お預かり犬ちゃんが雪の中で遊ぶ風景を楽しく見守っていました。
犬が楽しんでいるのかどうかは不明なのですが、とりあえず少しテンションが上がってでもちゃんと抑制もかかっています。
動いたりとまったりの行動の繰り返しが、アクセルとブレーキをちゃんと使っていることがわかります。
興奮するでも抑制する。
動物の行動はこの繰り返しです。
犬を興奮させすぎることには反対ですが、犬が自然の力をどのように受け取るのかは見届けたい。
でもそんな自然の変化は街中では感じることはできません。
オポと博多のマンションに暮らしていたときに冬になって山のほうで積雪があったと聞くとどうしてもオポを雪の風景の中に連れて行きたくなりました。
知人と連絡をとったのですが凍結しているので車は下においてくるしかない。
それでオポと凍結の始まるその山道を3キロ以上の道のりでしたが歩いて上っていきました。
到着するとふんわりとした雪の風景が広がり、オポはいつもとは違う匂いと感覚にテンションが上がります。
それでもちゃんとブレーキのある犬だったので、走ったり止まったりを繰り返しながら安全に周囲を確認しながら探索を続けていました。
下道から歩いてきた私とオポに知人はびっくりしていましたが、そもそも犬を通して知り合いになった方なので私の犬に対する思いはちゃんと理解してくれます。
雪遊びが済んだあとは少し部屋で暖まらせてもらってそれからまた山道をとぼとぼと歩いて下り車でマンションに帰宅したのです。
犬にとって何が幸せなのかもちろん私にもわかっていません。
でもどうして山にたびたび向かったのかというと、山にいくと犬の目の輝きや体の柔らかさや体全体からあふれてくる躍動感が違うと思ったからです。
そんな経験の積み重ねでオポという犬が自分の機能をできる限り発揮する機会をつくってあげなければと考えるようになったのだと思います。
理由はあとからくっついてきただけで、最初はこっちのほうがいいような気がするという感覚から始まっていました。
福岡などの都心で訪問レッスンや通学レッスンを受けてくださった生徒さんたちを山遊びや山歩きにお誘いしている理由は、山で過ごす犬をちゃんと受け取られるようになれれば犬が山で生き返ること、犬が山の動物であるということを頭でなく心で感じていただけるのではないかと考えているからです。
しかしそのためには飼い主さんの方にも一定のセンス(感受性)というのが必要であるということがわかってきました。
この自然とつながる感受性は小さいころに自然とかかわりながら成長した人の中にはあるのですが、最近ではマンションで育った子供さんも増えてきたのでなかなかそうしたセンスは簡単には身につかないのだということも現実として見えてきました。
昨年からのコロナウイルスという猛威によって価値観はいろんな場面で二極化しているのでは感じています。
動けなくなる人、戦う人。
都会と田舎の二極化生活。
自然と都市のバランス。
コロナウイルスの到達しそうにない七山ではそんなことも考えていました。
都市空間は犬には少しやっかいな環境になりました。
グッドボーイハートしてできること、ひとつずつ考えて行動して前進します。
オポが見てるから…ですね。