犬や動物に関する本も、読むうちに選択力というのがついてきます。
チラリと中身を見るか、目次もしくはあとがきに目を通して、今読みたいと思う本なのかそうでない本なのかを判断しています。
本だけでなくネットにもあまりすぎるほどの情報がありますから、選択力は大切です。
今日お薦めしたい本は小原秀雄氏の著者で、1977年(昭和52年)に発行された書籍です。
書名 境界線の動物誌
著者 小原秀雄
出版社 思索社
帯にはこのようにあります。
「動物学から人間の学へ
そもそもの誕生の時から人類は動物たちと様々なかかわりをもって暮らしてきた。
あるものは家畜やペットであり、あるものは害敵であった。
かれら動物たちの現状を語り、人間のあるべき姿を考える。」
小原秀雄氏は子供向けにもさまざまな書籍を出版されています。「猛獣もし戦わば」という書籍は、ありえない状況で猛獣達が戦ったらという視点で書かれています。動物に関する情報は学問的でありながら、その対決については発想に意外性が強く、動物に対する思いの深さを感じられる内容です。
小林先生は日本の動物学者のおひとりですが、哺乳類学を中心に動物と人間を比較する比較生態学の視点で記された書籍はいずれも読み応えがありました。中でも、この「境界線の動物誌」は、人が動物にどのように関わってきたのかという人と動物の関係に関する歴史について、独自の視点で切り込んでありました。人と動物の関係の歴史については、人の愛情を中心にしすぎる人が動物をいかに家族として受け入れてきたかという内容のものが多いように感じます。人は人の善の部分を知り安心を得たいという気持ちが強くなりすぎるのは、逆に人が動物に対して行ってきた悪の部分を意識しすぎているからではないかと感じるのです。悪とは動物を利用する上で起こったり、人間が自然を利用したり環境を改善する中で行ってきた様々な行為のことです。もちろん、悪気があったわけではなくとも、人間生活の発達のために多くの土地を人間の領域にして自然環境を破壊してきた事実を意識しているからこそ自然保護という方向に向かわせようとするのではないでしょうか。
その動物や自然に対する何をもって正義とするのかという議論に陥ってしまっては、自分たちはどこへ向かえばいいのかわからなくなってしまいます。こういうときには、人と動物の関係の歴史というものを正しく認識してくれる書籍を読むことをお薦めします。この「境界線の動物誌」は発行年数は古いため、このあとにもまだ歴史は続いていくことになりますが、そうであっても価値のある本です。その一部を抜粋し紹介させていただきます。
「だが、現実に驚くほど多いのは、実物に指一本触れたことのない子どもと、想いのたけを動物に託す人々である。ペットとして商品化される動物は、それなりに魅力を備えた顔や動作、姿形を持つが、その中に人々は様々な愛の形を見出すのであろう。稚気から奇気、妖気までをそれらの人々は様々に漂わせる。雑種イヌになんともいえぬ愛着があるという声もあるし、デラックスで血統の正しいペルシャネコの姿に惚れ惚れするといった声もあるといった状態である。当然はじめのうちは自己中心の考え方で愛情を傾けていた人々も、後にはしだいに「動物」中心にすべきだと考えにいたる。そうなれば、動物たちのもつ世界を尊重しなければならず、それには動物とは何かを知る必要が生じてくる。しかし動物についての、このような態度の変化には、実は大きな断層がある。動物たちの世界を尊重するといった考えに人間が行きつきはじめたのは、ごく最近のことである。なによりも、人間が動物をかわいがり、動物を大切に扱うことはすばらしいヒューマニズムの表出であるとし、「動物にとってそれがどうか」ということは全く考えられることなく過ごされてきた。そこにはなんの不思議も人間は感じていなかったのである。
誤解のないように申し添えておかねばならないが、わたしはすべての人々にそういった方法であらゆる動物に接せよというのではない。子どものイヌに対する扱いなどが、自己中心的なのをやめよというのではない。むしろ子どもとイヌとには、一つの共通性もあるし、イヌはまた人間の行動に適合できるように飼育されたものでもある。ただ人間の論理と動物の論理はちがうのであり、人間が動物を愛したいと思うならば動物の論理に従うべきだといいたかったのである。四つ足を地に接することが安定を意味するイヌを、ショッピングカーにのせたり、抱き上げて頬ずりする。それは確かに人間からみれば微笑ましい光景である。抱かれたイヌは尾をふってもいる。しかしそれは、人間への愛着とその接触に対してであって、抱き上げられたからではない。」(境界線の動物誌「思索社発行」小原秀雄著より引用)
この文章もあくまで本の抜粋です。さらにこの文の前後をお読みいただければ、わずかでも小原先生の視点の一部には触れることができるかもしれません。このような先人の見たり知っていることをすべて、今の自分が理解しようと思っても到底無理なことなのです。だとしても自分には何もできないと諦めて、大衆の流れの中に巻き込まれ自分の考えを失ってしまうことだけは避けなければなりません。
自分はイヌをどのように理解するのか、自分はイヌとどのように関わっているのか、そして自分はイヌとどのように関わっていきたいのかという質問に対する答えを毎日自分の中に生み出すことをしなくなったのなら、人と関わり続けて変化した犬という動物に対する礼に反することになります。
実際に自分が会うこともできないような深みをもつ先人たちの想いや考えに触れることのできる本はとても貴重なものです。この本は、一般大衆受けするような本ではありません。しかし大衆が受けることが何のすばらしいといえるものがあるでしょうか、その大衆が関心を示すことを目的とし大衆を目くらましにしてしまうようなテレビ番組を見る時間を減らして、自分と愛する犬との関係を大切にするためにこうした本に出会ってほしいものです。
当書籍はすでに絶版になっていますが、図書館や古本ではまだ手に取ることできます。
グッドボーイハートの七山校の本棚にはありますので自由にご覧ください。
夏休みの図書の一冊として手にとってください。