ブログの更新がなかなか進みません。
毎日のレッスンで膨大な量の情報を私の中で整理する時間が必要となっていること。
今年は取り戻したい読書時間のための読みたい本が山積みになっていること。
庭の野菜の成長の進退に一喜一憂していること。
移動に莫大な時間と労力を使っていること。
こんなことはグッドボーイハートが始まってからずっと毎年続いていることなのに進まない理由はおそらく自分の処理能力が遅くなっているのだと思います。
それから世の中が混乱と共に犬もかなり混乱していると感じています。
迷ったときは自然の進化に戻ること、犬との山歩きの時間は人と犬の関係を築く進化のひとときをおさらいさせてくれる時間です。
今日も多忙な時間を割いてトレッキングクラスを希望された生徒さんたちといっしょに福岡で気軽に登れる山道を犬と共に歩きました。
平日で人もおらずトレッキングになれている犬たちばかりだったので、お互いに距離を近めながら歩くことができました。
階段も多く七山クラスほど時間もさけなかったのですが、それでもやっぱり「気持ちがいい」と感じる時間でした。
犬たちもそれぞれに山の空気を吸い込んでいる様子。
そして大切なのはグループで結束して歩く時間が持てたことです。
グッドボーイハートで学ばれている飼い主さんたちは、安全な犬との登山の仕方を身に着けています。
単独での山歩きはよくいかれているのですが、犬と犬がそろって群れなって歩くという時間は、犬の進化の記憶を呼び起こしてくれます。
といっても、スクールに入ってすぐに山歩きを練習するわけではありません。
山に入る前に家庭の飼育環境という基盤を安定させる訪問レッスンが最初は欠かせません。
犬はファンタジーの道具にされつつありますが、犬はとても現実的な動物なのです。
今こそ犬と何をするのか、何ができるのか、どのように共に生きていくのか、じっくりと考えていきたいものです。
Author Archives: miyatake
今日もまたトレッキングクラスを開催しました。
環境で変わる犬の習性:グループレッスンではおとなしい犬が家庭で吠えるのはなぜ?
家庭訪問レッスンを続けている理由のひとつが「犬の普段の行動が見れるから」です。
来客が来た時の行動、飼い主さんに対する何気ない行動など日常的に犬がしている行動を見ることが犬のことを理解することに直結しています。
訪問レッスンのときに私という来客に対して吠える犬も、学校という私のテリトリーに入ってきたときには吠えません。
来客に対する吠えの理由にもいろいろとありますが、この犬の場合は「自分のテリトリーの中で吠える」という行動のパターンになっているのでこのような状態になります。
例えばですが、スクールに連れてきてもらって他の犬と対面させても吠えない犬も、同じ犬がもし自分の家の周りをうろついていたら吠えるでしょう。
テリトリーの中で吠える行動が身についていて、飼い主が犬の管理者になりきれていない環境の中では、つじつまうのあう行動です。
飼い主さんにしてみると「グループレッスンのときにあんなにおとなしいのに、家の中や散歩中に人や犬に吠えるのはなぜですか?」という疑問が生じます。
犬の飼い主という立場ではよく擬人化が進むので「スクールではおりこうなふりをしている」とか「内弁慶」という言葉で納得できるでしょう。
もうすこし動物らしく語るなら「環境に応じて行動を変える」これが普通です。
むしろ、環境に応じて行動を変えることができるなら、変化の可能性が十分にありますよ、という良いお知らせなのです。
行動の定着化は恐ろしく、環境が変わっても行動が変化しないようになってしまうことがあります。
こうなるとトレーニングや行動修正には困難を極めます。
グループレッスンやお預かりクラスではおとなしく、家庭に変えると吠えてしまうのなら、まだ家庭の中には不安は興奮の要素がたくさんあるということです。
家庭訪問レッスンのときには私の前で犬に対して自制のできる飼い主たちも、犬が飼い主にとびつく姿を見れば普段どのような生活を送っているのか想像できます。
犬は人よりもずっと正直で、むしろ正直に環境に対して反応をしているだけなのです。
コロナ禍で広がる不安定な空気が犬に与える影響について
いったんは収まったかと思った流行りのウイルス感染がまた広がりつつあるというニュースを受けて、人々の生活は現実的に不安定になったり、または精神的に閉じこもりがちになったりする時代。
こんな時代に犬に癒しを求めて「犬との生活」を始めた方もきっと多いことと思います。
犬との暮らしを通して犬という動物のすばらしさに気づいて下さる方々がこれから増えてくるのだろうという期待もある反面、犬のことが理解されずに犬そのものが傷ついてしまうのではないかという不安も抱えています。
この不安をあおるひとつの理由は、時代の流れの速さが、犬との暮らしや犬に対する価値観が変化することにも影響をしていると感じるからです。
平成元年くらいの時代には、まだ犬を集合住宅で飼うという価値観すら人によってはどうかなという時代でした。
ところが令和の今になると、もはやそれは選択肢としては当然のことで、今は何頭なら飼育しても問題ないのかという数の問題になっています。
他にも、犬を飼う目的が「だっこしたいから」といっても今では当然の目的であることも、ひと世代前の飼い主さんなら「自分が抱くために犬を飼うなど考えたことがない。」と言われるでしょう。
犬は人にあまりにも近い動物で、人の生活や価値観によって犬である自分自身の生き方も変わってしまうくらいなのです。
そのうちに、犬に散歩などかわいそう、犬に服を着せないのはかわいそう、犬にはおむつが当然必要、犬は抱っこして歩くもの、犬は毎日シャンプーをすることが必要などと、今は自分の中ではありえない価値観が、多数の当然の価値観になっていく可能性も十分にあると考えます。
新型コロナウイルスという生き物の登場ですごい速さで時代が流れていく中で、犬という動物の扱い方が変化することを止めることはできませんが、失われそうな動物に対するモラルをもう一度取り戻していただき、冷静かつ慎重に犬を動物としてみる眼を忘れないでほしいと願います。
残された方法はひとつしかありません。
犬が本来暮らしていた山という場所で犬が落ち着いて過ごす姿を自分の目で確かめて下さい。
犬は動物なのだと、犬は山に生きた生き物だったのだということを思い出していただくだけで十分です。
今日、七山に到着しました。
お預かりの犬ちゃんと明日から、自然との時間楽しみます。
犬の他の犬に対する社会性について:ルールのない社会的な接触は対立につながることもある
同じ欲求を犬も持っていると思うからこそ、犬が動いている、走っている、飛び上がっている姿を見ると「犬が走って喜んでいる」と単純に見てしまうようです。
犬が人に飛びついていくのを見て、楽しそう喜んでいるのは本当に犬が楽しいからだろうか?
もう一度「犬の行動について」考えてみましょう。
●人が活動することの本来の楽しみを考える
人は自分が健康であれば、体を動かして作業や活動や運動をすることを楽しめる動物です。体を動かすことが困難になってくる初老の始まりでさえ、自分のできる範囲で活動をしたいという欲求を持ちます。
先日訪問クラスの際に、犬の状態を説明するにあたりスポーツを例に挙げて話ました。
「何かスポーツをしたことはありますか?」
その生徒さんは学生時代に卓球部にいたということで話が盛り上がりました。
実は私も中学生のときに卓球部に所属しており、毎日卓球をして帰宅するのが日課だったからです。
スポーツを通して活動をすること、スポーツを通して戦うことは、自分をかなり刺激します。
「できないことができるようになる」という身体の変化に加え、試合に臨むという闘争心、仲間と競うという競争心も含めて、心身共に自分がより良い方向へ進化することを感じられるからではないかと考えます。
●スポーツは活動性を高める以上に規則性を学ぶ機会になる
しかし、スポーツという活動はただ活動して興奮するための機会ではありません。
戦って攻撃性を引き出すための活動でもなく、むしろ攻撃性を上手にコントロールする機会を持つこと、体の機能を高めることで余裕をもって行動できるようになることを身に着けることができます。
最も大切なことは、規則性を身に着けることができるというのが一番の自分にとっての利益になります。
規則性といってもいろいろとあります。
競技を行う上で自分の中に課される規則
団体行動の中で自分の中に課される規則
規則を守ることができるから成り立つ攻撃性、それが安心できる活動です。
活動を通してワクワクしていくことができたのは、あくまで安心できる社会的なグループの中に入っていることが前提なのです。
そのため、部活などでいったんこのルールが崩れてしまうと、攻撃性に襲われるような気持ちになり自死に追い込まれることになるのでないでしょうか。
●犬は「社会的な動物」だからこそ、社会的に傷つくこともある
話を犬のことに戻します。犬も人と同じように「社会性の高い」動物です。
みなさんがそう思っているからこそ、自分の犬を他の犬や人と関わらせようとしているのです。
もし自分が飼育している動物が「ニシキヘビ」だったとしたら、同じ蛇同志だからといって突き合わせたり、来客になでてもらいたいなどと思うこともないでしょう。
みなさんと暮らしてる犬は、社会とのかかわりを楽しめる犬だということは間違いないのですが、同時に社会とのかかわりによって傷つき精神的に追い込まれることもある、逆の状態になってしまうこともあるのだという見方も必要なのです。
●ルールのない犬の社会的活動は興奮行動や社会的な対立になる
犬が他の犬は人と社会的な関わりを持とうとする動物だということは間違いないのですが同時に関わることでストレスもかかえてしまうということをまず理解する必要があります。特に犬と犬の場合には、犬の習性をいう遺伝子情報に組み込まれた規則があります。
それはまさに犬の世界に規律ともいえるものです。
この規則にのっとって、犬たちは関わりを持つ、関わりを拒否する、攻撃する、逃走する、闘争するなどの他の犬に対する行動を決めています。
規則があればまだよいのですが、無法地帯の中では混乱を生じるいわゆる「パニック」という状態になってしまうこともあります。
冒頭の、走り回る犬、飛び上がる犬の多くはこの「パニック」状態に陥っていることが非常に多く見られます。
それは、決して人が活動を通して楽しいと感じている状態ではないのです。
ルールのない無法地帯が生む「パニック」を表現する行動、それが犬の走り回り行動や飛び上がり行動につながっていると考えてみてください。
楽しんでいると思った犬が、パニックを起こしているなど真逆に考えることはなかなか難しいことだとは思いますが、冷静にそう考えると他の行動にも辻褄があいます。
たくさんのことをブログでお伝えしたいのですが、なかなか限界があり難しいこともあります。
みなさんの疑問に集中してお答えするには直接対面するクラスを受講していただくことしかその機会がありません。
社会状況からして犬語セミナーの開催は少しあとになりそうです。
犬のことにもっと疑問を持って行動を科学的に分析するチャンスをたくさんの飼い主さんに持っていただくためのプライベートクラスを、できる範囲内では開催しています。
たくさんの本、たくさんのユーチューブの動画、SNSのイイねの写真に惑わされず自分で考える時間をもってください。
犬とのすばらしい時間が、皆さんの人生の中で最高!の時間になることを願っています。
犬の問題行動が良くなるどうかは、やっぱり飼い主さんに主導権があった方がいい。
犬の吠える、かみつく、無駄吠え、興奮、留守番できないなどの困った行動に関するお問い合わせを受けるときに、数回に一度くらいは「本当に治るんでしょうか?」と尋ねられることがあります。
飼い主さんが何を「治したい」と思っているのかどうか、私の考えとズレていなければ、犬の脳に特別な障害がなければ、その行動はおおよそ「改善する可能性がある」とお答えできます。
なぜなら、犬にはそもそも問題行動というのはないのです。
飼い主が問題とする行動のほとんどが犬のストレス性行動とよばれるものです。
犬のストレス性行動とは、犬がストレスを表現する行動ということです。
毎度のことながら「そもそも犬にストレスがあるのか?」と議論する必要はもうなさそうなので、この説明は簡単には以下のとおりです。
犬には脳という機能があって脳がストレスを受ける状態になることは、科学的に証明されています。
犬のストレス行動が起きている要因(主には環境)を改善することで行動に変化を起こさせることを犬のしつけとかドッグトレーニングというのです。
犬を預かって行動を観察すると、みるみるうちにその行動が消えていくのを見ることができます。
中には多少変化に時間のかかることもありますが、それでもより適切な環境の中では犬は変化していきます。
ところが、飼い主が飼育する環境の中での変化は、犬によっては早いこともあり、犬によっては時間のかかることもあり、犬によっては一向に変化を見せない場合もあります。
環境要因のバランスの多くを飼い主が抱えている場合には後者に偏りがちなのです。
なぜなら、飼い主は無意識に犬が不安定になる環境を作っているのですが、そのことに気づくことができず、こちらで把握してアドバイスしたとしても無意識なので変わりにくいものです。
だから表題のとおり「犬の問題行動が良くなるかどうかは飼い主次第」ということなのです。
ですがこれは、飼い主に責任を押し付けるということではありません。
犬のしつけや犬のトレーニングをこれまだたくさん見てきた結果の意見です。
犬はやはり飼い主の主体的な関わりによって改善が起きた方が、飼い主との信頼関係も深まっていくからです。
だから、小難しいことを言ったり、練習を繰り返したり、嫌われてもいいやと思いつつ、飼い主さんにしていただくことが犬のしつけの絶対条件です。
そしてその中で犬の問題行動を解決していく、ということであれば、本当にそうなるかどうかは自分を信じられるかどうかということではないでしょうか?
私はどのような状態の犬でも、いったんは飼い主さんを信じるようにしています。
この人ならできる、この飼い主ならできる、そう思えなければ他人に犬のしつけなど教えることはできません。
あとはみなさん、飼い主としての自分を信じて下さい。
きっと大丈夫、私はこの犬を大切に思っている、愛していく気持ちがある、だったら絶対に大丈夫です。
「自閉症のボクが飛び跳ねる理由」を読んで
犬のことを知りたくて犬以外の動物の行動に関する本を読むことが多いのですが、どうしても人や子供に関する本に手が出てしまいます。
犬という動物と、人という動物の共通点と相違点を探し出したいという関心があること。
犬の行動の中で精神的なバランスを崩したり脳の異常によって起きる行動の仕組みをもっと知りたいということ。
そんなことが人に関する本を読むきっかけになっています。
以前「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」という本を読んだことがあります。
自閉症と診断された男性が書いた本で、他の友達と違う行動をする理由などが行動別にいろいろと書いてあります。
もちろん内容は著者の東田さんを理解するご家族と一緒に書かれたもののようですが、彼らの中には彼らの世界があることを尊重したいという感想を抱いた本でした。
そして何より、東田さんを尊重できる理解者がいることで彼の世界には幸せがやってくるのだと感じたことです。
人間なのですからいつも幸せということではありません。
悲しかったり、苦しかったり、悩んだり、ワクワクしたり、ドキドキしたり、ハッピーになったりといろいろとあることを尊重されているということです。
実は犬の中にも、自閉症の人と同じような行動をする犬がいます。
犬が自閉症なのか?と驚かれるかもしれませんが、実際に室内から出られない、リードにつながれている、外敵に囲まれて行き場がないと感じている犬は閉じ込められた世界にいるのとなんら変わりはないと思います。
犬の中には犬としての自分の世界を生きることが難しくなり閉じこもりがちになる自閉的な行動をする犬もいるのです。
それ自体は大きな問題もないのですが、一番問題となるのはそうした自閉傾向のある犬に対する理解者がいないことなのです。
犬の一番の理解者といえば犬の飼い主であるべきです。
しかし、飼い主の方が犬のこうした傾向に気づくことができず、閉じこもろうとする世界の中にたくさんのものを詰め込んでしまうことがあります。
これがあったら幸せになれるよ、こんなこともあるのよ楽しいのよ、と外からどんどんと犬に押し付けていっても、犬は混乱を生じるだけなのです。
犬が閉じこもりたいと思うならその世界を尊重し、同時に少しでも世界を広げてもいいなと思えるような環境を整えて、一緒に楽しめるときにはその時間を楽しむ。
あくまで犬を尊重することが、どんな犬にも大切なことなのです。
実はこの書籍が映画化されていたことをつい最近知り、思いついてブログ記事にしました。
春雨の中のトレッキングクラスで見た犬たちの表情
3月のグループトレッキングクラスはあいにくの春雨の中のトレッキングとなりました。
山に入れば多少の雨なら気にならないからと、上級者の方はいつも小雨決行のトレッキングには参加していただけるのでうれしい限りです。
雨天を避けたくて少し時間を移動させてのスタートでしたが、歩き始めは雨が降りやまずに山歩きがスタートしました。
こういう時に犬の被毛の質の機能性が発揮されると犬は体温保持も楽なのですが、飾り毛の多い小さな犬たちは飼い主さんの足元でうまく雨宿りをしながらしっかりと山を歩きました。
春雨なので寒さは感じられませんが、普段は室内で濡れた犬をあまり見たことがない飼い主さんなら心配ばかりかもしれません。
私の方はむしろ心配よりも見とれる風景がありました。
うっすらと濡れる犬の体の水の光が単純にきれいだなと思ってしまい、雨でも顔を落とさずに歩く犬の姿を見て、さすがに犬だな強いなと感じたのです。
多少の風には胸を張り、多少の雨には頭を上げる、これが犬という動物です。
飾り毛でもしっかりと体を守ってくれる程度の純血種の改良ならまだ大丈夫です。
毛の作りが柔らかくなりすぎで水をはじくこともできないようになっているなら、もう少し屋外で被毛を鍛えていった方が良いかもしれません。
犬は屋外で活動できてこその動物です。
室内でかわいがられるためにだけ生まれてきたわけではないのです。
犬たちの大切な幸せな時間をいっしょに実現させるための犬との山歩きクラス。
来月は最後の日曜日に開催を予定しています。
ご希望の方は早めにご連絡下さい!
自分の家族を守るのは犬の大切な仕事だということを犬が思い出すとき。
生徒さんから連絡があった「犬のうれしい行動」?
先日ある生徒さんから「うれしいことがあった」とラインが入りました。
その飼い主さんの「うれしいこと」とは、犬の思わぬ行動でした。
自分の犬とよく一緒に遊びに来る知人の犬が自宅の庭でそれぞれに関心のある遊びをしていたらしいのです。
ところが、何かのきっかけで知人の犬の方が少し興奮し始めて動きが早くなり、一緒に庭で遊んでいた自宅にいた子供たちに急接近したそうです。
その時に、自分の犬が子供の前に立ちはだかり、知人の犬の前に前足を軽く下げるお辞儀のポーズの行動をとって相手の犬を退けたということでした。
自分の子供を犬が他の犬から守ってくれたと感じた彼女は、そのことに大感激したということでした。
犬は子供を守るのか?
犬が子供を守るような行動をしたのを見たことがあるでしょうか?犬の行動の読み方には人の気持ちが入りやすく、何があっても「わたしたちのために」と思ってしまいがちです。
犬の行動の全てが人のことを思って…というわけではないので冷静に観察する必要があります。
しかし実際のところ、犬は子供を守ることはよく見られる行動です。
あのコンラート・ローレンツの「人、イヌにあう」の書籍の中にもローレンツ博士の子供を犬たちが守るような行動をすることが記されています。
犬にとっては子供は群れの中の大切な宝。
犬が子犬を守るように子供を守る行動をとることは、起こりうることであるし本来なら
あるべき姿なのです。
犬が子供を守らないこともあることを知ろう。
犬が子供を世話する動画は人にとっては安らぎをもたらすために、動画配信でもたくさん見られるようです。それをみて自分の犬も子供が大好きだからと放置していると、犬によっては子供を排除しようしたり、攻撃したりするケースもたくさんあります。
でも、すべての犬が飼い主の子供を守るわけではありません。
多くの犬は子供にかみつく事故を起こしますし、簡単に犬と子供を一緒の場所においておくことはおすすめしません。
自分の犬に何ができて何ができないのかをしっかりと知っておくこともまた飼い主の責任です。
犬が読んだらどこからでも戻ってくるのか、他人に対して攻撃性を示さないのかなど、犬を理解していないことでトラブルは発生しています。
子供を守る犬はどのような犬か?
最初にご紹介した生徒さんが言うには「この犬は子供を守るような犬になるよって、先生がはじめに言われたことだったんです。」ということでした。そんなことを言ったような気もするし、ただ間違いなくその犬ちゃんは、群れ意識が高くきちんとした関係を築いていくことができれば、弱い子供を守る行動をするようなタイプの犬だと感じていました。
だからこそ、表面的な付き合いではなく、真剣に向き合うことを飼い主さんにお願いしたことを覚えています。
犬が飼い主と問題なく暮らす、飼い主の側が楽しく暮らすことはそれほど難しいことではありません。
ただ犬が人という動物とひとつの群れとして結束して行動したり生活したりすることは、現代の日本という環境の中で、私たちの今の生活スタイルの中では非常に難しいといわざるをえません。
そんな状況の中で、この犬ちゃんがそうした行動を見せてくれたことを私も心からうれしくなりました。
犬は考えて行動しているのではないのです。
犬は子供を守る行動をした瞬間には、考えずに勝手に体が反応してしまっただけなのです。
これをしたらほめられるだろうなとか、ご褒美がもらえるだろうとか、逆にしなかったら叱られるかもしれないとか、罰を受けるかもしれないということを犬に考えさせること事態が、犬を苦しめてしまいます。
犬は瞬発的に反応しましたが、決して衝動的ではありません。
この素晴らしい犬という動物の一面をみたエピソード、飼い主の心には永遠に残るのだと思います。
目指した人だけがたどり着ける人と犬のつながりです。
コロナと共に広がった犬の分離不安を性格や病気にせず犬の言葉を聞いてください。
認知されはじめた犬の分離不安
前回のYou Tube配信も含むSNSの普及によって認知されてきた言葉があります。「犬の分離不安」です。
最近は「分離不安とはこのような状態で…」と話をすると
「あー、分離不安ですね。」と受け取りも早くなってきました。
犬の分離不安傾向やその行動についてご存じのない方のために簡単に説明します。
犬の分離不安とは、犬が一頭になるときや飼い主が犬から離れたときなどに落ち着きをなくしたり興奮したり怯えたりするような行動をする状態のことをいいます。
※犬の分離不安についてさらに詳しく知りたい方は、ブログ記事検索で「分離不安」と検索して他の記事もご覧ください。
犬の分離不安という性格はない
ところが、言葉は認知されはじめといっても「犬の分離不安」が正しく広がっているかというとそうではないようです。どんなことも一度に広がるときは、言葉だけがひろがりその意味は曖昧に伝わってしまうということがよくありますので今はそのときなのかもしれません。
曖昧に伝わってしまったことの一つは、分離不安を犬の性格だと勘違いされていることです。
犬には「分離不安」という性格(性質)はありません。
分離不安は犬が飼育された環境によって作られた精神的な状態のことです。
もともとは児童心理学の言葉ですから「犬が不安を抱える」という言い方もどうかと思いますが、ここは伝わりやすさ前提で私もこの言葉を使っています。
分離不安という精神的な状態が犬の行動になって表れたときに「分離不安傾向の行動」となります。
犬の分離不安行動を作っているのは犬の飼育環境と飼い主である
これはあまりにもストレートな書き方かとも思いますが、伝わらなければ意味がないので直球で書きます。犬の分離不安行動を作っているのは、犬の飼育環境や飼い主の犬に対する接し方そのものです。
どのような接し方が犬を分離不安に向けさせるのか、ブログ記事にもいろいろと書きましたので参考にしてください。
ここでは簡単にいうと「犬に触りたい」「犬を触ると気持ちが落ち着く」飼い主さんにはこの傾向がかなり高く、コロナ禍で分離不安犬は増大していることは確実だと思います。
分離不安は犬の性格ではなく、犬をとりまく飼い主を含む飼育環境にあると仮定するなら、犬の分離不安は環境を変化させれば解決するということになります。
これまでも実際に何頭もの分離不安行動の傾向がみられた犬について、改善が見られたケースがあります。
飼い主に飼育環境や接し方を改善してもらい、犬の分離不安行動が減少もしくは消滅した例。
飼い主側では難しかったが、預かりによって環境を変化させた結果、犬の分離不安行動が減少もしくは消滅した例。
これらのケースをいくつも見てきましたので、分離不安行動は環境改善でその多くは解決できるはずですが、そうならないこともあります。
なぜなら、環境の変化といっても飼い主がどの程度変化することができるのかという壁が一番大きいからです。
また、過去に飼い主から受けた精神的な状態が強く犬に根付いてしまった場合には、表面的な接し方の変化くらいでは犬の過去学習を消すことができません。
犬は学習する動物ですが、生命の危機に接するなどいわゆるトラウム的な学習については動物であるが故に書き換えることにはパワーが必要です。
犬の現代病となりつつある分離不安はこれからどうなる?
犬の分離不安は他の状態と同じく行動(症状)の度合い応じてその深刻さが図られます。犬の行動の深刻さや犬の幼少期からの飼育環境の作り方などがそのレベルを決めています。
より強い分離不安は飼い主の環境だけで改善しようと思ってもうまくいないのですが、過去の例では預かりをすると非常に短時間に変化がみられることがあり、犬自身は正常な状態に自分を戻そうとしているのではないかと感じました。
この犬の分離不安ですが動物病院でも治療する病気のひとつとなっています。
分離不安対象の犬に治療薬も使われるようになってきています。
もちろん直接的な薬はありませんので、脳の症状を抑えるといった形での治療になります。
もはや犬の分離不安はトレーニングスクールよりも病院で治療という世の中になってきているのかもしれません。
こうなると「うちの犬は分離不安という病気で」というのがまかりとおる世の中になってきそうです。
飼い主が準備した環境の中で分離不安を作り、こんどはその分離不安に対して薬を与えるという実に微妙な感じになってきていて、何かがおかしいのではないかと思うのはまた私だけでしょうか。
犬に分離不安かもしれないと思える行動が見られたら、病気でもなく性格でもなく、まずは自分たちの環境に何か改善の可能性があるのだとより積極的にとらえて解決を試みましょう。
変えなければいけないのは「犬ではなく」
変える必要があるのは「飼い主の方」です。
これは飼い主に責任を求めるためにお伝えしているのではなく、
犬が飼い主に願っていることを聞いてほしいという私からの伝言です。
犬のしつけ方のことでYou Tuber (ユーチューバー)と戦うことになるとは。
ブログの更新が遅れてすみません。
今年は本をよむ時間を作ることを自分のテーマとして課しており、植物の種という生命を育てる時間も増えてしまったので、頭の中で書いたブログが表に出る機会がありません。
少しずつ更新していきますので気長にお待ちください。
さて最近の話題ですが、カウンセリングの時にこの言葉を聞くことが普通になってきました。
「ユーチューブを見て勉強したんです。」
「ユーチューブでやっているとおりに教えてみましたがうまくいきません…。」
「ユーチューブの通りにやっているのに、こんな風になってしまって…。」
昔なら「“かしこい子犬の育て方”という本を読んでやってみましたがうまくいきません。」だったのが、情報の仕入れ先がYou Tubeになっただけなのですが本のころとは少し様子が違う感じなのです。
書籍は出すまでに時間もお金もかかります。
たとえば“子犬のしつけ方”という本を出版するならそれなりの資料が必要だったり、経験のある先生が執筆したり、編集局が膨大な情報をまとめたりして本をつくります。
いくつもの検問を経て本が出版されても、本を買おうという人の手にわたるのはごく一部です。
有料ですし書店に出向いて探さなければいけません。
だったらドッグスクールに通っても同じかと考えて、本を読む前にしつけ方の相談に来られた方もたくさんいます。
ところがYou Tubeは、「タダ=無料」だし、検索したらすぐに出てくるし、検索しなくても「これどうですか?」と向こうから情報を送ってくれます。
動画なので文章を読んで理解するよりも早くそのままの動きが伝わりますし、すぐに犬に試してみることができます。
動画は新しいものが次々と公開されます。
動画は深い理解がなくとも、見て入れば真似して簡単にできそうなこともあります。
むしろ、動画提供者としては、たくさんの方に動画を見てもらうためにだれでもが簡単にまねできそうなことを動画として配信されるでしょう。
サービスの基本姿勢としては当たり前のことですが、その内容がすべての犬に必要なことであるとは限りません。
必要どころか犬によっては、成長を阻害したり、社会性を後退させるなどの不利益を被ることもあります。
しかし、飼い主側にはその判断ができません。
むしろ単純なハードルをジャンプさせる芸のようなものをまねさせることの方が犬へのダメージは少ないのです。
犬の成長と発達にかかわる、ハウストレーニングやトイレトレーニング、日々の接し方や散歩のさせ方、自宅環境の整え方などを動画で一律に伝えようとしても難しいものがあります。
動画配信には対話がなく、飼い主さんの理解を深めることには限界があるからです。
私がなかなか動画配信サービスに踏み切れないのもここに意味があります。
SNSを活用できなければ時代遅れと捨てられそうですが、やはり私は飼い主さんと向き合って話し合いながらいっしょに犬を育てていきたいのです。
オンラインクラスであっても、飼い主さんと情報を交換しながらできるだけ身近に感じられるように取り組みたいのです。
もしかしたらYouTubeでも犬の真実を伝えている番組はあるかもしれません。
動画を見て学ぶなら、深く深く考えてそれが犬に与える影響まで考えた上で、実践するかどうかを決めて下さい。
犬は忘れやすい動物だと思われていますが、犬も傷つきますし再学習には時間がかかります。
You Tubeで犬のしつけ方を学んだけどうまくいかなかったとかいっていない気がするという飼い主さんは、今すぐに直接どこかに家庭犬スクールで話を聞いてみてください。
ドッグトレーナーも家庭犬インストラクターも急激に増えたのです。
まだまだみんな学びながら成長しているはずです。
飼い主さんのたくさんの疑問や質問が、私たちを成長させてくれます。
だからたくさんの質問をぶつけてください。
そのことで私を含めた犬のしつけのプロが成長していくことを期待してほしいのです。