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<人イヌにあう>飼い主は犬にとってリーダーなのか、それとも親なのか?

コンラート・ローレンツの著書「人イヌにあう」を一緒に読み解く時間です。

若干、専門的な内容になってきますので、興味のある方だけお読みいただければと思います。

本をお持ちの方は36ページを開けてください。

イヌの祖先はオオカミなのか?それともジャッカルなのか?

このページの全般に書かれているオオカミの血を引く犬、とジャッカルの血を引く犬について先に説明しておきます。

オオカミにもたくさんの種類があります。

たとえばインドオオカミ、日本オオカミといってもどちらもオオカミという種の中に入ります。

ジャッカルにも同じように種類が分かれます。

オオカミとジャッカルは動物としては別の種になるのですが、イヌ科の動物たちは非常に血液が近く交雑することができます。

オオカミとジャッカルは交配して子供を産むことができるのです。

同じくイヌも、オオカミとイヌで交配して子供を産むことができます。

また、ジャッカルとイヌも交雑が可能です。

イヌはオオカミの祖先だという話はよく聞かれたことがあると思います。

歴史的な証拠の中ではオオカミの方が出現した歴史が古く、イヌはその後とされているからです。

またジャッカルもイヌよりも古い時代に出現したという学説が一般的なのです。

ローレンツは行動学的な分析の観点から、イヌはオオカミの血を強く引くものと、ジャッカルの血を強く引くものがあると当初考えていたようです。

ジャッカルとオオカミでは捕食とする対象が異なるため、群れの結束性も違っています。

この違いをジャッカルの血を引くイヌと飼い主との関係性、

オオカミの血を引くイヌと飼い主との関係性と分けて、説明しているのがこの部分なのです。

●ローレンツの本からオオカミとジャッカルの違いを読み解く

引用ここから36ページの最後部から~


家畜化のしるし、とくに子供っぽさの残存は、オオカミの血統を引くイヌの場合、中央ヨーロッパ産のイヌよりもはるかに顕著ではない。

この統制の現れ方は、オオカミ特融の性質に由来する。

まったく異なったタイプの依存状態にとってかわられている。

ジャッカルが屍肉獣であるのにたいして、オオカミはほとんど純粋に捕食獣であり、極寒期にみずからの生命を保つ唯一の食糧である大きな動物を殺すのに、仲間の助けにたよる必要があるのだ。

~引用おわり


家畜化とは人に飼われるようになった経緯のことで、家畜動物とは人に管理されて飼うことのできる動物のことです。

イヌは家畜化された動物になります。

家畜化された動物の中でも人を親のようにしたう行動や愛着を見せることを、子どもっぽさの残存と説明しています。

そのイヌの子供っぽさが、オオカミの血を引くイヌとジャッカルの血を引くイヌとでは違うというのです。


引用ここから~

群れの大きな要求にこたえる十分な食料を得るためには、オオカミたちは非常に広範囲にわたって走り回ざるをえないし、大きな獣を攻撃するときにはおたがいにしっかりとたすけあわなければならない。

厳しい社会的な組織、群れのリーダーにたいする真の忠誠とメンバー相互の完全な協力は、種の生存をかけての厳しいたたかいに勝ちぬく条件なのである。

オオカミのこうした特性は、ジャッカルとオオカミ系のイヌの気質に見られる非常に顕著な相違を疑問の余地なく説明するものであり、それはイヌを本当に理解している人間にはおのずと明らかである。

前者が自分の主人を親として遇するのにたいし、後者は飼い主を群れのリーダーの位置においてみるのであり、したがって彼らの行動は異なったかたちをとるのである。

~引用おわり

オオカミは捕食動物で自分よりも大きな獣をグループの力で倒していくため、群れの協力関係や結束力が絶対になります。

人間の兵法もオオカミの兵法をまねされるほどオオカミは規律の高い軍隊組織なので、それが日常の主従関係にも影響しています。

ジャッカルは屍肉、つまり死んだ動物を拾って食べるような動物なので、グループよりも単体でいることの方が利益が高く、また誰かに餌をもらえるような環境ではすぐにそちらを選ぶであろうという動物だ、という意味なのです。

ジャッカルは死肉を食べるだけでなくネズミ、ウサギ、イタチなどの小さな動物も狩って食べます。

穴の中に住む動物を狩るため穴掘りも得意で、犬の中では小さなテリア種はジャッカルに行動が似てます。

顔つきでいうとジャックラッセルのような長細い顔がジャッカルの頭部に似ているなと思います。

●犬はオオカミの血をひくのか、ジャッカルの血を引くのか?

この理論は遺伝子学的にオオカミの方に軍配があがりつつあります。

個人的には地域によってイヌがどのような他の動物と交雑してきたのかは違いがあると思っています。

イヌは環境に適応しやすいその性質を生かして様々な遺伝的な変異を遂げてきましたので、オオカミの気質が強い犬もいれば、ジャッカルの気質の強い犬もいると考えています。

この題目に対する答えは、これと決めつけることが重要なのではなくどちらの可能性もあると柔軟にみることで自分の犬を読み解くヒントとするのが私たちが情報を有効に活用できる

●犬は飼い主をリーダーとみなすのか?それとも親とみなしているのか?

そこで飼い主としては一番知りたい部分に入ります。

飼い主は犬との関係性の中で「犬のリーダーになる」という教えを守ろうとします。

誰でも口にする教えなので「犬にとって飼い主はリーダーなんですよ。」という説明は、すべての飼い主を納得させます。

社会的なグループの中には、規律を保つリーダーという存在が必要でそれが飼い主であるということは社会的な動物である人間にとっては分かりやすい話です。

同時に社会的な動物である私たちだからこそ、グループというものの成り立ちを理解して協力しあいながら秩序を保つ関係性を犬と作ることができるのです。

実は小さな家族もこの組織のひとつです。

家族の中にオスのリーダーであるお父さんがいて、メスのリーダーであるお母さんがいます。
そしてその家族という群れに属する子供たちがいます。

家族の中にいる小さな子供たちはただ依存して甘える存在ですが、小学生高学年くらいになってくると家庭の中で自分の役割を発揮できるようになります。

家を守ったり整備したり、自分よりも小さな存在を守ったりできるようになるのです。

家族もひとつの群れの単位になります。

ということは飼い主はリーダーでもあり親でもあるという形がすべての犬に適応できるというのが私の今の考えです。

犬が飼い主をリーダーとみているのか、ただ親として甘えているだけなのかの違いについてはその行動に見ることができます。

あなたの犬は幼稚園生の子供のようにずっと親に依存しつづける幼稚性の高い犬でしょうか、それとも飼い主を守ろうとしたりテリトリーを守ろうとする役割を持とうとするでしょうか。

犬の服従性と幼稚性のバランスについては考える価値のある話題です。

どちらの性質を強く備えているのか、このふたつの性質はどちらも社会生活を送る上で必要なものですべての犬が持っていますので、うちの犬にはどちらもないということはありません。

ただ犬たいして絶対にやってはいけない見方があります。

幼稚性が高いとされている犬がキャンキャン吠えたり、モノをこわしたり、騒いだりするのを性質のせいだとして「生まれつき」という言葉で放置することです。

その犬のわがままな行動はすべて飼い主が身に着けさせたもので、犬には罪はありません。

どんなに幼稚な犬も、脳が未発達な場合にも、コミュニケーションというものが成立している限りは犬は落ち着いて過ごす権利を持ち、それを提供するのが飼い主の役割です。

飼い主の役割を犬をかわいがることとすることはもちろんですが、可愛がりがいつのまにか甘やかしになっている現在の社会は、子育てにも共通することのように思えます。

動物にとって成長を阻害されるということはひとつの虐待であるというのは言い過ぎかもしれませんが、言い過ぎるくらいでないと歯止めが利かないと感じはじめています。

ローレンツの本の引用部分にもあったように「本当にイヌを理解している人は」という部分に自分が入ることができるようにと学び続けたい方は、いっしょに学びましょう。




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<犬のこと>グッドボーイハートのゴン太くんたち

先日ダンナくんと会話しているときに「ごんた」という言葉を聞き、思わず聞き返しました。

「ゴンタって。あのゴンタくんのゴンタのこと?」

「そうそう、あのゴンタくんのこと、のっぽさんといっしょにいた…」

のっぽさんお相棒もゴンタくんでしたね。

私がいいたかったのは犬用のジャーキーのキャラクターとして登場したゴン太くんの方です。。

黄色のラブラドルリトリバーなのだと思いますが、若干ミックスのようにも思える風貌の犬くんです。

ダンナくんがいうには、関西では聞き分けのない子供にいうときに「そんなごんたゆうたらあかん」っていうらしいのです。

関西では一般的に使うらしいのですが「ごんた」にそんな意味があることを知りませんでした。

だからあの犬のゴン太くんはいかにもしつけが必要な感じの犬だったのだと納得しました。

その後、わたしの中ではゴンタの活用法が広がりました。

お預かりの犬ちゃんがなかなか聞き分けないときにも使うようになり。

「〇〇ちゃんがゴンタいう」みたいないい方になりました。

そうすると、預かり犬ちゃんが来るたびに「〇〇くんがゴンタいってクレートに入らない」とか

「〇〇ちゃんがゴンタいってゴハンを残す」とか。

ゴンタって結構たくさんいるじゃないかとなってきたのです。

ご自宅にもゴンタくんがいるでしょうか。

どのゴンタくんも成長が楽しみです!

※写真はお預かり中の犬ちゃんたち、ゴンタくんたちではありません!
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<犬のこと>どうやって可愛がったらいいのかわからなくなった飼い主さんたちに伝えたいこと

トレーニングにはいろいろな方向性や仕組みがありますが、グッドボーイハートで一貫してお伝えしていることがあります。

それは「犬は犬であるということ」を忘れないで欲しいということです。

当たり前すぎることなのですが、これが当たり前になっていないから人と犬との間にいろいろと行き違いがあるのです。

犬は犬のことを犬だと思っています。当たり前なんですが本当にそうです。

さらに当然のことですが、犬は犬のコミュニケーションで会話します。

だからタロウという犬に花子という犬が飛びついていけば、タロウは当然逃げるか構えるか、もしくはガルルと威嚇するなどして自分を守るでしょう。

花子に飛びつかれたタロウは「わたしが好きなのね、お利口さんね」といって抱きしめたりはしないのです。

でも花子に飛びつかれた人間の飼い主は「私が好きなのね。」といってコミュニケーションが始まります。

犬のとびつく行動は興奮している状態なので、上手に交わしてくださいねとお伝えすると、こんどは飼い主側が「どのように接していいかわからない」といいます。

犬が落ち着いてるのであれば、ただいま、と声をかえていいし、おりこうさんねと微笑みかけても全然構いません。

犬たちが留守番のあとなどにとても興奮してしまうのは、やはりひとりぼっちで、もしくは多頭で、もしくは閉じこもりがちの生活の中で何か不安な部分があるからなのです。

ひとりで生活空間から出ることができない、ひとりではゴハンも食べられない、ひとりでは逃げることもできない、そんな生活をしている犬がいつもストレスフリーであると考えることはあまりにも楽天的です。

人と犬の関係がある程度落ち着くまでは、犬が興奮しているときにいきなり抱きしめたり抱きあげたりほおずりしたりはしないので欲しいのです。

かれら犬がいつでも「落ち着いて人と接する」ことができるようになるまで、それほど時間はかからないはずです。

といいたいところですが、最近は繁殖犬の経験値が低いことが影響してか、人に興奮しやすい犬が増えてきました。

親犬もまたその親犬も犬舎で人とは隔離されて生活しており、人のことをあまり理解していません。

人と暮らしてきた経験も社会的な活動もほとんどもたない繁殖犬が多いのです。

そんな繁殖犬から生まれた子犬たちに人との暮らしを学ぶのに急がせるのはフェアではないと感じます。

ですがトレーニングでいろいろとお伝えするには時間制限もあります。

できるだけ長く細くトレーニングを続けていただき、犬の成長や変化をゆっくりと見守ってほしいのですが、人は何かと急ぐものです。

グッドボーイハートというドッグスクールは、どちらかというとじっくりとゆっくりとお付き合い下さる方に向いています。

犬と共に飼い主としても成長したいと思われる方にはもってこいのドッグスクールです。

犬のことを学びはじめて30年以上になりますが、この私でもまだまだ毎日が学びの日々です。

犬の学びは私たち人間についての学びでもあることが面白いところです。

犬について人についてまだまだじっくりと学びます。

きっとボケるまでそうしているかなと最近思うようになりました。

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<クラス>春の暖かな日に大濠公園でお散歩レッスン

家庭訪問クラスを受講されている生徒さんと、大濠公園でお散歩レッスンのために待ち合わせしていました。

室内にこもりがちになっている子供たちも大人たちも、大濠公園に大集合だったようでものすごい人となっていました。

今日はちょっと人が多すぎてお散歩レッスンには厳しかったなかなと思いつつ、散歩している犬たちをチェックしていきます。

一部の犬たちをのぞきわりとゆっくりと散歩をしていて、リードをたるませながら飼い主の足元に歩いている犬たちが多く、ずいぶんとマナーアップしてきたなと関心しました。

こちらの犬ちゃんたち2頭も雑踏の中を上手にかつリラックスして歩いていきました。

止まったり、歩いたり、と飼い主さんと歩調を合わせながら歩きます。

2頭が仲良く寄り添うように歩いていますので、通り過ぎる人たちもにっこりと微笑みながら見守ってくれました。

少し歩いたら犬たちに遊びの時間も必要です。

公園の隠れ場をみつけながら、いっしょに走ったり、木をなげたりかじったり取り合ったりしてしばらく土の上で遊びました。

どちらも都会のど真ん中のマンションで生活していますので、土や草や新鮮な空気に触れる機会が少なくなりストレスもたまりがちです。

犬が自然と触れ合う時間は飼い主さんにとっても息抜きの時間になるはずです。

これが何の役にたつんだろうと思うようなことこそ、犬にとっては必要なのです。

人間は必要なことしかしないようにできているのでしょうか。

緑の中でぼーっとしたり、深呼吸したり、花をみたり、池にあそんでいるカモをながえめたりするようなどうでもいい時間が、本当に動物にとっては必要ではないかなと思います。

そんなどうでもいい時間を犬たちは共有してくれるばかりでなく、心地よさも共有してくれます。

そんな相手はなかなかいるものではありません。

犬たちがお互いに何を話しているのかは実際にはわかりませんが、時間や場所や気持ちを共有することができれば、少しだけ勇気もわいてくると思います。

ひとりじゃない、だれかと一緒に生きている、そしてその絆は少しずつ強くなっていくはずだという気持ちが自分の生きる力となってくれます。

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Posted in 日々のこと, クラスのこと

<クラスのこと>お散歩練習中に犬の遊び場を見つけるのも仕事のひとつです。

家庭訪問トレーニングクラスの中にはお散歩練習は必須です。

日々のお散歩は犬たちにとって、外を散策できる息抜きの機会にもなります。

一方で散歩の場所や散歩のやり方を間違えてしまうと、犬にとっては不安を増加させるだけのストレスタイムになってしまいます。

散歩練習を細かに行うことで、どこでどのように過ごすのかというトレーニングの基本を忠実に守れるよう指導するのもインストラクターとしての自分の役割です。

リードの持ち方や歩き方、犬を安心させながらリードできる散歩ができるようになったら、犬と息抜きをする場所や、犬とステップアップの練習ができる場所を散歩中に探して歩きます。

福岡市内にはなかなかこうした場所がないため、車で週末毎に移動したりといろいろと困難なことがあります。

福岡市郊外になるとまだまだ自然がたくさん残っていて「よかった、こんな穴場のスペースがあった。」とほっとすることも多いのです。

この日も散歩中に「ここ歩いていいですか?」みたいな場所を見つけました。

普段は飼い主さんはさけて通るような場所が犬と過ごす場所としてはわりといいのです。

住宅地と野山の境界線にあたるところといったらいいでしょうか。

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歩いていると足元にふきのとうを見つけました。

野山での春のお知らせですね。

山に近付くと犬が山に入ろうとしますが当たり前のことです。

本来、犬は山の動物なので、山は犬にとっての里にあたります。

山の空気を少しでも吸って、人の臭いから解放させてあげたいものです。

そしてまた人との生活、がんばってくれると思います。

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<自然のこと>蜂箱設置を完了してミツバチたちを待つ

グッドボーイハート七山の敷地に蜂箱第一陣を設置してきました。

限られた蜂箱をどこに設置するのか素人には全く判断がつかなかったのですが、ミツバチの気持ちになって考えココと思うところに決めました。

環境を整えたらあとは蜂が来るのを待つしかない「待ち」の状態に入りました。

経験値の高い方なら落ち着いてその日が来るのを待つことができるのでしょうが、今年がチャレンジの私たちにとっては先の見えない時間を過ごすことになり不安で仕方ありません。

きっと犬のトレーニングを受講される生徒さんたちのはじめはこんな感じなのだろうなと初心者の不安な思いを共感する感じになりました。

さらに七山の森林組合から苗木の一斉配布があったので、さっそくダンナくんにクヌギ50本を広場に植えてもらいました。(おつかれさまでした!)

50本も一度に植えられないと訴えていたダンナくんですが、作業が進むととまらなくなりもうやってしまえということで多少無理をしたようです。

ところが持病の花粉症が博多ではすごいのに七山にいるときには全くないということで驚いていました。

生徒さんたちにもよく言われるのですが、七山に来ると花粉症の症状があまり出ないといわれます。

そのうち七山に通いつめると花粉症がかなり克服されるという現象もありました。

これは本当のことかなと思います。

自然の整えられた環境というのは動物にとって痛手になることはなく、人工的な環境の方が圧倒的に動物にダメージを与えています。

人も犬も自然の産物なのですから、当たり前といえば当たり前のことです。

自然とのかかわりを増やし人は人として、犬は犬として、そして人と犬が自然という形でつながりを持つことを目指すグッドボーイハートとしては、ミツバチという新しい仲間とのかかわりを持つことはひとつのチャレンジなのです。

今年がダメでも来年があるという気持ちで3年計画で進めております。

ハチミツをみなさんにお配りできるその日までどうぞ気長にお付き合いください。

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Posted in 83ハチミツオポ, 日々のこと, 自然のこと

<犬のこと>他の犬に吠えたり人に失禁する犬の行動は家庭でつくられています

犬のトレーニングのご相談でやはり多いのは他の犬に吠えたりとびついていこうとする行動です。
ワンワンと吠える犬もいるし、ガウガウと威嚇するように吠える犬もいます。

ワンワンと吠える犬の飼い主さんは「他の犬と遊びたくて吠えているんです。」と説明されます。
ガウガウと吠える犬の飼い主さんは「他の犬を怖がって吠えているんです。」と説明されます。

どちらの説明も微妙に読み違えており、これをそうでないと説明するのに相当の長い時間が必要になります。

飼い主側で犬の気持ちを読み違えている場合は、そうでないということを言葉で説明しようとしてもなかなか頭の中に入ってきません。

不思議なものですがいったんその犬の気持ちを理解したと思い込んでいる飼い主が、今まで思っていたのとは違うということを知るときにかなりの痛手を受けるからです。

飼い主さんが犬のことをたくさん思っているがあまりの反動なのですが、この痛手を人は無意識のうちに回避しようとするのでしょう。

そうはいっても犬の他の犬や人に対する吠えなどの社会的な行動は、ほとんどが飼い主の接し方や環境作りを強く変化させなければ変わらないのです。

飼い主の日常的な接し方や環境を変えるためには、飼い主の見方や考え方という根本のところを解決していかなければ本当の犬の変化は起こせません。

そのひとつの方法にはなるのですが、犬を1週間ほどお預かりしてその行動の変化を飼い主に見ていただくことがあります。

このケースでのお預かりクラスでは犬が潜在的にもっている変化(成長)幅を知ることや、今の行動の根の深さをはかったりトラウマ度合いを見たりします。

接し方や環境を整えたとしても犬の行動に変化が訪れるのには最低でも数日は必要です。

警戒心の高い犬ですと4日ほどかかることもあります。

お預かり料金ができるだけ低くなるように考えながらお預かりをしながら行動の変化を待ち、そして犬が苦手とされる他の犬や人との接触を段階を経ながら行います。

結果普段では見られない犬の行動がひきだせることが多く、それをビデオ撮影したものを飼い主に見ていただきます。

どうしてこのような行動の変化が起きたのか、それは普段の自分たちのつくっている環境や接し方にあるのだという自覚を持っていただくことで飼い主側の変化を起こさせるのがこのトレーニングクラスのの目的です。

短期間での預かり中に犬の行動の変化が少ない場合でも数回の預かりクラスを続けていただくと必ずどこかで変化が起きます。

そのためには莫大な時間を必要とするのでお預かりクラスの料金ではとても見合わないほどの労力を必要とするのですが、ほとんどは自分の勉強だと思いありがたくさせていただいています。

犬のトレーニングで本当に大切なことは犬を正しく理解することと、犬のもっている潜在する可能性を見つけ出すこと、そして最後にはその可能性が開けるようにするために飼い主ができることを探すことです。

結果として見出されることはとても単純なことの方が多く、難しい技術やテクニックはほぼ不要のものです。

そのことは本来の犬と人の関係性に気づかせてくれるものではありますが、ある程度の時間と空間が必要だということは間違いありません。

物質に囲まれた生活をするようにはなったけど、人が失ってしまったのは時間と空間です。

そのことが犬たちを苦しめているのであれば、少しずつ取り戻していくのも犬の真からのメッセージのような気がします。

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<犬のこと>犬の往復横跳びジャンプ行動は陣取り遊びであることがよくあります。

犬が他の犬に対して、また人に対して左右に横跳びする往復とびの状態を繰り返すのを見たことがあると思います。

前脚を地面につけるように低く保つ姿勢は「プレイボウ」=(あそびのお辞儀)を名付けられて有名になりました。

この名前が付けられた理由は、犬が遊び最中にこの姿勢を繰り返すことがたくさんあるからです。

人の世界の遊びというと何の意味もないとか時間つぶしのようにとられてしまうこともあるかもしれませんが、犬の習性で身に着けた遊びとは犬が現時点でもしくは生涯にわたり必要なことが優先的に行われています。

犬がするこの横跳びジャンプも単に遊ぼうと誘っているわけではありません。

犬の人に対する行動は対する人が上手く返していかなければコミュニケーションは独特のものになってしまいます。

例えば犬が人の前で横跳びをしたときにおやつを与えることを繰り返せば、犬は人の前で横跳びをしておやつを引き出すでしょう。

また犬が人の前で横跳びをしたときにボールを持ってきて遊び相手をすれば、犬は人とボール遊びをするために同じように人の前で横跳びをするようになるでしょう。

こうして犬の行動は本来のものから人に対してどのようにするのかという別のコミュニケーションの形に変わっていきます。

ですから犬そのものを理解したければ、犬が横跳びをしたときに対する他の犬はどのようにするのかと観察したり考えたりする方が本来の意味はわかります。


若い犬にありがちはこの横跳びを1歳前後の2頭の犬たちがしていたとします。
ある犬が他の犬の前で横跳びをすると、若い相手の犬もまず同じように横跳びをするでしょう。

相手の横跳びコミュニケーションに応じるという形で陣取り合戦が開始されます。

お互いの陣地を守れることが確認されると、脚を止めて鼻先の臭いを嗅ぎあいます。

それで終わることもあれば、さらに相手の陰部や尻部の臭いをとることでより相手のことを知ろうとします。

相手がそれを許さなければそれまででやんわりとお互いに離れていく終了パターンは散歩中にリードがついたまま顔を突き合わせる犬たちによってみられる光景です。

リードがない状態であれば再びジャンプが始まるか、どちらかの犬が逃走を図りそれを他の犬が追い回すのか、コミュニケーションが対立に発展する可能性も十分にあります。

犬が飛び跳ねているときにはいつも遊んでいる、いつも楽しそうにしていると考えるのはあまりにも見方が浅いのではないでしょうか。

犬たちも彼らの中で社会活動を送る機能を備えているけれど、人の作った社会がそれを許さないためギクシャクしたコミュニケーションが続いていると考えると気の毒な気持ちになります。

グッドボーイハートのブログでは何度も繰り返していいますが、社会関係というのは知らない犬同士をただ合わせる形で成り立つものではありません。

犬たちの社会生活は今危機的な状態なのですが、気づいて改善&改革できることがあれば私たちは協力して実現できることはやっていきたいと思います。

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<ハチミツオポ>山口県で分蜂がはじまったらしいです…。落ち着いて行動しましょうといわれても気持ちが慌てています。

七山で養蜂をはじめるミッションを広めて、もう後戻りができない状態で少しずつ進んできました。

養蜂のために必要な箱は生徒さんに作っていただいたりさらに買い足したりして準備しました。

箱にぬる蜜だの、ミツバチを誘引するための臭いのルアーをちゃんと購入済です。

ダンナくんといっしょに「養蜂をはじめる」DVDを見て事前学習もしました。

養蜂をしている友達のご主人に七山の現場に来ていただき、巣箱を置く場所のアドバイスも受けました。


さあ、あとはハチが入る巣箱を置いて分蜂のこの時期に巣箱を選んでもらえるようにするだけです。

いつ箱を出すのかを今見計らっているところです。

ハチさんが来なかったらどうしようと不安で気持ちがいっぱいのところに「山口県で分蜂がはじまりました。」の第一報が届きました。

分蜂は南の暖かい地区から始まっていきますので、日本での分蜂のはじめの方の分蜂がはじまったというお知らせです。

そのお知らせメールに「みなさん落ち着いて行動しましょう。」と書いてあったのでおかしくなりました。

みんな焦ってしまうのだなと思ったからです。

分蜂といっても、こちらは巣箱を適切な場所において「待つ」しかないのです。

実際に日本ミツバチがそこを家として選んでくれるかどうかは、ハチの気持ち次第なのです。

だからこそ、あの場所で良いのだろうか、もっといい選択肢はなかったのかと最後までもがいてしまうのかもしれません。

養蜂を今からはじめようというわたしたちにとっては全く見えない世界で道すらまだ見えていません。

巣箱を置く場所は決まっているのですが、本当にハチが来てくれるかどうかはわかりません。

今年は不発に終わる可能性も十分にあるのですが、出会いのワクワク感ももちろんあります。

野生動物との出会いはこんなに新鮮なものだったのかと今さらながらに思います。

野生動物と身近に関わりあえることなどめったにありません。

自分のルールとして野生動物には餌付けはしないと決めています。

理由はいろいろとありますが、餌付けはお互いの境界を簡単に超えてしまうものだからです。

日本ミツバチという野生動物とのかかわりがどのようなものになるのかは、実際に養蜂で蜜をいただいてみないと何ともいえません。

だからこそトライしてみたいと思うのです。

日本ミツバチは菜の花が好きだと聞きました。

菜の花は七山にも住吉にもほとんどありませんのでどこかでもらってきたいと思っています。

うちの菜の花持っていっていいよ、という気前の良い方がいらっしゃいましたらぜひお声かけください。

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<クラス>トレッキングクラスで山歩きして飼い主も犬も夜はぐっすり

やっぱり七山は寒いですね~といいながら福岡からも飼い主さんと犬たちが七山に到着されました。

犬語セミナーの前のグループクラスなので今日は少々数が多くなってしまい、犬の落ち着かせコントロールにも力が入ります。

前回参加のときには犬に対して興奮してしまった犬ちゃんも再度のご参加。

この日はとても落ち着いていて「落ち着いてますね」と声をかけられていました。

飼い主さんなりにいろいろと工夫して頑張られた結果だと思います。

いろいろやった結果というのは形に見えるようになるまでわりと時間がかかります。

毎日毎日同じことの繰り返しを努力しながら長い期間継続して、やっと生活のパターンにはまったなと思うあたりから犬が変化してきます。

犬の行動の変化はうそをつきません。

だからそれだけ犬もがんばったのでしょうが、むしろ飼い主さんは相当がんばられたのだと思います。

グループトレッキング初心者の方も数名いて少し緊張されている方もいましたが、そこは山の空気が飲み込んでくれます。

犬との山歩きというのは不思議なもので、なんとなく達成感が生まれるのです。

山を歩くことそのものが人が一生懸命だということが犬にも伝わるからではないかと思っています。

人間が真剣に何かに向き合っているとき、成熟を目指す犬はそれを邪魔したりはしません。

むしろ支えようとしたり手伝おうとしたりそんな気持ちを持っています。

小さな子供さんでも、赤ちゃんの段階ではできませんが小学生ともなると親が大変なときにはそれぞれの形でお手伝いをすることが満足感につながるはずです。

犬もそんなふうに飼い主さんのお役に立つことで満足を得ることができるのです。

日ごろだったら飼い主側は自分が犬のために何かできることはないか、犬を喜ばせたいと考えてしまいがちです。

でもやってもらうだけでは犬は十分な満足を得ることはありません。

慣れない山歩き「今日はよく眠れそう。」といいながら歩いている飼い主さん。

きっとこの夜は犬も飼い主も「がんばったね、お疲れ様」といって眠りにつくことができたでしょう。

そんな日が週に1日でもあれば、犬はその一日を待って過ごします。

犬との山歩き人にとっても快適な季節となりました。

すぐに夏が来てしまいますから、その前にお天気の良い日はいっしょに歩きましょう。

休憩場所で円陣を組む犬と飼い主さんです。

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