福岡の博多のオフィスから福岡近郊へと訪問トレーニングに出かける日々。
そして博多から佐賀県唐津市七山のグッドボーイハート七山校へと行き来する日々。
この一年も年齢的にはかなりハードワークな移動を続けながらもうすぐ終わろうとしています。
都会でストレス行動に悩む犬の飼い主とその犬の姿を見ながら、
お預かりのときには田舎でのびのびと遊びと学びを満喫する犬の変化する姿を見ています。
トレッキングに来る生徒さんたちは、山に来ると気持ちがいい、犬がとても楽しそうを連発します。
そんな中、ひとりでも多くの方が犬との山暮らしとまではいかなくても犬との田舎暮らしを実現させてくれることを期待はしないまでも希望を持ってやって来ました。
先日、木をチェーンソーで切る作業を終えたあとダンナくんがこんなことを言いました。
「こんな危ない作業しながら、なんで俺、今こんな場所でこんなことをしているんだろうと考えることがある。」というのです。
そのあとには、私と出会っていなければこんなことをすることもなかったと続くわけです。
私も同じようなことをいつも思っていました。
鎌を片手に急斜面で草刈りをしているときに、私はオポに会わなければこんな場所でこんなことをすることなどなかっただろうということ。
山に犬と暮らすことなど考えつきもしなかったことだからです。
考えて決めたのではなく、パートナーが望むからそれに応じて生きてきたのです。
その中で「なぜわたしは…」という言葉が時折自分の頭をよぎることがありました。
自分が何をどこでするのかという大切な決定権をだれかにゆだねてしまったように感じるからかもしれません。
真実は犬のオポが歩いていこうとする道を歩いたのは自分の意志でしかありません。
本当に不便な山暮らしの中では、快適で何不自由なく安心安全で楽な都会暮らしを捨てる理由が特に思い当たりません。
ただ、どちらが芯から心地よいかというとやっぱり自然の中の空気と太陽と風なのです。
田舎がもっと整備されて都会とのアクセスがもっとスムーズにできるようになり、小さなセカンドハウスが田舎に持つことが特別ことではない趣味のひとつだったり、生活の一部になる日々がそんなに遠くないいつかに実現されるような気がします。
これはやっぱり期待しすぎでしょうか。
この方向に知識と資材を投入した方が、犬を小さく愛玩化するよりもずっと犬のためになると思います。
生徒さんから「先生の七山のお家に合うと思うから~」と素敵なものをいただきました。
LEDでオレンジ色の暖かい色から実用的な白色にまで調整できるランプです。
しかも充電式のバッテリー内蔵型で最先端の技術が日常に溶け込みます。
こんな素敵な道具も不便な田舎暮らしを助けてくれますから大丈夫ですよ。
Author Archives: miyatake
<日々のこと>犬との山暮らしはそんなに非現実的でもないと思う
<犬のこと>何かして欲しいよりお役に立ちたいのは犬も同じ
年末のお預かりクラスが始まって犬ちゃんたちと七山のグッドボーイハートで和やかに過ごしています。
例年なら降り積もりる雪となるはずの水分も今年は雨となり、暖かく過ごせる安心感と物足りない気持ちもあり欲張りな気分です。
暖かく過ごしやすい気候で遠慮なくやってくるのは雑草と笹の新しい芽たち。
季節を問わず環境さえ整えばいつでも成長しようとするその意欲には感服しますが、冬季の草刈休憩をさせてもらえないのは辛いところです。
いざ草刈りへと出かけるときに慣れてきた犬ちゃんをお供に連れていきます。
普段はふらふらとどこかへ行ってしまおうとする犬ちゃんですが、草刈り作業や薪取りの作業のときには、わたしのそばでやっていることを真剣に見守っています。
そのうちに草刈りをしていたら草をいっしょになってとろうと食いついてくるし、薪とりをしていると薪を口にくわえて歩き出そうとします。
明らかに手伝おうとしてくれているのは分かるのですが、子どものお手伝いと同じで逆に作業効率を落としてしまうこともあります。
それでも、その手伝おうとしてくれる犬の気持ちがうれしくなって「ありがとうね」といいながら一緒に作業を進めていきます。
犬が人の手伝いをしようとする姿は本当に愛おしくなります。
犬と暮らす人なら犬の幸せについてたくさんのことを考えるでしょう。
大好きな犬のためにあれもしてあげたい、これもしてあげたいと思うこと。
大切な家族のために思うことと同じことでその気持ちはとても大切です。
ですが当人にとってみれば何かしてもらうことも大切なときにはなるでしょうが、本当に幸せになれるのは自分が誰かの役に立っていると感じるときではないでしょうか。
犬は人と本当の家族になるときに、その人のために何かをしようと思うはずです。
犬が人に甘えてばかりいるのは、人が犬のそばで働く姿を見ることができないからです。
犬は屋外で人が働くときには本当の力を発揮してくれます。
人のためにお役に立ちたいというのは犬が群れの一員としての自覚を持ち始めているということで、群れと自分がひとつになるという犬にとってはとても単純な構造であって相手を思ってのことではないと思います。
誰のためでもないただ自分のため、だからこそ本当に犬は本物なのです。
<日々のこと>「犬のオスが犬のメスにやさしいこと」付属のこと
先日のブログ「犬のオスがメスにやさしいには理由がある」の付属のコメントです。
前者のブログ記事では、犬のオスとメスの関係性がヒトのオスとメスの関係性に似ているということについて書きました。
犬とヒトは違う動物ですが動物として似ている性質もあることで共感も生まれやすいのです。
その似ている性質に関わる行動は、種を超えて犬とヒトという関係の中でも表れてきます。
先日お預かり犬ちゃんとダンナくんが接しているのを見て「やっぱりね」と思ったことがあります。
お預かりの犬ちゃんがメスの犬ちゃんで、ダンナくんが声をかけると興奮気味になってとびつこうとします。
とびつきが激しくなるとワンワンと吠えはじめて挙句の果てにはクレートの中の鼻ならしへと発展していくことをダンナくんももう学んでいます。
「駄目よ~」と軽くいなそうとしますが、軽く相手をされた犬ちゃんはますます興奮してきます。
とびついてワンワンを繰り返すようになってしまいますので「落ち着かせてくださいね」と私からの警告。
「フセしなさい、フセ、フセ」とやさしい声で犬ちゃんに語りかけるダンナくん。
「お利口さんね~、フセしなさい、フセ。いい子だからね、ね、フセ」とできていないのにほめ続けるダンナくん。
ところが相手がオスの犬くんになると声のトーンも態度もかなり変わってしまうのです。
生物学的に当たり前のことなのだけど自分の行動をわかっていただくためにあえて質問してみます。
「相手がオス犬のときには厳しい態度なのに、相手がメス犬になると甘やかすような接し方になるのはなぜですか?」
考えこむダンナくん、つまりは「嫌われたくない」ということらしいのですがいかにも男子の言いそうなことです。
犬に接するときには性別を超えて対等でなければその域には達しないと説明したいところですが、説明しなくとも頭ではちゃんとわかっているらしいです。
そのダンナくんには、メス犬ちゃんには遊び相手として、オス犬ちゃんには序列を教える相手として付き合ってもらっています。
グッドボーイハートでの役割分担ということで、今後も預かり犬ちゃんのお世話をいっしょにさせていただきます。
<犬のこと>犬のオスが犬のメスにやさしいのには理由がある
犬と犬を対面させるときに、性別の異なるもの同士を合わせることがあります。
犬の性質や経験にもよりますが、性別の異なるもの同士の方が喧嘩の可能性が下がるからです。
対峙したときの緊張感もオスとオスよりもオスとメスの方が低いのです。
同じ理由でメスとメスよりもメスとオスを対面させる方がリラックス感が生まれやすいのです。
相手が自分と同性か異性かによって行動が異なるのは、個性を超えた生物学的な行動のパターンです。
犬と同じ仕組みでオスとメス、つまり男女に分けられる私たちヒトに当てはめて考えることができます。
自分の行動は最も理解しがたい部類なので、知人や友人の行動を観察してみてください。
たとえばある女友達は、相手が女性の場合と男性の場合とで明らかに態度が違うと感じたことはないでしょうか。
ある男友達についても、相手が男性と女性では行動が違うと思うこともあるでしょう。
これは生物学的に作られた行動のパターンで、同じことが犬に当てはまります。
メスとメスを対面させると緊張した空気、遠回しな資源を守りあう行為が生まれることがあります。
オスとオスを対面させると、一触即発、もしくは一瞬でケリをつけてしまうこともあります。
オスとオスなら勝ち負けが第一。でもメスもメスとならどちらがたくさん持っているかが勝負なのです。
先日お預かりクラスのときに、小さなオスの犬ちゃんと同年代のワンサイズ大きなメスの犬ちゃんを初対面させました。
どんな犬ちゃんにも積極的にアプローチするメスの犬ちゃん、ちょっと面倒くさそうにかわそうとするオスの犬ちゃん。
でもはっきりと嫌だということもなく、ガウもいわない、逃げもしない、吠えもしない、隠れもしない。
適当にチラ見しながら少し知らんぷりを繰り返していました。
オスの犬ちゃんのそばにつきっきりでぴょんぴょんと飛んでいるメスの犬ちゃん。
適当に相手されていることが伝わっているようで、案外満足そうでした。
犬にもある人間のような一面。
でもこれは擬人化された風景ではなく、動物として、生物としてあるべき反応なのです。
犬は人間ではない、でも同じようなところもある。
全く違うところもあるし、そうでないところもある、だからこそ犬のことがわかりにくくなるのでしょう。
違いを楽しみ、似ているところもたのしむ、お互いを動物として認め合うというのはなかなか難しいからこそ面白いものです。
<犬のこと>吠える犬を横目に歩くキツネを見たこと
本当に不思議な光景を見ました。
その夜、お預かりの大型犬ちゃんがサイズのわりになかなか排泄をしてくれないので、庭に長めに係留して排泄するのを待っていました。
人が近くにいると興奮してしまう犬ちゃんの排泄チャンスために、室内に入って窓から様子をうかがっていました。
鼻を鳴らしていた犬ちゃんが山の方をみて「ウー、ワンワン」と吠えています。
ああイノシシたちが庭の境界の向こうにあるささやぶの中を通過する時間だなとライトを照らして警戒しておりました。
吠えていた犬ちゃん、急に向きを変えて前傾姿勢をとっています。
何かの動物が犬ちゃんを横目にみながら歩いています。
ちょうど私と犬ちゃんの間を、犬ちゃんをみながら歩くような状態になりました。
私は室内にいて人の気配に動物は気づいていません。
そしてよく見ると、本当にびっくり、それはキツネではありませんか。
キツネは走り去るわけでもなく、本当にゆっくりと犬をみながら家の横を歩いて坂の方に消えていきました。
ところが、しばらくするとまたテラスのライトが自動点灯しました。
みるとまたそのライトの下にキツネがいます。
さっき歩いたのとは反対方向にいるのです。
さっきのキツネがぐるりと回ってきたのか、それとも新しいキツネが近づいてきたのか、犬ちゃんもじっとみて少しうなっていますが、キツネの方は緊張した感じもなくまた消えていきました。
犬とキツネはどちらもイヌ属イヌ科の動物でとても近い関係です。
あくまでも人間が定義づけた関係なので、彼らにとってはどうでもいいことですが、食べ物や行動のパターンや体の発達や使い方がかなり似ているのです。
警戒心が高くタヌキやアナグマのように簡単に姿を現したりはしません。
七山のこの庭でもキツネをみたのは指で数えるくらいです。
イノシシよりも圧倒的に少ないのです。
キツネの犬に対する堂々とした態度をみて、彼らキツネにとってイヌとはどのような位置にあるのだろうと考えてしまいました。
野生動物と飼育される動物、同じイヌ科の動物。
食べ物を自分たちでとっている動物と、人に与えられる動物。
ゆっくりと行動するキツネと、興奮して騒ぎやすいイヌ。
生きている時間がどのように違うのだろうかと深く深く考えました。
犬も本来ならもっとゆっくりとした穏やかな動物です。
キツネのように美しく優雅な動物なのではないかといつも思っています。
キツネが教えてくれること、ちゃんと受け取っていきたい。
野生動物たちがとても身近にいる七山でお預かり犬ちゃんたちとの年末が始まりました。
<日々のこと>オポの会追加開催しました。
先週の日曜日のオポの会に参加できなかったという生徒さんたちがたびたび七山を訪れてくださっています。
今日も成長した犬ちゃんを連れて七山にお客様でした。
トレーニングクラスを開始したころの犬ちゃんの荒れた状態を懐かしく思い出しながら、そうそうそんなこともありましたよねと話がはずみます。
「あの頃は毎日が辛くて犬を飼うことをあきらめようかと考えるほど深刻でした。」とおっしゃっていましたが、それを乗り越えられてこうしてお互いを尊重する関係性を作って来たのも、最後は飼い主さんの辛抱、そして犬も辛抱の日々でした。
トレーニングといっても一瞬で解決するようなマジックのようなものではありません。
お互いにこじれていく犬と人の関係性を、より良いものへと変えていくためには長く向き合う時間が必要です。
そのためには時間も場所もいるし気力も体力も労力もかかります。
犬を飼うのがそんなに大変なことだと思わなかったと初めは思うかもしれません。
もっと簡単に何の努力もせずに犬を飼っている人がいるのにと不満を持たれるかもしれません。
でも本当は、犬の困った行動がきっかけとなって想像もしなかった犬との関係が始まっただけなのです。
グッドボーイハートでがんばった生徒さんたちの笑顔と犬の成長の中には、何の努力もせずに犬を愛玩化させてしまう人たちにはない美しさがあります。
オポが教えてくれたこと、それもつながりの世界のことでした。
お手製のプリンをおみやげにいただきました。
先生のところで取れたハチミツを使って作れますとお言葉いただきました。
ミツバチの勉強やイノシシのことなど、犬のことを学ぶグッドボーイハートとなんの関係もないように思えるかもしれませんがとんでもありません。
自分の近くにいる生物たちと関わること、もっとも近くにいる家族を理解すること、どれもグッドボーイハートの学びです。
<オポのこと>オポの会に来てくださりありがとうございました。
日曜日のオポの会にお立ち寄りいただいたみなさま、遠くからありがとうございました。
オポの命日に寄せてご縁のあったグッドボーイハートのみなさんと「お元気ですか?」を確認するような日になったオポの会。
懐かしく共に学んだみなさんとの再会をオポもきっと喜んでいると思います。
オポのお墓には苔が生えて年月の流れを感じるような景色になりました。
博多駅のグッドボーイハートで十代で活躍していたグッドボーイハートのオポの弟子たちも、子どもを両手に訪れてくれました。
家族が増えて仲良く暮らしていることがその子たちの表情を見るとわかります。
子育てしながら「犬育てと同じです」と、犬と共に学んだことを今少しでも生かしてくれていると感じると感慨深いものがあります。
この数年で犬とのお別れをした生徒さんたちと会うこともできました。
犬との別れで生まれた悲しみや今ある寂しさがなくなっていくのには、本当にたくさんの時間がかかります。
前を向いて歩かなければと心では思っても、歩いていくことで亡くなった犬と離れていくような気がしてしまいなかなか進めないものです。
私にもそんな時期がありましたが、ただわたしを見ているオポに対して恥ずかしくないような生き方をしたいという気持ちで前進してきました。
今になって思うと一旦違った道を歩いている私とオポが、そのうちどこかの道で合流することになっているので後戻りしても再会することはなく、むしろ前進することで再び合流することができるのではないかと思うようになりました。
ひとりで歩いているととなりにもひとりで歩いている人がいて、話ながら歩いていたらなんだか楽しくなってしばらく一緒に歩いていこうねという人ができました。
その方が自分はオポにはあったことはないけど、最後はオポと三人で暮らそうねと言ってくれました。
二人で歩いていってオポと合流することになりそうですが、そこに至るまでにはまだ山あり谷あり、喜びと同じくらい苦しいこともつらいこともいっぱいあるでしょう。
オポの方はきっと犬の道で、なくなったあの子やあの子たちといっしょに合流していつもとおり先頭をきって探索しながら歩いているのだろうと思います。
オポの会にはオポを知らないグッドボーイハートの生徒さんもいらっしゃいました。
若い犬の飼い主さんにはいろいろと悩みなども多いものですが、グッドボーイハートだったら大丈夫と思っていただけたらうれしく思います。
それは、私が先生だからとかオポという犬がいたということではなくて、こうしてこの山をなんども歩いていた犬と人がいたということだけです。
犬と犬がつなぐご縁というのは不思議なものです。
犬を飼っていなかったらこの出会いはなかったという出会いがみなさんにもたくさんあったでしょう。
グッドボーイハートを始めたから出会えた犬と人、この家と山があったら学べたことをこれからも大切にしていきたいと思います。
オポの家は何も変わっていないのですが、オポ広場のことや新しい家族のこと、ブライダルのお仕事のことやハチミツのことやら、家具のこと、そしてオポパンのことまで、グッドボーイハートの向かっていくところがどこなのかと思われたかもしれませんが、わたしたちは地に脚をつけてオポのようにどっしりと一歩ずつ前進しております。
これからもグッドボーイハートの成長を見守ってください。
そしてこの場をみなさんの癒しの場にしていただければ幸いです。
<83ハチミツオポ>味覚で学ぶ自然と文化
ある生徒さんから国産の非加熱のハチミツをプレゼントしていただきました。
静岡県下田市のハチミツでもちろん日本ミツバチが集めたハチミツでした。
じわーっと始まっている「ハチミツオポ計画」の勉強のために、ダンナくんとふたりでハチミツを試食しました。
うーん。という感じです。
私の感想としては「昔食べたハチミツの味がする」という感じでした。
スーパーで買って食べていたハチミツとは「もの」が違います。
比べて食べてみたのは、今はやっているマヌカハニーです。
こちらもいただいたのですが、ニュージーランド産の高価なものでマヌカという花の蜜からハチがとってきた蜜をマヌカハニーというそうです。
美容に良いらしく最近ではあちこちで見かけるようになりました。
国産のハチミツとマヌカハニー、味は全く違います。
どちらも美味しいもしくは体への効能があるようですが、自分たちの体が喜ぶのは国産の非加熱ハチミツの方でした。
こういう感覚は人によりことなる、つまり個体差が大きいものです。
何を美味しいと感じ何を手に取り食べるのか、何を気持ちが良いと感じ何をそばにおいて過ごすのか。
動物は毎日自分の感覚器官を思いきり使って生活をしています。
喜びや安心から不安や恐怖にいたるまで。
自分の視覚、聴覚、触覚、嗅覚そして味覚もその中に入ります。
ひとつの感覚が狂い始めるとすべての感覚が狂ってしまいます。
逆にひとつのセンサーが研ぎ澄まされると他の感覚もその能力を維持しようとしています。
自分たちの感覚をより研ぎ澄ましてそれを選んで生きていきたい。
それは高価なものを身に着けたり食べたり集めたりすることでもありません。
たくさんのものが流れる時代ですから、ついつい回りに流されてしまうことがあります。
たとえば安いものでもみんなが集まると欲しくなったり、
逆に高いものでも人気があると聞くと欲しくなったりします。
その中で自分は、という感覚を保ち続けるのはかなり難しいことです。
そのセンサーを大切にするための場所として「自然の中の家」七山で過ごす時間を大切にしています。
わたしたち人だけでなく犬たちにとっても、本来のセンスを失わないための時間と場所がときには必要です。
都会の臭いは嗅覚の世界に生きる犬たちに、不安のメッセージを送り続けています。
都会は少し臭くなりすぎましたね。
もう少し緑を取り戻すか、人工的な機能は都心と田舎を結ぶ道具やインフラ発展のために使っていただければと期待しています。
ハチミツオポは下田ハチミツを超えることはありませんが、どのくらい近付けるのかとプレッシャーを感じています。
とても良いプレッシャーです。
<犬のこと>なでるのとは違う「触れ合う」とは温かみを感じることではないか
犬ちゃんたちのお預かりのために寒い七山の夜は暖炉の前にいる時間が長くなります。
普段は事務所でしている事務作業も、暖炉前から離れることはできません。
夜も朝方もうとうとと暖炉の前にぼーっとしていて思ったことがあります。
炎のゆらぎを見ることがどうしてこんなに癒されるのかなということ。
そして肌に当たる温かさがなんでこんなに心地よいのだろうということ。
暖炉のあたたかさが肌に触る感じは、温かいものに触れられているもしくは触れているような感覚なのです。
この温かさは少しだけ心地よい日光浴の感じに似ていますが、それよりももっと優しい感じです。
暖炉の近くにいることで何か生きているものがそばにいてくれるような感覚を得られるのです。
人が犬をずっと抱っこしてなでているのはそうしていなければ落ち着けない理由があるからでしょう。
犬のぬくもりは、温かいものに触れていたいという人の基本的な欲求を満足させてくれるはずです。
でも抱かれている犬の方はいろいろと不具合が出てきます。
抱っこ依存症になっている犬たちの落ち着かない行動は、抱っこ依存症になってしまった犬を飼っている飼い主さんなら見る機会があるはずです。
接触がないと不安になる分離不安状態の犬たちがいかに落ち着かない精神状態になっているのか。
不具合の中には具体的に説明できる根拠というものもありますが、実は本当に怖いのは説明できない根拠のないものなのです。
それは自分を落ち着かせるために犬をなでる人の不安定な感情やエネルギーを犬たちがすべて受け取ってしまうからです。
犬たちに言わせると科学的に証明できるものなのかもしれません。
というのは、不安定な感情やエネルギーは臭いとなってその人から発しているからです。
臭いは犬の脳を刺激し共感性の高い犬は同じ領域へと引き込まれます。
犬を抱っこしている時間の長さやなでている回数は本人が意識していないほど長く多いものです。
暖炉がどの家庭にもひとつあればなあと思いました。
暖炉の前では犬と人は対等に同じ炎に向かって温かさを得てお互いに心地よいと共感できる時間を持つことができるからです。
ほんの100年ほど前の日本だったら、どの家庭にも囲炉裏のようなものがあって、外では焚火ができて、いっしょに温かさを共感できた暮らしだったのに、失ったものは大きいのだなとそんなことを思った七山の夜でした。
<犬のこと>映画「ミラクル・ニール」のテリア犬がズバリ言ってくれた
「ミラクル・ニール」という映画を見ました。
犬が登場する楽しめるファンタジー映画です。
ハリウッドやヨーロッパの犬が登場する映画はできるだけ見るようにしています。
理由は二つ
ひとつ目の理由は、西洋の映画犬はとてもよくトレーニングされているからです。
アメリカではフィルムドッグとも言われていますが、日本国内のドラマやCMに出てくる犬たちとは質が違います。
犬に使役を教える訓練については、日本人はヨーロッパやアメリカにはほど遠いなと感じます。
二つ目の理由は、映画を通して外国の犬の価値観がわかるからです。
犬といってもいろんな犬がいますが、描写はわりとはっきりとしています。
この映画に出てくるデニスという犬は、うだつのあがらない飼い主に飼われているほんの少しだけおバカな犬という設定でした。
楽しめる映画なのでまだ見ていない方のために少しだけ書きます。
この映画に登場する犬のデニスですが、おバカな犬といってしまった理由をいくつかあげておきます。
まず冒頭からですが排泄、しかも大の方を飼い主の留守中にがまんできずに室内のじゅうたんの上でしてしまいます。
しかもよくあることのようで、便をとるスコップが壁に掛けられています。
さすがに海外ですから日本のように室内にペットシーツやトイレトレーを設置したりしていません。そこだけでもセーフです。
飼い主の帰宅では思いっきりジャンプして飛びついていきます。
ワンワンと無駄吠えをしてマンションの隣人からクレームをもらいます。
飼い主のある理由によるパワーで人の言葉をしゃべることができるようになったデニス。
ワンワンとうるさく吠える意味が知りたくて飼い主がデニスをしゃべらせるとそのワンワンは「ビスケット」ただそれだけでした。
「ビスケット、ビスケット、ビスケット」
「ビスケットがあるの知ってる」
こんな感じです。
すべての犬がそうだということではありませんが、中にはこんな犬は本当にいそうです。
その犬のデニスと飼い主があることをきっかけに始めた会話、脚本家は犬のことをそれなりに見てくれているようでうれしい会話でした。
飼い主:お前はただ元のさえない犬のふりをしてみていろ。
犬:ぼくがさえない犬?
飼い主:そうだよ、演技くらいできるだろ?
相手に調子をあわせてさ。
犬:なでなでされているときみたいに?
飼い主:…そりゃ、ほんとに好きだろ?
犬:ぜーんぜん。
飼い主:ええ?
犬:犬はあんなのほんとは好きじゃない。
飼い主:なんだって?
犬:そもそもなんで犬をなでるの?
飼い主:なでると犬が喜ぶからさ。
犬:違う。
人間が喜ぶからこっちが喜ぶふりをしてあげてんの。
飼い主:はぁー。まあとにかくお前は普通の犬のふりをしてろ。
というこんな会話が続きました。
吹き替え版で見たので、そのやりとりは本当にリアルでした。
それにしても、デニス。
よくぞ言ってくれました。
度肝をぬかれた飼い主の「はぁー」という驚きとため息の入り混じった反応が、多くの飼い主の反応かと思います。
犬からしてみると「全く人は犬のことなんて全くわかっちゃいないんだから。」といったところでしょう。
すごくお気楽な映画ですが、犬のポジションはかなり考えられています。
ぜひご覧になってください。