先日のブログに書いたトレッキング中に出会った山にうずくまるカラスのこと。
<自然のこと>野生動物にもある仲間意識が消えゆく犬たち
このときに鮮明に思い出したことがあります。
ああ、あの時にオポも傷ついたカラスが休んでいたこの杣で一日を過ごしたのだということを思い出ました。
オポが12歳の時のことです。
ある夜にオポが不調の状態となり、嘔吐を繰り返し室内にも戻ってきませんでした。
嘔吐の中には血液もまじり、何か体から出したいものがあるけれど出てこない…そんな状態で土の上に腹をつけて一の字でじっとして動かなくなりました。
そばでじっと様子をうかがっていましたが、明け方4時くらいに寒くなり私は部屋に入っていました。
夜が明け始めるとオポが私のところに来てまっすぐと立って私を見つめつつ体重を少し後ろ脚にかけています。
私がたちあがるとオポも動き出し、山に行くのだとすぐにわかりました。
着の身着のままでまだ冷えの残っていた山に登るオポの後について登りました。
なんども下血しながら息を切らしながら山を登るオポ。
黙ってオポのうしろをついて歩きます。
そしてついた山の杣に伏せるオポ。
やはり腹をしたにして一の字になってじっとしています。
結局夕方までここから動かず…。
夜には家に自力で戻りました。
数日後には食事をとるようになり12歳の波を超えたのです。
あのオポが癒しを求めた場と同じ場で、カラスも癒されていたのだと知って「なぜ同じ場所なの?」と不思議に思いました。
私たちが知らない何かを動物たちは知っているのかもしれません。
本能というものなのでしょうが、本当に自分にとって必要なものなのでしょう。
自分はまだそれを知らないような気がする。
そんなことも知らずに死んでいく人間に飼われている犬たちが幸せになるのだろうかと深く反省します。
とりあえずは日々の果たすべき役目を果たすのみ、その積み重ねが脳の奥にある気づきを目覚めさせてくれると思うしかありません。
その後カラスは姿を消しました。
元気に飛び立ったのか、新たな世界へ旅立ったのか、そんな思いで犬たちと山歩きを続けます。
Author Archives: miyatake
<オポのこと>カラスが休んでいた場所にあの日オポもいた
<自然のこと>野生動物にもある仲間意識が消えゆく犬たち
犬たちとトレッキングクラスで尾歩山を歩いていたときのことです。
木々の上からガアガアとカラスの威嚇する声が聞こえます。
あきらかに「こっちにくるな」という低い鳴き声で数羽が私たちに向かってないています。
動物の死骸とかゴミかなにか餌でも持ち込んでいるのかと思って少し進むと、数m先に木の根元にうずくまるカラスを発見しました。
羽ばたきをぎこちなくして数メートル移動したが、明らかにケガをしている様子でした。
体を休めている傷ついたカラスに近付くなと仲間のカラスから威嚇されたのでした。
ケガをしたカラスが少し脇に移動してくれたので、わたしたちは犬を連れてそのまま山道を通過しました。
犬たちもカラスを追う気配を見せなかったので仲間カラスの襲撃を受けることはありませんでした。
それにしても、野生動物たちの群れの仲間意識の高さには驚かされます。
カラスといえば都会のごみ捨て場ではごみを奪いあっているカラスの姿しか見たことがなく、こんなに仲間意識が高い動物だったのかと感心しました。
自然環境の中では敵が多く、同じ種同士は結託しなければ生き永らえないのでしょう。
またゴミなどの資源を奪いあうよりも、力を合わせて大物を狩ることで食べ物を得ているためより仲間を必要とするのでしょう。
イヌ科動物も人が犬に関与するまでは犬同士が守りあう存在だったのでしょうが、人から餌をもらうようになってからは餌やテリトリーを奪い合うように変化してしまいました。
犬同士が本当に力を合わせるという姿を見ることはなかなかありません。
それでもトレッキングクラスの最中は野生動物に対しての恐怖からかグループ制が少しだけ高まります。
梅雨入りまでカウントダウンですが、梅雨の合間も社会性を育てる機会を山歩きで作っていきましょう。
<日々のこと>懐かしい犬の面影を鮮明に思い出すとき
グッドボーイハート七山に戻ってポストを開けると一枚の封書が入っていました。
16歳で他界した犬ちゃんの飼い主さんからのお手紙でした。
旅立ったその犬ちゃんの姿や動いている映像をはっきりと出しました。
あんなこともあった、こんなこともあった。
それは16年前に講師として勤務していた専門学校でのことでした。
当時、とても真剣に学んでいた生徒たちと共にシェルターワーククラブという活動を始めました。
保護犬を福岡市の動物愛護センターから引き取り、生徒たちが飼育管理して飼い主さんに譲渡しようという活動でした。
賛同の意見もありましたが、多くの反対意見ももらいました。
犬を育てる環境としては決して良くはない。
でもこの目の前にいる学生たちがこの活動を通して学ぶことができるなら、きっとこの学生たちが将来動物の仕事についたときに、多くの動物とその動物に関わる人の助けになるだろう…
そう思うと気持ちを止めることができませんでした。
そしてはじまったシェルターワーククラブの第一号の犬ちゃんを福岡市の動物愛護センターから譲渡して受け入れました。
今は一般の人でも譲渡できる施設の犬たちは当時は譲り受けることすら難しような状態だったのです。
当時を知る人こその語れる話です。
初めての試みにミーティングを繰り返す日々でした。
学生たちは真剣に犬のお世話をしていました。
アルバイトや自分のやりたいことを削って、犬のお世話のためにたくさんの時間を使ってこの活動やこの犬から何かを学ぼうとしている姿勢を受け取ることができました。
そしてついに、その第一号のシェルターワーククラブ卒業犬を家族として迎えていただく日が来ました。
その日からその子が亡くなる日までの長い長い月日を、家族として大切に育ててくださった飼い主さんのお手紙を拝見して、どんなに愛されて育ったのかと感謝の気持ちでいっぱいになりました。
シェルターワーククラブという活動が社会に何かの影響を与えることなどありません。
活動を通して影響を受け、成長することができたのは私を含むクラブ活動で成長した学生たちの方です。
犬との出会いはたくさんのことをわたしたちに教えてくれます。
特に何年経っても鮮明に思い出す犬は私にとって大きな学びであったと思っています。
彼もそんな犬でした。
ビスコ。ありがとう。
もう一つの世界でオポと再会したらよろしく伝えてね。
<犬のこと>犬にリードをつける意味をご存知ですか?
なぜ犬につなぐ引き紐のことをリードというのか?
犬と散歩するときに使う紐(ひも)のことを「リード」と呼ぶのをご存知でしょうか?犬のレッスンのときに「リードをお持ちですか?」と尋ねると、わかる飼い主と分からない飼い主がいます。
「リード???」となったときには
「散歩のときに使う紐ですがお持ちですか?」と言い換えます。
そうすると「あー、あの紐のことですね。」といって本当に紐のようなリードを持ってこられます。
世代によっても分かれるようで、年配の方になるとほとんどの方が引き紐という方が通じます。
なぜ日本では引き紐といわれている犬につける“ひも”が“リード”と言われているのかをご存知でしょうか?
和製英語のリードですが、そもそもはリーシュという英語からきています。
リーシュは紐という意味でリーシュコードというのが正式につなぐ紐という意味です。
リーシュコードがリードと聞き取られてそうなったのかもしれません。
犬のリードは紐以上の意味を持つ
犬の散歩用の紐はリーシュからきていて、海外のペットコーナーでもリードではなくリーシュといわないと通じません。でもリードという言い方はとても都合が良いものです。
リードといえばリーシュよりもリーダーするのリードを想像させてくれます。
犬にリードをつけて歩くというと、紐をつけて歩くという表現よりも、犬をリードしながら歩くのだと意識づけてくれることもできます。
犬に紐をつけて歩くというと、犬の紐をもったまま犬の後ろをついて歩く人の姿を想像してしまいます。
犬にリードをつけて歩くというと、犬の前を人が歩く姿を想像しませんか
この後者の歩き方が犬を落ち着かせることのできる犬の散歩の姿なので、積極的に犬のリードという言葉を使っていただきたいと思います。
散歩のときに犬にリードをつける意味
散歩のときに犬にリードをつけて歩くのは犬が逃げてしまうのを防止するためではありません。犬と安全に散歩という社会的な活動を行うために、犬をリードしながら散歩をするための道具が犬のリードです。
犬が安心して安全に飼い主といっしょに散歩に行くというのは犬にとって大切な活動です。
犬を安心させるためにリードが必要であり、そのことで結果として犬と人は安全に散歩をすることができます。
特に都会の散歩となると刺激の多い空間を縫うように歩いていかなければいけないこともあります。
危険な横断歩道を渡ったり、自転車がわきを通行したり、車も人の横を通ることもあります。
急に猫が飛び出してきたり、子どもが走ってきたり、他の犬とすれ違ったりと、犬にとっては興奮する出来事がたくさんおきます。
犬がリードを通して人の動きを知り、人に沿うように歩くようになれば犬にリードの意味を伝えることに成功しています。
でも犬がリードに反発したり、リードをひっぱったり、リードを噛んだり、地面に寝転がったり、後ずさったりするような行動をするときには、犬はリードを持っている人に従うことに抵抗を示しています。
人はこの姿を見て「リードという紐」が嫌なのだと誤解します。
真実は違います。
犬が嫌がっているのは「リードを持っている人に従う」ことなのです。
犬はなぜリードを持っている人に従わないのか
なぜ犬はリードを持っている自分に対して従ってくれないのだろうか。犬が悪いのでしょうか?
いえ犬は決して悪くありません。
犬は正直に目の前に起きていることに正しく反応しているだけです。
だから犬に対してカッとなったり怒ったりするのは止めましょう。
飼い主としてもうひとつランクアップすれば、犬は人と共に軽やかにリードをつけて歩いてくれます。
その日が来るのは明後日かもしれないし、一年後かもしれません。
どちらにしても楽しみです。
小手先のごほうびはもう使わずに、飼い主として真剣勝負で挑みましょう。
犬もきっと真剣に向き合ってくれるはずです!
<犬のこと>飼い主にとっていいことでも犬にとっていいことではないとは?
前回のブログで紹介したダンナくんも賞賛したパンク町田さんが言った事をおさらいします。
飼い主にとっていいことでも犬にとっていいことではない。
この言葉ですが犬の飼い主にとってはとても重い言葉なのです。本当にこの言葉を受け取れる方、この言葉の意味のわかる飼い主ってどのくらいいるでしょうか?
例えば、犬のトイレ場所問題についてもこの言葉が当てはまります。
室内のトイレシーツの上で犬に排泄をさせるのは、飼い主にとっていいことではあるが犬にとっていいことではない。
犬の排泄場所問題についてはブログ記事にもいくつか書いていますのでご覧になってください。大切なことなのでリンクを貼っておきます。
関連記事→<犬のこと>とても大切なことなのに見逃してしまう「犬はどこで排泄をするのか」
関連記事→<犬のこと>犬は境界線の上に排泄をする動物です
関連記事→<犬のこと>飼い主さん自家製のペットドアでベランダへ排泄にでるご機嫌なメイちゃん
関連記事→<犬のしつけ方>オスワリやオテができるのにトイレができない犬たち
関連記事→<犬のこと>子犬のトイレのしつけは将来にわたり犬の行動に影響を与えます
関連記事→<犬のしつけ方>犬の社会性に大きな影響を与える犬用のケイジとサークル使いの注意点
こうしてリンクを貼ると結構記事がありました。
ではこれはどうでしょうか?
犬を抱っこすることが飼い主にとってはいいことであっても犬にとっていいことではない
犬を抱っこすることは飼い主にとっていいことであって、犬にとってもいいことであると思っているのなら、すでに犬は犬として生きることを尊重されていません。なぜなら親犬ですら犬を抱っこすることはありません。
親犬は子犬を運ぶときには首元をつかむようにして運びます。
それが犬を大切に扱う親犬の行動です。
自分がいかに強くあなたを守れるべき存在であるかということを子犬に知らしめることが、子犬が親と安心して暮らすことのできる「犬として」の伝え方だからです。
逆に飼い主が犬を抱っこすることで起きる犬にとってのデメリットはいくつも上げることができます。
適当な過去記事がなかったので後日ブログでまとめてみます。
飼い主さんが今やっている行動を説明するときに、直接的に避難しているように感じられて傷つかれることもあると思います。
でも遠回しに言ったとしても伝えたいことは同じなのです。
だったらダイレクトに伝えて私のことを嫌いになっても全く構いません。
それが事実だということを知っていただき、飼い主と犬の関係が改善することで犬が犬として生きる権利を獲得されるのであれば自分はそれが一番大切なことだと思っているからです。
飼い主にとっていいことでも犬にとっていいことではない。
自分が犬にしている行動の中で探してみてください。
パンク町田のテレビ番組で犬のこと見たんです。
パンク町田さんがテレビで犬の調教
家庭訪問トレーニングの帰り間際に飼い主さんが「パンク町田の番組で首輪のことを…」と語りはじめて「ああ、あのことか」と昨日のダンナくんとの会話を思い出しました。
パンク町田さんとは動物行動学の専門家兼タレントさんらしく、地上波のテレビ番組をほとんど見ることのない私は一度もパンクさんを見たことがありません。※詳しく知らずにすみません。
私のように知らない方のために説明すると、パンク町田さんはオオカミやトラや鷲なども調教するほどの動物に通じている方らしいです。
そのパンク町田さんがかみつきのあるプードルを調教するというテレビ番組が放送されました。
犬に関する地上波テレビ番組を見ると怒りが出るので見ないようにしていますが、録画した番組を「見たくない」という私の前で一から十までダンナくんが説明を始めました。
プードルは飼い主に噛みつくようになっており、その噛みつき矯正するためにやったことが散歩の練習だったらしいのです。
パンク町田の犬の散歩で訴えたこと
パンク町田さんはその噛みつくプードルの散歩で、首輪をつけて歩くことと、飼い主の前ではなく横を歩かせるようにというルールを教えたらしいのです。
ダンナくんがいうには、いつも私が言っていることと同じことだったから、パンク町田は案外、犬のことが分かっているのだろうなと感心したというのです。
翌日生徒さんからも、こういわれました。
「先日、トレーニングのときに首輪をつけられるようにならないといけないとおっしゃったじゃないですか…。
パンク町田がかみつくプードルに、首輪で歩けるようにならないといけないといっていて…先生も同じことを言われたいたなと思ってびっくりしました。」
私はパンク町田さんと私が犬について共通の理解をしているかどうか全くわかりません。
ただ、散歩のルールとしてパンク町田が訴えた以下の二つのルールは絶対です。
1 首輪をつけて散歩に行けるようになること。
ただし子犬のときはハーネスで十分です。
生後1才くらいまでに首輪で行けるようになると良いです。
2 散歩のときは人の横を歩けるように、人の前を歩いてはいけない。
これは小さいころから教えたいことですが、できるようになるのは数ヶ月たってからでしょう。
むしろ生後6ケ月くらいまではできていても、その後再びできなくなってしまうので再度教える必要があります。
パンク町田さんは矯正の首輪を使ったようですが、テレビのように短時間でさせる場合には致し方ないでしょうか。
時間をかけるのであれば矯正首輪は必要ありません。
犬にとっていいことと飼い主にとっていいことは違う
さらにダンナくんは熱く語りました。
「パンクがいったんだよ。飼い主のあなたがやっていることはあなたにとっていいことであって犬にとっていいことではないって…。
あいつ結構わかっとるんやなと思ってビックリした。」
パンク町田さんに対して上から目線のダンナくんもどうなんだろうと思いますが、常日頃から私の弟子として犬の世話をしていればそうなるのも仕方ありません。
本当にパンク町田さんの言うとおりです。
犬を抱っこして甘やかす行為は、飼い主がやりたいことであって、犬にとっていいことではないのです。
飼い主が犬を甘やかす行為はむしろ犬にとってデメリットでしかありません。
不安定な飼い主の育て方によって犬は「噛む犬」になってしまうのです。
犬のしつけも新しい時代に入るのか
パンク町田さんのような主張は、少し前の時代には通用しませんでした。
犬の首輪をつけて人の横を歩かせるのが犬にとっていいことなのだと言い切れる人ってなかなかいなかったのです。
以前なら犬がかわいそう、犬が喜んでいないと、たくさんのクレームが来たかもしれせん。
でも社会が変わり始めているようです。
パンク町田さんのように正直に真正面から向かっていく人がテレビ番組に登場できるようになったこともひとつの流れとしては歓迎します。
そこでみなさんに質問です。
なぜ犬にハーネスではなく首輪をつけて歩けるようにならなければいけないのでしょうか?
この質問に答えられる人は、犬のことがかなりわかっています。
グッドボーイハートの生徒さんは最先端を行くから、きっと答えていただけると期待しています。
このブログ記事をご覧いただく方へ。
いつもブログをご覧いただきありがとうございます。
いろいろな犬のしつけ、犬のトレーニングについての記事の中でこのブログを共感して読んで下さる方がいるというだけで勇気をもらっています。
・このブログ記事の特徴
1 グッドボーイハートの生徒のための資料
このブログ記事の多くは、グッドボーイハートで学んでいる飼い主さん、グッドボーイハートで学ばれた飼い主さん向けに書いています。
2 このブログに書いていること
犬の習性や行動について
犬のしつけ方について
犬と人の関係性について
犬の生活に必要なもの
犬育てに役立つ本などの情報源
犬と自然の関わり
犬の治癒力
3 このブログに書いていないこと
犬の問題行動に関する対処法
犬をペット化すること
これらがグッドボーイハートのブログ記事の中身です。
・まだグッドボーイハートで学んだことのない方へ
少しブログ記事の内容がよくわかりにくいかもしれませんが、むしろチャンスです。
ブログの記事がよく分からないけど「気になる」と思ったらそのときはぜひ、グッドボーイハートという犬の学校の扉をたたいて下さい。
カウンセリングを一度受講していただければ、あなたの犬に対する見方が変わるでしょう。
・犬のプロフェッショナルもしくは勉強中の方へ
ブログを通して犬のことを共に学べる機会を持てるならとても光栄です。
ぜひ犬についての理解を深めるために交流しましょう。
グッドボーイハートのブログはSEO対策などあまりしていません。
福岡、ドッグスクールで検索してもほとんど出てくることはありません。
犬の行動学、犬の分離不安、パーソナルスペース、犬のパニック症、
犬との山登りなど、みなさん特殊な言葉で検索してグッドボーイハートにたどり着かれたと思います。
貴重な出会いだからこそ大切にしていきます。
グッドボーイハートはとても大きな犬の学校であったことがありました。
先日も古い(すみません…)生徒さんと、懐かしい時代のことを思い出しました。
数十頭をつれて大濠公園を散歩していたドッグスクールで、かなり目を引く存在でした。
当時はおひとりおひとりと関わる時間が少なくて自分もフラストレーションを抱えていました。
なんとなく伝わった気がするけど芯から伝わっていない気がする。
今は生徒さんと一対一の関わりを大切にしていくように時間を十分に使いたいと思っています。
奇跡的に出会ったグッドボーイハートと飼い主さん、そして犬。
グッドボーイハートは特別な犬の学校であることを自負しております。
それは自己自慢でなくたくさんの飼い主と犬に育ててもらったドッグスクールだからです。
これからも学びます。
犬と共に、飼い主と共に。
<クラスのこと>お散歩練習は最も大切な社会化トレーニング
九州南部では梅雨入りのお知らせをうけ、福岡でも梅雨を迎えるまえに早くやりたいトレーニングがあります。
それは犬の散歩トレーニングです。
日中のどの時間帯でも犬の散歩に出ることができるこの季節は本当に助かります。
梅雨から夏にかけては早朝か夜にしか散歩に出ることができなくなります。
家庭訪問のレッスンでの散歩トレーニングもできるだけ散歩に対応できる時間帯に伺っています。
でもこの季節なら、飼い主さんもなんどでも散歩に出ることができますから、練習回数を増やすことも可能です。
犬に散歩が必要なのかということを今さら議論する必要性もないでしょう。
ところが犬を散歩に連れて行っていない飼い主がまだまだ多いのは驚くべきことです。
犬に散歩をさせずにどうやって犬に社会的な活動を教えることができるのでしょうか。
散歩は犬にとっても最も大切な家族で行う社会活動なのです。
散歩を通して犬は自分が社会に所属していることを知ることができます。
社会とは家族のこと、犬にとっては群れのことです。
犬はどの群れに自分が入っているかをまず知る必要があります。
それが犬として生きていく上でとても重要なことなのです。
人に置き換えて説明しましょう。
私たちが学生であったら、○○家という家族の中の一員です。
親や兄弟と共に家族の一員として生活をしています。
○○家に所属していることは、成長して他の社会の中に入ったときに気づきます。
お家でAちゃんと呼ばれていたのが、社会ではSさんと呼ばれるようになるからです。
SさんはS家の一員ですが、日常的には家族で行動することがありません。
SさんがS家の一員であることをもっと強めるためには、家族で活動する必要があります。
都会では家族がいっしょに活動する機会が少なくなり、日々の食事の時間や休日のお出かけや旅行に限られてきました。
それでも家族の時間というのはとても大切なのです。
犬の場合にはこれがもっと大切です。
人のように週末だけ車にのってドッグランに出かけて行ったとしても、犬は自分がどの群れにいるのかを知りません。
犬が社会的な活動をするのは、自分の住処とその周辺なのです。
自分の足で歩いていけるところ、そのテリトリーこそ犬にとって最も大切な社会活動の場なのです。
犬に散歩トレーニングの練習をはじめて、毎日飼い主さんときちんとした形で散歩をすることをやっていただきます。
リードをひっぱったり落ち着かない犬も、飼い主さんがルールを守ってきちんと練習を重ねてくださればちゃんとした散歩ができるようになります。
ところがこの散歩活動には群れの中の主従関係が反映されてしまいます。
お家の中で飼い主よりも強いとか偉いとか、また赤ちゃんのように甘えを許されている犬は、飼い主の後ろに従って歩くことなどを覚えようとはしません。
家の中の飼い主と犬の行動を見ると、散歩中の犬の行動や予測できます。
逆に散歩中の犬の行動を見ると、家庭でどのようにしているのかも大体想像できてしまいます。
犬として生きていくということは、毎日飼い主さんと散歩に出る活動をするということです。
飼い主として犬にすべきことは、毎日きちんとした散歩に連れていくということです。
できているようでできていない散歩をもう一度見直して、犬と本当の関係をつくりましょう。
犬が求めているものは、愛情よりももっと大きな愛。
愛情は一方通行、愛はお互いに大切にしているもの。
犬が一番大切にしているのは群れなのです。
<犬のこと>夢見る老犬くんを横目に変化のための準備作戦を練る
気持ちのいいお天気が続いています。
外出のたびにマスク着用で気分もうっとおしくなりがちです。
マスクをつけて歩いている人々を犬はどのような気持ちで見ているのでしょうか。
見かけからはわからなくても、感情の変化は臭いとなって伝わります。
人々の変化は臭いとなって犬にバレバレなのかもしれません。
そんな犬たちに、少し気分転換する時間をつくるのも良いかと思います。
昨日は老犬くんが七山に遊びに来てくれました。
ゆっくりと年齢を重ねる中では体にもいろんな不具合が起こります。
老いの変化は付き合っていくしかないのは、人も犬も同じことですね。
老犬くんはお庭を少し散策したあとテラスで寝始めました。
風の運んでくるかおり、ウグイスのなき声、とゆっくりと時間がすぎる七山で
少しリラックスしたのか寝言をいって寝ています。
飼い主さんとはこれから起きる環境の変化についての準備の打ち合わせをしました。
犬のトレーニングのクラスを受けるメリットは、すでに起きてしまった問題を解決することだけではありません。
もっと高いメリットは、これから起きる変化を事前に予測して対応できることです。
その変化とは、外側の環境の変化であったり、飼い主の内面の変化であったり、犬の成長の変化であったりといろいろあります。
犬は、というか動物そのものは変化に対して敏感です。
良い方向に変化するのであっても、変えることには抵抗が起こります。
犬が変化に抵抗したり、適応せずにストレスを感じる行動を起こしたときに、どのように対応すればよいのかを事前に準備するのも犬のトレーニングクラスの目的です。
作戦会議も広々としたノーコロナの七山だと頭の回転もさえてきます。
人生にはいろんな変化がある、だとしたら楽しめるものは楽しむしかありません。
老犬くんは寝起きの顔で帰っていきました。
犬の老いを喜ぶことはなかなか難しいですが、年をとったな長生きしてくれてありがとうという気持ちは伝わると思います。
<犬のこと>犬には悪気はない問題行動だからややこしい
先日ある本を読んでいてこのブログ記事の題目を思いつきました。
その本というのは池谷さんという薬学博士の書いた古い本です。
脳の仕組みは動物の行動に影響を与えるので、気楽に読める本は常に手元に置いています。
優しい言葉で書いてるのですが内容は自分などにとってはかなり難しいもの、それでも日常生活に当てはめてある説明には興味を惹かれます。
池谷博士というと脳の海馬の研究者として有名だということはご存知の方もいらっしゃるでしょう。
その池谷氏の本にあった行動のしくみ。
その行動は無意識にしているのか意識していしているのかということです。
その犬の行動が無意識なのか意識的なのかを考えたことがあるでしょうか。
犬に意識などあるのかといのうがはじめの反論になりそうですが、意識的行動、無意識行動は脳内からくる行動です。
犬と人では脳の構造は違いますが、犬にも脳がある、であれば犬にも意識はある、ということは犬にも無意識の行動があるということです。
ここではその前提で話を進めます。
本の文書中ででききた日常的な人の無意識行動の例は「箸を使うこと」でした。
箸を持つときに筋肉の動きを考える人はいない、
でも箸は生まれたときから持てたのではない。
箸を使うことを小さいときに覚えてそれを繰り返し毎日何度も練習するうちに箸が使えるようになり、その後無意識で箸を使うようになったのです。
だからそのことに集中しなくてもその行動をしてしまいます。
そのような無意識行動は、実はつねに犬の中に起きています。
何かをきっかけに始まった行動で犬が同じ行動を毎日何度も積み重ねるようにしていくと、その行動そのものが無意識的に始まります。
犬が意識的に行動を起こしていることを改善したり修正したりすることはさほど難しいことではありません。
むしろ犬の行動改善において難しいのは、この無意識的行動の方です。
しかも無意識的行動は、脳の奥深くとつながっていると考えてください。
箸を使う行動のように、学習によって得られた無意識行動ですら脳の機能の中で成り立っています。
箸を使う行動はその行動の結果食べ物を口にするのですから、人にとっては報酬と結びついていきます。
無意識の行動の連続で食べ物が自分の口に入ってくる。
犬にも同じようなことが起きています。
犬がある行動をしたときに何かの報酬を得ると、報酬脳が刺激されます。
そうすると再び同じ行動が起きる、これを繰り返すと次に行動が起きるときには犬の方で「これをやろう」という意志はほとんどないのです。
どのような行動がこれに当てはまるかというと、犬が日常的に繰り替えす行動に焦点を当ててみるといいでしょう。
ボールを追う
自分の脚先をなめる
床をなめる
家具をかじる
排尿をする
こうした小さな行動が繰り返されるときには、行動のきっかけには理由はなく、ただ無意識的に報酬を求める行動が起きているということになります。
犬には悪気はない、だからこそ「これはダメなことなのだ」と道徳観に訴えても労力の無駄ということです。
人側の強い反発が有効なのは、その行動を起こした数回以内に限ります。
だからこそ犬のしつけは子犬のうちからがいいのです。
犬が無意識な行動を繰り返すことは、ただ経験を重ねる経験学習をしていることになるからです。
それは人にとって良いことでないことの方が多いし、同時に犬にとっても利益のないことがほとんどです。
動物の脳は自分を破壊するためにあるのではない。
犬の脳は自分を壊すためにあるのではないはずなのですが、犬にはストレス行動が多い。
無意識の世界は本当に奥深くからやってきますので図りようもありませんが、飼い主としてできることは犬が出す行動はすべてシグナルとして受け取り、適切な手伝いをするべきだということです。
やることがたくさんありすぎで飼い主としては混乱するかもしれません。
しかしむしろその方が、本当に犬に向き合っていると言えます。
答えが簡単に出るわけはないのです。
だから犬と関わるというのはどこまでいっても面白いのだと私は思います。