七山では若いウグイスが鳴き始めました。
お預かりクラスでお世話をしながら、草刈りして休憩して、新鮮な空気を吸い込むと体がリフレッシュする感じです。
今回は、初めてお預かりクラスを利用してくれた犬ちゃんがいて、その行動の変化に対する予測と結果の分析で大変頭を使いました。
犬の方は、別の場所に連れてこられて、数日したらまた元の家に戻るということをわかってはいません。
私と面識はあるものの、家を奪われるというのは犬にとって大変なことです。
預かりクラスを繰り返すと、これは一時的な場所でまた元のテリトリーに戻るということを学習していくのでしょうが、最初はそうはいかないのです。
そのため、最初の預かりに限る犬の行動を観察することはとても重要です。
なぜなら初めての経験を与えた時の犬の行動を通して犬の気質を知るヒントを得られるからです。
これは人の場合にも通じることだと思います。
テレビのバラエティ番組などで「ドッキリ」といった仕掛けをするのも、思わぬ出来事に人がどのように対応することでその人の性格や考えや器量を知ることができるということです。
犬の場合にもこれと同じことが起きます。
新しい環境に連れてこられた犬、飼い主はいない、犬の居場所を指定するのはたまに見かけた、時々家にやってくる人(私のこと)。
犬の警戒心、順応性、人との関係性、服従性など、ほとんどの飼い主さんが見抜けていない犬の心底の部分を見る機会になるのですから、ワクワクせずにはいられません。
とはいっても、犬を放置するわけではありません。
あくまでも、私という人の管理者がいる上での一定の管理の中での犬の行動です。
しかし七山です。
山の中の戸建ての家なのです。
ある程度の感覚の優れた犬であれば、この家の周囲にどの程度の面積があり、人や犬以外にもたくさんの動物が生息している気配を感じることでしょう。
それは移動してすぐにではなくても、次第にじわーっと自分の中に入ってくるものです。
犬の中には、元のテリトリーに戻ろうとする帰巣行動も見られます。
車で移動してきたのですから、簡単に帰巣することはできませんが、とりあえずここから出る「逃走」を行動に移そうとすることは珍しくありません。
すべての犬がというわけではないのですが、野犬の子犬や保護犬の多くは「逃走」こそ最初に選択すべき道とインプットされているようです。
いついかなるときに、どの経路で逃走を図ろうとしているのか、彼らに気づかれないように隠れて観察するのもまた楽しいことです。
かといって管理を緩めるわけではありません。
決して逃走できないということを気づいてもらうことに価値があるのです。
そして同時に犬を管理する側の人間は、やさしくても一定の規律を持っているということを理解させることが何よりも大切です。
慎重な犬ほど行動の変化に時間がかかり、3日間ほどの預かり期間はあっという間に終わってしまいます。
だいたい3日たつとさあこれから~という感じで変化していくときに帰宅ということになるのです。
今回の犬ちゃんも、成犬時に保護された大型犬でした。
あまり人に興奮しない、行動も少な目、食欲もさほどない、ただ逃走傾向が高いというタイプの犬ちゃんでした。
どこを触られても拒否はなく、わんわんと吠えることもなく、キャンキャンとも言わない、だからといって人との暮らしに積極的で満足しているわけではないのです。
それが「逃走」という行動を引き起こしています。
ごはんも食べられ、居場所も与えられ、散歩にも連れて行ってもらえて、何が不足しているのか。
それを見極めるのが私の宿題でした。
変化してくる3日目くらいに、もっと時間があったら…と欲が出てしまいます。
犬のことを知るのは本当にワクワクします。
犬たちのストレスを感じたりすることはつらく苦しいものですが、犬が求めているものを知ったときには、やっぱり犬だな~と思うからです。
お預かりクラスが終了しその犬が飼い主さんの元に戻るときに、犬に伝えたいことがあります。
あなたの飼い主と出あったことには犬としてあなたの生涯に何か意味のあるもの、そこで喜びを勝ち取るのだよ。
Author Archives: miyatake
最初の「お預かりクラス」で犬の行動観察を通して知る犬のこと
飼い主の心の弱さを見切る犬の凄さ、飼い主の成長ももちろん見切っている。
家庭訪問形式のトレーニングクラスは、初期のころは犬の状態に応じて一週間に一回程度の家庭訪問を行っています。
毎回、トレーニングのステップが上がっていくのですが、その中で見られる犬の行動の変化について飼い主さんから報告を受ける時間は、楽しくもありドキドキでもあります。
しかし、変化するのは犬の行動だけではありません。
トレーニングクラスの回数が積み重なってくると、ある時点で飼い主さんの行動にも自ずからの変化が訪れてくる時期があります。
トレーニングを開始したばかりのころは、インストラクターの指導に従って飼い主さんの行動を変化させています。
こういうときはこうして、こういうときはこうして。
規則はわかりやすくするために多少厳格でもあるのです。
ところが、どうしても犬の鳴き声や要求や落ち着かない行動に右往左往してしまう飼い主さん。
「すごく鳴いているのでかわいそうになって…」
「いやがっているのでおやつを使いました…」
「ストレスになるんじゃないかと思ってさせられなかった…」
など、そもそもの犬の落ち着かない行動やストレス性行動に応じるように反応してしまうようです。
ところが、ある時点にくると何か大きく変化することがあります。
「数日前にクレートに入っているときに少し騒いだのですが、今日は見に行かないと決めていかなかったんです。そしたら何かが大きく変わった気がしました。」
ここで変わったのは犬ではなく飼い主の行動ですが、本当に変わったのは飼い主さんの気持ちです。
おそらく「腹をくくった」ということだと思います。
もうこんな関係は終わりにしよう、犬との新しい関係を作っていこうと飼い主が決めた瞬間、犬はそのことをよくわかります。
落ち着かない犬の多くは、落ち着けない人の空間で過ごしています。
決して人の性格が落ち着かないというのではなりません。
飼い主が犬のことがわからないとか、犬のことを誤解してしまっているために、犬が落ち着けない接し方をするために犬は落ち着きをなくしていくのです。
落ち着きをなくして問題行動を起こす犬を、飼い主はどのように関わっていいのかわからなくなります。
自信がなくなってしまってごまかしたり、腫物に触るようになるなど弱い心で接するようになります。
ある程度適当に相手をする、でも犬は簡単に言うことを聞きません。
何かをさせようとすると嫌がる犬を見て「かわいそう」だと言われることがあります。
それは自分の心が揺らいて落ち着かなくなるということで、結局は心が弱いということになるのです。
この人の心の弱さを犬はすごい動物力で察知しています。
犬は「飼い主さん、かわいそう」などと思ったりはしません。
むりそ「こいつ、弱いな!」ただそれだけです。
こんな弱い動物に自分を託すことなどできないと、私が犬ならきっと思うことでしょう。
「あなたの弱い心、見切った」と犬が感じた時に、犬は興奮し始めます。
犬は飼い主の鏡だとよく言われますが、それは本当なのです。
人の弱い心を映し出す犬、変えるためには強くなるしかありません。
でも、強さとは暴力ではありません。
強靭な精神、揺るがない信頼、絶対的な愛、そんな強さを身に着けていく飼い主の成長を感じることがこの仕事を続けている喜びでもあります。
犬はなんでも見切ってくれます。
安心して飼い主として成長してください。
子犬の正しい社会化の方法を見極めるために犬の習性を学ぶこと
この時代ならではのいろんな動きがでていますが間違いなく「ペットバブル」になっています。
ペットショップでは流行りの子犬が高値で販売されているようで、たくさんの人が犬を求めているということでしょう。
子犬のしつけ、子犬のトレーニングの依頼も多くなり、子犬の社会化について声を大にする必要性があり改めて書くことにしました。
犬のしつけについて飼い主が学ぶ情報源は、テレビやYouTubeやインターネットなど気軽に拡散されるSNSによって、大量にスピード感をもって広がっていきます。
ところがその情報の多くは科学的な根拠のないもので、どこかに書いてあったものの上っ面をさらったような内容ばかり、明らかに間違っているものが多く、かすかにかすっているけれど大きく違うものもたくさんあります。
ところが「犬が尾を振っているときには喜んでいる」という長い歴史の中で培った思い込みに沿うようにうまい具合にできているので、普通の人は納得してしまいます。
子犬の場合には、家庭内の飼育環境整備、子犬に対する接し方、トイレトレーニングといろいろと子犬のしつけで学ばなければいけないことがあります。
中でも「子犬の社会化学習」は、犬の性格形成に影響を及ぼす学習項目で絶対に大切なのです。
子犬の社会化学習とは「子犬が生涯を通して接することのできる刺激に対して適切に反応することができるように学習すること」です。
「刺激に対して適切に反応する」などとややこしい言い方ですね。
要するに子犬が社会のあらゆるものに馴化(適応)し、過度なストレスを抱えずに生きていくための力を身に着けることです。
子犬の社会化=馴化を適切に進めるために注意しなければいけないのは、子犬が状況を受け入れているかどうかを確認することです。
子犬は自分のテリトリーの中では興奮したり騒いだりする半面、表向きには警戒心が高く反応が少ない場合もあります。
子犬が目の前に起きていることを「大丈夫」と確認できるようになると、その対象に関心を示さなくなる、これが本当の馴化です。
逆に、間違った子犬の社会化にはこのようなものがあります。
人を見ると近づいていく
他の犬を見ると近づいていく
これらの行動は、子犬が人や犬が好きだからではなく、むしろ理解できないものであるから近づいていくという行為になるのです。
狼や野犬は子犬の社会化期にグループ外の動物に子犬が近づくことを許しません。
犬には犬の習性としての社会化という学習が備わっています。
人目線にならず、犬目線で子犬の社会化の仕組みについてぜひ学んでください。
ブームによって増える犬種の子犬は慎重に見極めて迎えることをお勧めします。
先日、ペットショップの中を横切ったときに、たくさんの子犬のはいったアクリルケースの中を覗き込む多くの人を見かけました。
子犬は疲れ切ったように寝ていましたが「かわいいー」と微笑んでみている方ばかりでした。
自粛生活で家にいる時間が長くなったことで、子犬を迎えた方が確実に増えています。
子犬のほとんどはショップやブリーダーが販売しています。
しかしその子犬たちは決して自然に生まれてくるわけではありません。
ペットの販売はペットビジネスの中で成り立っているので、売れやすい犬種、人気のある犬種、色、サイズ、などを吟味して繁殖しています。
犬たちは自然に生まれたのではなく、人工的な交配により繁殖させられているといるといってもいいでしょう。
買う側が欲しがる犬種は計画的な繁殖以上の数を求められて、無計画な繁殖で数を増やしてしまう結果にもなります。
繁殖が不安定になると、子犬の身体的精神的機能性にもいろいろと問題が生じます。
それだけでなく親犬の子犬に対するケアにも支障が出てきます。
法律では子犬を早期に販売することは禁じられていますが、その間親犬とどのようなコミュニケーションをとったのか、親犬がどのような繁殖をしたのか、親犬は繁殖犬として適切であったのかという法律はありません。
一方で犬を飼う方は犬に対する知識もなく、ぐったりと眠る子犬を見て性質を判断できるわけでもありません。
犬種によって必要な飼育環境が異なることや、同胎犬(一腹の中にいる兄弟犬)でもそれぞれに性質が異なることも知られていません。
ただ「かわいい」という理由で子犬を迎えてしまうこともあるし、自分のライフスタイルや生活環境と子犬が合わないということもでてきてもおかしくはありません。
ここであまりにも当たり前ですがもう一度自分に問うてほしいことがあります。
「なんのために犬を飼うのだろうか?」
もしその答えが「犬がかわいいから」というのならおすすめしません。
犬はかわいいだけでなく、難しい動物でもあるからです。
「なんのために犬を飼うのだろうか?」
その答えが「犬を飼うことで自分の人生がより豊かに楽しくなるため」
であるとしたらぜひ子犬を迎えて下さい。
犬と暮らす自分の人生が幸せになるためには、犬もまた少しは幸せでなければなりません。
でも、犬はごはんと愛情さえあれば幸せになれる、と思ったら大間違いです。
犬には自分を愛し理解し群れとして生きてくれる家族同様の動物が必要です。
犬はすばらしい動物ですが、そうだとわかるまでにはたくさんの大変なこともあります。
とても手のかかる動物ですし、水槽の中にいれておくようにサークルの中にいれておく動物ではないのです。
それでも犬はやはりすばらしい動物です。
だからこそ流行りに振り回されずに自分のライフスタイルの中にはまることできる犬種を選びましょう。
子犬を迎えるまえのカウンセリングも開催しています。
「感染症と文明ー共生への道」を読んでヒトという生き物を考える。
新型コロナウイルスが変異して広がっていくこの世界で、私たち人の生活様式にも変化が求められている気がします。
ウイルスなど日常的にどこででも接触するものなので、ウイルスを全く排除してしまいという発想が自分の中にはありません。
ウイルスと私たちヒト科ヒト属の歴史を知りたくていくつかの本を読みました。
その中のひとつが「感染症と文明ー共生への道」著者は山本太郎氏です。
2011年6月の初版された本ですが、2020年4月には増刷されています。
新型コロナウイルスの広がりを見せた昨年に相当の方がお読みになったのだろうと推測します。
私が山本先生のこの書籍を読み最も強く思ったは、ウイルスによる感染症をひろめっていった動物を最初に挙げるとしたら、それはやはり人であるということです。
ヒトという動物ほど地球の中を移動する動物はいません。
未開の土地に住む原住民が、次々とヨーロッパからやってくる人による感染で倒れていく姿がありありと想像されました。
文明の進化によって感染は一気に広がったのです。
今ではその文明の進化が足かせとなり、今度はウイルスの蔓延を抑えるために、文明の道具である「移動」に制限をかけられることとなっています。
私たち人の招いた結果、おそらく多くの科学者がこうなることを予測していたとは思いますが、だからといって進化を止めることができないのもまた人です。
犬に思いをはせると、こうした進化しつづけることに執着しなければいけない人という動物と共に生きることになったために、彼らもまた多くの感染にさらされてきたといことです。
そのため今は犬のワクチン接種は9種という膨大な数に上っています。
この数がもっと増えてしまうのではないだろうかと思います。
ウイルスや細菌が全くなくなってしまうことはない「共生」するしかないのだと誰でもがわかることなのにその「共生への道」がわからずに現在右往左往しているのが今の私なのです。
本書には山本太郎氏がこのように記されていました。
「共生とは、理想的な適応ではなく、決して心地よいとはいえない妥協の産物なのかもしれない」
同じ言葉をあとがきでも記されています。
「決して心地よくない妥協の産物…」
これこそ犬が現在、私たちの足元で人との暮らしの中で抱えている共生への道にも通じるのではないでしょうか。
ウイルスとの共生
犬との共生
犬にとっては人との共生
山本先生は「共生なしくて、私たち人類の未来はないと信じている。地球環境に対しても、ヒト以外の生物の所作である感染症に対しても。」と言われます。
「決して心地よくない妥協の産物」は人と暮らす犬だけに課されるのではなく、
犬と暮らす人にも課されるのだと思います。
お互い様とはいきませんが、相手を理解する努力だけは忘れずにいたいとこれからも勉強します。
とりあえず免疫力をアップさせるには太陽に当たることというのは動物の基本です。
気持ちの良い季節です。
密にならぬよう太陽の下で遊びましょう。
グループトレッキングクラスを開催しました。
どこにも出かけられない飼い主さんと犬たち数頭といっしょに、山歩きのクラスを開催しました。
広い広い山の空間を使ったクラスですから余計な心配もいりません。
今回また初めてグループトレッキングにデビューする犬ちゃんとご家族もドキドキして参加されました。
管理しやすい頭数だったためか、最初は「なじみのない犬がいる」という反応をみせていた常連の犬たちも次第に落ち着きを取り戻してくれました。
「馴れる」という仮定はただ「なんども会わせる」ことではありません。
たくさんの犬に繰り返し会わせても犬に社会化するわけではありません。
社会化の段階で最も大切なのは基盤です。
基盤とは、社会的なルール=規律なのです。
まずは犬と飼い主が規律のある関係作りを築くこと。
そして他の犬とも規律のある関係を作っていくこと。
これが社会化という過程なのです。
トレッキングクラスは規律がしっかりとしています。
みんあルールを守って安全に歩いています。
子供たちもいっしょに歩きました。
春の一日が学びの一日となり、健やかに過ごしました。
ご参加ありがとうございました。
また来月も開催します!
飼い主の姿が見えなくなるとすごく吠える犬…これって分離不安ではありませんか?
ここ数年で多いお問い合わせの内容がこれ。
飼い主の姿が見えなくなるとすごく吠えるんです。
ネットでこの文章を検索すると「犬の分離不安」「分離不安症」という項目がたくさん出てきます。
自分の姿が見えなくなると吠える、興奮する、パニックを起こす犬を見て
「うちの犬は分離不安ではないか。」と問い合わせをされてこられるケースがとても増えています。
この行動のお問い合わせは数年前から少し増える傾向があったものの、コロナ禍において爆発的に増えたといっても言い過ぎではありません。
世の中の不安定さが飼い主の不安になり、それを受けて犬まで不安になってしまう…。
分離不安の犬を作ったのは社会のいだく不安の連鎖のようにも思えます。
犬には何の罪もないうえに、分離不安犬として不安な状態を生涯を通して持ち続けるのは大変なストレスであるばかりでなく動物として幸せ感にも影響します。
犬の分離不安状態は最初は初期症状から始まり、次第に悪化し病的なまでに進行します。
分離不安症という病名までついてしまい、動物病院では人の精神科で処方されるような類の薬を使用して治療にあたる場合もあります。
犬はそもそも病気ではなかったはずなのに、精神的な病気犬として扱われるまでになるなど、社会の変化といえどもあまりにも辛いことです。
分離不安は早期状態であれば、現在の飼い主さんの元で生活環境や接し方を改めながら解決することが可能です。
かなり早い時期に変化が訪れます。
状態が多少進行している場合には、経過をみながら環境を変化させていくことで同じように飼い主さんの元で行動改善を図ることができます。
分離不安犬としてあきらめずに犬の行動を理解して取り組んでいただきたいと思います。
犬は環境が変わると大きく行動を変化させることができる動物です。
ときには飼い主の環境では見られないような行動を他の場所で見せることもあります。
お預かりクラスのときにはそのことをよく観察でき動画撮影して飼い主さんにご覧いただくと驚かれることも珍しくありません。
犬は案外それほど悪くなっていないのに、犬が悪いと思い込んでしまって問題を複雑にしてしまうこともあるでしょう。
冷静に客観的に観察する眼が飼い主の側にも必要です。
犬が大切なら、犬のことを愛しているなら、犬を理解するためにかかる時間や労力は飼い主にとって苦にはならないと思います。
飼い主の姿が見えなくなると騒ぐ犬たち、犬からのメッセージとして受け取り対応していきましょう。
オポの記念日に思った素朴な疑問「なぜ犬に惹かれたのだろうか」
今日は亡き愛犬オポの記念日です。
先日訪問クラスのときにも「先生のオポさんてもしかしてもう生きていないのですか?」と質問されました。
今でもオポが生きていると思っていてくださったらしく、そうだとしたらオポは今年で21歳になりますね。
日々のレッスンの中にも私の愛犬から学んだ数々の話が盛り込まれるのですが、今日はまた「なぜ私は犬に惹かれてこんな人生を歩むようになったのだろう…」という素朴な疑問にぶち当たりました。
中学生のころ単純に当時飼っていた柴犬と過ごす時間が楽しくて、ずっと犬と関われる仕事をしようと決めたことから始まりました。
ただその時は、今感じているような犬がこれほどまでに素晴らしく魅力的な動物だということは知りもしなかったのです。
多感な青年期に犬との時間が自分にとって心地よいと感じたのは、犬という異種の動物への関心と共に、よくわる若者のひとりとして自分の中に深く立ち入ってこない生き物と過ごしたかったという気持ちもあったのではないかと、今日ふと思いました。
当時私の飼っていた柴犬は人との距離がある程度ある、いわゆる礼儀の正しい犬であったと記憶しています。
その犬にとびつかれた記憶もないし、排泄を室内ですることもありませんでした。
庭で自由に遊ぶ柴犬は夕方になると室内に入ってきて、そこら辺に寝ていましたがその柴犬を抱き上げたりなでたりして遊んだ記憶もありません。
でもなお、庭で一緒に過ごす時間や散歩に出かける時間、室内にいる犬に話しかける時間が私にとって心地よい時間であったのはずです。
犬は程よい距離感で私に立ち入ることなく私の人生に寄り添ってくれるような距離感でした。
もちろん柴犬はよくいうことを聞きました。
来客に吠えたてたり、ものを壊したり、家具を噛んだりはせず、呼べば戻ってくる、リードはちゃんとつけることができる、攻撃されたこともないし、訓練をしらない私でもかかわることはできたのですが、母がしつけたのだと思います。
このお互いの境界線を越さないという犬の習性であるルールが乱れ始めていると感じています。
境界線を先に越したのは犬ではなく人の方です。
人と犬の境界線、もし踏み越してしまったと感じたらいったん少し離れてもう一度距離を取り直してみてはいかがでしょうか。
犬はより良い環境を関係性に順応してくれる動物であると信じたいのです。
やり直しに時間はかかると思いますが、それもまた生きるということです。
オポも7歳まで都会でストレスを重ねていきました。
7歳から七山に移住しましたが、やり直すには遅すぎたと当初は思っていました。
でも今はどちらも自分にとって必要な時間であったと受け取っています。
オポ21歳のお誕生日おめでとう。
恩師<平岩米吉先生>の言葉で再認識する:犬との関係づくりにご褒美と罰はいらない
※前書きになりますが今日のブログ記事は犬のしつけ方のハウツーをお探しの方には参考になりません。犬という動物と心から向き合いたい方だけお読みください。
今年は本を読むと決めていたからか、価値のある本との出会いが続いています。
現在読んでいる本「快楽としての動物保護」の中には、私が尊敬する先生方のお名前が次から次へと出てきて感動を覚えています。
本書の内容についてはまた後日改めるとして、今日はこの本の中で再会した「平岩米吉先生」の言葉から改めて学んだことを書きます。
平岩米吉先生との出会い
私は平岩先生と一度もお会いしたことはありません。平岩先生を知ったのは学生時代に平岩先生の著書「犬と狼」や「狼ーその生態と習性」などの本と出合ったことでした。
私が犬の訓練士になりたいと思った当時は犬の行動学の本などほとんどなく、平岩先生の本は本当に貴重な本でした。
犬の仕事に就いたあとも平岩先生の本を大切にしていたのですが、新しい訓練の技法や次々に入ってくる犬に関する情報を得ながら、平岩先生の本は自分の手元からなくしてしまいました。
ところが今年になって出会った先の「快楽としての動物保護」の中に何度も平岩先生の名前や引用が登場するのです。
「快楽としての動物保護」信岡朝子氏著書には題目のテーマに関連していくつかの題材が設けられています。
その最初のテーマが「シートン動物記」で、シートンを絶賛しているのが平岩先生だったそうです。そのため平岩先生の動物と人に係わる考え方が著書目線で記されているのですが、これがあたらめてですが参考になるものばかりなのです。
動物を馴致(馴れさせる)のにご褒美と罰はいらない
今日はその中の一つだけを引用で取り上げます。動物との関係を築くために、ご褒美や罰は不要だという平岩先生の考え方が記された部分です。
ここから引用
…然るに、この両者を近藤し、動物を馴致し心服せしむるには「賞よりも罰の適用が、更に賞と罰との併用がより効果的である」と述べる研究者があるのだから驚嘆する他はない。(平岩一九三七a、一ー二頁)
こうした主張は平岩が犬や狼をはじめ、多くの動物を自宅で飼育・観察する中で得た持論に基づくものだった。つまり、動物が人間に見せる従順さや忠誠、心服といったものは、強制や懲罰、あるいは餌などの「賞」によって導き出されるものではなく、彼らが生来有している自発的な「愛情」に基づくものであるという信念を、平岩は自分の経験を通じて確信していた。
引用ここまで「快楽としての動物保護」
これはあくまで生涯を動物の観察と飼育に全力を注いだ平岩先生だからこその言葉であって、適当にしか犬と付き合わおうとしないような現代人が軽々しく口にするような言葉でないことはわかっています。
ただ歴史の中に平岩先生のような研究者がいて大きな宝ものを残してくれたことをもう一度思い出したいと思うのです。
ご褒美や罰がないならどうやって教えるのだ。
平岩先生がいう犬という動物の中に宿る愛を通して人と犬がつながることができるのだとうしたら誰でもがそうしたいと願うことでしょう。平岩先生のとおりにすべてをすることはできなくても、基本的な考え方には近づくことができると思います。
先生の基本的な姿勢は「犬を理解すること」にありました。
動物が発する音声やしぐさで彼らが何を望んでいるのかがわかります。
人側が一方的にしたいことを先に要求しないというのも、先生の教えだったと思います。
たとえば「犬に触りたい」「犬をなでたい」という欲求はどうでしょうか。
そうした人の欲求を満足させるために犬は存在するのではないということを理解できるでしょうか。
犬に必要な環境はどうでしょうか。
犬が犬として過ごせる場所を子犬のころから持っているケースは今はほとんどなく、犬たちは子犬から産まれて飼い主の元に移った後でさえ人工を強いられているという意味では平岩先生の環境とは大きく異なっており比較にはなりません。
もし人が食べ物をもって近づいたときに唸ったら、すごく単純にそれ以上近づくなという意味であって「その食べ物をよこせ」という意味ではありません。
犬と犬は唸りあって食べ物を搾取するような世界を持ちません。
食べ物で支配されればされるほど食べ物に対して興奮度が高くなったりストレスを感じたりするようになります。
むしろ平岩先生が観察した自然な状態の犬だったら驚くほど食べ物には左右されないというのが本当の犬であると言えるでしょう。
だからこそ絶対にはってはいけないのは、食べ物を使って芸を教えるならまだしも、食べ物を使って人に馴れさせるなどはもっての他であり、犬は傷ついていくことをまず理解したいと思います。
動物が本当の真の愛で人との関係をつくるならそこには食べ物などのごほうびは不要なのです。
犬との山歩きには餌は不要もしくはマイナスの道具となります。
山歩きの極意は平岩先生の言葉にもあったと思い出した一日でした。
犬にもPTSD(心的外傷後ストレス障害)はあると思います。
毎日の訪問レッスンで見る犬の行動は、単純なイタズラやいうことを聞かないといったレベルではない状況になっていることがあります。
数時間に及ぶ吠えが続く
数時間に及ぶ常同行動の繰り返し
パニックを起こしたように興奮するなど。
カウンセリングの時には、犬に何が起きているのかを分からずに混乱する飼い主の元で、犬はますます手の付けられない状態になっていることがあります。
こうした意味不明の行動を見た飼い主は、この犬は普通ではない、遺伝的に何かおかしいのではないかと考え、率直にそう尋ねられる場合もあります。
自分の犬が何か状態がおかしくなっていると感じられているのは、兆候としては良いことです。
異変を感じ取る、このことこそ犬を救う最大のきっかけだからです。
そしてこの問題を解決したいと思ったときに、同時に考えるのが「なぜこうなった」という理由についてです。
理由のひとつとして、遺伝的におかしいのではないかと考えることもまた普通の発想です。
遺伝的に行動に解決のできない支障があるとすれば、脳は発達を阻害する何かを抱えているということです。
そこから発展して、発達を阻害された=未発達の脳の状態で体験したことが、トラウマを生み出しPTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥っていることがあることもまた否定はできません。
ところが犬の脳の研究はそこまで進んでいないことと、実際には脳の発達に影響を与えている要因となるものが、犬によってあまりにも異なるため(遺伝的要因、飼育環境要因)比較が難しいために、簡単にそう決めつけることもできません。
しかし、最近偶然読んだ本の中に、題目の一文を簡単に言ってくださった先生が見つかりました。
面白くて今も読み返している本は神田橋條治先生の発達障害に関する一般人向けの書籍です。
書籍の中には質疑応答風にありました。
「先生そういえば犬にもフラッシュバックがあるって書いていらっしゃましたよね?」
「犬もPTSDになるんですか?」
神田橋先生「なると思いますよ。」
と犬の下りは3行で終わってしまったのですが、まさか犬の話題が登場するとは思わずに読んでいたのでびっくりしました。
そして、神田橋先生のこの一言をいただいて、やっぱり犬もPTSDになるのかと自分の予測が裏付けられたようで楽になりました。
また発達した脳でもPTSDになりますが、犬の場合には未発達の影響がかなり重なり合っているということもよく見られるケースです。
ここで付け加えたいのは、あなたの犬がPTSDになっているかどうかは簡単に判断しないことです。
それにPTSDといってもレベルというものがあります。
同じような行動に条件付け行動というものもあります。
似ているようでかなり違いがあります。
さらに発達障害に関して神田橋先生は「発達障害は発達するもの」と考えられていることもあわせてお伝えしておきます。
私も同じように考えています。
犬の未発達、発達障害は、発達する可能性のあるものとしてトレーニングをしています。
発達を阻害している環境を整備しなおすことがトレーニングクラスの目的です。
みなさんが「いうことを聞かない犬」とおもっているその犬が実は発達障害でさらにPTSDになっているのかもしれないのです。
犬たちの発達を阻害しているのが飼い主さん自身だとしたらどうでしょうか。
実は多くのケースで、飼い主と家庭の飼育環境が犬の発達を阻害しています。
新たな病気を生み出す前に、ぜひ問題を感じたらすぐに専門家に相談してください。
繰り返しますが、犬に問題があると感じられることはとても良いことなのです。
不安に思わずに問題に気づいてよかったと思っていただき、前向きに対処していきましょう。
誰のためでもない、犬と飼い主さんの暮らしのためにです。