりすぎると大半の人がそうだという風になります。

そして日本人の国民性からしてそれが固まりやすく変えにくいという傾向があると思うのです。


昨日訪問レッスンに向かう途中の車の中で気づいたことがあります。

朝の9時になると中央線が変わる県道があるのですが、その中央線の脇を走っていました。

8時58分になると変更される線には車がほとんどいなくなりました。

ラジオから聞こえる9時の時報と同時に今まで走っていたのとは逆方向の車がその車線に流れ込んでいきます。

ここまできっちりとルールを守る国は世界でも珍しいのではないかと思いました。

このすばらしいきっちりするぎる行動は、いったんそうだと収まるとなかなか変わらないという固さにもなりそうです。


犬という動物に対する情報はこれまで表面的で非常にあいまいなものが浅く広がってきました。

プードルという犬種もチワワという犬種も幻なのです。

本来はみな「犬」という動物であるというのは真実であり、とても長い歴史を作ってきたただひとつの文化です。

純血種にはまだ文化と呼ばれるほどの歴史はなく、あまりにも小さな遺伝子プールを維持し続けるこの人の操作はそう遠くないうちに崩壊してしまうことは生物学的にとっても明らかです。

なんとかその形を犬らしくキープしたとしても、その精神はすでに壊れ始めていることに気づいている人もいるのでしょうが、そうした人はあまりにも少数すぎて排除されてしまいます。

犬と楽しく暮らしている人にこんな複雑なことを考えながら生きてほしいなどとは願いません。

ただ私の願いはひとつだけです。

あなたの身近にいる犬が犬として生きることを許してください。

犬が本来の犬として行動をするのはどのようなことなのか少しだけ考える時間をください。

犬として人と関わるということあどういうことなのかを考える機会を持って欲しいのです。

この二つは犬もきっと望んでいることだと信じています。


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<日々のこと>環境の中で動物たちとの距離感を図る

春から初夏にかけて七山では動物たちの行動も活発化しております。

冬の間あんなにシーンとしていたので、ごそごそといろんな動物が活動し始めるのがはじめは楽しいものです。

ですが次第にその数も種類も多くなってくるので、近付いてほしい動物と遠ざかってほしい動物など区別してしまいます。


先日預かりちゃんたちのたくさんいるときに玄関ドアを開けっぱなしにしておいたら、ツバメが部屋の中に入ってきました。

1羽、2羽と、室内をぐるぐると旋回して飛び回りカーテンレールの上にとまり出ていきそしてまた入ってくるを繰り返していました。

巣をつくる場所を探していたのでしょうが、ツバメが来る家は気がいいと聞いたことがあったのでうれしくなりました。


春にはこんなお客様もいました。

20190421230016シマヘビ
バイクのカバーの中であたたかく過ごしていたシマヘビさんの子供です。

蛇はほとんどの来客からも毛嫌いされてしまうのですが私は怖くありません。

小さいころから母が庭先に来る大きな蛇を見て怖がる私に「蛇は話がわかるからお家に帰りなさいと話しかけるのよ」と言われて育ったからでしょう。

家の周辺で毎年みかけるシマヘビが代替わりをしたことを知ってすごくドキドキしました。


庭にはイノシシの掘り返した穴や石ころがあちこちに転がっています。

花を密を吸うために蜂たちもやってきました。

室内では大蟻と戦っています。

そしてついに草刈りのときに不覚にもブヨに顔面をやられてしまいました。


人の身近に近づいてくるというのは人を中心とした考え方で、そもそも住んでいるテリトリーが重なっているだけのことです。

その中で人が絶対に守りたい空間は室内(巣穴)と常に移動しつづける自分の周辺です。

その空間の中に受け入れられたのは唯一の動物たち、犬と猫です。

そもそもはお互いに重なったテリトリーの中に生育していたものが、自然と巣穴を共有するようになったというわけですが、犬が室内まで入り込んで生活するよゆになってからはまだ100年もたちません。

猫になると日本猫は一部の島を除いては絶滅してしまいましたので少し複雑です。

今いる猫たちは西洋からきた外来種になりますがここまで増えるともはや外来種として区別することもできなくなります。


嫌われる動物と歓迎される動物、その人の選択の理由は最初はあくまで人側の利点だったのでしょう。

そして今でもそれは変わらないのだと思います。

人にとって価値があるから、人にとって利益があるから、人に何か良いものをもたらすから動物たちは人の生活の中に入ることを許されてきた。

そして今では動物側の意図とは別にはじめから犬という動物は人と生きていく以外の選択肢を持ちません。

世界的にみれば違いますが、国内では大半そうなってきました。


犬が自分の選択で人と暮らしを共有したいと思ってくれればいいのにといつも願っています。

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<日々のこと>預かりクラス、エネルギー補充のためにお菓子が必須

いろんな分野のブログを拝見していると、意外と今日何を食べたとかこんなところに遊びに行きましたというような日常生活も公開されていたりします。

自分はこういう人間ですよということを自分を知らない方に知っていただくために、生活や趣味のことなどをブログにアップされるのかなと思いました。

自分の場合は普段の生活が仕事と密着しすぎているために、これといってバラエティにとんだ情報がありませんがたまには公開してみます。


ゴールデンウィーク中にほとんど七山に籠城しているようになっていました。

その様子を察知してくださったのか、たくさんの生徒さんに差し入れをいただきました。

差し入れはほとんどが甘いもの、お菓子でした。

たくさんの犬を預かってお世話をしたり観察したり記録したりしていたゴールデンウィークは、ゴハンを作るのもままならない感じでした。

案の定、お味噌汁用のネギを切っているときに指をざっくりとやってしまいました。

預かっていた犬のことを考えていたからです。


そんなドジなこともしてしまうので預かり中のエネルギーの補給にはお菓子が役立ちます。

いただいたたくさんのお菓子は、休憩の合間にいただきながらあっという間になくなりました。

普段の生活の中でこんなにお菓子を食べることがないのですが、さすがにゴールデンウィークの預かり時はテンションが上がっているので、お腹がいっぱいになるということを知りません。

犬もテンションが上がっていると食べても食べても空腹のようなので、それと同じような状況だったのだと思います。

貴重ないただきものをもっと大切に食べたかったですが、時間のない間の完食を十分に満たしてくれました。


自分がお菓子をたくさん食べてしまうと、犬にも余分におやつを与えなければいけない気持ちになってしまいます。

飼い主さんが犬におやつをあげたい気持ちもいっしょに体験していました。

甘いものが動物に与える活力と精神的な安らぎは本当に不思議なものです。

晩年のオポも餡子が大好きでした。

甘いものは脳に栄養を与えるといいますが、人も犬もほどほどが良いのでしょう。

差し入れのお菓子はどれも上質なものばかりで、甘さといっしょにお心遣いもいただきながら預かり中の犬たちのお世話にも気合が入りました。

あらためましてその節はありがとうございました。

大好物の和菓子です。

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<日々のこと>尾歩山を歩きながらオポのことを思ったこと

数年前に亡くなったオポのことを思い出していました。

実は誕生日が4月20日だったのですが、生徒さんから「食いしん坊だったオポさんのお供えものに」とどら焼きが送られてのです。

郵便で受け取ったので封を開けたときは本当のどら焼きだと思ってしまったので、あとで自分が食べようなどと思ってしましました。

よくみるとそれはどら焼きに似せたロウソクでした。

食いしん坊なのは飼い主の方であったことを確信します。

犬はただ飼い主に似ていただけなのかもしれないと。


ブログにもたくさんオポの思い出を記しているので、今でも生徒さんたちからよくオポのことを尋ねられます。

生前オポと交流してくださった生徒さんたちは口々に「オポさんは犬以上でしたからね」とお褒めの言葉なのかわかりませんが、とにかく不思議がられます。

そのオポのことをいつまでも忘れないでいたいといういう気持ちで、グッドボーイハートを守る山の名前を尾歩山(おぽさん)と名付けました。

なかなか良い名前になったと満足しています。

その尾歩山ですが季節とともにみどり色に色づいてきました。

今日も午前中は生徒さんの犬ちゃんといっしょに山を歩きながら、犬のことや自然と過ごす工夫のことや人のことなどを少しずつお話しながら考えたり悩んだり。

トレッキングに見られる犬の行動が変化したり変化しなかったりといろいろありますが、こうして犬と一歩ずつ歩いていくのが現実を進むということなのだと実感できる時間ではあります。

その景色が季節によって移り替わることを楽しめたり、苦しんだりしているだけなのかもしれないのです。

それでもいっしょに過ごす時間というのは貴重なものです。

元気をいただいて午後からは福岡へ訪問レッスンをウロウロと回りました。

こうして山でオポのことを思い、今までにであった犬たちのことを思う時間があるから私は本当に幸せものです。

すごく単純なことなのにすぐにこんなことを忘れてしまいます。

もう一度思い出して、今ある思い出と今ある出会いを大切にして、得られなかったものと手放したものを追い求めず、別れるときには感謝していられる自分でありますように。

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<犬のこと>犬にとって一番辛いこと、やっぱりコレかな。

タイトルが少し重々しい感じなのでできるだけ長文にならないように気を付けながら進めてまいります。

このブログを熱心に読んでくださっている犬の飼い主さんなら、犬にとって必要なことは何か、犬を理解するために知っておくことは何か、犬の幸せって何だろうということを真剣に考えてくださっています。

すでにその方向にはたどり着かれているので、あえてここで犬の不幸について語るのはどうかと思いつつ、この部分だけは動物にかかわるものとして知る必要のあることだと思うので、一緒に考えたいと思います。

ズバリ、犬にとって一番辛いことって何でしょうか?

ドッグフードしか食べさせてもらえないこと?

お母さん犬と引き離されてしまったこと?

散歩に連れていってもらえないこと?

留守番がとても長いこと?

飼い主の愚痴を聞かされること?

自由な時間がないこと?

と上げてみると、犬って結構不幸かもしれません。

どれも一番辛いになりそうなので、一番という言葉を取り除いて考えます。

上にあげた不幸かもしれない状況に共通していること、ゴハンを除いたその他にはなりますが、共通点は「孤独」です。

犬にとって最もつらいことは「孤独」であることではないでしょうか?

動物にとって孤独であることは不安を生み出します。

不安をたくさん生み出すと精神的な病気になり、異常な行動を引き起こします。

わたしたち人の社会でも考えられない行動をする人の人生は、思った以上に孤独であったということではないでしょうか。

家族がいても孤独なこともあるし、表面的に友達が多くみえても実際には孤独であることもあります。

孤独は社会的な生活を必要とする動物の精神を壊してしまうのです。

犬は大変社会的な動物なので、孤独であることは犬の精神を壊してしまいます。

ただ単純に留守番が長いから孤独を生むというわけではありませんので安心してください。

確かに長い時間の留守番は孤独を生みます。

でも一日中飼い主が付き添っていたから孤独ではないかというとそんなことはありません。

犬が分離不安傾向にあって人や他の犬に吠えるような状態であれば、どんなに飼い主のひざでべったりと過ごしていてもやはり犬は「孤独」なのです。

逆に留守番時間がとても長い犬であっても、飼い主が一生懸命働いていて犬と真剣に向き合って過ごす時間を持ち続けていれば、犬にはそのことがよくわかるようです。

働く飼い主の帰宅まで留守を任されていたり、気配を消してがんばっている犬たち。

犬と過ごす時間には真剣に向か会って誠実に共に過ごしてくれる飼い主さんといる犬であれば、留守番時間の長いことはなんとか乗り越えていきます。

ところが飼い主さんが犬とひと時も離れずに過ごしていても、その理由が自分の不安を埋め合わせするような行為になると犬も孤独な飼い主と同じように孤独になるだけです。

犬は社会性の高い動物です。

ただ誰かとべったりと過ごす狭い世界に閉じこもることは危険なこと、ある程度開けた環境の中で社会生活を楽しめるような犬の生活はどのようにしたら得られるのか、自分の環境の中で各自が考えてほしいことです。

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Posted in 日々のこと, 犬のこと

<日々のこと>自然と共に生きる「またぎ」の番組を見て思うこと

自然と共に生きている人、自然と共に生きようとしている人の姿を見ることで励まされることがあります。

自分の周辺の社会がまだ文明に侵されておらず、今でも自然のひとつとして生きている部族の方もいます。

そうではなく、すでに自分は文明社会の一員となっているのだけど、どうにかして自然の一部として生きようとしている人の姿に励まされるのです。

先日、テレビのドキュメンタリー番組で東北の熊と共にきるまたぎの姿が紹介されていましたので食い入るように見ました。

熊を探し、そして撃ち、そしてそれを感謝していただく。

熊を撃って手にいれたときは「山の神」という言葉で山の恵みをいただけたことを表現される。

手を合わせて弔いの儀式を行い、感謝してまたぎの方々全員に平等にその恵みが分け与えられる。

遠い日本の暮らしの一部をこの食べ物が豊かな文明の中で続けていくことの意義は、実際にそのことに携わったことのない私などには計り知れません。

今回のまたぎのそばには犬の姿はありませんでしたが、きっとこれが毎日の生活だったとき、またぎの傍には片時も離れずについていた犬の姿があったはずです。

人は熊撃ちの営みを続けられるまで続けていこうとされる中、犬たちはもうその場から姿を消してしまったと思うと悲しくなりました。

都会で幸せに生活をしている犬たちには、それぞれの幸せがあり熊撃ちの犬になる必要はありません。

熊撃ちの犬も都会の犬も同じ犬であるということを忘れたくないだけです。

自分も自然から離れて文明社会で生きているヒトという動物です。

自然に近づきたいと犬いっしょに山を歩いたり、竹を切ったり、草を刈ったりするのが精いっぱいです。

そんなわずかな時間でも、犬が犬として過ごす時間を共有することができることに幸せを感じます。

はだしで山を歩いて、獣のにおいを嗅ぎつけて、竹藪に顔を突っ込んでいくような、そんな犬の姿にワクワクしてしまいます。

熊撃ちの方に「なぜ熊を撃つのですか?」という質問をされていました。

生活のために必要のないことをなぜするのかという意味でしょう。

ハンターという音でいうと趣味的な要素が強くなりそうですが、またぎ達はハンターとは言われたくないといいます。

なぜ熊を撃つのか?にはっきりとした言葉はありませんでした。

当たり前だと思うのです。

なぜ山を歩くのですか?と聞かれているのと同じことです。

そこに答えはありません。

楽しいからでも、健康になるからでも、やせるからでも、疲れてよく眠るからでも、長生きできるからでも、最初はなんでもいいのです。

でも最後は答えは必要ではなく、ただ生きているから、そんな感じです。

山歩きには最高の季節が続きます。

花粉症の方も逆療法であえて山入りしてください。

またぎと比べることはおこがましいですが、犬たちはいつでも山とひとつになれそうです。

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Posted in 日々のこと, 自然のこと

グッドボーイハートは20年を迎えます。感謝

新しい元号が発表されました。

気持ちがひとつ前に進みつつ過去を懐かしんだりと人は相変わらず欲深く生きています。

欲深いことは悪いことばかりではなく、その欲深さのために文明を発展させてきたのもまた人という動物です。

そしてその人にもっとも近い場で人を観察しながら、自らも人の生活の中で変化し続けている犬という動物がいます。

その犬のことを知りたくて中学生のときに「犬の訓練士」になりたいなどと思ってしまいました。

そこから長い月日が流れ、自分で犬の学校を始めることになったのが今から20年前です。

名前はグッドボーイハートと名付けました。

当時共に暮らしていたオポという犬が私の要望をうまくくみ取ってくれたときに最初に使っていた音が「グッドボーイ(good boy!)」という音でした。

その言葉を投げかけた犬という動物を心から愛したいという気持ちでつけた学校名です。

それから今年で20年を迎えます。

元号は変わってしまいますが、そのときの気持ちは今でも変わりません。

変わったのはいっしょに学校をはじめたオポが別の世界へ行ってしまったこと。

でも、今でも新しいたくさんの支えがあってこうしてグッドボーイハートを続けながら、いまだに犬のことを学んでいることに改めてありがたい気持ちになります。

こうして何十年も学んでいるのにまだ終わらずに学び続けていることが不思議でならないのですが、答えを出すために学んでいるのではなく、学ぶことがただ楽しくて学んでいるのだということに少し前から気づきはじめました。

これからいつまで続けていくのかなど、未来のことは全く考えていません。

ただ、グッドボーイハートを必要として下さる人や犬がひとりでもいる限り続けさせていただきます。

いつもありがとうございます。


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<日々のこと>しだれ梅が咲きました

毎日あまり変わりばえのしないような日々を送っている中で、ふと風景の中に心をほっとさせてくれるものが見つかることがあります。

福岡の自宅の庭でも、七山のあちこちでも梅の花が咲き始めました。

そして先日、七山のオポのお墓のしだれ梅が花を咲かせました。

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昨年はあまり元気でなくもしかしたら育っていないのかと心配していたのですが、一年を通して様子を見守っていたところ、今年は元気に咲いてくれました。

育たないなと思っていても急に開花する時間差のこの成長は、犬の成長と同じです。

梅の花が咲いた日が自分のちょっとした記念日だったので、偶然とはいえ少しだけうれしい気持ちになりました。

この季節、小さな犬ちゃんたちと寒い2月でもトレッキングクラスを楽しんでいます。

犬が小さいと風邪をひくのではないかと心配されることがありますが、そんなことはありません。

柴犬のような毛の深い犬でも外に出していると風邪を引かないかと聞かれることがあり、こちらがびっくりすることがあります。

柴犬のような毛質の犬であれば外飼いでも全く問題なく対応できますし、チワワのような小さな犬でも山歩きでも元気に活動します。

もし犬がそんな外活動もできなくなっているのであれば、体の機能が低下しているということです。

体の機能が発達せずにバランスを崩している結果として風邪を引いてしまうことがあるということなのでしょう。

犬はそもそも外で活動し室内は休憩する場でしかありません。

自宅の中で遊ぶことを考えるくらいなら、冬のこの時期でもお庭や公園や山にいっしょに出かけて行って外で活動する時間を作ってあげましょう。

北風にあたって冬を過ごした犬は活気があり、精神的にも強くなります。

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飼い主さんたちはみなさん優しい気持ちはたくさんお持ちです。

寒いのにかわいそうではないか、震えているのにかわいそうではないか、と犬が少しでもストレスを表現するとそれを見守ることができないようです。

ちょっと寒いけどいっしょにがんばろう、ちょっと怖いかもしれないけれどきっと乗り越えられるよとそばで黙って見守れるようになるためには、犬を信じそして自分を信じることからです。

自分自身も何かひとつでも乗り越えつつちょっとだけでも前進しているときには、きっとそんな気持ちになれると思います。

犬は飼い主とともに歩むのです。

犬だけ成長ということはありません。

犬はどこまでも飼い主の鏡なのです。

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<日々のこと>やまごちの猟師さんに竹の伐採を習う:七山の尾歩山の冬のお手入れ継続中

険しい裏山を背にしているグッドボーイハート七山校では欠かせない山の手入れです。

山の手入れの季節は秋から冬にかけて。

植物たちが根を伸ばすことにエネルギーを注いでいる間に、土の上に出ている部分を切ってしまい、成長を止めたり遅らせたりします。

山の手入れの中でも特にやっかいでなかなか手が付けられないでいたのが「竹」です。

孟宗竹というすごく太くてスクスクと大きくなる竹で、タケノコの親たちですね。

竹は径がすごい勢いで広がるため、きちんと伐採しておかないと山はあっという間に占領されてしまいます。

せっかく尾歩山で育てている広葉樹も、竹の勢いが強いと養分をとられてしまい枯れてしまうのです。


その竹の手入れのために助っ人を迎えることができました。

グッドボーイハートハートでいつもみなさんに買っていただている鹿肉ジャーキー「やまごち」を作っている猟師さんに七山に来ていただきました。

竹の手入れの仕方がわからないと相談したところ、快く引き受けてくださり、やっていただきながら私でもできるようにと細かく指導していただけたのです。

竹の小枝の払い方から倒す方向やその方向を決める手順、倒すためのロープのかけ方や結び方など、ただ竹を払うといっても学ぶことはたくさんあります。

効率よくできるだけ力を使わないように、そして何よりも安全確保が大切です。


竹払いの作業には生徒さんたちのお力添えもあり、竹でうっそうとしていた山の境界線の一部がみるみるうちにきれいになり、風通しがよくなりました。

風が通ると自分はとても心地よいうえに山が喜ぶような気持ちになります。

なれない作業で緊張して疲れたけれど、やっぱり手入れしてよかったと思えるのです。

山慣れしている老犬がそばで風にあたりながら私たちの作業を見守ってくれました。

落ち着いている犬はそばにいてくれるだけで心強くなります。

何もない七山の尾歩山ですが、活き活きと育ってほしいという気持ちは犬に対するのと同じです。

犬はどう思っているのだろうと思うのと同じように、山はどう思っているのだろうと考えるようになったのはいつからかもう記憶にありません。

山とともに過ごしている猟師さんのお話や動きや知恵は、本当にありがたいものでした。

やマゴチさんで鹿のアキレスジャーキーを新発売されたということで早速購入してみました。

一袋はみなさんにお配りしようと思っています。ご希望の方には一本ずつお分けしますので、お声かけください。数に限りがありますのでなくなりましたらすみません。

山の手入れ、本当に楽しいですよ。とみなさんをお誘いしていっしょにやっていただく魂胆です。

もちろん犬たちもいっしょです。

山をはぐくみそして山から育てられる、とても良い時間を過ごせました。


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