犬とともに暮らしていると、犬が喜んでいるのかなとか、楽しんでいるかなといった犬の気持ちを知りたいというのは自然に起きる気持ちです。それだけ、犬と一緒に楽しく生活したいという飼い主の思いが強いということでしょう。室内で暮らしている犬でも庭で暮らす犬であっても、犬と暮らしている人の気持ちを動かす強い力を持っています。その犬に対してわたしたち人も、もっと近づきたいという思いを強くし、あなたの気持ちが知りたいのだと犬の気持ちに関心が高まります。
ところが、この犬の気持ちへの干渉は時に擬人化という誤解と妄想の闇を生むこともあります。犬を擬人化してとらえたり、妄想の眼で見るようになってしまうと、犬のことを知りたいという純粋な気持ちが間違った方向へ向かってしまいます。人は犬を理解したつもり、でも犬は人から理解されずに毎日を過ごすというお互いに望まない結果を生むことにもなります。それだけに、犬の感情の世界へ近づくときは慎重にしたいものです。今日は、犬という動物の持つ感情の世界にわたしたち人間がどのくらい入り込むことができるのかを考えてみました。
●犬の感情の世界は人とは違う
先日のブログ「犬語セミナーで学ぶ『犬の気持ち』:犬はただうれしく楽しく喜ぶ動物なのか?」でもご紹介したように、クラスやセミナーなどの機会を通して犬の行動について行動学的な見方を説明すると、飼い主さんの中には犬の状態が自分が今まで思っていたものと違うということに驚かれることがあります。
たとえば、人にとびついてくる犬を見て、犬が喜んでいる、この犬は人(わたし)のことが好きだと感じるかもしれません。しかし犬の行動学として受け取れば、犬は単にとびつきという行動で興奮を表現しているということになります。しかし、興奮するというのは人にとっては喜びの表現のひとつでもあります。
スポーツ観戦をして大声を上げて手をたたいている人は行動学的には興奮していますが、その人に感情について尋ねれば「うれしいから」とその状態を説明してくれるでしょう。こうした人の行動と比べたとき、とびついて興奮する犬の行動を喜んでいると受け取ってしまうのかもしれません。しかし、これは犬を擬似化した受け取り方です。激しく興奮している状態が喜びだというのは、動物の種や、同じ種でも文化によって異なります。犬にとっての喜びとは何だろうという深い疑問を切り離して犬の行動を見る必要があります。
犬が興奮行動を激しく表現しているということは犬のストレスレベルが上がっているという犬のメッセージでもあります。犬同志の反応を見ると犬の状態はもっとよくわかります。興奮してとびついた犬がとびつかれた犬に無視されたり吠えられたりして遠ざけられたり押さえつけられたりするのを見たことがあるでしょうか。これらのとびつきに対応した犬の行動は通常の犬の反応なのです。過剰に興奮する行動を犬は受け入れ難いものなのです。
よく聞かれる話ですが、ある犬が別の犬に前両脚を上げてとびついていったところ、相手の犬がガウガウと声を出して威嚇行動をします。これに対してとびついた犬の飼い主が「うちの犬は遊ぼうといっているだけなのにどうして攻撃するの?」と怒りをあわらにします。威嚇した犬の飼い主の方も「いきなりとびついてくるのに対してうちの犬が怒るのは当たり前のことだ」と反論して飼い主同士の喧嘩に発展してしまいます。とびつかれても反応をしない犬は、相手の犬を無視をしているだけかもしれません。もしくはお互いに犬の年齢が数ヶ月と未熟な年齢で、暴力的なコミュニケーションには暴力的なコミュニケーションを返すというやり取りをしているということもあります。
そう説明しても、やはり犬がとびついているのをどうしても喜んでいるのだと見てしまうかもしれません。興奮しているとびつき行動を犬が喜んでいるのだと人が受け取ることを一方的に間違っているとはいえません。しかし正しいともいえないのです。どんな感情や情動も高まり過ぎるのは動物にとって不利益をもたらします。そのため犬という動物の機能として、高まりすぎる状態をお互いに抑制すべき機能を持っているのです。それが社会的コミュニケーションを身につけた発達した犬の「とびつき行動」に対する適切な反応です。
また、動物の持つ感情の世界というのは種によって異なります。犬と人はお互いに種の異なる動物で、それぞれに違った習性を持ちます。たとえば、犬と人では排泄をどこでるすのかという行動の違いがあり、その目的もちがいます。犬と人が共感しやすいのは、習性は違うが欲求が似通っているためです。しかし、欲求と感情も量り方が違う世界のものです。
そうであっても感情の世界については十分にお互いを尊重し、すぐに理解しようと思ったり踏み込みすぎないようにすることです。あなたがテレビを見て笑ったり泣いたりすることに犬が干渉しないように、犬の感情の世界についても人はゆっくりと近づいて欲しいのです。
●共感しやすい犬の感情の世界
わかりやすい犬の状態というのもあります。たとえば、犬が不安を抱えているのは行動でも表現されやすく表情でも見て取れ易いものです。不安なときに震えたり硬直したりする体のシステムは人と同じものです。わたしたちには共通したシステムもあるのです。
また、犬が不安を抱えていることに影響されて人も同じように不安を抱えてしまうこともあります。飼い主が不安を抱えることでさらに犬の不安は増すわけですから、犬の不安行動が強まる理由が結局のところ人(飼い主)にもあるという落とし穴が存在することも事実です。とにかく、人は不安を受け取りやすく自分も同じような不安を抱きやすいという傾向があるようです。
不安というとネガティブな感情となりますが、その裏には喜びがあります。つまり、犬は不安がなくなると安心を得るという喜びを得られます。犬が不安が解消すると同時に安心を獲得するということです。
犬がひとりで留守番をしていて飼い主が帰宅してきたときに、玄関に走ってくる犬の表情に緩み(リラックス)があれば、少し不安だったけど飼い主が帰ってきて安心を取り戻したという喜びを得たときなのです。
ところが飼い主が帰宅すると犬が走ってきて飼い主に飛びついたあとに部屋を走り回るという行動をしたときは、犬の興奮のレベルがとても高いと判断します。この犬は留守番中の不安がかなり高まっていたことを推測できます。飼い主が帰宅して安心を獲得できるような状態ではなくなっていたのです。
ストレスは一旦上昇しすぎるとなかなか低いレベルには落ちてくれません。不安も高すぎると安心を獲得するのではなく興奮になってしまうのです。こうした行動は犬の留守中の環境を整えていくことで帰宅時の犬の行動に変化を引き出すことができます。
● 喜びや楽しみとは何だろう
あなたにとって喜びとか楽しみとはなんでしょうか。人の場合は同じ種でありながら価値観や文化の違いの幅があるため、喜びと楽しみにも個性が反映されてしまうことでしょう。ある人にとっては、おいしいものを食べること、ある人にとっては家族と過ごす時間、ある人にとっては帰宅して映画を見ること、ある人にとってはスポーツ観戦で興奮することかもしれません。平たく見ればそのどれもが社会生活が安定していて安心して平穏な毎日が過ごせている状態の現れとしての喜びの表現ではないでしょうか。
犬はどうでしょう。いつもリードで拘束されたり、家の中からひとりで外に出ることもできません。そして、人という種の異なる動物に育てられることで一時的に社会生活を奪われた状態でもあるのです。人の方は家族同然として迎えた犬であっても、犬の立場からみれば理解できない動物が理解できない接し方やコミュニケーションをもって近づいてくることに最初は興奮してしまいます。人と同じ状態であると見てしまうのは犬に対してあまりにフェアでないと感じます。
こんな犬たちの世界の中に、安心を安全、そして犬という動物としての健康な欲求の表現、社会性の発達と社会生活が得られれば、犬は喜びや楽しみを得てそれを静かに安らぐ表情と行動で表現してくれるかもしれません。
動物の本質的な欲求を人が準備することは簡単なことではありません。犬は家族同然に迎えて生活をすることを希望する飼い主にとっても、ある面で犬は飼育される動物であるという事実を認めておくことも大切なことです。そう考えると人が一方的に犬に与えている立場ではなく、犬に不便を強いる立場であるという謙虚さをもって犬の喜びと楽しみのために惜しみなく努力もできると思うからです。犬の本当の喜びと楽しみの世界に触れたと感じるまでに必要なたくさんの時間とたくさんの学びの過程は犬と暮らす者、犬を愛する者の喜びのひとつです。