柴犬や豆柴が高値になっているらしい
学生時代の友人から犬を飼おうと思っているの…と連絡がありました。友人が言うには「ペットショップに見に行ったら豆柴が75万円で売られていてビックリした」とのことでした。
いつか犬と暮らしたいとペットショップ通いをしていた友人は、最近の急激な犬の価格の変化に驚いたのでしょう。
豆柴を買いたいという人がいて売りたいという人がいることでビジネスが成立しているわけですから、希望者が増えればオークション形式で価格が上昇するのは仕方のないことです。
ただ事実として言えることは価格は自分の購入者の満足度を上げるものであって、ものの価値を決めるわけではありません。
ものとはここでは犬のことなので、犬をものと置き換えるのには抵抗がありますが売買されている以上仕方のないことです。
しかし犬を買ったときが頂点ではなく、犬との暮らしは犬が自分の家に来た瞬間から始まるのです。
大人しい柴犬は注意を払う必要がある
本来の柴犬はやはり飼い主にはなつくが他人にはなつかないという性質でした。この比較的難しい性質を持つ柴犬という犬が、ここまでペット化して売られるようになることになろうとは、昔ながらの柴犬を知っている人なら想像すらしなかったでしょう。
この柴犬の性質の特徴から飼いならすのがなかなか難しいところもありましたが、この頑固な性質が好きで柴犬を飼っている方もいたのです。
でもいまや柴犬は、誰にでもなつく大人しく他の犬にあってもぼーっとしているそんな犬になりつつあります。
全ての柴犬がそのように変化してきたということではないのですが、そういう大人しい性質を持つ柴犬が増えてきたようです。
ところが、この大人しい柴犬は本当に大人しいわけではありません。
大人しいのではなくただ行動ができないだけなのです。
たとえば他の犬と友好的にコミュニケーションをとるのではなく、あまりコミュニケーションをとらない行動パターンになります。
関心がないように思えるのですが、行動のパターンが抑えられているだけです。
本来の闘争行動が表現できない分、葛藤行動が多くなります。
葛藤行動は表面的には行動にでないという状態が継続するので、普通の人が見てもなかなかわかりません。
長い間の葛藤は、いずれひずみを生みパニック行動や破壊行動、興奮行動となって不規則な行動パターンとして現れることがあります。
そうなったときはご褒美や罰を連発せずに、すぐに行動の専門家に相談してください。
そもそもが大人しい柴犬として飼われていたわけですから、ご褒美や罰でなんとかなりそうですがそうもいきません。
飼い主さんの理解と協力、根気と謙虚な態度が柴犬の行く先を決めることになります。
犬の値段が犬の幸せを決める訳ではない
高値の柴犬に限らず、どんな犬であっても高い値段でかったからよかろうというものではありません。そもそも犬の値段はドッグショーという趣味の世界で高値が決まるようになりました。
ドッグショーを見たことも行くこともない人が、なぜ高値の犬を飼う必要があるのでしょうか。
もしドッグショーに自分の犬を出す趣味にはまっているのであれば、高値の犬を飼ってドッグショーに出し、犬を繁殖させて販売するということもあるのかもしれません。
その上犬の販売には許可が必要なので続けることは業者ではければできません。
でも、あなたがただ自分の家族として犬を迎えて共に楽しく豊かに暮らしていくことを望んでいるだけなら、犬の値段を考える必要はありません。
犬に値段のつかない保護犬を迎えることでも犬との暮らしは豊かになれます。
純血種という名前のついた犬を飼ってみたいのであれば、もちろんそれでもかまいません。
ただ、犬の幸せを決めるのは犬の価格ではなく、飼い主が犬のことをどれだけ理解しているかということです。
つまりは、飼い主が犬のことをどれだけ愛しているかということなのです。