好きな映画で何度見ても見飽きることない映画「愛と哀しみの果て」。
何が好きなのかというとアフリカの大自然の風景を見ることができるからだろうと思うのです。
そして、この映画に出てくるおそらくアイリッシュウルフハウンドがすごく素敵。
この映画は、小説家カレン・フォン・ブリクセンの書いた小説をもとに映画化されたものです。
映画のはじめでは1913年にデンマークからアフリカのケニアにカレンが列車に乗って旅するシーンがありますが、ここにそのアイリッシュウルフハウンド犬がいっしょに乗っています。
カレンと犬は列車をから馬車に乗り込み結婚式を挙げる施設へ到着。
到着するとカレンはその犬を座らせ「ちょっと待っててね」と言って立ち去りしばらくして戻ってくるともちろん犬は座ったまま待っています。
座らせるときに「オスワリ」などと合図する必要もないし、リードを置けばそこにステイするというのが当たり前になっていることがこの様子からわかります。
また犬のところにカレンが戻ってきてリードを持っていくのですが「お利口さん」などと褒めていることもありません。
出来るのが当たりまえ、それがこの時代の貴族が飼っていた犬だということがよくわかります。
到着したときにケニアの支配人はこのアイリッシュウルフハンドにびっくりします。
純血種にも驚いたのでしょうが、犬であれ動物をこうして従わせていることにもまた驚いたのでしょう。
洋犬の純血種は貴族社会の中で生まれたヨーロッパの文化のひとつです。
もはや100年以上前に築き上げられたひとつの文化で、クラッシックミュージックと同じように時代を経ても輝きはなくならないはずなのですが、音楽と違うのは犬には遺伝という難しいシステムが伴うということです。
繰り返される純血種の交配によってその遺伝子がどのように変化していくのか、ヨーロッパでは100年前と同じレベルで純血種の「形質」と「性質」を維持し続けることができているのか、実際にヨーロッパに行って犬を見たいと思うこともしばしばです。
この時代の純血種は本当に精密であり、現代新たに生れている新しい純血種とは一線を画すと思います。
さらにハイブリッドという純血種と純血種の混合となると、純血種以上の安定した性質となることは難しいのではないかと考えています。
100年前の貴族が暮らしていた犬はどのような犬だったのか、厳密に時代考証している信頼できる映画を見るしか方法がありません。
「愛と哀しみの果て」のアイリッシュウルフハウンドと飼い主のカレンですが、映画の最終近くにもまた登場します。
ヨーロッパから離れてアフリカで暮らしたカレンの孤独を犬が支えていたことがほんのわずかなシーンから想像できるのです。
この時代の人たちは現代のわたしたちよりも犬を動物として尊重することができたのかもしれません。
そのことが「できるように犬をしつける」という行為となったのではないかと思うのです。
犬を甘やかしておいて犬が吠えたりいうことを聞かなくなると叱ってそれを止めさせようとする現代の犬との暮らしを、カレンたちはどのように意見するのか聞いてみたいと思いながらこの映画に触れています。